ある日の授業             H29.6.16

きばっど育英館       ある日の授業             H29.6.16

道徳の授業はむずかしい。教師に成り立ての頃は、道徳的でない自分が教えられるのかな?と思いながら、一歩間違うと国語まがいの授業をやってきた。年間35時間を「ああでもない、こうでもない」とつぶやき、行き詰まり、今日の価値は「友情づくり」?と決め、クラスマッチ練習をしたりもした。特別活動とコラボして、「将来の夢と希望」という徳目?で、職場体験学習の事前指導もした。研究校では、道徳と特別活動を合体した「特道の時間」を提案してみたりと、道徳の時間で悩まなかった日はなかった。

道徳について、「これだ」と納得したのは、教頭になり、死を取り扱う教育について研究校で取り組んだ時だった。さすがに、生きる、死ぬを考えると、「崇高な」の世界を垣間見ることになり、他教科では扱えない部分を感じた。道徳を極めるには教師生活38年は短すぎたが、素直な感想を言うと未だにすっきりしない。

ひさしぶりに道徳の授業の話になった。思春期の女子3名が、お互いに距離をうまく保てず悩んでいる学級での話だ。国語の詩「夕焼け」を準備したのに、意識的に脱線した。「皆さんは人生のどこにいますか。」と黒板に数直線を書いた。「私がここです」と60歳の印をつけて、線の半分に30、そしてそれを3等分して10と20と書いた。その間15と書き、丸をした。そして、「校長先生はこれから」と線をぐいぐい伸ばしていき、100を書いて、笑いを誘った。「こうしてみると、みんなはまだまだ先が長いね。」さて、「先生は14歳の時のことを昨日のように思い出す。ところで、みんなは60歳の自分を思い出せるかな?」と聞くと、「むりむり、なったことないし」と笑いながら答える。授業の導入は成功したようだ。

「そうだよね。できないよね。」といって、絵本「ようちえんいやや」を読む。なぜ、この絵本を読むのか、いぶかしそうだが、笑いながら聞いている。絵本の内容は、お母さんと離れたくないばかりに、幼稚園生活に「いやや」という園児の話である。大笑いしながら、「いやや」と言った幼稚園の自分を懐かしがっている。「なぜ、笑うの?」と質問すると、「自分もそうだったから、あのころを思い出しておかしい。」振り返って考えると、あんなことで…と思えるものが多いのが人生なのだ。

「そうだね、14歳だから幼稚園のことを笑って思い出せる。みんなも30歳になり、40歳になり、その時に今を思い出すんだ。あんなことで悩んでいたなあと14歳の今を…」この絵本を見ながら、過去は未来の自分が意味づけすることを感じ取っている。

ここでなぜ人は悩むのか、なぜ気持ちをコントロ-ルできないのかを話した。脳の中には動物と、神様と、2つを取り持つ「心」が存在している。わがままでいうことを聞かない心を神様の心がコントロ-ルしようとしている。あまり強くコントロ-ルするとなにもかもやる気もなくなる。そこで、2つを調整する心が生まれ、発達していく。これらがうまく働くと人は安定する。心の仕組みを理解すれば、怒りや不満が生まれることも分かるし、それをどう解決するかもわかる。結局、答えは言わないままだった。しかし、表情を見ていると、彼女たちの学校生活も少しは楽になりそうだった。

ミクマイケル校との国際交流           H29.6.2

きばっど育英館  ミクマイケル校との国際交流           H29.6.2

国際交流の在り方については、いろいろな考え方があるだろう。交流を図るためには、「ユ-モア」は潤滑油としてぜひ必要なものだと考えている。

習字の時間に右に払う書き方を指導する際に、池田湖に住むイッシ-を取り上げた。右払いは恐竜をシンプルにした表現と考えて、字を書かかせる指導である。その方法は、声に出して、「池田湖の」で起筆、斜めに送筆して軽く止まる。そして、筆先を右横へ移動させながら、「イッシ-」と書き出す。つまり、起筆した筆がいったん止まり、方向を変えて書き出し、書き終わる様子や、筆圧をかける部分と送る部分を明確にするためである。板書には「永」という書写の筆使いの基本が入った文字を書いた。書写の世界では「永字八法」と呼ばれ、書写指導の導入段階で使われる。この文字の右への払いの指導のおきまりだった。しかし、池田湖のイッシ-は昔の生徒には共通基盤だったが、今の生徒は知らない。当然、ネス湖のネッシ-も知らない。残念。

次の日の歓迎一日遠足は長崎鼻パ-キングガ-デンだった。近くに開聞岳、遠く屋久島をながめられる快晴の一日だった。生徒たちは童心に帰り、パ-ク内を駆け回っていた。帰路には池田湖でのトイレ休憩を設定した。新緑の中に見えてくる池田湖、風が水面を揺らすだけで、目を凝らしてもイッシ-は見当たらない。そのイッシ-はドライブインにいた。コンクリ-トづくりのしっぽが短いイッシ-である。右払いとはイメ-ジが違う。おみやげコ-ナ-の奥に大ウナギも展示されている。あれだけ大きなうなぎもいるのだから、きっとイッシ-だって…と思いたくなる。英語が堪能なら語りたいものだ。ところで、ミクマイケル中の生徒たちは書写の時間のユ-モアをどれほど理解しただろうか。池田湖までやってきたのだが、どんな感想をもったのだろうか。けっこうな暑さでソフトクリーム屋の前に列がなかなか縮まらなかった。

市内観光や桜島探訪、宮崎観光と彼らの体験は続いていく。彼らが自分の体験したことを教科レポ-トとしてまとめていると聞いたとき、SFの名作「スタ-トレック」を思い出した。クル-は未知の惑星に降り立ち、それぞれの分野で、その星を分析する。そして、艦長へ報告する。さまざまな観点からの報告書をもとに、艦長は総合的な判断を下す。漠然とものを見るのでなく、数学的には、生物学的に、言語学的にはと考えるだけで、観察は深まる。また、自国のものとの比較もやりやすい。このような情報収集や分析の力を育てる教育は、まだまだ日本は足りないようだ。

さて、スタ-トレックのカ-ク船長だが、平和解決、友好、相互利益を常に頭において行動する。確かに地球の利益も大切だろうが、上がってくる報告書をこれらの観点で総合的に判断していく。地球の利益にこだわらない彼の判断で、物語は常によい解決の方向と向かう。分析されたものをキ-ワ-ドで整理し、自分の良心や信念に照らして判断するカーク船長並みの能力までつけられるとすばらしい。

かれらが去ると本格的な夏がやってくる。LCRや反転授業、2050年には当たり前になるこれらのキ-ワ-ドを自分のものにしたい。やっておかないと、次の教育改革に間に合わない。未知の世界に足を踏み込むには、スタ-トレックではないが、勇気と努力しかない。

大きさの自覚                    H29.5.17

きばっど育英館    大きさの自覚                    H29.5.17

生徒たちはどの程度正確に身の回りの大きさを自覚できているだろうか。

まず10キロの重さ、その重さをものにたとえて説明できるだろうか。ちなみに1円は直径1センチほぼ1グラムである。ペットボトルは500CCで500グラム、大きなものが1リットルまた、2リットルである。だから、10キロはペットボトル500CCなら20本である。

距離の感覚はどうだろうか。地図の1キロはどのくらいなのか。縮尺でいう1/25000や1/50000では違うのだが、歩いて10分程度の距離として体感できているだろうか。交通機関に頼り、移動がスム-ズだと、距離感は違ってくる。自然災害で遮断されたとき、実感するのでは危うい。地図の勉強ではないが、「1キロは一円玉を何個並べるとよいですか」と縮尺上での1センチの感覚を意識させるのもおもしろい。

当然、高さについても階段を使い、上がって初めて、高さをかなりリアルに実感できる。県庁に勤務した時分に、17階まで体力づくりで階段を上り下りしてみた。下りも登りも10階ぐらいが限度である。「ひざが笑う」という体験ができた貴重な経験だった。ちなみに育英館の校舎は3階だから、当然10メ-トル以上はあるだろう。しかし、「20メ-トルを超す津波が迫る」がどれほど恐ろしい話なのかも想像できる高さとしてとらえさせたい。

奈良の大仏の大きさを自覚させるために、机、イスを教室の後ろに下げ、広幅用紙に書いた大仏の手のひらで授業する社会科の先生がいた。太陽と地球の距離をボールにたとえて、授業する理科の先生もいた。今考えると、どの教科をとっても大きさの自覚はなかなか大変だ。

道徳の時間はどうだろうか。地球と同じくらい重いといわれる命の重さ、本当に分かるにはどう教えればよいのか。人間を有機体として考えると、成人の人間の成分の一つ、石灰質を集めてチョ-クを作れば5、6本、鉄分を取り出せばパチンコ玉5、6個らしい。その他の部分も、皮、肉と活用したとしても、せいぜい高く見積もっても5000円ぐらいのものだろう。ものの大きさとして考えれば、利用価値も含めて、このあたりで終わる。さて、「地球よりも重い」とはどう考えればよいのだろう。

道徳の授業として取り上げてみたい。一人の人間がその年まで成長するのにかかわった人の数、果たしてきた役割や仕事の業績など、どれをとってもその人間の代わりはいない。そう考えると、それはそれですごい価値になるとうなづける。なにしろ、生まれてくるのには両親がいるし、その親にもそれぞれ両親がいたわけだし、と命の連続を考えてみても、命が軽いなんて言える材料は何ひとつない。私たちはその命の重さを自覚して生きているのだろうか。命の重さを考えて、「生きているのでなく、生かされている」と考えいたることが大切なのかもしれない。

大きさの自覚の話を続けると、「年齢」もすごい大きさだ。「1年365日、生きてきた」が30歳を過ぎるころから、10000日を超えてくる。60歳にもなれば、20000日だ。時間に換算すればさらにすごい数だ。その間、とまらずに生きてきた。そう考えただけで、感謝と感動だ。

大きさの自覚は身の回りの数字から始まり、自分にかかわる命の重大さまで考えが及ぶ時、生きることを振り返るチャンスになるのかもしれない。一人一人がかけがえのない存在であると気づくためにも、ぜひ大きさの自覚は必要だろう。時の記念日は6月10日である。自分が生きてきた時間をふり返る誕生日も個々の時の記念日だ。大きさを自覚すると、一日一日の大切さも見えてくるから不思議だ。

自習のできるクラスづくり          H29.5.22

 

きばっど育英館   自習のできるクラスづくり          H29.5.22

以前勤務した学校で先輩教師からほめられたことがあった。「宮元さんのクラスには驚いたよ。入って2月もたたない1年生なのに自習ができる。すごいなあ。帰りの会も先生がいるのかと思っていたら、生徒が進行して連絡事項を発表しているし…」ここまで話すと、生徒の質がよかったからと言われそうだが、この話は初めて勤務した学校でも同じことを言われたと付け加えたい。生徒の自主性を高めることで、十分可能なのである。また、中学1年をなめてもらってはこまる。彼らはついこの間まで小学校最上級生で5年生以下のお手本だった。できないことはなにもないのである。

まず、違いを教えて、新たなル-ルで約束をすること。小学生との違いは自分で考えてやること。先生に言われる前にやること。新しい中学校のル-ルについては、細かくいっしょにやることが大切だ。中学校はレベルが高い。小学校でできたつもりでも、中学校ではさらに努力が必要であると教えたい。そして、まずは自分たちでやらせてみる。できた部分は、ほめて、やり方を定着させる。足りない部分は注意して、また、やらせてみる。中学生としての基準を明確に示すことがまず必要だ。

ある程度したら、ある日、突然、黙って出張する。ここで、その一日がきちんとできたら、しかっりとほめる。そして、次なる目標を提示する。帰りの会、朝の会、作業と次第に生徒たちに任せる部分を増やす。できたらほめる。足りないときは新しく指導する。なかなかできない項目は、しばらくできるまでいっしょに行う。こうやって自分たちでやれる場面を増やしながら、学級を独り立ちさせていく。

学級を育てるというのはこんなふうにやることだ。次のように生徒に語る。「どのクラスも担任の先生がいるときは立派にやれる。うちのクラスもそれなりにやっている。それは先生も認める。さて、みんな、君たちなら『先生がいなくても自習ができるクラス』になれそうな気がする。明日、先生は出張でいない。自習の時間や帰りの会は自分たちでやれるかな。先生のいるときより、しっかりやるんだよ」こうやって何回か経験させると、次第と自習のできるクラスへと育っていく。このクラスでは、修学旅行などの集団行動時、何も言わなくても集合するし、教師でなく生徒同士で連絡達示ができる。生徒を信頼できているし、心配することもなかったことを思い出す。

最後の学校でも自習のできるクラスづくりに1年生から取り組んでもらった。その成果は、2年生で出てきた。400名という大人数でも時間に遅れることなく、また、夏日の長崎自主研修、荒天のスペ-スワ-ルドでも体調不良やけがもなく、実に見事な修学旅行だった。生徒たちの自主性を高めることは教師にも都合がよい。いちいち言う必要がないので、本当に必要な話ができる。例年にない合格者を出し、高校生になった彼らが特に優れたわけではないが、自主性の高まりは感じられた。

教師の顔色をうかがい、厳しい教師とそうでない教師で態度を変える生徒では学力も伸びないし、部活動で活躍することもできない。教えるは「厳しく」だが、育てるには「任せる」という別の厳しさもある。生徒の自主性は育っているだろうか。自習のできるクラスはできているのだろうか。育てることも、教えることも大切だ。

逆算の今                H29.5.26

きばっど育英館     逆算の今                H29.5.26

6月は1学期の真ん中、そろそろ中だるみも見られる時期になります。指導監の話ではないが、中だるみ防止策は①初心にかえる、②ゴ-ルを意識するなどです。そしてもう一つ、ゴールから考えた③「今」の価値を理解することなどが考えられます。

さて、生徒たちは中間テストが返却され、それぞれが点数を見ながら、訂正のやり方を考えていると思います。試験の反省と聞くたびに、学生時代のなかなか満足しなかった思い出にぶつかります。「もっとあそこをやればよかった」という反省しては、「次は100点とってやる」と意気込んで取り組んだものでした。しかし、何度もそういう思いになり、そのくせ、テストではなかなか達成感を覚えなかった。そんな記憶がだれしもあるはずですが、いかがでしょうか。結果が分かってはじめて、テストまでの自分の取組のいたらなさ、不十分さがわかるのです。正直に言うと、一度や二度のことではなかったと思います。

数学の試験の時、時間が余ったら、「必ず見直しなさい、確かめをしておきなさい」と言われた。この確かめ計算のことを「逆算」と教えられたと記憶しています。本番では時間が無くなり、なかなかこの逆算ができなかった。そのため、計算間違いやケアレスミスの連発となりました。

そこで、実生活の中で逆算するとしたら、過去、今、未来という時間の流れを少しずらして、「今」を「未来」に、「過去」を「今」と置いてみてはどうだろうか。

未来の「今」に向かって、過去となる「今」では何ができるのか。つまり、未来の正解を得るために、過去となる今から必要なものを求めてはどうかと考える。まさに逆算になります。そんな「逆算の今」を明確にイメ-ジできれば、現在やることがよく見えるはずです。また、未来にある程度の成果をあげるためにも、過去となる今を大切にしなければならないし、そこで取り組む程度もおのずと予想がつく。「これぐらいでよい」では、未来から現在となる今に満足できるはずがない。成果をあげるためにも、もっとやっておくべきだの発想が自然と生まれることになるだろう。

「最善を尽くせ」のスロ-ガンには、「全力で ひたむきに」という言葉があう。満足いく目標達成には実に抽象的な表現である。未来の今を意識してできるだけ具体達成するための手立てを描く必要がある。具体的な手立てと言いながら、よく見えない。その意味では「今」という言葉で未来を意識したい。今、悔しい思いをしたり、後悔したりするを未来とそっくり置き換えてみるとよい。そこまでリアルに感じられる未来があれば、過去となっていく今をなおざりにはできない。「今できることをひたむきにがんばる」で取り組むことだ。

「逆算の今」を考えるには、ゴ-ルが明確でないといけない。自分はここまで高まりたいと考えれば、過去の自分の実績や経過を加味して、やがて過去となる今にはこの程度のことが必要であると考えられる。自分の能力をよく知っていればこそ、今という時にどれだけの努力が必要なのかもみえてくるはずだ。中だるみの防止策の「逆算の今」、ぜひキャッチフレ-ズにしてみたい。

ことばの連続性から「ほめる」を考える    H29.5.10

きばっど育英館   ことばの連続性から「ほめる」を考える    H29.5.10

言葉は連続する中で初めて意味をなすものだ。まるで、池に石をなげて波紋が広がるように、心の中に波紋が広がる。その言葉が沈んで、波も静まってから、次の石を投げ込むのか。それとも、立て続けに投げ入れるのかで、話が変わってくる。

前の言葉の残響をうまく使うか、それとも、まったく違う効果を出すのか。これは言葉のセンスとしか言いようがない。前の言葉が響いているところに、次々に言葉を投げ入れると、それは強められ、意味が拡大していく。少し外して投げると、強すぎた言葉はある波の部分は打ち消しあって緩和されていく様に聞こえるはずだ。

「言いたいことをずばりという」とか、「遠回しにいう」も、石の投入れモデルで考えてみるとおもしろい。「ずばりという」のは、よいタイミングで投げ入れたときの反応だろうし、「遠回しにいう」は「少し視点を変えていう」と同じようなもので、石の投げ込む位置を本来のねらいと違い、少しずらすのと似ているのかもしれない。

文章はキ-ワ-ドと呼ばれる言葉の連続性で成り立つ。この連続性の観点から考えると、数名の会話で発言した者の言葉が響いている間に、他の人が新しい言葉を持ち出すとしよう。前の言葉との響きあいで、そこには新しい意味が発生する。それがおかしさや笑いにもなることもある。不幸なことに、投げ入れ方が悪いと、悪口だと誤解して受け止められると、仲たがいやけんかにも発展するだろう。

「口は禍のもと」という考えはこのあたりから来たものだろう。しかし、口の使い方一つで幸福もやってくるはずだ。石の話に戻るが、褒めるという観点でどう投げ込めばよいか、考えてみたい。適当な小石を何個もタイミングよく投げることが心に響くに違いない。大きな石をやたら投げ込むのは、びっくりするだけでほめられたとは感じないだろう。「ことばが先にある」というのはあたり前のことだが、その次に来る言葉やしめくくりとなる言葉にも注意したい。話すという行為は連続する言葉と言葉の響き合いを大事にしながら、伝えたいことへと導くのがよさそうだ。言葉同士の響きをうまく使えないのでは、話の効果は半減する。ぜひ、細かく研究してみたい。

「ほめる」というのは波紋の美しさでもある。石の大きさもだが、投げ込み方も工夫すべきだ。一つの石が沈んだら、少し離れたところに優しく投げ入れる感じだろう。よい褒め方は、主語を自分にして、相手の気づかない所を見つけて評価してあげることだ。相手の可能性をほめるわけだ。また、褒める根拠も明確にしたい。やたらほめるのはよくない。褒める材料を準備して取り組ませるのもよい。実技や問題を解かせて、結果でなく過程をほめよう。やる気や意欲が出るようにほめることがポイントだ。

「ことばを多く持つこと」、「あなただけに使う」とか、「ここだけで使う」などは効果的に違いない。タイミングや個人的という要素も大切にしたい。ほめっぱなしにせず、機会をみて、相手を思っていることをアピ-ルしてよい。相手を伸ばすという観点で石を投げ入れてみたい。どんなタイミングで何回投げるのが良いのか。ぜひ、知りたいものだ。「稲はお百姓の足音で育つ」ということわざがあるが、人も教師の思いやりで育つに違いない。

目標は高く努力はこつこつと       H29.4.7

常に英才たれ      目標は高く努力はこつこつと       H29.4.7

29年度は生徒の目標を高く掲げる指導をお願いしたい。そして、それにこつこつと努力を積み重ねる実践をお願いしたい。富士山へ登ろうとする一歩と近所へお使いに行く1歩では覚悟が違うし、やる気も違ってくる。

次に建学の精神を分かりやすくして、日々実行させたい。「古の道を聞いても唱えても我が行いにせずば甲斐なし」である。「道義に徹し」なら、「悪いことをするなよいことをせよ。」ぐらいのレベルで語る。「実利を図り」は簡単に言うと、「人の役に立つ」である。具体的には「自分だけの利益を考えるなみんなのためにつくせ。」となる。「勤労を愛す」はなぜ働くのかを考えれば、行動の仕方も変わってくる。「はたをらくにすること、ひとのためになる行動が働くである。」と具体的に行動の意味を分からせたい。

そして、育英館3本柱を大切にして、先生に言われる前に出来る生徒を育てたい。

以前勤務した学校は落ち着きのないあいさつのなかなかできない学校だった。そこで、あいさつをきちんとするようにした。廊下にサイレントゾ-ンを設けて、静と動の区別を意識させた。授業の充実をめざして、授業中の姿勢を問題にし、にいねむりをなくして、授業のポイントを共有した。作業でも無言作業を徹底するようにした。2年のうちにみちがえるように学校が変わった。

最後に「自習のできる学級づくり」をお願いした。この取組の過程で、どの先生が授業しても態度を変えないことは当たり前になったし、もちろん、自習の際に騒ぐことなく、集中して取り組むようになった。これらが徹底したせいで、学力が驚くほど向上した。高校入試の結果を見ると、各学校の合格者数が例年の倍になった。学力向上に学級や学校のもつふんいきがどれほど反映するかを表している。大学入試は団体戦という言葉がある。それは、学校全体のム-ドが合否の結果を左右するほど大切だということだろう。

学級は日々の学校生活で教え、育てて、特別な時間(行事)で育つ。行事は生徒の手でやらせることがポイントである。そのためには、やれるだけの力をつけることが肝心だ。毎日の生活の中にポイントがある。リ-ダ-を育てるのはグル-プでの発表や追究活動をさせるで育つ。その力がいざという時、役に立つ。なにしろ、特別活動では意見の対立や方法の選択でこじれることはよくある。それを乗り越えて、行事をやりとげなければならない。対立をのりこえる力が自然と身につく。学級はそうやって成長していく。3月にこのクラスでよかったの反省を聞きたいものだ。

おまけに、もう一つ、学習の仕方についてもぜひもう一度考えて欲しい。ムダの多い学習の仕方をしていないか。自分の時間がムダな学習のために食われていないかを点検して欲しい。4時間も机の前に座ったから勉強ができるようになるとは限らない。集中してやればその半分でもよい。勉強の仕方は個々のものだが、成果をあげる者の勉強方法には学ぶべき点も多々あると思う。ぶかぶかの服やくつでは、いつまで立ってもうまく歩けないし、格好もよくない。この際、ぴったり合うものをすべての生徒に与えましょう。

わかりやすく、そして、ほめて          H29.4.24

きばっど育英館  わかりやすく、そして、ほめて          H29.4.24

生徒の生活指導において、なかなかこちらの意図が伝わらない。育英館の生徒は公立の中高に比較するとかなりものわかりはよい方だと思う。それでも伝わらないことがある。以前勤務した学校で、「ちゃんとせんか」と服装がだらしない、教師への態度の悪い生徒を指導した。それを見ていた校長先生が、「『ちゃんと』という言葉の意味がわからない生徒に言っても無駄です。まずは、『ちゃんと』を教えることです。」と言われた。ズボンをさげない、教師の話には正面をむいて聞くという具合である。確かに生徒もこう言えばなにかしらの反応をする。本当に教えられていないことが問題なのである。生徒の立場から言えば、わからない行動はできない話だ。「ちゃんと」は、これから学校生活を営むという小学生の話だ。しかし、教えないわけにはいかない。学校にあがる前に身についておかないといけない、歯磨き、トイレ、食事などとほぼ同じだ。服装や態度についても目的にあわせて「ちゃんと」することができるなければ、生活できない。「ちゃんと」はしつけの世界の入り口である。

しつけはしつけ糸からの発想なので、後できれいにとることが前提である。しつけ糸は正確に縫うために形を整えておくことから考え出された。教育現場でのしつけは、一斉に指導し、形が出来上がったら、その行動の意味をあらためて理解させて、行動を強化する。道徳的実践力を高めるのに似ている。しつけ糸は抜くことを前提なのでトメかない。自分で守ることをやらせてみる場面が必要なのである。

和裁とよばれる着物文化は言葉となって日本文化、とりわけ日本人の行動様式に影響を与えているのかもしれない。洋服を着るようなって200年程度、それ以前は着物が当たり前、「着物」にはまだまだ奥深い文化があるようだ。
話は少し変わるが、そろそろ募集も始まるし、わかりやすく印象的に「少数精鋭を伝える」という課題を考えてみたい。「多少、遠近、上下」などの対比の言葉を使い、作文してみるとおもしろい。例えば、生徒数がないと教師との距離はい。教師との距離がいと学力向につながる。その反対を考えると、生徒数が多いと教師との距離が遠い。教師の関わりが少ないと成績は低下する。反対はあえていう必要はないが、こんな感じで説明すれば、訪問校の生徒もかなりわかりやすいと思う。

わかりやすく教えることこそがうまい躾のスタートである。現場で身ぶり手ぶりを交えるのもよし。できないのであれば、比喩や似たもので説明する方法もある。しつけ糸をどんな形で使うかである。ふつうは白糸であるが、生徒によってはけっこう色のあるしつけ糸が必要な生徒もいそうだ。形が出来上がったらしばらくこまめなほめのフィ-ドバックをこころがけたい。ていねいにぬいていくことが必要である。そして、抽象的なほめは控えて、ここしばらくは具体的にほめておきたい。しつけ糸をぬいたら、本縫いまでとれてしまうではいただけない。自分でできるがぬくタイミングである。ここは4月一杯がふんばりどき、1学期に汗をかくと後が楽である。ほめて強化して、しつけ糸をぬく。美しい縫い目がそろうまではがんばりたい。後になるほど楽をするのが、しつけのベテランである。

「最善を尽くせ」             H29.4.5

きばっど育英館  「最善を尽くせ」             H29.4.5

平成29年度の第1学期を中学校33名、高校23名の仲間を加えてスタートしました。皆さんはどんな気持ちで29年度を迎えたでしょうか。学園のテ-マ「最善を尽くせ」は、現状に甘んじることなく、さらに一歩前、階段を一段あがることを考えさせてくれます。そのためにはどうすればよいのか。まずは目標を高く掲げ、自分なりに改善の視点をもち、物事に取り組むことです。

学校生活を送る皆さんを見ていると、それぞれの表情には希望で心がはち切れそうになっているような感じを受けます。春が「心が張る」からできたように、今年度にかける皆さんのはちきれそうな熱意が私にも感じられます。

育英館の生徒は、多くの人に礼法作法のよさは認められています。私も昨年1年間、いろいろな場で皆さんのおかげでほめられました。皆さんの明るいあいさつは確かに思いやりの心をデリバリ-してくれます。あいさつされるたびに、うれしい気持ちになり、元気をもらいます。そこで、もう一歩踏み込んで、「挨拶」の漢字の通り、「みんなの心を開き、相手との関係を築く」とさらに基準を高めて取り組んでください。

学期初めに重点的に取り組む育英館三本柱「あいさつ、無言作業、礼儀作法」を「最善を尽くせ」の視点で高めてほしいのです。一人ひとりはもちろんのこと、100%達成の継続できた日数を各学年で競ってほしいのです。本当にこの柱は基本的なことで、「時を守り、場を清め、礼を正す」と一般に言われることを具現化したものです。それらがきちんできると、すべてが変わってきます。自分を変えようとするチェンジになり、今まで自分ができなかったことへ挑戦しようとするチャレンジの気持ちが高まります。この4月に行動をおこすことで自分を高めるチャンスが確実にやってくるのです。まず、三本柱を徹底して守り、その基準を高める努力をしましょう。皆さん自身が向上するために「最善を尽くせ」と行動を起こして、この3つのCにつなげてください。挑戦こそが自分高めるチャンスなのです。

さて、育英館の校名は「天下の英才を得てこれを教育する」に由来しています。皆さんには英才になってほしいのです。天才や秀才と何が違うのかというと、それは「志」が違います。自分を変えよう、変わっていこうという決意が明確であり、堅固であることが英才の特徴です。また、学問だけに限らず、他のことにも精一杯努力するところが違います。当然、なんとなく似たもの「同士」でなく、生活態度はもちろん、目標に向かって努力する「同志」でなくてはなりません。それが英才と呼ばれるにふさわしい資質です。育英館に集う皆さんは、ぜひ、この英才となり、少々のことにへこたれず、自分の夢を実現してください。平成29年度も先生方といっしょにここ育英館でがんばりましょう。

 兄弟校の入学式             H29.4.20

きばっど育英館      兄弟校の入学式             H29.4.20

兄弟校の入学式に行くと、自分の学校だけでは見えなかったものがよく見える。同じようにしないといけない部分もあるが、違うからこそよいところもある。いろいろなキ-ワ-ドに出会えるものありがたい。レディスカレッジやホテル短大はやはり出口が就職戦線ということもあり、礼儀作法や言葉遣い等については厳しい。雰囲気で新入生もきちんとなっている。城西高校はというと、多人数の生徒の感動を深めるという意味でも演出はすごい。あわせて、創立90周年行事への取組の一つ、生徒たちが作り上げたスロ-ガン「夢あふれ希望の花咲く」はなかなかよい言葉だ。

それでは育英館の立ち位置はどのあたりなのだろうか。芸能コ-スもないので、ダンスのパフォーマンスは無理だとしても、よいところはまねしたい。生徒入場の音楽はぜひ取り入れたいものだ。歩き方のリズムを整えることにもなるだろう。学園歌を手話で盛り上げる看護福祉の生徒には感動する。これと同じ感動をめざして、英語を交えた歓迎の言葉を述べるというのは育英館ならできそうな工夫だ。

校長式辞も各校さまざまである。私は「出会いを大切に」と「我逢人」を取り上げた。城西の秋武校長は「努力は必ず報われる。報われない努力はない。報われないのであれば、それは努力と呼べない」と「努力の大切さ」を語られた。KHC矢野校長はホテルの仕事のすばらしさを「出会い」「笑顔」「感謝」のキ-ワ-ドで語られた。「ありがとう」という言葉は、「お客様の期待に応える喜びです」と言われた。ホテルマンのプライドに感動した。KLC山崎校長は学校生活を支える「勇気」を語られた。共通していたのは、建学の精神の解説が各学校なりになされたことである。KLCとKHCでは、建学の精神は「校是」で、「道義の人となれ 実利の人となれ 勤労の人となれ」である。育英館のように中学生と高校生に指導するのは言葉を選ぶ必要がある。本校では、「道義」とは 人としてあるべき道、具体的には「思いやり、感謝、正義、あいさつ」と、キ-ワ-ドで説明した。「実利を図り」の説明は難しい。「実社会で役立つ人」と説明されるが、学園歌では、「日々に磨けよ実利の技」となっているので、実社会で役立つ資格と考えたほうがすっきりする。育英館では英検、漢検、数検と考えてみたい。しかし、実社会で役立つ人の定義は広く、みんなのためにという考え方をもつことも必要だ。そして、「はたを楽にすることを愛する」ことが「勤労を愛す」と考えれは、ボランティアという言葉が浮かぶ。建学の精神は人としての生き方をコンパクトにまとめた言葉だ。先代理事長の残された「行動の中から知恵が出る」は知行合一の考え方でもある。挑戦する勇気がなくてはダメということを強調されている。山崎校長の式辞につながる話だ。挑戦は成長につながる。本校ではそれらを身につけ、リ-ダ-として育ってほしいと、「常に英才たれ」を掲げてある。話は少し外れるが、おみやげも、各校さまざまである。春らしい弁当までいただくと感心してしまう。そんな細かいところまで心配りをいただいたと感激してしまう。卒業式ではなじみがあるものだが、新入生による保護者への感謝・決意の言葉はまねしたい。言葉を聴くだけで、生徒たちの成長を感じる瞬間である。