きばっど      スイッチの入れ方           2019.5.31

きばっど      スイッチの入れ方           2019.5.31

人間の成長は動物や植物の生長と少し違う。ある日突然やってくる。これを「実存の飛躍」と哲学用語では言うらしい。精神的な変化が外見にまでも及ぶのも人間の成長の特徴だ。自称歴史マニアでもある私が思いつくのは次の言葉だ。「男子三日会わざれば刮目して見よ」ということわざである。人の成長はいつ何時訪れ、変わっているのかわからない。そこで、3日会わないとずいぶん変わっているのでしっかり見なさいということだ。来年の大河ドラマ「麒麟が来た」の主人公明智光秀に関する評価だ。秀才の誉れ高い光秀をかわいがっていた斎藤道三はこの若者の短い期間での成長を見抜いてこうつぶやいた。深い。

ここまで話していると、医学界で言われるDNAスッイチに思い当たった。近頃、遺伝子治療などでよく話題になっている。このスッイチ次第で病気にかからない体になり、寿命が延びるらしい。可能性を現実にかえる夢のような話だ。あの火事場の馬鹿力だってこのスッイチonしたのではと思えてくるから、不思議だ。それではどうすればこのスッイチが入るのだろうか。やはり、外部からの強い働きかけは必要だろう。練習で体を鍛えるのはまさにこの部分だ。勉強だってやらないことには入らないだろう。つまり、質より量の部分が大きいと推測できる。努力にまさる天才はなしではなく、努力するとスッイチonになる。あるいはなりやすくなっていると考えてよい。

どのくらいでスイッチが入るのかを私なりに考えてみると、体の細胞が全部入れ替わるのが3ケ月、運動して筋肉がつくのもそれくらい。しかし、スイッチはもっと速く入る。個人差はあるが、勉強をがんばると早い教科は1月で成果が出てくる。成果が出ないからとあきらめてはいけない。3月がんばると体が変わっているのだ。当然、成果も出てくる。スッイチは間違いなく入っているので後は本人次第である。継続すれば、必ず成果はついてくる。

時間をかけるという勉強法は量の勉強法である。いくつもの教科を決められた時間内で終わらせるとなると質の勉強である。宿題は量の世界だが、予習は質の世界である。自由な時間で読者や趣味の音楽をしたいと考える人は「量より質」の勉強をやるべきである。最初から質の勉強はできるものではない。質を高めるためにもある程度の量をこなして、スイッチを入れておきたい。人間がこの地球で生き残り、文明を築いてこれたのは自分をデザインする力があったからだ。しかし、ある程度の時間は必要だ。そして、努力と創意工夫がなされて、自分が変わっていく。この過程や力を分析すれば、効率よく自分を変えていくことができるはずだ。

今までは心のスイッチオンと意欲面での話が多かったが、DNAスッイチを考えていくと体を動かすことから変わる過程もあるようだ。スイッチが入ると人は間違いなく変わっていく。

きばっど      SGWの思い出           2019.5.20

きばっど      SGWの思い出           2019.5.20

福岡県立美術館のディズニ-のア-カイブス展に感動した。ディズニ-ランドをつくる夢を実現したウオルトの人生をすべて保存してあるといっても過言でないすばらしいア-カイブス展だった。

さて、ミッキ-マウスの顔が変化していることをご存じだろうか。自分の思い出を少し語ると、東京ディズニ-ランドオ-プンの年に出かけた。お恥ずかしいが新婚旅行だ。その際のおみやげ袋にあるミッキ-とつい最近のミッキ-は顔がずいぶん違っている。この展覧会のポスタ-を見ると、ミッキ-の顔の変化を並べたものが掲載されている。キャラクタ-グッズもそのシルエットをデザインしたものだ。そして、展示会の最後のブ-スにはこれがお土産品として、それぞれの顔のミッキ-のぬいぐるみが並んでいる。顔の変化に驚くが、これだけ長い間、愛されたキャラだということがわかる。

「美女と野獣」、「アリスの不思議な世界」などの実写で使われた衣装や小道具が並べられている。考えてみると、50年ほど前に、白雪姫やシンデレラから、ピ-タ-パンやダンボまでアニメとして作成されている。実写化は夢の世界へもう一歩私たちを近づける試みかもしれない。この展覧会を見ているとそんな気がしてくる。アニメ制作の際に集められた資料やその過程で作られたものが実写化でも利用されている。

ウオルトの夢は世界中の子供たちに夢を届けること、そのために夢の世界が必要だった。大人も子供も楽しめる空間、ディズニ-ランドを作ることだった。その夢は実現した。現に日本の子供たちも彼の映画を楽しみ、キャラたちを友達のように慕っている。人生は楽しいことばかりではないが、笑顔になれる時間や空間があることがすごい。

展示品の中に3Dム-ビ-があった。立体画像のミッキ-が動くショ-トム-ビ-だ。動きがリアルでバラの花をもつミッキ-は生きているようだ。現状に甘んじることなく、次の夢に向かう姿勢を示しているようだ。この作品に魅了されながら、ウオルトの夢は今でも進行中であり、実現に向けてそれを支える数多くの人がいることを感じられる時間だった。

福岡の町に夏が近づく。川面を渡る風は実に心地よい。都会のビルに囲まれてひっそりと水鏡天神社がある。縁起の末尾に福岡の天神という繁華街の名前のもとと書いてある。讒言により配流された菅原道真公は川面を水鏡として映る自分の顔を見て嘆かれた、その地に建つ神社である。

ディズニ-ランドもいつかは、この天神様のように地名として残るのだろうか。一人の人間の思いが広がり、大きな夢を実現することを思うとき、希望や夢のある未来は愛される一匹のネズミに象徴されているのかもしれない。

 

きばっど    捨ててよいものとだめなもの        2019.5.15

きばっど    捨ててよいものとだめなもの        2019.5.15

断捨離ブ-ムは心の在り方生き方まで変えている。自分なりの生き方が今までの財産だとすれば、整理整頓を急ぐばかりになんでも捨てているのでと懸念される。喫緊の問題としてよく話題になる「実家問題」もこの延長線上だろう。年老いた親が実家の整理整頓ができないまま天国へ行くと、残された子供がそれを片付けねばならないという問題だ。自分でやるとなると確かに大変だ。本当に切実な問題だ。経験した人ならその大変さはわかるはずだ。遺産相続や財産問題までからめばもういいかげんにしてくれとなるのもわかる。

ところが、「子供に迷惑を残してもよいのではないのか」という視点で話をしたい。実家問題で私自身もあれこれと処分した。私の母は几帳面とは言えなかったが、家計簿兼日記(「主婦の友」かなにかの付録だろう)を処分するとき、手がとまった。それに書き綴られた一行の記録に涙が止まらなかった。必要な時にしか実家に寄り付かない息子たちへの心配やあれこれと予定を尋ねた内容がメモとして書かれていた。実家問題で業者に頼んで整理してもらえば、けっして出会うことのない宝物である。

断捨離のプロの片付ける話を聞けば、処理済みの書類は「まず捨て」が原則らしい。私流に言うと、書類の中に書き込みがあれば、ただの書類ではない。それはその時の自分である。毎年の学園グル-プ校の入学式に参加して、メモをする。感動や感じた思いがそこにある。結果捨てることになるのだろうが、その時にもう一度見直すぐらいの思いはあってよいのではないか。そこで躊躇して捨てられない自分を悪者にしてはいけない。断捨離万能はやはりおかしい。

「おむつをかえてくれてありがとう」なんていう赤ちゃんはいない。自分でおむつをかえてみて、初めて母の苦労がわかる。そう考えると、だれもがありがとうの前借をしている。前の人には恩をかえせないようだ。だから後の人に返す以外にない。断捨離ばかりやるとこの恩の連鎖さえ断ち切ってしまう。生き方は楽にならなくてよい。生き方は大変なのが当たり前だとわかってほしい。

断捨離とは逆行する話をしているのも自覚している。しかし、買ってしまったものは大事に使えばよいし、大切なものほど人にあげればよい。何一つあの世にもっていけないから、思い出といっしょにあげるものがあれば最高だ。そんな整理整頓を始められないかと考えながら片付かない言い訳にしている。

断捨離ができた人は何一つ後悔せずいけるのだろうか。思いが残らないのは悲しくないのだろうか。せめて自分の生き方やポリシ-だけは断捨離しないでほしい。心の中に生きるあなたを思い出すのはそこだから・・・、そこまで断捨離したら写真には何も残らない。がんこな人はがんこなままに、愉快な人は愉快なままに、そんな思い出を残すためにも断捨離万能にこだわらずに生きたい。

きばっど         山笑う             2019.5.01

きばっど         山笑う             2019.5.01

この時期の自然の緑には目を奪われる鮮やかさがある。桜の季節から1月もたつと緑の季節がやってくる。山をどのように描くかを表した言葉「山笑う」という春の季語が話題になった。

さて、この季語のイメ-ジは、 新しい草花が芽吹き、うららかな春の日が当たり、山全体にのどかで明るい感じが漂うである。

・故郷やどちらを見ても山笑ふ     正岡子規

夏の山には「山滴る」という季語が使われる。イメージすると、若葉は濃い緑へ変わり、その葉から水が滴るようなみずみずしさをもつ山が浮かぶ。清らかな流れや朝霧などは湿潤気候の日本ならではの山の様子といえるだろう。
・滴りのそばを歩むや鳳来寺      尾花ゆう花

「山粧う」は秋である。秋を歌う唱歌「もみじ」の「濃いも薄いも数ある中に松をいろどる楓や蔦は山のふもとの裾模樣」「波にゆられて はなれて寄って赤や黄色の色さまざまに水の上にも織る錦」は美しく彩られた山の様子を表していて、「山が化粧している」とうなづける。その理由を考えた次の句もなかなかです。・山の神来てゐるらしき山粧ふ     井上 雅

眠るように静まっている、もの寂しそうな冬の山の様子を表すのが、「山眠る」という季語です。冬の山の向こうに春の山の景色を想像している。寒いけれどなぜか温かい。そして、春の訪れを待ち望む次の句はいかがですか。

・日のさせばあたたかさうに山眠る   紺野いつみ

山や海という自然が変わらないのはある意味ありがたい。今回、「令和」の誕生で万葉集を読みたい、知りたい人が増えているらしい。日本人のル-ツを知り、国語の成り立ちにもふれることになるだろう。万葉集の時代を考えると、日本文化はかなりアジア寄りだった。明治になってから西洋に、そして、昭和はアメリカ信仰となる。日本文化は自然との共存が原則だ。自然をコントロ-ルしようという意識はない。自然を変えようとしてきたのはつい最近化のことだ。髪を金髪にし、カラ-コンタクトを入れ、英語を語っても、その精神構造はまだまだアジア系である。自然とのふれあいに感動するのに、なぜそう考えるかをわからない。これから日本をどうするのかを考えるには、今の日本人は何者なのかを議論すべきだ。とりあえず、新しいものを取り入れるときはどうなるかぐらいは考えてみよう。金儲けや便利さやカッコよさで取り入れると取り返しのつかないことになる。大量消費もけっこうだが、リサイクルができるものにしたい。こんな小さいな国の上で捨てる文化を謳歌すればたちまちゴミに埋まる。いつまでも「山笑う」と使える日本でありたい。「山嘆く」や「山泣く」が出てくるような文化を形成してはならない。自然を守るには、万葉の時代の心にヒントがあるようだ。

きばっど    あなたたがなくしたのはどの斧ですか    2019.4.23

きばっど    あなたたがなくしたのはどの斧ですか    2019.4.23

なぜ、池の中から出てきた神様は木こりに三つの斧をみせてこう聞いたのか。俗にいう選択肢の問題である。内容は、金、銀、鉄の斧だった。ところで、銀の斧という選択肢はないのだろうか。「銀の食器」というと、ジャンバルジャンではないが、つい盗んでしまう高級感もある。銀の素材だと、毒をもられた時色が変わるなど、金にはない特性もある。こちらも貴重な金属である。一番高価な「金」を導くための選択肢だと推測はできる。しかし、日本人には金か鉄かの選択でよさそうだ。童話だと馬鹿にしないで考えてみると、二者択一が日本文化の特徴で、多くから選ぶが世界標準なのかもしれないのでは?

昔話で悪いが、とかく、「よいか、悪いか」の話が多い。残酷な題名の「舌きりすずめ」の中で、おみやげにつづら(トランク)を選択させる場面がある。大きいのか小さいのかの二者択一である。こぶとりじいさんや花咲爺さんの話もよいと悪いである。小さいころから、よいか悪いかで割り切る構造になれているのかもしれない。世の中に出ると、よいか悪いかだけですまされない場面に遭遇する。世界標準と考えると、割り切れないが本当だろう。

文化の影響がいろいろなものに及ぶとすれば、二者択一では国際的なものを理解することは不可能である。少なくとも選択肢は3つ以上あるという感覚はもちたい。もともと、日本文化は許容性の高い文化である。言語にしても外国のよいものを取り入れ、自国化しながら使用してきた。四季の移り変わりがあり、水蒸気となじむ風景は、ぼんやりと霞む。そういうあいまいさを美としてうけとめる風土がある。自然的な要因から見える日本はかなり多様性の国である。それなのにこの二者択一的な発想はどうしたのだろう。

いろいろな宗教の存在を許してきたのに、廃仏毀釈やキリスト経弾圧が起こるのはなぜだろう。異文化理解を進めるダメにはこの許容性を前面に出し、狂信的な二者択一は遠慮したい。みんな違ってみんないいと寛大になるには努力を要するが、いいか、悪いかだけでなく、まあこの程度かの幅はもちたい。

万葉集の詞書から元号がつくられる時代である。異文化理解に寛大な心をもてるような時代にしてはどうだろうか。歌を手立てとして人と人とのつながり、集う営みが「歌垣(かがい)」と呼ばれ、そこで出会いがあり、愛が生まれた万葉の昔、そのいにしへに帰れとは言わないが、当時の人々のふところの深さや広さは見習いたい。その姿勢が世界の人々との調和には必要であろう。

池の中から現れる神様には本当に悪いが、斧の種類を増やしていただきたい。日本には3、5、7の数を好む文化もある。令和にかわる今年はぜひ5本は、おもちいただきたい。金銀銅アルミ鉄ではどうだろうか。それぞれの金属の特性を生かせば、木こりの副業が広がり、元手に事業を展開できそうである。異文化理解はあちこちにヒントがありそうだ。

きばっど    その時々の初心をもう一度         2019.4.11

きばっど    その時々の初心をもう一度         2019.4.11

その時々に初心がある。1年時、2年時、3年時の初心を忘れないで、活動の質を高めたい。あいさつ一つも違ってほしい。2年生と3年生のあいさつは違う。そこに1年という経験がある。元気よく大声を出すだけなら3日もあればできる。あいさつは廊下ですれ違う時と、職員室の前では違って当たり前だ。立ち止まりしっかり礼をしても、TPOで音量は変えられないのだろうか。

花伝書の中で、「時々の初心」は、歳とともに、その時々に積み重ねていくものと説明されている。若い頃から、最盛期を経て、老年に至るまで、その時々にあった演じ方をすることが大切だ。その時々の演技をその場限りで忘れてしまっては、次に演ずる時に、身についたものは何も残らない。過去に演じた一つひとつを、全部身につけておけば、年月を経れば、全てに味がでるものだ。

始まりの時は、みんな間違いなく初心者だった。それではどこで差がついたのだろうか。自分の今までをメタ認知(客観的に見つめる)すると、自分の学び方や態度の問題点がみえてくる。歳とともに積み重ねていくものと考える「時々の初心」はレベルを高める上で、考え方のヒントになる話だ。当然、一度、身につけたものは一生ものだ。花伝書は芸事の習得を前提に書かれた書ではあるが、その習得過程は人生の発達段階と非常に似ている。多くのビジネス書などで、今でもよく取り上げられていることもなるほどとうなづける。

さて、この2つの「初心」の後に「老後の初心」という部分がある。「ぜひの初心」、「時々の初心」と忘れずにしっかり生きて、「その後の初心」としてぜひ必要だと考えてみたい。若いころから芸を積み重ね、20代、30代と時々の初心を忘れずに芸を磨いてきた。しかし、それで終わってはならないという話だ。

取り上げられた「初心忘るべからず」とは、それまで経験したことがないことに対して、自分の未熟さを受け入れながらも、その新しい事態に挑戦していく心構え、その姿を言っているようだ。その姿を忘れなければ、中年になっても、老年になっても、どんな時でも新しい試練に向かっていくことができる。大事なのはいつも私たち自身が人生の初心者であると自覚することだ。失敗を恐れない、避けない、恥ずかしがらない、身につけよ、ということなのだろう。

昔も今も、さまざまな人生のステージ(段階)で、未体験のことへ踏み込んでいくことが求められる。世阿弥の言によれば、「老いる」こと自体もまた、未経験なことであり、そういう時こそが「初心」に立つ時である。そう考えると、老後の初心こそが真の初心なのかもしれない。「青春とは」「青年とは」の解答にはなかなかぴったりの言葉がない。しかし、「老後の初心」は大いにヒントになる。老いることさえも初めての体験とし、不安と恐れをもつことなく、新たに挑戦していく。初心はいつでも人生へのチャレンジの一歩なのだ。

きばっど      一人にこだわる            2019.4.5

きばっど      一人にこだわる            2019.4.5

私学の生命線は募集である。募集がうまくいかないと教師としての職を保障できないことになる。生徒なしでは、授業はもちろん学校は成り立たない。厳密にいうと教育環境が整わなくなる。教えるからには最高のものを準備しておきたい。現代社会、教育は鉛筆とノ-トだけではなかなか難しいようだ。

今年の募集の基本姿勢「一人にこだわる」を次のようなフレ-ズにしてみた。「一人でも高校説明、一人から体験入学、そして、一人以上受験、その結果として、一人は入学」である。「そして」から以前の2つに徹底したい。この学校が合う生徒がいる。その生徒を探したい。そのためには、今まで以上に担当の学校に通うことだ。砂金探しがブ-ムになった時期が、日本各地で金鉱脈をあてようとする試みがあった。火山国といわれる日本なら、金の大きさにこだわらなければ、露出した鉱脈の石を削った砂金が多くの川にある。何度も何度も川底から泥や小石を掬って洗うしかない。川に入り、水の中に手を入れて、初めて砂金は採れる。砂金を求めて、他の宝石もみつかりそうだ。「一人にこだわる」で募集をぜひ成功させてほしい。

生徒の満足度を高める話には、生徒目線で考えるというキ-ワ-ドが必要だ。そこでは、教師の姿勢や生徒の態度が問題になる。始まりの時期なので、「初心」という言葉を改めて考えてみたい。これは「初心忘るべからず」でよく耳にする言葉である。しかし、この初心は幾通りかあり、「時々の初心である」と説明される。物事に取り組むときは、その度にすべての人が初心なのである。ある年代で取り組んだものも、10年、20年たつと、初心がよくわからなくなる。そんな時こそ、10年目の初心、20年目の初心で取り組みたいという話だ。まさに、慣れを戒めた言葉でもある。教師が授業になれて、教えてはいけない。同じ内容でも授業を受けている生徒は違う。当然、教え方も工夫しないとならない。明日はまさに違う日なのである。今日の連続でやってはならない。生徒を満足させるでなく、生徒が満足するが本当だ。その意味では教師が満足したってなにも出てこない。

授業の終わりについ、「今日の授業はわかりましたか」と口に出してしまう。「はい」と生徒が答えると不思議と満足する。これがおかしい。先生がわかりましたかと聞いたことにわかったと言うことだ。生徒の自己評価の「わかる」ほどあてにならないものはない。評価したいなら具体的に尋ねることだ。「今日の授業は楽しいでしたか」なら少しはましである。 生徒の学習スタイルを意識した授業をすることが満足度をあげることになるだろう。しかし、教師も人間である。やることは実にたくさんあるので、個別の教材をつくり、個別指導とはいかない。少なくとも教えあう場を作ってはどうだろう。楽しくはきっとなるはずだ。

きばっど      交通安全教室             2019.4.4

きばっど      交通安全教室             2019.4.4

城西高校で年度初めの交通安全教室が開催された。いろいろな人の発言を思い出せるかどうかを試しながら、振り返ってみたい。

所長のあいさつでは、「スピ-ドの出しすぎに注意、飲酒運転は絶対にだめ、事故を起こしてもあわてない」という文言をメモした。これに関わってどんな例話がとりあげられたのか。皆さん思い出してみてください。例えば、朝日が丘の人は日章学園のマ-クの車がどんな運転をしたといったのでしょうか?

最後にお礼のことばの秋武校長先生は「シ-トベルト着用」を語られた。校長先生はどんな時、シ-トベルトをして、どんな時、しなかったのか?今日からどうされるのか。人の話をキ-ワ-ドで聞くのは実に効率よく記憶できる。また、後から思い出すのも容易である。安全教室を題材に、キ-ワ-ドと記憶の話をしたい。本題の部分を思い出していただきたい。

JAFの講師は初めに話のポイントを提示した。このスライドの作り方が見事である。10文字程度のキ-ワ-ドで全体の話がよく見える。事前に学園の事故の傾向とか、依頼者のニ-ズを把握したことがうかがえる。声の音量、例話の取り入れ方もよかった。

まず、事故の傾向を語り、反射材着用とライトのアップダウンをとりあげた。ここではお年寄り事故の多さを感じた。お年寄りの歩行は黄色信号である。つまり、見かけたら徐行が原則である。そして、逆走の話は実に興味深かった。考えられない逆走も条件次第では起こりうる。サ-ビスエリアやインタ-チェンジに潜む落とし穴である。逆走しないようにするためには、「一つ先で降りて、料金所へ行き、ひきかえす」を教えてもらって安心できた。自分が逆走しているかどうかを知る「景色の違和感」がよかった。看板が逆向き、中央分離帯が左に見えるとかなどと実におもしろかった。

次に出会い頭の事故の話だが、衝撃映像が注意を引いた。確かによく見かける景色だ。一旦停止しない車が横から急に来たり、三叉路の一方だけの信号は確認がよくできない。そのまま鼻を出したらすぐに当てられそうだ。路地からの出方が具体的でよくわかった。一旦停止して少し前に出て止まると相手に「見せる」ことになる。止まったまま、右左右をしっかりと確認することだ。行きたい方向だけ確認して動いてしまうことがある。映像を見るとよくわかる。動き出してからは相手も自分も対応できない。「見せる」こと「確認する」ことが大切だ。横断歩道で歩行者が渡ろうとしたら一旦停止だが、栃木、長野県の県民意識の差には驚いた。歩行者保護は当たり前のこととしたいものだ。全体を通して飽きさせない安全教室だった。さて、さて、キ-ワ-ドでまとめると?

「気づいたことはすぐに実践して安全運転」

きばっど      大人の体内時計            2019.4.15

きばっど      大人の体内時計            2019.4.15

入学式のシ-ズンが終わりに近づいた。今年もいろいろな言葉で新入生に自覚を促したが、保護者会長の祝辞の中にあったこの言葉にはどきっとした。大人の体内時計の比喩である。体内時計は「人間が動物である」の前提で考えられたものだから、「春眠暁を覚えず」や秋の夜長の読書など、天候に左右されることはもちろん、「早寝早起き朝ごはん」の世界のものだと信じていた。まあ、時計は人間が作り出した時を考える代物だから、いろいろ考えられるのだろう。

さて、大人と子供の体内時計はどう違うのかと考えてみるとおもしろいそうだ。たぶん、一日24時間が違うとか、進み方が違うとか、いろいろと発想できる。幼いころはよく寝ていたが、大人になれば当然夜更かしになっている。睡眠時間を上手にコントロ-ルできるのが大人には必要だ。しかし、体内時計は休日も平日も同じ時を刻むほうがよいらしい。そう考えると、寝だめをしたりは大人時計にはタブ-だろう。毎日なるべく同じ時間に起きることが大切だ。起きているなら布団から出て活動することだ。ふとんの中にいてはせっかくの大人の体内時計の意味がない。布団から出る理由はいくらでも探せるはずだ。同じ時間に就寝するのが脳にとっては最高であると言われている。大人時計には寝る時間と起きる時間の正確さを要求される。ここまで考えると、大人の体内時計となるには、かなり正確な時間による生活を要求されると考えられる。子供時計より大人の時計は規則正しくあるべきだという話でまとまるようだ。

よく眠れるために体内時計をどう調整するかの話を少しだけ…。強い光にあたると、体内時計は就寝時間を遅めに設定するらしい。夏の夜に寝付かれないのは昼の強い日光のせいも考えられそうだ。夜はスマホやパソコン、蛍光灯やテレビ画面といった人工的な光源も同様な影響を与えるので、就寝時間の近いことを脳に教えてあげることがよい。そう考えると、光の影響は半端ない。寝る前の食事と運動はどちらも身体を睡眠から遠ざける原因になる。カフェインやニコチンの摂取も身体を不用意に刺激しかねない。誰もが待ちかねるような睡眠環境を作ることが大切だ。熱すぎない適度な温かさのお風呂に入り、リラックスできる音楽を聴いてみる。快適なベッドを用意したり、部屋の温度や暗さをほどよく調整したり、いろいろと工夫して、おやすみなさいという話だ。

ここまでくると、大人の体内時計を手に入れるにはいろいろと大変だ。ウオッチはいつでもあこがれで、昭和時代の高校生は入学のお祝いは腕時計(リストウオッチ)だった。ついこの間、妖怪ウオッチというの子供向けアニメも流行した。平成の終わりの今は仮面ライダ-変身アイテムとして登場したウオッチが子供たちの羨望の的だ。育英館の生徒には、ご褒美では取得できない「大人の体内時計」をぜひ、自分で手に入れてほしい。

きばっど    令和の年に 

きばっど    令和の年に              19.4.3

「令」という漢字は、「命令」に使われるように「人に言って聞かせる」の意味が一般的です。ところが、「令嬢」なんて言い方があるように、「美しい」とか「よい」という意味もあります。そういうわけで、この元号には、「美しい」の意味の「令」と「和」にこめられた「平和」とで、平成に続いて戦争のない穏やかな平和な世界のイメ-ジするものとなりました。

その穏やかな世界の始まりに、コンピュ-タのデ-タがとんで、シヨックを受けています。平成最後の仕事がフイになりました。しかたなく「きばっど」を制作中です。便利になるたびに、PCの乗り換えは大変です。ちょっとした操作ミスですべてのデータが消失します。のりかえにはくれぐれもご用心。

さて、働き方改革は考え方改革であると思いますので、6月の文化祭では去年の使えるものは積極的に使ってください。0からの出発はのりかえをミスした苦労と同じです。この文化祭が育英館の働き方改革に一役買うかもしれないと楽しみです。「一粒食べたら300メ-トル」という宣伝より、「すごくおいしい、2度おいしい」というキャッチフレ-ズでお願いします。

音の響きが重要視される現在で、この「れいわ」は指示されると思います。やさしくて親しみやすい音の感じです。日本の古典からということで、多くの人の指示も得られたようです。選定される人々のセンスを褒めたいと思います。

ところで、ル-ルとマナ-とエチケットの話をすると、礼法はマナ-だといえます。守らないから罰があるわけではありません。社会に出たとき、マナ-が守れるかどうかはその人の信用を高めるかどうかになります。もちろん、ル-ルは守らないと罰があります。ペナルティが課せられるわけです。届け出をきちんとさせることがこの勉強になります。法的に有効になるためには文書を作成、提出しなくてはならないのが現代社会です。次にエチケットはどうでしょうか。こんなことは知らなくても大丈夫とたかをくくると、だれからも相手にされなくなります。公共の場ではマナ-やエチケットが常に意識されなくてはなりません。学校はそのトレ-ニングの場でもあります。小さいころからしつけられて身についたものもあるでじょうが、学校を出てからはなかなか注意する人もいなくなるので、マナ-を身に着けるにはラストチャンスなのです。

礼法の意味をきちんと教え、どこでも、だれにでも、同じようにできることを目標にがんばらせたいものです。そして、時、場所、相手に応じた声の大きさやタイミングなどまで、マスタ-できれば、社会に出て高い評価を受けるのはまちがいありません。育英館のあいさつがよいのは、TPOを意識できることですと自慢したいものです。始まりが肝心、礼法の必要性を語り、マナ-の一つとして身につけさせてください。今年も「きばっど」をどうぞよろしくお願いします。