きばっど 新しい旅へ  R2.3.31

コロナの前と後ではという話題が出る1年になるだろう。多くの犠牲を払うが、必然的に変化を求められる場面に出会うことが多くなる。コロナ流行後には、私達は新しい旅へ出発しなければならない。

さて、コロナの影響で学校は突然休みになった。ほとんどの人が、これほどこまるとは思わなかったはずだ。日本がいかに学校依存の体質であるかを思い知ったはずだ。現在の社会体制の維持にはライフラインと同じくらい学校は重要であった。子育て世代の労働力の確保に学校が大きく貢献している。しかし、逆にこの体質から脱却しなければならないという課題が明確になった。教育は10年先をめざすものという考えに立てば、今回のコロナは10年先の世界のあり方を垣間見させてくれた。

まず、社会全体で多様な教育の受け皿をデザインすべきである。男女共同参画社会を確立して、労働力を確保するなら、もっと子育て世代を支援すべきである。学校外の教育施設の受け皿を何種類も何枚もつくることだ。土曜授業が話題になった頃、この「受け皿」が流行した。そして、児童クラブや少年団が生まれた。中学・高校の部活動までめんどうをみると考えれば、まだまだ足りない。そして、その必要感も高まった。学校以外での教育があれば、これほどこまることもない。

教育現場の取組は、コロナで話題になった「三密を断捨離する」という動きで加速するだろう。密閉や密室を除くことは、「空間の拡大、教室の消滅」である。どこでも学ぶ場、学べる場とする。密集では、「人間関係の拡大 最低限の距離の存在」が意識され、小人数の学びやチ-ムの学びが考えられる。最終的には、教師は不用である。学校に来なくても成績は変わらないとなれば、教師はいらない。素晴らしい先生の動画を見て、多彩なコンテンツの問題を解き、送信すれば、学力判定のデ-タが返ってくる。学校という形態にとらわれない教育ができあがる。5G時代になれば遠からず、そうなるだろう。

学校に来れない生徒にも学習を保障し、社会で生きる力をつける教育でなくてはならない。ケ-タイ、アイパッドを利用した学習システムを活用して、学校と生徒をつなぐオンライン生活記録などがイメ-ジできる。学習歴を定期的にチェックして生徒にアドバイスをすることに挑戦したい。ケ-タイに学校情報が流れ、教科連絡も見れるようにしてほしい。すばらしいものを生徒に与えるためには、試験的に紹介することも必要だ。新しい物は従来の生活を変えてしまう危険性もあるが、使いこなす方法を考えさせる点では必要なものに違いない。経験しないものはすべて悪はいかがなものか、知ることにより正しい判断ができるはずだ。

きばっど      出る杭を活かす教育を         2020.1.31

きばっど      出る杭を活かす教育を         2020.1.31

出る杭を活かす教育の展開をお願いしたい。閉塞感が高まる社会の到来が予想される日本、弾力性のない社会で物事が進展するためには「始まりの人」を育てる必要が今まで以上に高まると考える。かつて、日本は均一のレベルの高い労働者を求め、教育を実行した。それは国力を高める点で十分に効果的だった。同じ製品をまちがいなく作れば、それはメイドインジャパンとして世界で信頼され、売れた。しかし、「創造性」はこの目的と相容れないところもあり、効率的な経済的な進展にはあまり役に立たないとされた。そこで、学校教育の中では「出る杭はうたれ、ひっこぬかれる」ことになった。

同じように教えて、考えさせても、なぜ違って見えるし、違った答えを発表する。そんな生徒がいる。均一をめざして教育する中に出てくるから、目障りな存在である。この生徒にこそ、始まりの人になる可能性があることを教師自身が理解できなかった。それは当たり前で、授業の妨害や遅延をまねく厄介者とレッテルをはり、教え込む授業を求めて先へ先へと進んだ。最初は目立っていたこの子はついには均一であることに埋没させられ、そのように社会で生きるように強制された。出る杭に存在する空間はなかった。どのように違ったのかを学級に返して、みんなで考える余裕は本当にないだろうか。子供の発表を一人一人に返していくことで、みんなの考えは深まらないのか。成功のヒントは間違いの中にあることが多い。どう間違うかを論理的に解明することはけっして無駄ではない。発明王エジソンには「私は100通りのできない方法を発見した。だから次は成功する方法を見つけやすい」とまで語った逸話がある。

出る杭を大切にする時代がやってきた。LCRは出る杭を育てる教室にしたい。プレゼン力は相手にどう印象づけるからスタ-トし、こちらの土俵に引き込んでの「つかみ」で勝負する。次は中身がなくてはならない。せっかくつかんでも中身が魅力的でなければ興味は薄れ、心は離れてしまう。どんな材料をどう面白く味付けできるのかは、今までと違う視点でものを見れるかである。豆腐イコ-ル水炊きや味噌汁ではこまる。ハンドクリ-ムだったり、シャンプ-だったり、シートベルトだったり、発想の広がりと新規性が決め手だ。そんな力をつけたい。そして、最後は価値である。出る杭には出るなりの心があってほしい。世界の平和、温暖化阻止とか、プレゼンはWINWINの構造があると成功すると言われる。相手意識、相手への思いやり、ここまであれば心をうつものになるだろう。叩かれず、引っこ抜かれない、出る杭を大いに育ててほしい。 早速、自己追究、討論する時間の個人発表、グル-プ活動での全員リ-ダ-体験など、「杭」が出やすい環境づくりを考えてみたい。

きばっど       日本のいろいろ       2020.1.20

きばっど       日本のいろいろ       2020.1.20

「利休鼠の雨が降る」という一節がある。どんな色かと言うと、「利休が好んだねずみ色」で、緑みを帯びた灰色を意味している。北原白秋の「城ヶ島の磯」という歌に出てくる。昨日の雨の中を帰る生徒を見て、この歌が突然思い出された。雨という言葉からの連想であるが、雨に色があると考えた北原白秋の感性に驚く。広く知られたこの歌の影響もあるのか、懐かしい昭和の歌謡曲では雨に修飾語をつけて、いろいろな雨の情景を生み出した。「水色の雨」だの「9月の雨」だの雨の日はせつない気持ちがあふれだすようだ。「始まりはいつも雨」で、「雨の物語」のように、雨の日に終わる恋もたくさん登場した。「晴れの日、雨の日、足る日」と続く連句もある。「最後は一日を満足して終える」という意味だろう。雨一つにも、日本語の表現の豊かさをついつい書き連ねてしまう。

さて、傘を忘れてしまい、「濡れ鼠」になる生徒を救出したいものだと生徒会長に語ると、レンタル傘を提案された。高校生となるとなかなか感度がよい。忘れ物の有効利用を考えつくところがすばらしい。私のアドバイスとして「テプラでかえるのイラストを打ち出して貼るとよいのでは」とつぶやいた。すると、「返してほしいのメッセ-ジですね」と答えが返ってきた。なかなか楽しい会話ができる。「利休鼠」の色の話もこの感度なら分かりそうだ。

「るり色の風に明けゆく」という校歌の学校に勤務した。この「瑠璃色」がなかなかイメ-ジできなかった。青みがかった緑のことである。緑と青は近いようだ。緑が青になるという話だが、青葉というが新緑を意味している。また、「青馬の節会」の馬は白馬であるから不思議だ。さて、瑠璃は宝石の一種で、その美しさから女性の名前としてよく使われる言葉である。風に色があると考える発想もすごい。そう言えば、「緑のそよ風いい日だね」と言う歌もある。「風立ちぬ」とでは「高原のテラスで一人、風のインクでしたためています」だったと思う。「さよなら」と書くはずだが、どんな色かは歌うあなた次第なのだ。

色々話はつきない。「人生いろいろ」と歌う人は、自分の人生がそうだったようだ。思えば、私も母を送る日に「母の人生に多くの彩りを添えていただいた皆様に感謝したい」と、いろいろと話した。「あなたの色に染まりたい」は演歌の常套句だ。「白無垢」からの発想だろうが、色とりどりのドレスにお色直しする今時の披露宴もまたおもしろい。いろいろな人生を楽しみたいのメッセ-ジだろうか。人生には色がつきものだが、「白黒つけないといけない」と考えないで、グラディエ-ションやぼんやりにした答えも味があると考えられる余裕が必要だ。「肌色」のクレヨンはない。国際化が進んだ今、ペ-ルオレンジとかうすだいだいという。まあ、いろいろな肌の色があるから納得である。ぶどう、みかんも色でイメ-ジするが、青や白があるとすれば、この色での呼び名もいかがなものか。「色を失う」ことになりそうだ。

きばっど       年末年始は映画を見よう        2020.1.15

きばっど       年末年始は映画を見よう        2020.1.15

各家庭の恒例行事、いつのころからか私の家は「映画鑑賞」となっている。今年は年末に「おかえり寅さん」そして元旦は「STARWARS」という映画三昧となった。この二つの映画の共通点は昭和、平成と続き、令和で完結したことである。それにしても元気で最後まで見届けられたことは神様に感謝したい。

STARWARSのテ-マは、悪と善との戦いである。最後は善が勝つのだが、それにしても全9話の3部作は長かった。第1部は若きジュダイとなるアナキン・スカイウォ-カ-の成長の話、小学生の年格好の彼が空中を走行する乗り物(ポッド競争)で活躍する話からスタ-トし、りりしい青年になり、悪と戦い、共に戦うお姫様と恋をして結ばれて‥と物語は続く。母を殺した敵を憎む激しい怒りにより、師を裏切り、ダ-スベ-ダ-になってしまう結末には驚いた。第2部は帝国と戦う共和国の戦士たち、ル-クとハン・ソロ、レイア姫の物語、ル-クも姫も強いフォ-スの力をもつ。この二人が兄弟であることや父がダ-スベ-ダ-であることがわかるなど、2部もなかなか見応えがある。ジュダイとなったル-クがベ-ダ-を倒して、銀河に平和が訪れる。完結編となる第3部、主人公は壊れた宇宙船の部品を拾い、生計を立てている娘 レイ。帝国の生き残りはファ-ストオ-ダ-と名乗り、再び、銀河を支配しつつあった。暗黒面に身を投じたレンは、ファ-ストオ-ダ-の中心人物となり、容赦ない殺戮を繰り返す。彼はソロとレイア姫の息子であり、ジュダイとしてル-クが育てていた若者だった。ル-クは弟子の教育に失敗したことから身を隠して暮らしていた。レイはレイア姫の願いを受けて、ル-クを探す旅に出る。銀河が再び、悪の手に落ちようとしている。善と悪との最後の戦い、どのような結末になるのか。この後は映画を見て、感動を味わっていただきたい。

あらすじはこんな感じだが、全編にわたり人物の描き方が半端ではない。とりわけ、レンに魅力を感じてしまう。実の親を殺し、師を裏切りと暗黒面に落ちて救われない彼は、とうとう最高指導者までも殺してしまう。そして、自分が銀河の支配者になろうとする。そこまで彼を変えたのは何なのだろう。師であるル-クの心の迷いに始まる。彼が暗黒面に支配されたら、銀河の平和に大きな脅威となる。ジュダイであるル-クにはそれが予感されたのだ。レンを自分の手で始末するべきかと迷う。二人の誤解が悲しい結末を生む。ジュダイの教育を任されたのにまったくできなかったとル-クも悩む。オビワンとアナキン、ル-クとレンの関係はよく似ている。一人の師に一人の弟子でもこのようにうまくいかない。教えることの難しさを感じてしまう。マスタ-・ヨ-ダが最後まで、「若きスカイウォ-カ-」とル-クを呼ぶのは、「師が弟子を信じることの難しさ」を示唆しているような気がしてならない。STARWARSは師弟の物語でもある。

 

きばっど     年末年始は映画を見よう       2020.1.15

かたや、寅さんであるが、甥の満男君が主人公である。名優吉岡君の味のある演技が寅さんをスクリ-ンの真ん中へ引き出している。タイトルにある「寅さん50」は作品数であり、年数でもある。膨大な寅さんの登場シ-ンが回想場面として実にうまく入っている。山田監督のなせる技だ。

国際社会を舞台に活躍する及川泉(満男の初恋の人)は日本での仕事を終え、3日間の休暇をもらう。小説家になった満男のサイン会に現れた彼女を見て、時間が巻き戻されたかのように満男はときめく。二人でくるまやを訪ね、さくら夫婦と鍋を囲み、懐かしさに浸る。にぎやかな団らんにはいつも寅さんがいたことを思い出す。泉の休暇は、介護施設で暮らす父を見舞うことも目的であった。その見舞いに満男も同伴することになった。自分たちを捨てた父に母は冷たく当たるが、泉には何事もなかったようにやさしい。今後の父のことを語ると母と口論になり、親子げんかをしてしまう。そんな中で、二人の間を心配する満男の優しさが、あのころと変わっていないことに泉は救われる。日本を去る日に、満男が妻を亡くしたことを知り、今でも優しい満男に、泉は心が揺れる。自分の世界へもどらねばならない彼女は、昔の別れと同じように満男から抱きしめてもらう。そして、自分の本当の気持ちをキスにこめる。

この話を縦糸に寅さんがあちこちに出現する映画だった。横糸は寅さんの名言だらけである。「人生はよかったなあと思う何回かのために生きる価値があるんだよ。」「こまった時は、おじさんを呼べ。一番におまえの話を聞いてやるからな」 勝手に正直で、勝手にロマンチストで、満男の人生を今でも応援しているようだ。「平凡に生きる」の難しさ、優しくなればなるほど生きるのが難しい。でも、優しくしか生きられない人たちもいる。そんな人たちの方が多いはずだ。寅さんを見ていると、本当に日本人でよかったと思う。人や場所は変わっても、泣いたり笑ったりで今を精一杯生きている人が好きだという思いが伝わってくる。上手に生きられない満男君にも幸せがやってきそうな予感をもたせ、物語は終わる。寅さんは毎回の失恋で話をつないだが、満男君の幸せの予感で終わる。浅丘さん演じるリリィが妹のさくらにプロポ-ズされたと語る場面や幼い満男君との真剣なかけあいなどが挿入され、物語は輝きと彩りを増す。ゴクミの初々しい美しさとキャリアウ-マンとしての成長の対比もおもしろい。

正月になると寅さんに会えるという期待をもつ人が多かった。いつまでも優しく生きる寅さんに会える国であり続けたいものだ。トランクを抱えて震災後の跡地に立つ寅さんが懐かしい。令和となった日本のどこかで、寅さんは優しくも不器用に生きる人々の横に寄り添うように今日も立っているに違いない。

きばっど  この時期はなぜか同窓会            2020.1.5

きばっど  この時期はなぜか同窓会            2020.1.5

冬休み メモに丸つく 同窓会

「 開校記念遠足の恒例綱引きで綱が切れて足をねんざしたMさん☆今は先生として活躍中 はるばると川越から参加してくれた歯科医師Oくん☆私に会いたい おいしいパンを焼いているのでしょうね まみさん☆なんかアスリ-トみたいだよ 修学旅行の夜の学級対抗の出し物に、ポ-タ-ト-ンがどうしても必要だと宮島行きのフェリ-で迫ってきたHさん☆もう一人のHさんも含めてあのころの圧は半端なかったね 高校三年生が十八番のK先生☆あの語りあの雰囲気は神対応」これは、3校目に勤務した附属中卒業30周年記念同窓会のあいさつのメモです。この前に幹事会が作成したDVDが流されました。卒業アルバムの写真を中心に参加するメンバ-が映る写真をちりばめたすばらしいものでした。思わず、あの頃に引き戻された結果、このメモは生まれました。同窓会の魔力です。もちろん、思い切り気持ちをこめて読みました。

話の中盤では「附属中で学んだ皆さんはすばらしい一人一人です。皆さんに育てられて私は教師になれました。生徒が先生を育てるのです。有森裕子やQちゃんを育てた小出監督もこう語っていました。これからも「先生」と呼ばれる幸せをかみしめてがんばります。先生にしてくれてありがとう。育英館にも附属中の雰囲気を出そうと、音楽や美術を通して感性を育てたいと考えています。そこで、桃ちゃんに音楽をお願いしました。生徒たちは本物と出会って、とても感動しています。君たちの中学時代にも美しい音楽、高い芸術がいつもまわりにあったことを思い出してください。ところで、私は特技のおしゃべりを駆使してあちこちで漫談しています。お題は「人生皆初心者也」です。一回しかない人生、うまくいかない日もある。ベストはないけどベタ-を探して前向きに生きようと楽しく語らせてもらっています。」と近況まで語りました。

締めくくりは、「1月3日の夕方から集まろうという君たちに感謝します。幹事の皆さんはもっと集めたかった、連絡してもよい返事がもらえなかったと言っていましたが、私はよい仕事をしたと思います。今日の会は5年、10年先の未来の会を開くための準備なのです。絆という文字はお互いが引き合うという意味です。半分が自分、その先の半分は相手です。半分は自分で作るもの、その意味では連絡をした時に半分はできています。返事があれば、相手の半分もできたのでしっかりつながりました。これから生きる未来は「共生」でなくてはなりません。自分に優しく、他人にもさらに優しく、すべてに優しく生きていくことです。すべてと絆を作り出すことなのです。今日はありがとう。この会を実現してくれた皆さんに心から感謝します。」とまとめました。年の初めから元気をもらいすぎたようで、気がつけば、1月4日になっていました。 先生と呼ばれる幸せ同窓会  感謝

きばっど        親の期待に応えたい        2020.1.10

きばっど        親の期待に応えたい        2020.1.10

親の期待である、学力や生活の向上をその子なりに図れたのかという観点に立つと本校もまだまだ足りない。具体的には、個別指導、英語力向上を感じさせる指導がないという厳しい指摘もあった。このことについて考えてみたい。

「生徒を呼び出し、できるまで指導」が親のもつイメ-ジだ。宿題や提出物忘れには徹底して教えることが、基礎的な部分の学習として一つの方法である。だが、○○検定2級、1級合格となるには、本人の取組が大きく左右する。自分から求めなければ達成するのは難しい。育英館で伸びた生徒に共通するのはこの点である。「育英館に入れば成績は伸びる」では、はっきり説明不足である。本校は他校に比べたら伸びるチャンスが多くある。それは必要条件であり、十分条件ではない。伸びるためには本人が変わる必要がある。先生との距離が近く、語れる場面も多いので、教科の魅力にも目覚める。だから伸びるのである。

次のステップとして、「自らが質問に行く」である。ここまで来ると、学力がついていく。自分のものになっていく。本当の学びは、自分から求めなければ成立しない。人数が少ない分、質問のチャンスはある。それをものにするのは自分の努力次第だ。本人に自覚をもってほしい。夢にむかって地道に努力する。必要感をもって学習に集中する。そんな地味な努力も「夢実現」には必要なのだ。力は簡単につくものでない。いろんな場面で、本人の目的意識を強化し、学校生活を通して、達成感、満足感を高めていく仕事を教師はしていくべきだ。教えて終わりではない。なぜ学びたいのかを考えさせ、意識させることだ。

保護者の要望に応えるのは、生徒の姿の変容しかないことを肝に銘じて取り組みたい。学校の立場を説明しても、理解してもらえないだろう。評価されるのは、生徒がどう変わるか、変わったかである。そのことに重点をおいて取り組みたい。学校のシステムに関するものは積極的に改善するべきだと考える。しかし、精神的なものや伝統的なものはその本質をよく見極めて、変えていかなければならない。よさをなくすのは簡単だが、復活するのは大変だ。改善する方向は、形は変わっても心は変わらないとしたい。

今年のスロ-ガンは「心を一つに」である。理事長先生の思いは「すべての仕事にこの姿勢で取り組んでほしい」ということだ。みんなで挑戦する。それぞれの得意なところや長所を活かしてこそ、すばらしい結果へつながる。「自分の場所を守る」プラス「みんなが動きやすいように」と考えてこそ、「心を一つに」である。学校はだれもが学び、育つ場でなくてはならない。そのためには、学校と共に変わってほしい。育英館のためにできることをなんでもやろう。そんな気持ちをもってほしい。我が子の通う学校を自慢できる親、働く場を誇りにできる教師になりたい。人生は学びの連続であり、失敗はない。自分が変わりさえすれば自ずと見えるものも変わる。

常に英才たれ     心を一つに           2020.1.08

常に英才たれ     心を一つに           2020.1.08

今年の学園スロ-ガンは「心を一つに」である。心を一つにするためには、まず、自分や相手の心がわからないといけない。黙っていてもわからない。まずは相手と語ることだ。自分ばかり語るのでは、相手とつながることはできない。自分と同じように相手の心を分かろうとすることだ。相手のことを思い、尊敬して語ることが大切だ。そのためには、相手に「尊敬していますよ」と伝えることから始まる。その意味で礼法、とりわけ、あいさつは大事だ。

会話は「心のキャッチボ-ル」にたとえられる。どんな言葉をかけたらよいのかと考えると、相手がわかりやすい言葉、安心感を与える言葉で語る必要がある。たとえ、ゴルフボ-ルだとわかっていても、「重い、重い、なかなかとれない」と言われたら、だれもが身構えてしまう。そんな言葉を使って、キャッチボ-ルをしてはいないだろうか。そんな言葉づかいなら、相手を不快にさせたり、傷つけたりすることもあるだろう。もう一度、考えてみよう。

同じ経験を積み重ねると、相手のことが信頼できるようになる。講話で実演したが、正体不明のボ-ルを投げても○○くんならキャッチできるとみんなが思った。それは、野球部のメンバ-が練習や試合を通して、多くの同じ行動をする中で、お互いを知る機会がふえていった証拠だ。お互いがよく分かること、心が一つになっている。相手のことが信じられるから、きっとキャッチできると思う。そういう関係になるまでを振り返ってみよう。あいさつ、授業、そうじ、食事、クラスマッチ、遠足など、その中で「○○し合う」がたくさんあったはずだ。そうやって人はいろいろな関係をつくる。キャプテン、団長、会長や○○係、○○当番、お願いされたり、お願いしたり、立場はいろいろだが、同じ目的にむかって努力していく。結果を出すためにそれぞれががんばる。その中でよい関係ができると、信頼関係が生まれる。違う心がどんどん近づく、同じでなくてもずいぶんに似てくる。そうやって、心は一つになる。一つになった思いは一生の宝だ。長い年月経ってもいろあせることはない。

食事をしながら満足感を味わえない人はたぶんいない。普通に共感できる場面は日常生活のどこにでもある。もちろん、悲しみや苦しみを抱えると、食事ものどを通らない。そうなることも知っていれば、相手の状況や事情を察すると、そこで共感できる。そんな気持ちをもち、相手を思いやれば、心は一つになりやすい。初めての人でも友達になれるはずだ。自分が相手にとってどんな存在であることがよいのか。相手が自分を映す鏡だと考えると、答えはわかるような気がする。表情や態度で自分の存在が見えてくる。相手に受け入れてもらえるような自分になること、「心を一つに」するためには自分が努力することも多い。相手がそんな努力をしてくれていると考えれば、自然と行動や言葉を大事にしたくなる。心をこめたくなる。

きばっど     ほめことばと心の距離        2019.12.25

きばっど     ほめことばと心の距離        2019.12.25

行く年の最後に生徒に声をかけるとしたら、それは「ほめことば」にしてほしい。今年一年いろいろなことがあったと語り初めて、「ずいぶん成長したね」「よくがんばったね。」という感じだ。まだまだ足りないところはあるにしてもその子なりの成長を認めてほしい、その上でほめたい。今年一年を振り返ると、有森裕子さんの話ではないが、自分で自分をほめたい一瞬がきっとあったはずだ。「その時間をもう一度思いだそう」という話をしてはどうだろう。生徒を活かす評価のできる教師とはそんな先生だ。「活かす」というのは、自己肯定感をもたせ、自分をよりよく変えていこうという意欲をかきたてることだ。正しい評価をしようと、数字にこだわりすぎて、意欲を欠いてはならない。

「数字の1にはドラマがあり、人がある」と先輩に教えられたものだ。担任に「この“1”はどういうことですか?」と確認する。1という数字は、欠課の1だったり、提出物忘れの回数だったり、一人っ子の1だったりする。1にこだわれば、生徒の顔が見えてくるし、評価も違ってくる。1を2にするのか、しないのか。1、2、3、そう変わっていくものかどうか。生徒の名前をつぶやけば、よいところを探そうとするはずだ。数字の1で終わってはならない。1年の終わりに、数字に新しいドラマを約束したい。まずは褒めることが生かす評価にきっとつながる。 1が一人になる瞬間だ。

心の距離がとれない生徒が多い。70センチという心理的な距離を値踏みしてみたい。学級でのつきあいは、50センチや30センチの場面もある。兄弟が少ない今は、同じ年齢の他人とこれほど近づくことはない。自分の領域に他人が入り込むとたまったものではない。親しい気持ちでかけた言葉が相手にはそうは伝われない。また、身体的な接触があればなおさら深刻になる。幼い頃からチ-ム活動の経験があれば気にしないが、経験のない生徒にとっては苦痛の連続だ。意識しないで人を傷つけている。足を踏んだ人は踏まれた人の痛みはあまりわからない。社交ダンスでパ-トナに足をふまれると悲惨だ。ピンホ-ルに50キロ体重がかかる。思わず、目から火花が出る。そのうち慣れるでは済まされない痛さだ。だから、生徒に心の距離をわかってほしい。学校は安心してその場にいることができる場所、自分の感覚で心の距離をつめてよい場所ではない。間違えば、ハリネズミ同士になる。傷つけあってもなぜだかわからない。たとえ、ハリがあっても、距離をうまく保てば、問題は深刻にならない。この心の距離を変えていく方法がある。それは一定の距離を保ちながら、おたがいを知る努力をすることだ。ほめることだ。感謝することだ。お互いが分かってくれば、心の距離は近づく。今年の最後の日には、周りの人へ感謝の言葉を伝えてみよう。

来年の始まりには心の距離もぐっと近づいているだろう

きばっど      今日の朝の話は3つ      2019.12.20

きばっど      今日の朝の話は3つ      2019.12.20

朝の打ち合わせの時、3つの話をする。今日は、クリスマスを意識して、賢者の贈り物、つながりを意識させる数直線的思考、学ぶ者だけが教える資格がある(めざす教師像から)の話をしてみた。

12月は人権週間があったりとか、歳末助け合いがあったりとか、人の権利や義務、思いやりについて考える機会が多い。人が優しくなろうと努めれば、優しくなれる季節なのかもしれない。守銭奴のクル-ゾ爺さんが現在、過去、未来の精霊と出会い、今までの自分の生き方を振り返る。もちろん、精霊のおかげで自分の悪行を悔い改め、クリスマスのすばらしさを知り、それをみんなに実行できる人になる。この「クリスマスキャロル」の話は実にうまくこの時期の人間の心理を描いている。年に一度はすべての人が善人であってよい季節だ。寒い時期にこそ心暖まる話をしようと、他人のためによい行いができる人に関わる話が多い。ぜひ、「賢者の贈り物」も生徒たちに語ってほしい。

12月と1月の間には何があるのだろう。時間の連続がある。1年の終わりの12月、そして始まりの1月は連続しており、けっして切れてはいない。少なくとも意識の上ではつながっていないといけない。ほとんどの手帳には前年12月が載っているし、もちろん、来年1月も載っている。つながりの時間を大切にしたい。スマップの歌う「夜空のムコウ」は、「夜空のムコウにはもう明日がまっている」となっている。整理整頓して12月を終わり、新しい気持ちで1月を始める。継続してやらないといけないことは断絶してはならない。

その意味では日記はツ-ルとして最高だ。数直線的な思考や意識はこれで作られるのかもしれない。10年日記とは言わないが、昨年の今を振り返ったり、来年の今日を話題したりする。それが1年の終わりと始まりのある冬休みにしかできない宿題なのかもしれない。生徒たちには多くの人と語り、自分の夢を確実なものにしてほしいし、また、過去を振り返り、成長を支えてもらったことに感謝もしてほしい。生徒だけでなく、先生たちも考えてほしい宿題だ。

学び続ける教師は、経験値を高めることだ。指導書のとおりやってもうまくいかない。しかし、やってみることは大切だ。時間が余ってしまう、足りないのはどうしておこるのか。そこを考えると授業の流れが違ってくる。つまり、自分化してはじめて本物になる。学び続けるとはそういうことだ。自分のものにして生徒と関わる。そうやって、自分のスタイルができていく。指導書のとおりとチャレンジすることが大切だ。失敗は大きな経験値となる。その意味で「恐れるのでなく乗り越えるために失敗する」のだ。成功する人に共通するのは、成功するまでけっしてあきらめないことだ。経験値は多くの解決方法を導くものなので、効率は悪いが、やってみることだ。できない課題はない、できまでやる課題だと信じて取り組もう。

きばっど    研究会に参加した後は(2)        2019.12.13

きばっど    研究会に参加した後は(2)        2019.12.13

「本時の実際」は、時間の流れや発問など、実際活用する立場でみると実におもしろい。同じ教材の10分でやれるところに20分かけている指導案だとする。まず、10分の時間に見合う活動なのかどうかの考察からはじまり、その活動の深まりやゴ-ルを考えてみると実にいろいろなことが見えてくる。自分ならどう授業するの視点が大切なところだ。同じ課題でも生徒の実態でかわるので、本時の活動がアンケ-ト分析とリンクしているかどうかをみることも研究になる。いつまでみてもおもしろい。

さて、生徒の躓きが予想され、それを解決する手立てが書かれている指導案は使える。ゆさぶり発問が明確だったり、評価基準がよくわかったりと、研究会のテ-マとリンクしているはずだ。生徒と教師のやりとりを見る視点もここにある。大事なのは、参観者に見てほしいが伝わる指導案になっているかどうかだ。そんな指導案に出会えると、研究公開を見に行きたくなる。ぜひ、指導案は授業前に配布してほしい。

次に授業資料として添付されるワ-クシ-トだが、先生の解説や指示が明確でないと使えないようでは困る。このワ-クシ-トは授業のどの部分で活用されるのか、空欄で書き込めるようになったものがつけられているが、正確には埋められたものと2種類必要だ。できれば、他のクラスの生徒が書いたものだとさらによい。国語科の話で恐縮だが、「読む書く聞く話す」の技能のどれをねらうのかと質問すると、ほとんどは書くと話すからはじまり読むも聞くもだと答えが返ってくる。ワ-クシ-トのどこの部分でどうすると、考えると、あまり複雑なものはいかがなものか。生徒の読むや書くのスピ-ドや個人差に応じる工夫はしてほしい。

指導案の作成のねらいを裏付けるために、国語科でいうと、あらすじ構造や文図も提供される。どんな意図で作られ、授業にどう関わるものなのか解説してほしい。人物の関係図なら、その人物のまわりに関わる叙述を書き出したり、その表現の意味をまとめたり、重要な語句を囲んで明確にしておくことが必要である。すっきりした板書と同じですっきりした資料を提示したい。

研究会に行き、学校に帰り、ほっとする前に授業を見ながら書いたメモを見返して、文章化しよう。授業後研究会に出席できたら指導者の言葉も思いだそう。授業者の意図が参観者に伝わったのか。そして、どんな意見が出たのか。会の様子を自分なりに整理しておこう。授業だけ見たら、同僚に感想を語ってみよう。自分がどこを見ていたのかを再認識することになる。この一手間が授業を見る目を育てる。コ-ヒ-一杯の時間が次の授業づくりの何時間分にもなるはすだ。