きばっど育英館     漢字の話                 H30.1.24

結婚式のあいさつで「糸」にこだわってみた。糸へんに半と書いて「絆」。半分をどう考えるかでお互いのひっぱりあいと考えると、おもしろい。「ひと声」という国語の教材があった。この中で、母馬がどうあがいても抜け出せないぬかるみから多くの人の力で助け出される場面がある。人間が力をあわせて引き上げる時、「ひひん」という仔馬の一声が母馬に力を与えたという箇所がある。「絆」という漢字にぴったりの場面だ。指導される先生が黒板に「絆」と書かれた感動的な授業を思い出す。結婚式のあいさつでは夫婦のきずなはお互いの声掛けからできあがると語った。

それに続けて、糸へんを使う「縁」を取り上げた。豚の頭の垂れ下がっている様子を表すつくりをつけて、垂れ下がるふちを示す漢字である。それから何かのふちの部分を「縁」という。糸へんがあるので、この字はつながりを表す文字となり、「えにし」という読みもある。そこで、ふたりの縁に連なる人々という話で結婚式のギャラリ-の役割を語った。絆を強めていくのを、ギャラリ-の仕事にしてほしいという話だ。「絆」に「縁」にどちらも今日のふたりの糸にかかわる話である。「縦の糸はあなた、横の糸はわたし 織りなす布はいつかだれかを温める」の歌を連想する。結婚式で「最後は」といえないので、結婚式の「結」を使い、糸へんに吉と結びの話をはじめる。「一重二重、七重八重にめでたく、ふたり縁の糸を結びまして、皆様のお幸せを祈り、私の話も結びます。」と…

このように、漢字は実におもしろい。甲南中の進路学習の講話では、「母という字は舟という字に似ている」と考えた詩人の発想を問題にした。「母は舟の一族かもしれない」と考える根拠を生徒に尋ねると、予想通り「形が似ている」と答える。詩は「こころもち傾いているのはどんな荷物をかかえているのだろうか。」と続く。形にこだわりながら中身を考えてみるという視点がおもしろい。舟も母も積んでいる荷物は見えない。しかし、ぎっしりと積んでいるのも確か、おもい(思いや重い)で沈むのも確かだ。舟も母も海に関係あると発想を広げるとさらに楽しそうだ。

漢字のおもしろさは、意味を包含するいうことだ。もっと言うと1字にドラマがある。漢字の特性をわかっておかないと視覚でも連想を伴うので、音だけに頼って名前をつけると変な先入感をもたれる。ビートルズのファンの友人が「美執」と名付けた。言葉が幸せを呼んでくると考える日本だ。漢字を知った上でのネ-ミングとしたい。思えば、この子も35、6になる。「美を執る」から芸術家になれたと信じている。

「初め」と「始まり」の違いも調べていくとおもしろい。「初」は衣へんがあるので布を裁断する、つまり「切りはじめる」イメージがある。一方、「始」は女へんがあるので、「女性になること」、つまり、「成長のはじまり」を意味する。「ある変化がおこりはじめる」ことになる。漢字を研究すると、当時の人の考え方までわかるから不思議だ。「円」という漢字は、貨幣が丸いものが多いということから貨幣の単位として考えられたとか、1ドル=360円は、円の角度から決まったとかとおもしろい話がある。どこまで本当なのだろうか。漢字のなぞはまだまだ深く果てしない。

きばっど育英館     甲南中での進路学習から          H30.1.19

甲南中での講話の中で、校歌の歌詞についてふれた部分を取り上げてみたい。明治150周年との関わりの深いこの歌詞にふれて、生徒たちへ語った。

1 甲突川の南の いらかも清き学び舎に 敬愛信をめざしつつ

向学自主の意気高し   中学甲南 若人われら

2 英俊雲と生まれつぎて  維新の業をなしとげし 三方限の名も永遠に

共同自治の風かおる   中学甲南 若人われら

3 秀麗千古桜島   火をはく嶺にこだまして  明るく強くたくましく

燃ゆる命が明日をよぶ  中学甲南 若人われら

鹿大の蓑手重則教授の作られた歌詞である。特徴的な文語表現を随所に用いて、格調を高めている。「いらか」は瓦屋根のことで、小説「天平の甍」や童謡「こいのぼり」では「甍の波と雲の波」と歌われる。今の生徒は知らない言葉である。「甲突川の南」の歌い出しは「甲南」という学校名を想像できる。南、東は中学校名としてあるが、北、西はない。甲突河畔から桜島が見える維新ふるさと館あたりに立つと、南も東もよくイメ-ジできる。次に「敬愛信」であるが、西郷隆盛を思い出すと、「敬天愛人」であり、「信の人」である。生徒は「人を敬い、人を愛し、人を信じる」と答えた。小さいころから親しんだ郷中の教え「負けるな、うそを言うな、弱いものをいじめるな」を思い出したのだろうか。

「三方限」とは、地域の名称である。上之園、高麗、荒田の地域をまとめてこう呼んだ。甲南中の正門の横にこの碑がある。偉人が次々と誕生して明治維新で活躍した様子を「英俊雲と生まれつぎ」と「維新の業をなしとげし」と表現している。「雲がわくように次々と」はこの碑にあるメンバ-の多さを見れば納得できる。この地で学ぶことの誇りをもてる歌詞だ。新しい時代を切り開く多くの若者を思い出させる「坂の上の雲」の松山市街とよく似た雰囲気が、このあたりには漂っている。

三番は自然と人間の対比であり、そのエネルギ-と対峙できる若者の可能性を取り上げている。「明るく強くたくましく」は桜島にも負けない若人の姿である。メンバ-の一人、長澤鼎は13歳でイギリスへ渡り、のちに、アメリカでブドウ王となる。彼の心の支えは郷中教育の教えであった。「名を今に残し人も人、心も心」と教える島津日新公いろは歌にあるように、「若人われら」には、「偉人にも若い時代はあった。悩んだり、苦しんだりと君たち同じで、変わらないよ。若さでがんばれ」と中学生への応援の気持ちがこめられている。

義務制の中学校は、昭和24年(1944年)前後に創立され、多くの学校が創立70周年をむかえている。周年行事を開催するに沿革を調べていると、思いがけず、歴史にふれることになる。ふだん何気なく歌う校歌を見直し、愛校心を育てることは心のふるさとづくりに必要なことかもしれない。明治維新150周年を機に学校から歴史再発見が行われるとおもしろい。

きばっど育英館       夢を希望に              H30.1.12

校内での外部講師による講話のタイトルである。年明けにふさわしい話なので紹介したい。野球馬鹿で甲子園をめざして高校に入学したが、夢はかなわず、勉強もしてないので就職を考えた十原くん。ところが、就職もうまくいかない。野球以外の目標はなく、あがいていた高校時代。そのとき、目にとまった「留学」の文字、英語はできない上に、勉強らしい勉強をしたことがないのに「留学」はしてみたい。とびこんだNIC、そこで英語漬けの毎日、英検4級もない彼が留学できるまでがんばった。

そして、いよいよ留学、ところが、あれだけ勉強したのにマックでの注文も通じない。この衝撃は大きい。そこでひるまず、「習うより慣れろ」と開き直った。NICで鍛えられたことで、ヒヤリングはまあまあ。野球はバカのようにやったから、一通りプレイはできる。足が速かったことが幸いして、大学時代は野球が人脈を広げてくれた。いよいよ卒業、野球の縁で知り合った人の紹介でカンザスへスポ-ツビジネスの修行に出た。自分が何をしたいのかを考えた時、野球の存在は大きかった。彼は気づかないが、野球をやりぬいたことが力になっていた。彼が語る野球馬鹿とは一つのことにとことん一生懸命になれる姿だ。この「とことんやり抜く力」は成功するための大きな原動力だということのよくわかる話だった。

留学の魅力を「違う世界から見ることができる。ちょっと離れただけでもこんな人がいるんだ。」と十原くんは語る。友人仲間を大切にすること、好きなことを3年間やってみること、今やっていること以外にもう一つ好きなことを探すこと、それを見つけるためには初めてやることに挑戦する。前半のまとめはこんな言葉で語った。

さて、彼の話ですごいのは人間関係つくりだ。世界の野球関係者が集うアメリカでの特別な野球フェスの日にはとにかく名刺配りをする。そこで、日本のヤクルト関係者と知り合う。ふつうならここで終わりだが、後がすごい。相手の「昼飯を食べよう」という約束を面接試験に変えてしまう。この体験を取り上げて「自分を相手に売りこむ準備の大切さ」を語った。まず、時間と場所をはっきりさせたら、相手に評価してもらうように、提供する資料づくりをする。この資料を準備するために時間をかけたので、昼食だけで終わらせない作戦は見事に成功する。就職してもステップアップを考えて仕事をしていく。ゴ-ルが明確だから、少々のいじめやいやがらせにも屈しない。どこでも自分を磨き、人と違うものを作り出すことに力を入れてがんばれる。

20世紀FOXへ移る話もおもしろい。「いい人はいないか」という電話が知人にかかり、その人の紹介で会社へ採用される。人脈でつながっている。エンターテインメントの世界もまたすごい。そして、女性管理職の多さとその能力の高さに驚いようだ。そして、いよいよメジャ-リ-グへ移籍である。またまた、電話で人を探しているみたいという話から、「いい人いない」の業界電話が回り、その結果、自分が行くことができたと話した。

これらの波乱万丈の物語にしては、十原くんのまとめは実にシンプル。「思い続ける。やり続ける。かなうまで」「常にプラス思考で」「準備、準備、準備」でした。実に楽しい時間でした。

きばっど育英館    理事長の年頭のあいさつから         H30.1.5

今年の学園のスロ-ガンは、「感謝」である。「感謝」とは、ありがたいと思う気持ち、他人に対してのお礼の気持ちと辞書にある。これは、建学の精神の「道義」に当たる部分である。

私学の経営は貴重な授業料をもらい成り立っている。今、学園があるのは、建学当初から学生、生徒が絶え間なく学びに来てくれたおかげである。

その原点の気持ちをけっして忘れないでほしい。

学生、生徒、保護者へ接するとき、常にこの気持ちをもちたい。また、それぞれの学校へ送り込んでくれた先生方への感謝も忘れないでほしい。そんな気持ちを持ち続けると、日々の教育活動の中にも表れる、学校が変わってくる。一人一人が学校という職場で働けることへの感謝を忘れないでほしい。

素直に「ありがとう」がいえると、学校はもっとよくなる。生徒への感謝の気持ちを表すために、握手での送迎もよいだろう。学生、生徒と心を一つにして、「感謝」のもつ無限の力を信じたい。今年はとことん「感謝」にこだわりたい。

上記は年頭の挨拶のスローガンを語られた部分をまとめてみた。とことん「感謝」にこだわりたいという結びの言葉は、建学の精神の「道義」を意識し、過去のスロ-ガン「日章の心」などともリンクしているようだ。

また、同じくスローガンになっている「原点」という言葉にも大切な意味がある。周年行事が必要な意味は原点を思い出すところにある。学園歌を歌い、建学の精神を唱和するのは、原点回帰の具体的な方策である。しかし、原点を知るために、学校の歴史を語ることもぜひ必要だ。

話の中に出てきた「心を一つにして」という言葉を考えてほしい。生徒と心を一つにするためにも職員が心を一つにするべきだ。言い方にも個性が反映されるだろうが、方針として確認されたことを指導するのにブレてはいけない。一枚岩の生徒指導は、教職員として指導する時、それがブレないという点を指している。心を一つにするは掛け声でなく、実行である。

さて、話は先へ進むが、感謝を具体化するには、「ありがとう」を声にすることだ。学校の中で、「ありがとう」が多く聞こえれば、もっとお互いの気持ちが近づくに違いない。スロ-ガンとして掲げるだけにしないで、教師が率先して行動化することを今年も考えていきたい。感謝の気持ちにある無限の可能性とは何か、それは自分のために相手がやってくれたと思う気持ちの構造を考えてみればわかる。自分で自分のためになることをするのは当たり前である。他人との関係で、これに類するような感動があると、「有難し」だ。なかなかないことだから、「ありがとう」と感謝する。家に帰れば、ごはんがあるとか、風呂に入れるとか、ふつうだと思っていることもよく考えてみると、「有難し」なのである。そう気づいたら、声にして「ありがとう」を伝えるべきだろう。「ありがとう」をすらっと言える、感度の良い人間になりたいものだ。

きばっど育英館    授業で魅せる              H29.12.25

授業検討会で最後に話させてもらったが、その話を整理してみたい。授業を構成する要素は極論すると、教材、生徒、教師である。指導主事が校内の授業研究に呼ばれて、授業を参観し、授業研究に参加し、最後に指導助言を求められると、この三点から話をすることになる。改善に直結する視点だからである。

さて、細かい話には後日ふれるとして、「目で山を見る」と覚えておくと、授業がひととおり成立する。まずは、目標である。教材名や題名を書くのは当たり前だが、その後に今日の授業でできるようになることを書いておく。つまり、教師、生徒が同じゴ-ルを目指しますよと宣言する作業を入れる。これなしでは目的地なしの散歩でどこに行くかわからなくなる。ゴールを提示すると、寄り道がなくなる。

そして、授業の山場を作る。これは生徒の活動量が一番増えるところだ。発表がその最たるものだと考えられている。もちろん、発表だけでなく、黙って文章を考えたり、問題を解いたりも山場には違いない。教師も生徒もこの授業は何を目指しているかがわかるように活動を通して「見える化」する部分である。

発問は一問一答ではこまる。答えはできるだけ決めつけない開放タイプがよい。生徒間のやりとりがあり、考えが深まる。AかBか、YesかNoかはおもしろくない。答えが一つではないと考えると、発表を共有したり、間違いの原因を追究したりと真剣になる。そして、納得して自己解決に至る。これが山場で一番深まるところだ。

そして。見届けが肝心、目標とした地点のどこあたりまで来たのかを分からせる。宿題を出すのであれば、不十分なところを出すのでなく、そこに気づかせるとか、次の授業に興味をもたせるとか、仕掛けをつくる。宿題は出せば力がつくと考えるのは大きな間違いだ。基本的な問題を解説せず、ドリルといって家でさせるのは教師としての責任を放棄している。よく間違う問題こそ授業で必ずとりあげてきちんと解説する。口語五段活用がわからない子は、古典文法の上二段、下二段活用はわからない。「段」を理解するには、五十音図を横に見るという感覚が必要なのだ。

国語では新出漢字を取り上げる時は、小学校では書き順から、中学校では熟語や活用を、高校では類語から語彙の広がりと決まっている。言語要素的なものを取り上げないでよい授業はない。辞書引きは小学校で教えて、中学校では辞書の特徴や索引の利用法、高校になれば「忖度」という頻度の高い現代語の用例を調べるという話だ。

自分の教科を棚に上げて話したが、各教科も発達段階での教え方や教科語彙(勝手につけたが)があるに違いない。イメ-ジするには、各学校種のそれぞれの教科書の目次を見ればわかる。6、3、3制の世界は宇宙に似て面白い。どの教科も上に進めば、世界が拡大する。自由度が増す。自分の追求できる知識の自由が確保される。これこそが学ぶ喜びである。武蔵の言葉を以前ねぎって使ったので、もう一度正しく言い直すと、「千日の鍛 万日の錬」である。ほぼ、3年がんばると、それなりの人に、30年がんばると、名人になる。学問の世界の広がりも教えられる育英館の先生、育英館は授業で魅せる先生が多いといわれたいものだ。

きばっど育英館    授業で魅せる H29.12.25

きばっど育英館    別れの後に出会いを          H29.12.26

森田健作(現千葉県知事)主演の青春ドラマに「さらば涙と言おう」という主題歌があった。知る人ぞ知るナツメロの定番である。さよならを悲しみに言うというフレ-ズが実に印象深い。その一節は「さよならは誰に言う さよならは悲しみに 雨の降る日を待って さらば涙と言おう。」というものだ。天候を指定して「雨の降る日を待って」言うとなっている。なぜ、「雨の降る日」なのかとこだわり、「さよならを言う」のもなぜかといろいろと、「別れ」について考えてみた。

仏教でいう「老病死苦」の世の中では、悪いことには「さよなら」とだれもが言いたいものだ。ところが、この苦のもとは「生まれてきたこと」となっており、逃れることはだれもできない。「苦」に出会うのはしかたない。それなら、次の出会いを求めて、「苦」と積極的に別れることも大切だと考えたい。やっぱり、雨の降る日というか、ここというところで「さらば」ということが肝心だ。作詞家の偉いのは、雨が降っていれば、涙が出ているかどうか自分にもわからないので好都合と考えたことだ。これはこれでさよならと確かに言いやすい。めそめそ泣いて暮らすより、雨の日といっしょに別れて、新しい出会いを求めればそれでよい。きっとそのほうが良い。

こう考えると、人生では捨てるとか、別れるも積極的にすることが大事だ。若い時から、生徒たちにも「捨てる、別れる」経験をさせたいと思う。物と別れられない人によるごみ屋敷が一時期、社会問題となり、「断・捨・離」がブ-ムになった。一つのことに別れを告げて、初めて先に進める。そんな体験をさせておかないと、けじめをつけるタイミングがわからなくなる。家庭では葬式、学校では儀式的な行事が出会いや別れを演出する役割を担っていたのだろうと考えられる。残念なことだが、今ではその意味さえなかなか分かりにくくなっていることも事実だ。

「22才の別れ」という曲は伊勢正三さんがかぐや姫時代に作ったものだ。今でもある年齢から上の人は22才で別れることにあこがれた自分をもっている。(笑い) 大学生活と就職してからは大きく違う。一つの世界に別れて次の世界に出会うのだ。この想いは、同時期の歌「いちご白書をもう一度」にも象徴されている。バブルから新しい時代へ、良い悪いは別として、このころの日本は多くのものを捨ててきた。

今日の自分を否定して、明日の自分を高めていくのが成長の法則だ。迷いなくすべてを捨てろとは言わないが、捨てなければならないときはできるだけ潔く捨てたい。日新公いろは歌の中に、大事な局面での生き方は、「涼しかるべし」という歌もある。物にとらわれない「涼しい」生き方ができるようにかねてから心掛けたい。

フ-テンの寅さんは失恋する度に旅に出る。今の自分とさよならするために場所を変える。これも一つの方法である。今の自分が執着するものを捨て去れば、新しい自分が見えるのだろうか。別れの後に出会いがある。それは新しい自分との出会いでもある。「戦争と平和」、「女の一生」のラストも新しい自分との出会いを予感させる。「別れの後に出会い」をキ-ワ-ドにして、潔くこの一年をしめくくりたい。そして、新しい自分との出会いを楽しみにしたい。皆様、よいお年を

きばっど育英館    ある日の朝の会              H29.12.20

昨日のクラスマッチごくろうさまでした。生徒たちには今年最後の楽しい思い出ができたことだろうと思います。若干の擦り傷等はあったものの、大きなケガもなく終了できました。先生方の指導の賜物です。ありがとうございました。学級日誌を読むと、生徒たちの反省に「コミュニケ-ションの大切さ」が書いてありました。

今日は「共通理解を図るためには、結論から先に話す」の話をします。語りが丁寧なのはよいのですが、経緯や原因を長く説明すると、相手にどう行動してほしいのかの部分がよく分からなくなります。校長室での報告や相談で感じることがたまにあります。現場での共通理解や実践では、「結論をずばり」も大切です。育英館で働く仲間同士なのですから、クラスマッチに出ているつもりで、攻守のポイントをはっきりと相手に伝えましょう。言葉一つで状況はずいぶん変わります。勝てます。

また、生徒たちの大会運営については、適切な指導助言はしてください。ほめて伸ばすのが大切です。例えば、準備運動や整理運動のポイント、進行上の礼のタイミングや声量等は、評価し、改善を意識させましょう。自分たちでの改善を体験させると、回を重ねるたびによくなります。ほめるポイントはしっかり押さえておきましょう。

次に、先週の朝の打ち合わせで話題になった掃除の話です。掃除の仕方で大切なのは、上から下へ掃除をすることです。年末の大掃除や時間の余裕がある時は、この点を意識させ、計画的に掃除をさせたいものです。同じように、整理整頓で大切なのは、「あるべき場所にあるべき姿である」です。環境を美しく保つには、美意識をもたせることが第一です。机の回り、教室の様子など、きちんとした状態をしっかりと記憶させ、その状態に保つことを教えてください。どんな場所でも清掃や整頓は不可欠で、気づいたらすぐに元通りにすることを学ばせたいものです。

美意識を育てるには、美しい状態である本物を見せることです。きちんとした状態をわからせることです。本物を見せることで、美意識が育ちます。「ちゃんとせんか」という注意は、ちゃんとするモデルが頭の中にあってこそ、ちゃんとできます。生徒指導の先生が言うと、「ちゃんとがわかりません」と言う中学生がいます。人は言葉でしか考えることはできません。「ちゃんと」のイメ-ジがない生徒は、いくら考えても考えられないのです。この生徒には、本人を責める前に具体的に話しましょう。

ある集団の中で頻繁に使われる言葉は、共通のイメ-ジを形成し、同じ目標に向けて行動できます。集団の質をあげるには、その言葉をふやす努力が必要です。育英館では多くても500語はないでしょう。育英館で使われる言葉でもっとも明確にイメ-ジをもてるのは、「三本柱」です。この言葉は育英館の美意識であり、大切な言葉です。視覚に訴えた上に、必ず、共通コ-ドとして認識される言葉に変換しておきましょう。生徒たちもこの言葉は意識して使っています。三本柱を守ろうと同じように、共通のコ-ドをもつ言葉を大切に使いましょう。そして、五感に頼るだけでなく、「考える」という点で、言葉について考えてみましょう。その学校の生徒のもつ言語感覚と言われるものが、学校の環境や雰囲気にも大きく影響していると思います。

きばっど育英館    この時期になると「感謝」          H29.12.15

この時期になると、「感謝」について考えることが多い。自分が生きているのも、働けるのもいろいろな人の協力や支えがあるからだ。わかっているのだが、なかなか立ち止まって感謝するという場面がない。そんなばちあたりな自分も感謝に思い当たる月が12月である。人がこう感謝を考えるのも世界共通らしい。みんなといっしょなんだと慰めも含めて、クリスマスの話を例に、感謝の話を書き出そう。

「赤鼻のトナカイ」さんの歌だって、サンタさんがピカピカ光る鼻のおかげで無事故で配達ができるという感謝の思いが主題である。コンプレックスが長所だったという話は、寒い冬を温かくする話で何度聞いても楽しい。冷酷無比な金貸し、クルゾ-爺さんは自分がどれだけ感謝していない人生であるかを知り、生き直そうとする「クリスマスキャロル」の話は毎年、世界中で上映される。この話には、三人の幽霊が登場する。過去、現在、未来の幽霊である。この話に「もう一つの僕」の幽霊を入れてみると、さらに感謝の度合いは深まる。今の自分になれない不満の幽霊だ。人生の選択の場面で悪い方を選んだ場合である。ではなぜ今の自分は別の道を選べたのかを考えると、逢うべき人との出会いに思い当たる。今があるのはその出会いを活かせたからだ。多くの人との出会い、その支えの上に自分があると感謝することは間違いない。「クリスマスキャロル」の話はさらに深まるに違いない。

「賢者の贈り物」の話も実にすてきだ。お互いがクリスマスのプレゼントのために自分の一番大切なものを売りに出して、相手にプレゼントを送る。夫には金時計の鎖を、妻には髪飾りをそれぞれがプレゼントとした。しかし、妻は豊かな髪を売り、夫は金時計を手放していた。せっかくのプレゼントは役に立たないものとなった。しかし、互いを思うその気持ちは十分に相手に通じた。「あれから40年」の話にすれば元も子もないが、愛情は形やものではないと納得できる。この時期にぴったりの心が温まる話だ。この物語は時を経ても少しも色あせない。感情極暖の世界だ。

よく眠れない人は暖めるとよいという話は、体だけでなく心も温めないといけないようだ。「暖かい」と「温かい」の使い分けがあるように、この時期は心もしっかり温めて元気を取り戻したい。眠れない冬の夜はほっとする暖かい話が大切なようだ。

感謝の話が広がりすぎたところで、今年お世話になった人のベスト10なんて考えると、なかなかよいのかもしれない。出会いや別れ、いろいろな場面でのお世話になった人をこたつの中で思い出してみたい。親や先輩の恩はなかなか返せない。しかし、その思いは後輩や子供にリレ-することはできる。恩返しのリレ-はできそうだ。恩のつく漢字は、恩を知り、気づく「知恩」、それに応えたい、報いたいの「報恩」などがある。このリレ-は、さしずめ「贈恩」「伝恩」なんて言葉になるのだろうか。来年はだれかのベスト10に入るような送る側の一人にもなりたいものだ。

一つ提案だが、今年のクリスマスの夜は、心温まる話をぜひ語り合いたい。そして、最後に同席のみんなに向かって、「今年一年、本当にありがとう」と言うのはどうだろうか。飲んだり食ったりで体は暖めて、よい話をして感謝の気持ちで心を温めよう。

きばっど育英館      英語の修行のつもりですが…      H29.12.6

英語の修行という名のもとに映画を見に行く趣味がある。今年も気づいてみれば、海賊に、くも男に、ミイラ、魔法使い、雷神にといろいろ見てしまった。意味は今一つでも英語の発音の心地よさに、そして、あの独特のジョ-クにひきこまれてしまう。

今回の海賊の話の主題を聞かれると、父と息子、そして、父と娘の愛情の話だった。幽霊船フライング・ダッチマン号に閉じ込められた父親ウィル・ターナーを呪いから解放するため奔走する、勇気ある情熱家でハンサムな息子ヘンリ-、天文学者カリ-ナ、聡明で強い意志を持つ、若くて美しい彼女、その二人の間をうまくつなぐ?ジャック、この三人のいずれも主人公のような三つ巴の実におもしろい映画なのである。ところで、長く海賊をやっているジャックは同い年では?と思うのですが‥

前半、ヘンリ-は物語のカギとなる人物、ジャックを探す。その途中で天文学者カリ-ナに会う。どんな困難に遭遇しても不屈の精神を失わない彼女は実に魅力的だ。その彼女の宝は、幼い頃に生き別れた父親が残したガリレオ・ガリレイの日記である。そこには伝説の秘宝<ポセイドンの槍>につながる秘密が潜んでいる。天文学の知識を駆使してその謎を解こうとする彼女が、ジャック・スパロウとヘンリーを<ポセイドンの槍>へと導く者となるものの、自らも危険な冒険に巻き込まれていく。

会いたい人、求める物が入り乱れる。父に会いたい娘、敵に会いたい死神、ジャックが船長となる過去も次第に明らかになる。父を呪いから救い出すため、海の伝説を調べ尽くしたヘンリ-は、呪いを解く力が<ポセイドンの槍>にあることを突き止める。そして、伝説の海賊ジャック・スパロウと<槍>の謎を解く鍵を握る天文学者カリーナと<ポセイドンの槍>を探す航海に乗り出していく。自由を愛し、海を愛し、酒と女を愛する孤高の海賊。人をだます奇抜な方法を使っても、むやみに人は殺さない。人を乗せて上手に動かす、危機にあっても飄々としているが天性の策略家。そんなジャックだが、今や、彼は運に見放され、コンパスも手放し、愛する世界最速のブラックパール号はボトルに閉じ込められたままでいる。

自分のほしい物を指し示すあのコンパスも他人の手に渡る。そんな時、最恐の敵“海の死神”サラザールが解き放たれる。すべての海賊を皆殺しにしようとするサラザールの復讐を阻止できるのは<最後の海賊>だけが見つけ出せるという伝説の<ポセイドンの槍>である。なにせ、海の死神の誕生には、若き日のジャックが関わっているからさあ大変だ。このあたりは実際、映画を見てのお楽しみです。

北斗七星や北極星など、星と航海の関係や神秘をベ-スにしながらの<槍>までの謎解き、今回もまちがいなく、大切な者を示してくれるコンパスなど、細かいところまでお約束どおりで大満足。また、今回が前作、前前作、シリーズ全体のまとめになっているのも安心。ジャックは、どんなにおちぶれても「自分は船長だ、リ-ダ-だ」と語る。この映画の主人公はやっぱり彼以外は考えられない。若い世代にも魅力を感じるが、よい、悪いはおいて、海賊らしい生き方にこだわる「最後の海賊」もやはり彼以外には考えられない。悪い奴。そして、憎めない奴にぜひ会ってください。DVDレンタル開始です。

頼まれごとは試されごと          H29.11.8

きばっど育英館    頼まれごとは試されごと          H29.11.8

中村文昭さんの講演は、生徒たちに大きな感動を与えた。高校生の感想を読ませてもらったが、心のスイッチが入ったり、人間力にあこがれたりと生徒たちの素直な気持ちが伝わってきた。中には、人からものを頼まれたとき、できない理由を並べたり、不満な態度で取り組んだりしているのは、自分ではないかと自問した生徒もいた。

教師になろうと決めた時、母から反対された。理由は「教師は他人のために生きる仕事であり、その見返りを求めてはならない。そして、生徒自身の人生に関わりたいと思うほど、限界を知ることになる」であった。今、考えると、その覚悟や責任があるかという意味だったと思う。大学を出てすぐ教師になれたから比較するものもない。ただ、「先」に「生」まれた人に終わりたくないとは思っていた。

だから、生徒から見られている意識を常にもち、担当した場で困難や課題が出てきたら、見せるチャンスだと思って取り組んだ。転んだり、ケガをしたりもあったが、けっして逃げないでがんばれた。くじけそうなときに陰から「先生」と励まして呼んでくれた多くの人の支えには今も感謝している。

そのときその瞬間を精一杯生きていくのだが、失敗をしないようにと生きる人生はつまらない。いつまでも後悔の雪だるまを大きくしながら生きることになるだろう。今の世の中、リスクだらけ、回避しようなんて到底無理だ。そうであればいっそのこと、リスクとつきあうことだ。逃げないで立ち向かうほうが先生らしい。楽しいはずに決まっている。先生は見られている。そんな生徒の手前、無理する場面も必要だ。

ちょっと違うが、病気とも上手につきあって生きることだ。人間ドックの判定もいつのまにか、Aはなくなり、BBCやCCBとなる。しかし、まだLEDにはならないと明るく(?)開き直る。病気とのつきあいかたも上手になる。若いころは病気を直さないと気がすまなかった人も、だいたいの状態が保てればよいと変わる。心の持ち方がその人の健康観を変える。健康なのにあちらこちらが悪いと考える人よりはずっと幸せだと思う。ただし、程度問題で、手遅れになるまでほっておくではない。

「心のスイッチの話がおもしろかった」と書いた生徒も多かった。心のスイッチとは、どんな時に入るのだろうか。中村さんは師匠と出会った時だった。自覚できて変わることができれば幸せだが、「あれだったのにダメ」では残念な話で終わる。中村さんはよい出会いを活かし、成功した。しかし、特別に心配なクラスの中村青年に「学校に来い」と言ってやりたかった。本人が来るならいつでも来いと待ってやれる。それが先生だ。いつも「おまえたちの担任の先生だ」と声に出してほしい。中村さんも、もうひとつ前の出会いで活かされたはずだ。

人との出会いは確かにその人を成長させている。また、人との別れも人を豊かにする。人生のおもしろさはそれを活かす人もいれば、できない人もあるということだ。どちらがよいか悪いかよりも幸せかどうかだ。建学の精神の「実利を図り」はなかなか説明しにくい。自分と他人との関係を考えると、自分が出会う人との関係をしっかりと発展させること、それこそが「実利を図る」となるような気がしてならない。