目標は高く努力はこつこつと       H29.4.7

常に英才たれ      目標は高く努力はこつこつと       H29.4.7

29年度は生徒の目標を高く掲げる指導をお願いしたい。そして、それにこつこつと努力を積み重ねる実践をお願いしたい。富士山へ登ろうとする一歩と近所へお使いに行く1歩では覚悟が違うし、やる気も違ってくる。

次に建学の精神を分かりやすくして、日々実行させたい。「古の道を聞いても唱えても我が行いにせずば甲斐なし」である。「道義に徹し」なら、「悪いことをするなよいことをせよ。」ぐらいのレベルで語る。「実利を図り」は簡単に言うと、「人の役に立つ」である。具体的には「自分だけの利益を考えるなみんなのためにつくせ。」となる。「勤労を愛す」はなぜ働くのかを考えれば、行動の仕方も変わってくる。「はたをらくにすること、ひとのためになる行動が働くである。」と具体的に行動の意味を分からせたい。

そして、育英館3本柱を大切にして、先生に言われる前に出来る生徒を育てたい。

以前勤務した学校は落ち着きのないあいさつのなかなかできない学校だった。そこで、あいさつをきちんとするようにした。廊下にサイレントゾ-ンを設けて、静と動の区別を意識させた。授業の充実をめざして、授業中の姿勢を問題にし、にいねむりをなくして、授業のポイントを共有した。作業でも無言作業を徹底するようにした。2年のうちにみちがえるように学校が変わった。

最後に「自習のできる学級づくり」をお願いした。この取組の過程で、どの先生が授業しても態度を変えないことは当たり前になったし、もちろん、自習の際に騒ぐことなく、集中して取り組むようになった。これらが徹底したせいで、学力が驚くほど向上した。高校入試の結果を見ると、各学校の合格者数が例年の倍になった。学力向上に学級や学校のもつふんいきがどれほど反映するかを表している。大学入試は団体戦という言葉がある。それは、学校全体のム-ドが合否の結果を左右するほど大切だということだろう。

学級は日々の学校生活で教え、育てて、特別な時間(行事)で育つ。行事は生徒の手でやらせることがポイントである。そのためには、やれるだけの力をつけることが肝心だ。毎日の生活の中にポイントがある。リ-ダ-を育てるのはグル-プでの発表や追究活動をさせるで育つ。その力がいざという時、役に立つ。なにしろ、特別活動では意見の対立や方法の選択でこじれることはよくある。それを乗り越えて、行事をやりとげなければならない。対立をのりこえる力が自然と身につく。学級はそうやって成長していく。3月にこのクラスでよかったの反省を聞きたいものだ。

おまけに、もう一つ、学習の仕方についてもぜひもう一度考えて欲しい。ムダの多い学習の仕方をしていないか。自分の時間がムダな学習のために食われていないかを点検して欲しい。4時間も机の前に座ったから勉強ができるようになるとは限らない。集中してやればその半分でもよい。勉強の仕方は個々のものだが、成果をあげる者の勉強方法には学ぶべき点も多々あると思う。ぶかぶかの服やくつでは、いつまで立ってもうまく歩けないし、格好もよくない。この際、ぴったり合うものをすべての生徒に与えましょう。

わかりやすく、そして、ほめて          H29.4.24

きばっど育英館  わかりやすく、そして、ほめて          H29.4.24

生徒の生活指導において、なかなかこちらの意図が伝わらない。育英館の生徒は公立の中高に比較するとかなりものわかりはよい方だと思う。それでも伝わらないことがある。以前勤務した学校で、「ちゃんとせんか」と服装がだらしない、教師への態度の悪い生徒を指導した。それを見ていた校長先生が、「『ちゃんと』という言葉の意味がわからない生徒に言っても無駄です。まずは、『ちゃんと』を教えることです。」と言われた。ズボンをさげない、教師の話には正面をむいて聞くという具合である。確かに生徒もこう言えばなにかしらの反応をする。本当に教えられていないことが問題なのである。生徒の立場から言えば、わからない行動はできない話だ。「ちゃんと」は、これから学校生活を営むという小学生の話だ。しかし、教えないわけにはいかない。学校にあがる前に身についておかないといけない、歯磨き、トイレ、食事などとほぼ同じだ。服装や態度についても目的にあわせて「ちゃんと」することができるなければ、生活できない。「ちゃんと」はしつけの世界の入り口である。

しつけはしつけ糸からの発想なので、後できれいにとることが前提である。しつけ糸は正確に縫うために形を整えておくことから考え出された。教育現場でのしつけは、一斉に指導し、形が出来上がったら、その行動の意味をあらためて理解させて、行動を強化する。道徳的実践力を高めるのに似ている。しつけ糸は抜くことを前提なのでトメかない。自分で守ることをやらせてみる場面が必要なのである。

和裁とよばれる着物文化は言葉となって日本文化、とりわけ日本人の行動様式に影響を与えているのかもしれない。洋服を着るようなって200年程度、それ以前は着物が当たり前、「着物」にはまだまだ奥深い文化があるようだ。
話は少し変わるが、そろそろ募集も始まるし、わかりやすく印象的に「少数精鋭を伝える」という課題を考えてみたい。「多少、遠近、上下」などの対比の言葉を使い、作文してみるとおもしろい。例えば、生徒数がないと教師との距離はい。教師との距離がいと学力向につながる。その反対を考えると、生徒数が多いと教師との距離が遠い。教師の関わりが少ないと成績は低下する。反対はあえていう必要はないが、こんな感じで説明すれば、訪問校の生徒もかなりわかりやすいと思う。

わかりやすく教えることこそがうまい躾のスタートである。現場で身ぶり手ぶりを交えるのもよし。できないのであれば、比喩や似たもので説明する方法もある。しつけ糸をどんな形で使うかである。ふつうは白糸であるが、生徒によってはけっこう色のあるしつけ糸が必要な生徒もいそうだ。形が出来上がったらしばらくこまめなほめのフィ-ドバックをこころがけたい。ていねいにぬいていくことが必要である。そして、抽象的なほめは控えて、ここしばらくは具体的にほめておきたい。しつけ糸をぬいたら、本縫いまでとれてしまうではいただけない。自分でできるがぬくタイミングである。ここは4月一杯がふんばりどき、1学期に汗をかくと後が楽である。ほめて強化して、しつけ糸をぬく。美しい縫い目がそろうまではがんばりたい。後になるほど楽をするのが、しつけのベテランである。

「最善を尽くせ」             H29.4.5

きばっど育英館  「最善を尽くせ」             H29.4.5

平成29年度の第1学期を中学校33名、高校23名の仲間を加えてスタートしました。皆さんはどんな気持ちで29年度を迎えたでしょうか。学園のテ-マ「最善を尽くせ」は、現状に甘んじることなく、さらに一歩前、階段を一段あがることを考えさせてくれます。そのためにはどうすればよいのか。まずは目標を高く掲げ、自分なりに改善の視点をもち、物事に取り組むことです。

学校生活を送る皆さんを見ていると、それぞれの表情には希望で心がはち切れそうになっているような感じを受けます。春が「心が張る」からできたように、今年度にかける皆さんのはちきれそうな熱意が私にも感じられます。

育英館の生徒は、多くの人に礼法作法のよさは認められています。私も昨年1年間、いろいろな場で皆さんのおかげでほめられました。皆さんの明るいあいさつは確かに思いやりの心をデリバリ-してくれます。あいさつされるたびに、うれしい気持ちになり、元気をもらいます。そこで、もう一歩踏み込んで、「挨拶」の漢字の通り、「みんなの心を開き、相手との関係を築く」とさらに基準を高めて取り組んでください。

学期初めに重点的に取り組む育英館三本柱「あいさつ、無言作業、礼儀作法」を「最善を尽くせ」の視点で高めてほしいのです。一人ひとりはもちろんのこと、100%達成の継続できた日数を各学年で競ってほしいのです。本当にこの柱は基本的なことで、「時を守り、場を清め、礼を正す」と一般に言われることを具現化したものです。それらがきちんできると、すべてが変わってきます。自分を変えようとするチェンジになり、今まで自分ができなかったことへ挑戦しようとするチャレンジの気持ちが高まります。この4月に行動をおこすことで自分を高めるチャンスが確実にやってくるのです。まず、三本柱を徹底して守り、その基準を高める努力をしましょう。皆さん自身が向上するために「最善を尽くせ」と行動を起こして、この3つのCにつなげてください。挑戦こそが自分高めるチャンスなのです。

さて、育英館の校名は「天下の英才を得てこれを教育する」に由来しています。皆さんには英才になってほしいのです。天才や秀才と何が違うのかというと、それは「志」が違います。自分を変えよう、変わっていこうという決意が明確であり、堅固であることが英才の特徴です。また、学問だけに限らず、他のことにも精一杯努力するところが違います。当然、なんとなく似たもの「同士」でなく、生活態度はもちろん、目標に向かって努力する「同志」でなくてはなりません。それが英才と呼ばれるにふさわしい資質です。育英館に集う皆さんは、ぜひ、この英才となり、少々のことにへこたれず、自分の夢を実現してください。平成29年度も先生方といっしょにここ育英館でがんばりましょう。

 兄弟校の入学式             H29.4.20

きばっど育英館      兄弟校の入学式             H29.4.20

兄弟校の入学式に行くと、自分の学校だけでは見えなかったものがよく見える。同じようにしないといけない部分もあるが、違うからこそよいところもある。いろいろなキ-ワ-ドに出会えるものありがたい。レディスカレッジやホテル短大はやはり出口が就職戦線ということもあり、礼儀作法や言葉遣い等については厳しい。雰囲気で新入生もきちんとなっている。城西高校はというと、多人数の生徒の感動を深めるという意味でも演出はすごい。あわせて、創立90周年行事への取組の一つ、生徒たちが作り上げたスロ-ガン「夢あふれ希望の花咲く」はなかなかよい言葉だ。

それでは育英館の立ち位置はどのあたりなのだろうか。芸能コ-スもないので、ダンスのパフォーマンスは無理だとしても、よいところはまねしたい。生徒入場の音楽はぜひ取り入れたいものだ。歩き方のリズムを整えることにもなるだろう。学園歌を手話で盛り上げる看護福祉の生徒には感動する。これと同じ感動をめざして、英語を交えた歓迎の言葉を述べるというのは育英館ならできそうな工夫だ。

校長式辞も各校さまざまである。私は「出会いを大切に」と「我逢人」を取り上げた。城西の秋武校長は「努力は必ず報われる。報われない努力はない。報われないのであれば、それは努力と呼べない」と「努力の大切さ」を語られた。KHC矢野校長はホテルの仕事のすばらしさを「出会い」「笑顔」「感謝」のキ-ワ-ドで語られた。「ありがとう」という言葉は、「お客様の期待に応える喜びです」と言われた。ホテルマンのプライドに感動した。KLC山崎校長は学校生活を支える「勇気」を語られた。共通していたのは、建学の精神の解説が各学校なりになされたことである。KLCとKHCでは、建学の精神は「校是」で、「道義の人となれ 実利の人となれ 勤労の人となれ」である。育英館のように中学生と高校生に指導するのは言葉を選ぶ必要がある。本校では、「道義」とは 人としてあるべき道、具体的には「思いやり、感謝、正義、あいさつ」と、キ-ワ-ドで説明した。「実利を図り」の説明は難しい。「実社会で役立つ人」と説明されるが、学園歌では、「日々に磨けよ実利の技」となっているので、実社会で役立つ資格と考えたほうがすっきりする。育英館では英検、漢検、数検と考えてみたい。しかし、実社会で役立つ人の定義は広く、みんなのためにという考え方をもつことも必要だ。そして、「はたを楽にすることを愛する」ことが「勤労を愛す」と考えれは、ボランティアという言葉が浮かぶ。建学の精神は人としての生き方をコンパクトにまとめた言葉だ。先代理事長の残された「行動の中から知恵が出る」は知行合一の考え方でもある。挑戦する勇気がなくてはダメということを強調されている。山崎校長の式辞につながる話だ。挑戦は成長につながる。本校ではそれらを身につけ、リ-ダ-として育ってほしいと、「常に英才たれ」を掲げてある。話は少し外れるが、おみやげも、各校さまざまである。春らしい弁当までいただくと感心してしまう。そんな細かいところまで心配りをいただいたと感激してしまう。卒業式ではなじみがあるものだが、新入生による保護者への感謝・決意の言葉はまねしたい。言葉を聴くだけで、生徒たちの成長を感じる瞬間である。

はじまりはここから ~光と影を考えて~    H29.4.28

きばっど育英館   はじまりはここから ~光と影を考えて~    H29.4.28

私たちの発想モデルは、かなり限定されたものが多い。1 「光」と「影」はどちらが本物なのか。2 ○○くんが食事前にアイスを食べていた。大胆な試みであるが、一見なんの関係のないこの2つの事柄(1と2)を結び付けて考えてみたい。

光と影は、太陽光線をふくめた光源からの光によってできる。光のあたる面の像は明確にはっきりと見える。この像を「光」と呼んでいる。立体であれば、その反対方向に影ができる。学校という光源をあてると当然、学校での生徒の姿が浮かび上がる。いやが上でも、育英館で指導されている礼儀作法が現れてくる。○○君はなぜ食事の時間でもないのに間食をするのかは、光の当て方の違いで浮かび上がる別の姿だ。宿泊研修の自由時間という、より自然な姿である。そこには、日常の生活態度がよく見えてくる。宿泊研修の自由時間という光源は、気楽に間食という姿を表出し、学校生活の礼儀作法を影にしてしまった。「陰ひなたなく」とは、光源に左右されないことである。生徒たちがどこに行こうが、何をしようが、育英館の礼法指導が生きるようにしないとだめである。その意味では、「陰ひなたなく」自己管理能力を高めることが必要である。1と2をつなぐとこんな感じの発想になりそうだ。

「最善を尽くせ」というテ-マで、「あなたのもっているすべてを」と言われ、簡単に「はい」という人は本当に幸せである。「あなたのもっているすべてとはなにか」と考えれば、なかなか簡単には言えない。感情論では限界がある。また、それぞれのすべてとはどんなものかという問いが生まれる。やはり、目標はきちんと数値で示すべきである。生徒募集なら、中学校35名、高校25名は達成したい。しかし、「最善を尽くせ」と言われる気持ちを考えれば、中40名、高校40名である。その覚悟でがんばると答えるが、その覚悟はどの程度で、どんなものなのか。

ここで、この問題も考えてみよう。全力とはなにか。光源次第だが、育英館を愛するという光をあててみたい。かなりよい「光」の部分が見えるはずだ。それを自分がやればよい。好きになることがはじまりだ。好きになれば少々のことは問題でない。

解答の前に「好きになること」を置きたい。次に、自分のもてるものを提供する話を考えてみると、時間や量ではなく、質を考えてみてはどうか。自分が身につけたもののうち、最高のもの、一流のものをぜひ教育してほしい。少々抵抗もあるだろうが、本物を教えたい。

たくさん教えればよいのではない。育てること、育つ環境を作ることもぜひ考えてほしい。今までないことだから、なかなか大変だろうが、先ほどの新しい発想モデルで考えてもおもしろい。礼法指導と同じように学業指導をしてはどうだろうか。発表のしかた、ノ-トの取り方、話合いの方法など、学習の質を高めれば、礼法指導と合わさって、力は間違いなくついていくはずだ。最善を尽くせとは、発想を見直せの意味が大きいと思う。「最善を尽くせ 答えは一つではない。」と、新しく発想して今年一年を過ごしてみたい。質を高めるための努力は、「考える」という試みから始まる。「考える」は案外、楽しいもので、はじまりはいつもここからなのだ。

新しい出会いを楽しみに           H29.4.11

きばっど育英館   新しい出会いを楽しみに           H29.4.11

「我逢人」という言葉がある。育英館に来て一年でいろいろな人に出会うことになったが、教育講演会で会った講師の宮下純一君は実にさわやかな若者だった。「自分の一番きらいなものが今の自分にとってかけがえのないものになっている」と水泳との出会いを語った。彼がオリンピックで水泳の金メダルを手にするには、実に多くの人との出会いがあったと語ったことも感動的だった。まさに出会いが人を変えるの典型である。

私たちはその出会いを活かすことを忘れてはならない。AIのめざましい発達により、多くの仕事が人間を必要としない時代がやってくると言われている。また、考えても見ないことが仕事になるとも言われている。好き嫌いでなく、できるかどうかだけで仕事となる時代になるのかもしれない。その意味では、好き嫌いを超えてチャレンジする気持ちを鍛えていきたい。宮下君のチャンスはチャレンジして、自分をチェンジする人にだけやってくるという話は実におもしろかった。

大河ドラマで真田昌幸に出会えたことも大きかった。「虚心」とは、何もかも忘れて取り組むである。これは今年の大河ドラマ「真田丸」で草刈政雄が演じた真田昌幸の言葉だ。中学校野球部、サッカ-部の試合でみた生徒たちは戦国時代の武士にも見える。決勝戦になると、「戦い」だ。真剣で斬り合う所はないのたが、雰囲気がすごい。応援している保護者も感じておられるだろう。あの瞬間はまさに何もかも忘れて…だと思う。若き日の真田昌幸を描いた小説に出てくるこの言葉が彼の生涯を決めたといっても過言ではない。初陣を不安に思う昌幸に、信玄の弟、信繁がとらわれない心を持てと「虚心」を語る場面が実に印象的だった。ちなみに、真田幸村は後世の名付で、本来は、父である昌幸が生涯、尊敬し、慕った御屋形様信玄の弟の名前と同じ「信繁」である。

最後に出会ったのは、朝ドラのべっぴんさんである。朝ドラのメッセ-ジ性の豊かさには驚くことが多い。今回は4つ葉のクロ-バ-に隠された言葉がキ-ワ-ドであった。「友情」「信頼」「勇気」「希望」の4つの言葉と4人の女性の人生がうまく組み合わされていく。平凡だが、非凡である。ある意味、「貫き極めろ」にも通じる話だった。「べっぴん」とは特別な品であり、相手のことを思い作り出されたものである。全編に愛があふれる素晴らしい朝ドラであった。最後に、亡くなった父母が現れ、娘たちの生き方を褒め、「きみたちふたりがべっぴんだ」といった場面にはさすがと感動した。世の中の人を幸せにする仕事を生涯通してよくがんばったと語った。

今年は教育講演会で「頼み事は試されごと」という前向きな生き方を語る中村文昭さんと出会うことになっている。今年も「我逢人」でいきたい。新しい年度が始まる。どんな人に出会うのか。楽しみである。自分も出会えてよかったという人になれるよう精進したいものだ。そして、平成29年に出会えた人のよさを見つけ。きばっどに書けることを目標としたい。

 

きばっど育英館    あの人は今                H28.12.27

テレビの番組ではないが、「あの人は今」というキ-ワ-ドで、年の暮れには一日過ごす日があってもよいのではないかと思う。今年もいろいろな人との出会いがあった。トラブルになったり、助けてもらったり、あの人は今どうしているのだろうか。本当にあれでよかったのかと思い返してみたい。とりわけ、トラブルが継続しているものは、一通りの線を引かないととんでもないことになる。また、沈静化しただけで火種が残っているのも要注意だ。消せなくても、温度は下げておきたい。

好転しているなら今がチャンス。その後を評価し、未来を語ると信頼の絆はぐっと深まる。有能なセ-ルスマンはトラブルがチャンスと苦情処理に力を注ぐものだ。笑顔で対応し、相手の信頼を築き、そして、あの人は今で、信頼を深める。これで、多少の無理がきくようになる。「あの人の言うことなら…」が、お客様の心をあけるカギとなる。苦笑処理といえるぐらいの余裕が出てくれば、たいしたものだ。

教師になると、教え子は年を経る度に増加する。覚えられないのが本当のところで、フルネ-ムで言えるのは、何分の1だろうか。「先生、元気」と声かけられると、「おや、ゆかりさん」と適当に名前を言う。「違いますよ。○○です」と言わせて、「下の名前は、きぬよさんだったよね」と返す。「違いますよ。▼▼です」と言わせて、「そうか、○○□か」とさりげなく返す。「だれですか。○○□は?」と会話を続け、「ごめんね。○○▼▼か、なつかしいね」と軟着陸させる。教師は自分のことだけは覚えていると教え子は思うものらしい。残念ながら、そこまで記憶力はよくない。

そして、同窓会の話題は「先生変わらないね」である。あいさつ言葉の典型だ。失礼な‥外見も随分変わっている。言われなくても変わっています。生徒の目から見ればそうなのかもしれないと慰める。次によく、「先生の言葉で今の自分がいます」と言ってくれると、おせじでもうれしい。それは間違いで、「あなたの努力が自分を変えたのだし、もっと言うとその場に応じて変わらないと人は生きていけないのだよ。」と言ってあげたい。しかし、言わないで「まだまだ甘いなあ」と先生は焼酎を飲む同窓会の季節でもある。教師にも生徒にも「あの人は今」の季節なのだ。

あの人は今の番組に負けない、40人、40通りの人生があるのに驚く。本当に当たり前の話だが、中学校制服のイメ-ジは残るものの、みんな変わっている。中学校時代の面影を探す。どこにどんな形になって存在するのだろうか。生きる核になっているのだろうか。人間の成長は本人のイメ-ジの拡大なのかもしれない。多様性による生き残りをかけたバリエ-ションの増加なのだろうか。同じものは一つとして存在しないが、人として生きるための想定内の変化なのだろう。

あの人は今、私たちも生徒にそう思われているはずだ。だからこそ、この仕事を大事にして、あの人は今でも教師として活躍していると評価されたら幸せだ。教師を続けるなら、生徒に与えたイメ-ジを守り続けたい。しかし、人が成長するとは変わることかもしれない。アイドルが昔と変わらず安心するのもよいが、こんなにも変わったかと生徒たちの成長に感動する「あの人は今」もあってよいだろう。

きばっど育英館    漫画の中の一言              H28.12.28

校内球技大会の開会式では、「スラムダンク」の安西先生の話をしました。この漫画の桜木花道という主人公は一途にバスケットの打ち込む若者です。お調子者で、お世辞にも理解力の高いという言葉は当てはまりません。そこで、先生はこの男に分かるように話をします。シュートを成功させる回数やディフェンスを抜いて、パスを出す回数などを示します。本人はまったくの素人ですから、失敗したり、達成するまでかなり時間はかかります。しかし、その挑戦の積み重ねがプレイヤーとしての一番大事な基礎体力づくりを兼ねているのです。安西先生のもくろみは見事的中し、花道君はすばらしい選手に成長していきます。

そして、我が強く、チ-ムでプレイができないこの男に、チ-ムでプレイすることの大切さも教えていきます。仲間との信頼があればパスがまわるし、シュートもできるのです。それぞれに役割があり、それをきちんと果たすことが信頼を得ることにつながることを身をもって体験していくわけです。もちろん、高校生活を描いていますから、恋あり、友情ありの漫画です。キャラクターも多種多様なので、きっと自分なりに「推しメン」にも会うことでしょう。人気の出るスポ-ツ漫画は、本人の技術力の高まりを描くとき、必ず、心の成長も描いている点に注目したいと思います。

鹿児島女子高の春バレ-出場の話を聞いたとき、その秘密は?と聞いてみました。それは、「拾って、あげて、考えて、」と今までの指導とは違う部分があるということでした。「拾って、あげて、アタックですよね」と確認してみると、練習ではいろいろな相手を想定し、対策を積み重ねてきた。本番で、どの攻撃パタ-ンで攻めていこうと瞬時に判断できなければ勝てない。練習ですべての対策は終わっている。そこで、「考えて」なのだそうだ。だから、監督はタイムをとらないという話のおちがある。

漫画では、練習場面は試合に比べると描かれることは少ない。このことを聞くと、練習場面にこそ、試合のすべてがあるようだ。考える「材料」が必要だ。

スラムダンクに話をもどすが、上達して天狗になりかかる花道に先生は実戦を経験させます。運動能力は同じでも、よく考え、動くことのできる相手に翻弄され、ボ-ルにも触れない経験をさせます。運動能力の高まりに調整力が必要です。身体バランスや空中姿勢の制御が、バスケットでは必要です。試合の中ではいやでも経験をします。自分の脚力がもたない。自分より相手が跳躍する。そんな厳しい試合の中、安西先生はいいます。「あきらめたらそこで試合終了ですよ」バスケットは格闘技によく似ています。ゴ-ル下でのあたりは半端ではありません。強いチ-ムがマン・ツ-・マンでディフェンスで迫ってくると、ゴ-ルがとても遠く感じます。しかし、後半で相手が押してきた時、こちらにも必ずチャンスはあります。先生の言葉はすべての試合に使える言葉です。冬休みはもう一度、読み返したいですね。自分を信じる強さも必要です。メンタルを強化することはどのスポ-ツにも共通するものなのです。最後に、安西先生は、育英館にもいそうな気がします。

きばっど 育英館    サンタクロ-スの居場所         H28.12.22

「サンタクロ-スは何歳まで、あなたの家にやってきましたか」という質問を大人にすると、笑いながら「小学校の高学年です」と答える人が多いものです。それまでは、実際に信じていたのに…。クリスマスのブレゼントが枕元にあるのだから、だれかがおいているのだと考えると、それがサンタさんなのです。どうして、親とわかるようになるのでしょうか。私は弟と寝ないで見張ろうとして、力尽きたことがありました。それでも、ちゃんとプレゼントは置いてあったのです。クリスマス前には何がもらえるのかとどきどきして、いつもになくお利口さんになるものでした。サンタさんにどうして情報が伝わるのかも心配で、「お利口さんだよね」と母親に評価してもらい、安心していました。プレゼントがない時はなかったと記憶しています。

中学校に行くころには、学級ではクリスマスのブレゼントが話題になり、変に大人びた友人から「それは親だ」と聞かされ、今までだまされたと思ったりもしました。しかし、分かってはいても、「サンタさんにはいてほしいなあ」と心の中で思う自分もいました。中学校の進路の時間には、将来なりたいものを書かされて、「ありません」と書く友人はこぞってサンタ否定論者でした。教育学部で心理学を勉強しながら、「発達課題」を学んでいるうちに、やっぱりサンタクロ-スがいることが大切だと思うようになりました。あるものの存在を理解し、信じることも成長の一つなのです。

とにかく、「サンタクロ-スの居場所をつくる」が人間として成長する過程で大切なのです。そこは、サンタクロ-スがいなくなってもあこがれや夢のすみかになります。自分の大切なものをとっておける心の空間なのです。想像力や人の優しさの思い出、あこがれた人を入れておける場所になります。サンタクロ-スがいると信じる気持ちが大切で、いるかいないかを疑う気持ちが優先するものではありません。世界中の大人がサンタクロ-スはいるのだよと子供に語れる日が来るとよいのになあとよく思います。子供によいものを与える、最高のプレゼントだと思います。

お互いが相手を思い、自分の大切なものを捨ててまで、贈り物をする「賢者の贈り物」という話から、クリスマスの贈り物は、お互いの善意だと気づく人も多いはずです。幼い時はそこまで分からないのですが、成長していくと必ず気づくのでしょう。そのためにも、サンタクロ-スが来る日が必要なのです。同じように「クリスマスキャロル」という話も考えさせられます。自分の生き方を振り返る機会を三人の幽霊とともに経験した血も涙もない高利貸しのクルーゾは、イギリスで一番クリスマスの楽しみ方を知る男に生まれ変わります。クリスマスだからこそ、この話は貴重です。無財の七施ではありませんが、お金のかからない微笑みをおくりたいものです。

「恋人がサンタクロ-ス」という歌もあります。「隣のお姉さんが教えてくれた」という歌い出しです。このサンタクロ-ス、ひげのかわりに微笑みがすてきなようです。今年はあなたも微笑みでだれかのサンタクロ-スになりましょう。世界中のみんながせめてこの日だけは、幸せでありますように。メリ-クリスマス

きばっど育英館     会者定離               H28.12.9

前任校の生徒が亡くなった話を聞いた。両親の悲しみはいかばかりかとつらい悲しい気持ちになった。その子と親しくしていた生徒会のメンバ-の悲しみも大きいと話を聞くと、人の世の無情をしみじみと感じる。ましてや、15歳の生徒たちをわざわざこんな悲しみにあわなくてもよいのに…とも思う。人の世では、生まれてきたものには、出会うことは別れが必ずあるという定めがある。分かれたくないので、会わなければよいという考えも成り立つが、生まれた者にはそれは許されない。一生を通して、限りなく出会い、限りなく別れを経験することになる。

親しい人を亡くしたとき、人はどうやって立ち直るのか。あの時から私の時間は止まったままと言う言い方をするが、人の時間は止まることはない。なくなった人の時間は確かにそこで止まっているようだ。考えてみると、人としての時間は止まったとしても、生物としての時間は動いている。おなかはすくし、トイレにも行きたくなるし、不謹慎だが、おいしいものはおいしい。残された者は自らが死ぬまで生きて行かなくてはならない。それが、生きているもののル-ルである。だから、生物としての私の時間はけっしてとまることはない。そうやってだれもが生きてきた。

なくなった人の分まで生きる、それでよいと思う。なくなった人の分まで生きることも本当はできない。しかし、そんな気持ちでがんばることはできる。そうしてあげれば、自分の中でいつまでも生き続けることは確かだ。人はそうやって悲しみを乗り越え、悲しみまでも自分と同化していく。亡くなった人を忘れたとき、本当の意味での死がおとずれる。だれかの心に生き続けている限り、生きているといえる。また、何かの機会に思い出してもらえると生き返るともいえる。忘却こそ、「死」である。

死んだ人は☆になると言う話は、遠くにいって会えないことと同じだ。「木琴」という詩を思い出す人は多いはずだ。教科書に死を取り扱う教材を載せることも大切なことを感じる。よりよく生きるためには、死を考えることも大切だ。遠くに行ってあえない人より、近くの写真にある人が生きている感じがする。すぐに思い出せるし、夢にもちょこちょこ出て来る。この頃は、死生観も変わった「千の風になって」ならあまり寂しくはない。喪失感をどう受け止めるのかは千人なら千通りだ。残酷な言い方をすれば好き嫌いに関わらず、人はどちらかになる。生き残り生き続けるか。それとも死ぬのか。生きることは出会いと別れの繰り返しである。出会いの数だけ成長し、別れの数だけ豊かになる。悲しみを知るものはいっそう優しくなれる。

現在は神様からのブレゼントだが、このプレゼントは苦しみや涙なくしては受け取れないこともある。それが生死に関わる時ならなおさらだ。身近な死に遭遇すると、人は自分を引き裂かれそうに苦しむ。若い死は残酷だが、それでも受け入れざるを得ない。死を身近に見ない今、その衝撃は計り知れないのも事実だ。

それでも、若い人よ、あなたに、「友はいつまでも心に生き続けるのだよ」と言いたい。そして、がまんせずに泣くだけ泣いたら、あなたの時計をしっかりと持ち直して、これからの時間を生きてほしい。