きばっど         キセキの人         R3.11.29

きばっど         キセキの人         R3.11.29

「教育かごしま」を分解して、先輩方の書かれた文章を切り抜いて読んでいる。学校経営で悩まれた、研究授業がうまい、厳しい指導で有名、大変な時に励ましてもらったなど、人生の節目で出会った多くの先輩方を思い出す。当時の文章を改めて読み返しているが、校長在職中やその前後で書かれたものが多い。割り当てられた文字数で、いろいろな思いをもって綴られたであろう文章には感動する。題名はもちろん、内容まで、珠玉の名作揃いだ。「現職が読めばいろいろと役立つだろうに…」と思いながら、この楽しみを独り占めしている。

膨大な量なので、独断と偏見で勝手に分類している。「鹿児島の教育史」という論文を書く人が出てきたら、これは昭和、平成、令和の鹿児島の教師たちが何を考え、どう取り組んだかを知る貴重な資料になるに違いない。ぜひ、そういう研究者を期待したいものだ。文章を読みながら、今はもう会えない人に出くわす。書きぶりや言葉遣いに当時を思い出す。ここにある言葉はその時代を生きた証でもある。これらの文章こそ文化遺産になりうるし、そうすべきだ。ネット上になんでもある現在だからこそ、何もなかった時代のよさも知ってほしい。学校や地域への呼びかけ、職員との語りや児童生徒とのやりとりなどが生き生きと書かれている。この話を詳しく聞きたいと思っても、もう会えない先輩諸氏だけに寂しさで胸がつまる。読むことで感謝の気持ちを添えたい。

校長室に歴代の校長の写真が飾られている。2~3代前ならわかるが、その前はどんな人かはわからない。学校沿革を読んでもなかなかピンと来ない。写真に毎朝挨拶をする、恥じない学校経営を誓うとか、現職の朝のル-テンを聞くと、それはそれでよいと思う。しかし、どういう時代で、学校には何があったのか、その時の課題をどう解決したのかを調べてみたい。写真の人を知る試みである。そのためには学校に校長の書かれた文章こそ残しておくべきだ。

やがて、経営を補助するAIも出てくるだろうし、「今日はあの写真の校長が助言をされます」という話も夢でない。膨大なデ-タに基づいて写真の人が語られるヒントになる話も鵜呑みにしないで、自分なりに咀嚼して活用したい。

学校経営の問題には、答えは無数にあるが、完全な正解はない。確実な方法で解決するも、根治をめざして取り組む時も覚悟も必要だ。しかし、「今」を考えられる自分のバランス感覚だけは大事にしたい。決断の影響が大きいのであれば、偏るのは実によくない。ましてやメンツに流されてはいけない。校長室で一人考える時、先達の名言とシンクロしてくれば、よい判断が近そうだ。AI校長も役立つだろうが、忘れられない言葉を新たな意味づけで見直したい。言葉のリサイクルやリユ-スとして、感謝の意味も含めて「キセキの人の言葉には今でも世話になっている。」と表現したい。まだまだ現役の方もいらっしゃるので、キセキの人としておこう。

きばっど        時代の渦            R3.11.22

きばっど        時代の渦            R3.11.22

ここ1月くらい、分配と成長、競争と成長というキ-ワ-ドをよく耳にする。自由競争で成長していくのが資本主義である。分配という概念は資本主義にはややなじまないと思う。確かに分配するものが存在するのであればよいが、コロナで散々な目にあってきた日本に果たして分配するものがいくら残っているのだろうか。コロナ時代が始まり、配布されたマスク、ワクチン、すべて借金である。未来の日本人が払うツケである。その上、何を分配しようというのだろうか。これから経済活動が復活してその利益を分配するつもりなのだろう。しかし、これは世界の動きとの関連が大きい。今のところ、アメリカの金利の動きはよく見えない。数字もだが、タイミングも大事で、これ次第では日本があてにしている稼ぎなど泡のごとく消えてなくなるだろう。それほど厳しい。

 グローバル化の進展は世界の人々と商売で渡り合うことになる。当然、競争であり、結果、日本の国益を優先することになる。イノベ-ションも同じことになるだろう。競争という圧力を高めるだけだ。ただし、人類を救うという地球規模の目標を掲げるのであれば、話は違ってくる。クル-ドラゴンの船長に日本人がなる話も心強い材料だ。世界の国は日本の調整能力に期待している。「日本人ならずるはしない」と思われるのはよいことだ。そういう意味のグロ-バル、イノベ-ションなら、日本も世界も救われるだろう。世界の国の中にはどうもズルをすると思われてもしかたない国も存在している。世界の国々とのつきあいもこれはこれでなかなか難しいといえる。甘い考えは許されない。

親ガチャは、ガチャガチャの機械から出てくる中身の見えないカプセルから生まれた言葉だ。親の能力や経済力で自分の将来は見えている。だから、勉強を熱心にやらず、そこそこでよい。「大した中身でない」をたとえた親ガチャだが、立場を変えると、子ガチャでもある。親がいくら優秀でも子供にすべてが遺伝することはない。逆に「親はこの程度」と子供が親を評価するほど失礼なことはない。黙ってはいるが、すばらしい能力をもつ親も多い。いろいろな条件があり、たまたま現在の状況に甘んじている。これから変わっていくことも十分ありうる。親自身も変化の途中であることをよく理解すべきだ。

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さて、2つの言葉を取り上げてみた。本当に変化の激しいご時世である。外圧というべきコロナは、黒船のような効果をもたらしているのではないだろうか。疑わなかった、当たり前だと信じた世界が壊れていく。どこを見ても信じるものが見つからない。時間は容赦なく先へ先へと進んでいる。自分はこの波に乗れるのだろうか、そう思うと、不安である。立ち止まるいとまもなく、渦にのみこまれていく。右回りのつもりが、気が付くとかなり左へ回っているようだ。はやり言葉を噛みしめたら、時代の渦に巻き込まれている自分に気づく。コロナ収束、そろそろ渦も逆に回り始めそうだ。

きばっど            鉄板技         R3.11.18

きばっど            鉄板技         R3.11.18

学力をあげる技はなかなかだが、学級づくりの技はけっこうある。人間関係がよいと成績は自然とあがる。学級づくりは成績アップの基礎・基本と考えてもよい。人間関係がぎくしゃくすると、てきめん成績も悪くなる。ある教科だけ平均点が低いのは、先生によって態度が違う学級に多い。雰囲気が悪いと成績が伸びるはずがない。いじめなんかが起こると、とたんに学級の雰囲気はおかしくなる。逆に、学校行事等で学級がまとまると、笑顔が増えて活気のあるクラスになる。学級づくりと学力向上は間違いなく、相乗効果がある。まとまりを作るには、協力して一つのことをやることだ。口で100回言うより、助け合ってミッションクリアがチ-ムをつくるのに最高によい方法だ。

たとえば、「木偏のつく漢字をたくさん書いたグル-プの勝ち」というゲ-ムをやる。まずは、人数を決めて、順番を決める。書き詰まるところで交代する。先頭の者が書き出す。だいたい1分ほどしたら交代する。次々に書き出すが、10分程度で終了の目安にする。砂時計やストップウォッチなど視覚化するとおもしろい。生徒たちが必死になるように仕組むとよい。学級レクの定番にして、お題(英語の単語とか)を変えて月一くらいでやると効果がある。最初のうちは、担任がリードして、慣れてきたら生徒たちでやらせてみるとよい。

 グル-プ同士が活性化すれば、学級もおのずと活性化する。指導ポイントは相互理解と自己肯定感である。自分の居場所がグル-プや学級にあると感じることが自己肯定感を高める。漢字が何個か書けただけでその時間はヒロ-になる。実に簡単な自己肯定感だが、これはなかなかの財産となる。他のグル-プより一個でも多く書くためには、なりふりかまわず知恵を出さなくてはならない。そのためにはお互いの立場を尊重して、漢字を思い出して書く。ミッションクリアへどんな形でも協力すること、そして、成功体験を共有することだ。助け合い、自立する学級づくりの鉄板技を紹介する本がある。全部身につけなくてもよいが、自分が得意そうなものを2から3個はもっておきたい。後から楽をするためにもクラスづくりに時間を惜しんではならない。最初が肝心。

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 前の担任のカラ-が濃くて、なかなか新担任になじまないクラスがある。そんな時は、自分のカラ-を鮮明に出すべきである。生徒は自分をよく見てくれている担任が好きになる。そのためには、「君は特別」と思わせることだ。面談等では個人的なものを必ず準備する。自分の子供をよく見てくれている担任と分かれば、親の信頼も高まる。そこから個々の進路の話ができるし、生徒指導の課題があれば解決への問題提起もできる。「協力して解決する」の姿勢が大切だ。鉄板技はいろいろとあっても、気持ちとして「自分が一番この生徒をよく見ている」「一番この生徒を信じている」の意気込みがあるのとないのでは効き目はずいぶんと違う。

きばっど       新しい旅の形 一つの提案      R3.11.12

きばっど       新しい旅の形 一つの提案      R3.11.12

 コロナのおかげで、空想して旅に出る機会が増えた。これを空想徘徊の旅とよんでいる。「村上水軍の娘」を読み、大三島から播磨灘、淡路島、そして、大坂という古い時代の大阪の海岸まで旅することにした。地図を片手に小説を読むスタイルでこの旅はスタ-トする。もちろん、ネット検索で立ち止まりながら妄想を拡げては、新しい知識と出会う。旅の気分に浸れるので実に楽しい。

コロナ前はロケハンオタクを自称し、そこで多くの映画の舞台になった「尾道」という場所にあこがれた。5年ほど前に新幹線で福山まで行き、在来線に乗り換えて実際に降り立った。ここは「時をかける少女」「さびしんぼう」の舞台である。その近くにはポニョの舞台と言われる鞆の浦など、映画好きなら一度はその地に立ってみたくなる地域である。また、尾道は文人たちの愛した町でもある。鹿児島とも縁のある林芙美子の文学碑も有名である。駅から商店街、海と平行にしばらく歩いて坂を上ると、お寺があちこちに見える。二人しか乗れないかわいいロープーウェイで山頂へ、書き出し「海が見える」の芙美子の碑は視界が開ける岩場に突き出すように建てられている。そこに立つとちょうど足元に尾道の町が広がる。左遠くを望むと、瀬戸内の島々までも見渡せる。「花の命は短くて」の碑にも、ここの碑も一人でも生きる女性の潔さを感じさせる。人生は自分が思うより悪くないのだろうか。どうにでもして生きる、生られる人生にふれるようで大好きだ。空想徘徊で実際に旅行した5年前の続きが始まり、どこまでが本当でどこからが空想かわからなくなってくるから楽しい。

人生100年時代、学校で習ったものは、60を過ぎるとそろそろ学び直しが必要となる。この知識修正には、「加えて獲得する」でいきたい。一度訪れた土地をさらに知ろうと調べることだ。経験に基づく自分の思いとの実体験との違いに感動することだ。情報量が半端でない現代は限りなく体験に近いものを手にできる。もちろん、風や匂いは無理でも、視覚的にはかなり近いものがある。 以前、「日本三大がっかり観光地」が流行したが、空想徘徊の旅では、がっかりするような場所はない。札幌の時計台は、時計台の歴史やその中に展示してあるもの、そして、外観と、どれをとっても感動の連続である。時を知らせる役目だけでなく、札幌の町にあり、それぞれの時代でいろいろな役目を果たしてきた。生徒の学びの場、住民サービスの拠点、図書館など、また、時計部分の仕組みは、おもりが下りていく力で時を刻むように作られている。つまり、時を知らせるためには、どの時代でもだれかがあらかじめおもりを巻き戻す必要があった。人の手で「時」が生み出されていた。これを知るだけでも感動だ。この時計は世界中に親戚がある。残念ながら、バックトウザフューチャーの時計台は親戚ではないが、重要な役目を果たしている点は同じだ。石原裕次郎が見上げる夕暮れの時計台、恋の町札幌の曲が流れてくる。空想全開。

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きばっど       ことばの採集箱          R3.11.5

きばっど       ことばの採集箱          R3.11.5

 世の中にはキラリとしたすてきな言葉が無数に存在する。いつのころから、それをメモして書き留めておくようになった。これを勝手に「ことば採集」とよんでいる。採集箱にある言葉をいくつか並べてみよう。「あせらず あわてず あきらめず 三反園知事」「言志四録 文 武 農 西郷南州」「君が吹くフル-トに僕は導かれ 夏休み応援の笛よく響き お茶の俳句」「己を尽くして人を育てる 南州翁」「強くなれる理由を知った 鬼滅の刃」 あれこれと、本当にいろいろな言葉を書き留めてしまう。町を歩いても、テレビを見ても、心に残る言葉に出会う。そんな言葉に出会うと、見知らぬ美しい蝶々に出会ったときのようにどきどきする。どうしても自分の手元においておきたくなる。

 「折々のことば」という朝日新聞一面にすてきな一文を取り上げて解説する欄がある。ここに並ぶ言葉は実に魅力的だ。作家や政治家、スポ-ツマンの言葉、物語の主人公のセリフまで読み返す度に新しいイメ-ジをわきあがる。「母は舟の一族なのかもしれない」「100冊の読書より一度の恋愛」などは忘れられない一文である。言葉に引かれてなにげなく読み始めると、自然と自分の人生に絡んでくるからおもしろい。言葉の吸引力とでも言いたい。

武田鉄矢さんがある番組で語っていた。「街角で出会った好きな言葉を使うチャンスを自分は探している。」なるほどと聞きながら、その言葉は「送る言葉」にある「くれなずむ」であると知る。実にすてきな言葉である。言葉を探す話はシンガ-ソングライタ-小椋圭さんにもある。「シクラメンのかおり」を思い浮かべると北原白秋の世界から見つけた言葉が多い。九州の柳川出身の白秋は、水郷の町の夕暮れに合う言葉を選んだように使っている。

心の栄養になる歌詞は無数にある。「涙の数だけ強くなれるよ」や「負けないで ほらそこにゴ-ルは近づいてる」などを聴くと不思議と元気が出てくる。フレ-ズに魔力があるのではないかと思える。新古今の和歌ではないが、本歌取りの技法というか、使う言葉に一つの世界がある。その世界の存在を踏まえて使うだから、心に響くはずだ。人は苦しみを何度か乗り越えて強くなる。という前半を「涙」にまとめて、「数」では多さを暗示する。すると、強くなるにがんばりがすっと結びつく。「ゴ-ルまでがんばるように応援する」でなく、「負けないで」とまず励まし、負けなければ、「ゴ-ル近づく」とさらに念を押す。がんばろうという気持ちになる。ただし、「自分自身に負けていけない」と念を押したい。 美空ひばりの「みだれ髪」にある「春は二重にまいた帯、三重にまいてもあまる秋」のフレ-ズにはぐっとくる。大伴家持の恋の歌に「あなたを思ってやせてしまいました」とこの表現は使かわれている。作詞家は知った上で、千年の時をこえた本歌どりである。お見事

きばっど  「まだ」と「もう」の9月  R3.8.30

 一年と考えると、9月は月日の経つのが早いと感じる月である。しかし、年度と視点で考えると、丁度1年の中間の月だという気になるからおもしろい。この感覚はいつのころからのものなのだろうか。ちよっとふりかえってみることにした。「夏休みをどう考えるか、感じていたか」に原因があるようだ。

 昭和の夏休みはラジオ体操、夏休みの友、自由研究の三点セットでできていた。朝風の涼しい中、近所の公園で携帯ラジオの音量を最大にして、体操が行われた。小学低学年が前、高学年が後ろ、中学生のお兄さんがスタンプ係だった。体操が終わると、我先にスタンプを押してもらい、首からかけたカ-ドの赤いしるしが増えていくのを自慢した。10時までは家で勉強、夏休みの友をやるが決まりだった。この中身は読み物や工作のてびき、国語や算数のドリルなどいろいろとあった。原爆や戦争の話には読む度にジ-ンときて、涙がにじんだのも懐かしい。作文の宿題もあり、生活文、読書感想文などの書き方も掲載されていた。まさに、夏休みの羅針盤だった。なかでも手強いのが自由研究だった。生き物を飼ったり、植物を育てたり、昆虫、貝、植物と採集もやる、実に忙しい。このミニ科学者の修行には親も子も鍛えられた。ついでに、天気も毎日つける、気温も記入する、グラフも書く。こうやって、科学者修行の夏休みは瞬く間に過ぎていった。

 出校日は2回あり、8月1日と8月21日だった。1日は校長先生が広島や長崎の原爆の話をした。悲しい気持ちになり、戦争をしてはいけないと考えた。21日はとても悲しい日だった。あと10日で夏休みが終わるという現実をつきつけられた。夏休みの終わりは幸せの終わりのような気持ちでいっぱいになり、なんとなく悲しい一日だった。「あと10日で終わるが、宿題は大丈夫か?」先生の言葉が死刑執行のように聞こえた。9月が始まると、大人は「今年もあと3ケ月、はやかね」とよく言った。子供心には夏休みが今終わったのに、来年の夏休みが近いとでもいうのか。本当に来年がくるのかと腹立たしかった。

 中学生になると、一年と年度の感覚がわかるようになった。同じ9月でもとらえ方はずいぶんと違ってきた。その年の足りない分を取り戻す大事な3ケ月のスタ-トになった。次の学年に進級するには6ケ月もあるからがんばれるぞという気持ちになった。9月を「もう」と思ったことは一度もない。夏休みをなくした分を取り戻す意気込みで9月のスタ-トをきるようになり、楽しみになった。そうやって学生時代を終わり、教師になった。この感覚は未だに続いている。学校という現場から離れなかったせいなのだろうか。夏から冬までの2学期こそが充実の学期である。1学期や夏休みの反省を生かせる3ケ月だ。まだまだ間に合う、1年と年度という二つのものさしの中にあるいくつかの「月」はそれを生きる人次第であると今でも思う。

きばっど  夏にご用心  R3.8.23

 「夏は心のカギを甘くするわ!ご用心」という歌があった。コロナ時代の今になんとなく通用しそうな歌詞だ。オリンピックになれば少し収まると願っていたが、感染者数は増加の一途、大会関係者も感染するなど、大変な状況だ。なぜかワクチン接種もままならない。そこに変異株だけは次々と発生してくる。新薬や新たな治療方法が出てきて、亡くなる方の数が少しずつ減っていることだけが救いだ。新型コロナの感染防止は、これまでどおりしっかりとしたい。

 さて、「心のカギを甘くする」のは自分自身である。夏だろうが、国をあげてのお祭りだろうが、コロナには関係ない。気を抜いたら「うつる」と考えてほしい。電化製品の売り場を見ると、換気に関わるサーキュレ-タが例年になく幅を利かせている。工事現場の換気対策用として、10年くらい前から出てきた商品である。この時代背景で、コンパクト、スマート化して家電になってきた。3密の1つでも揃うと罹患すると考えれば必要品である。マスクの正しい着用も、エアゾル拡散もテレビで学んで知っているからなおさらだ。今こそ、新しい生活様式のレベルアップを図り、新たなコロナ対策を進めていきたい。

 2学期は体育祭、部活動遠征、研修旅行と、コロナ対策を万全にしながら行事を体験させていきたい。この時代を生き抜くためにも、生徒たちに考えさせたい。熱中症を予防する観点でグランドに出たら、マスクをとる。無観客であれば、これはありかもしれない。また、遠征前後で検温するが当たり前になっている。それにプラスして、手洗い確認とか、スプレ-持参など、もう一段階アップする必要を感じる。研修旅行では、目的地の感染状況の推移に応じて、柔軟に計画変更を考えることも踏襲したい。本来の目的を達成するために、日程変更、計画縮小を含めて工夫したいものだ。適切な情報収集により、安全安心をしっかりと担保できる旅行としたい。

 感染症と戦った人類は、その時代の知恵で乗り切ってきた。しかし、各自の協力なしでは犠牲者は増える一方だったはずだ。どの時代でも広めないためにできることを優先した。「体調が悪い時には休む」を徹底して、コロナに感染しない2学期にしたい。変異株に置き換わっていくので、心配はつきないが、新薬も開発されるはずだ。2022年明けの明るいニュースを期待したい。あわせて、今まで手にしたものを活用して次へ進みたい。キ-ワ-ドは「心の距離は広げない」である。今まで以上にメディアを活用し、こまめな連絡を行いたい。「行かずともつきあうことはできる」が常識となりつつある今、リモート旅行もありだ。もちろんホームスティもできるだろう。ネット上に家を設定し、ホストファミリ-に入ってもらう。そこに出かける形での語学研修である。直接はいけないが、コロナ終息の時に留学するでよい。心のかぎを甘くして、自由に交流できるオンラインを活用しよう。

きばっど  「龍とそばかす姫」を見てごらん  R3.8.13

 アニメで社会問題を描く細田守監督の映画は実におもしろい。今回も期待を裏切らない素晴らしい作品だった。監督の好きな「美女と野獣」がモチーフになっているという前評判を聞いたので、なおさら興味・関心が募った。

 田舎に住む、ごく普通の女子高校生「すず」の日常から物語は始まる。四国の清流沿いの田舎町が舞台である。アニメの中に実に見事に日常が描かれていく。駅前のコンビの細かく書き込まれ、リアルな存在感を出している。豊かな自然、木々の色合いから家々の軒先の花まで、半端ない緻密さで描かれる。この「すず」が、名前から美女と野獣の「ベル」であると想像できる。普通の子をどうして主人公にできるのかと不思議に思いながら見ていた。種明かしは、監督が「サマ-ウォ-ズ」でも取り上げたネット社会での存在として描くのである。彼の作品には、リアリテイをもつ世界が存在する。「U」と名付けられたその世界には、そこで認められた自分が存在する。別の世界に生まれ変わると言ってもよい。「U」に生まれるためには、自分の趣味や容姿、アンケ-トの項目に答えなければならない。答えをもとに理想どおりのアバタ-を作成してくれる。しかし、心を写す項目がどう反映するのかは今一つわからなかった。

 ディズニ-の名作「美女と野獣」は、よく知られている。ところで、「彼は野獣になぜなってしまったか」は作品の中でもよく描かれていた。しかし、野獣を理解し、隠された優しい心を引き出す「ベル」の方はどうだったのだろうか。人付き合いのへたな父親、そして、病気でなくなった母親というエピソ-ドぐらいで、彼女の人柄はわからない。彼女が野獣を理解し、愛し、助けようとする動機はなぜか、根拠が乏しい。自分を犠牲にしても野獣の心を救おうとするベルになぜなれたのだろうか。細田監督はこのそばかす姫でベルの描かれなかった強さを描こうとした。黄色のドレスを着て正装の野獣と踊る場面が美しすぎてベルの内面の強さを忘れがちだが、ベルが野獣を救おうと群衆を制する場面を思い出してほしい。ベルには美しさと凜とした強さがある。

 映画の前半にはすずの母親が自分を犠牲にして、他人の子供を救う場面がある。最愛の母を目の前で失うすず、この展開はシヨックだ。自分の娘と他人の子をてんびんにかけたら、結果は明らかだ。それを考えないわけではないが、彼女は考えても行動せざるを得ない人だった。これは明らかな伏線で、最後に児童虐待を受けている「竜」の立場を知ったすずも「どうしても助けなければならにない」と何もかも投げ捨てて助けにいく。もちろん、だれがとめてもすずは聞かない。なぜ母親が命と引き換えに子供を助けに行こうとしたかをはっきりとわかったからである。ベルがくじらの背に乗って歌う幻想的な「U」、すずの人間的な成長を象徴する入道雲が描かれるラストシ-ン。2つの世界が矛盾なくつながる物語の終わりは実にすがすがしい。

きばっど  一灯を頼め  R3.8.9

 ある校長から「研究の方向を職員に提案したら反対された」と聞いた。校長がテ-マを押しつけたのかなと短絡的に考えた。しかし、この校長の人柄からそんなことはないはずだ。もう少し詳しく聞いてみた。「どんな研究も成果が出ないとだめ。子供が本当に必要としていることを追究し、それをテ-マにがんばってみようか」と語り、先生たちから提案してほしいと話したようだ。「現実から出発すればよいし、生徒の力もつけられる」楽しい研究になりそうとわくわくしそうだ。ところが、「上から言われたとおりにやれば文句を言われることがないし、やりやすい」との返事があったようだ。聞けば聞くだけ驚いた。 

 だれもが暗い夜道は走りたくない。街灯で照らされた道なら行く先もわかるし、楽である。人が作ったコ-スを、環境も整った道を考えもせず走る。本当にこれでよいのか。「一灯を頼め」は見えない所が見えてくるからよいのである。いつもは見逃すものがくっきりと見える。一灯を頼んでほしい。おきまりの走りでは見えない大切なものを見てほしい。研究のあり方について、校長が提示された姿勢に賛成である。教師は5者であれという中に「学者」という項目がある。自分の教える教科については、少なくとも学者を目指したい。もちろん、時間をかけて研究する時間的な制限はあるだろうが、その教科の内容を年齢に応じてどう教えるかは日々の研究課題である。内容は簡単でも教え方は難しい。そして、自分自身で学べるように生徒を育てるのであれば、さらにハ-ドルは高い。毎日、それを考えて生活しているのが先生である。教え方のプロは学びのプロでなければならない。自分の教科ならと教える側の自負が必要である。

 国語の先生なら知っているはず‥と言われても、守備範囲は広いので知らないこともたまにある。ただし、国語に興味・関心を持ち続けることは負けていない。生徒に教える時は、そこのところを大事にしたい。漢字や語句の成り立語句、文法知識はどう役立つか、言葉の意味は今までどう変わってきたのか、変わっていくのかなど、古典から現代、そして未来までも「国語」を語りたい。教科の歴史を語る先生であってほしい。中学校の先生の一番の役割はその教科を好きにすることだ。興味をもたせること、入り口に立たせることだ。自分が好きであることも大切だが、そうしむける技も必要だ。あれもこれもより、自分の一灯を頼むのがよさそうだ。しかし、自分の一灯が不安なときはまわりをよく見てみると、それぞれを照らす多くの明かりがあることにも気づく。 一灯を頼むと覚悟を決めれば、自然と見えてくることもある。浮かぶ瀬や仏にも出会うこともある、歩きだそう。そうすれば自然と道は開けてくるし、どうにかできるものだ。暗い夜道でしか見つけられないものもある。これでいいのかと迷うだけでなく、たまには、自分の一灯の中にだけ浮かび上がる美しい星や森の木々を楽しむのも悪くない。

きばっど  夏の光  R3.8.2

 夏休みの前半より、後半が思い出として「濃い」はなせだろうか。「少年時代」の歌詞も、「となりの待ちのお嬢さん」にしても、「夏色」でも同じだ。この夏休みだが、7月になると待ち遠しくてたまらない。あのそわそわ感はのどが渇いた感じにも似ている。その感覚は夏休みの直前、通知表をもらうころに最高となる。いざ、始まってみると友達には会えないし、宿題が終わるまで外には出ることができないと不自由でいっぱい。近場の公園であるラジオ体操や月末の町内の廃品回収、神社の盆踊り大会など、40日間の中で、ひさしぶり会う友達がいつもと違ってきらきらと見えた。

 「夏休み制服でない君にときめく」もちろん、女子を意識するのもこの数日間である。あんなにかわいかったかなと日頃のつきあいを反省したりもした。残りは昆虫採集や絵画に、そして、自由研究とけっこう忙しかった。あんなにたっぷりあった時間が少なくなっていくのを実感する。夏休みまでの時間は始まりが遅く、過ぎるのは何倍も速いものだった。(昭和の夏休みだと思う)

 夏休みはいつでも期待感で始まり、喪失感で行ってしまう。9月の第1週になってもあたりは明るく、行き交う人の装いも華やかだから一層寂しい。まだ、夏はそこにいるのにもう終わりだなんて、取り上げられたような気持ちになる。しかし、夏の終わりの美しさはそこにある。キラキラを残しながら、立ち止まらないで去って行く。夏休みの宿題を提出すれば、そこで何もかもが終わり。宿題が終わらず、残ってやらされる友達もいた。今思えば、彼らは夏休みを手放したくなかったのかもしれない。放課後1週間の居残りは夏休みを終わるの、終わらないのと葛藤していたのかもしれない。

 8月を残したい。若いころはよくそう思った。「さらば夏の光」という映画のタイトルを思い出す。写真や手紙やさまざまなものはあの光を思い出させる。今ならもっとリアルに残せるはずだ。そんな考えをもって今年の夏を過ごしてみようか。今年しかない思い出をどう残すのかと考えると、おもしろいことになりそうだ。とにかく、ITのおかげで過去と未来もつながりやすくなった。残そうと努力すれば昔とは違う方法で残せそうだ。

 新しい形で夏休みを残そう。提案したらどんな夏休みが残るのだろうか。小学校1年の時、書いた絵日記が出てきて懐かしさでいっぱいになった。もちろん、昭和の話題が満載で、家族が並んだラジオ体操の絵には笑えた。今の小学生ならデータファイルに書いた絵をまとめて、自分専用のクラウドに残すのだろう。映像でも、文章でも今の夏休みに感じる思いを残すのがおもしろい。黄昏期を生きる時、若き日の夏休みはまぶしい光のように美しい。オリンピックもあった今年の夏、生徒たちの「夏の光」はどんなふうに残るのだろうか。

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