きばっど育英館 ハイブリッド化にむけて その1   

育英館は創立以来、幾たびかの岐路に立たされ、それを積極的にのりこえてきた。

創立以来の育英館を支えたものは何か。それは、生徒の自覚、志の高さと礼儀作法、全寮制による一体感などである。そして、何よりも師弟同行による学問への探究である。創立時の育英館はそれを可能とする学び舎であった。このよき時代の育英館の時代に合わせた創造こそ、私たちに課せられた使命である。そのためには、現状の中で、今までの育英館を支えたものと同じ意義のある教育活動を創造したい。

考えてみると、不易流行の言葉通り、変えてはいけないものと変わらないといけないものがある。変えてはいけないものは、建学の精神であり、「天下の英才を得て、これを教育する」の設立の趣旨である。しかしながら、高齢化、少子化という社会情勢の変化、高度情報化という社会自体の変化に適応するためには、未来を予測した変革が必要である。そこで、平成28年から30年までの3年間を通して、本校のハイブリッド化を図りたい。教師も生徒も保護者もここに変わろうとする必要がある。

言葉の意味を考えるために、映画のジュラシックパ-クの続編ジュラシックワールドの話を例として取り上げてみたい。映画の中での話だが、テラノザウルスという獰猛な肉食恐竜をベ-スに遺伝子操作をほどこしたハイブリッド恐竜を誕生させた。経営者がこの新種を看板に売り出そうとした時、このハイブリッドが人間のコントロ-ルをこえ、自分の意志で活動し始め、管理人や他の恐竜を殺し、パ-ク自体をも危険にさらす。遺伝子操作の危険性を象徴したような話だった。

ハイブリッドのイメ-ジを描くにはやや物騒な例ではあるが、電気とガソリンで走る自動車よりはこちらに近い。多くの恐竜とコウイカ、アマガエルのDNAまで取り入れて作られた恐竜、インドミナス・レックス(横暴な王様の恐竜)だから、擬態もできるわ、破壊力はあるとは恐れ知らず、できないものは何もない。自分で考えて行動する力も人間並みというからすごい恐竜だ。

今後の育英館という点で、だれもがイメージできる「アイパッド活用、アクティブ・ラ-ニング、横断的・総合的な学習」が必要である。「それらを積極的に身につけて教師自身が変わる」ことから育英館のハイブリッド化を進めたい。この恐竜のように教師が変わり、力をつけたい。理事長の願いにある「自分自身を変える教師」がめざす姿である。次に、生徒を変えていきたい。

城西高校の見学の感想を見ると、育英館の強みをつくり、生かすと多くの方が書かれている。これがハイブリッド化への足がかりになる。2学期から本格的に動き出し、平成29年度にはペパ-レスとか、メ-ルでの提出とか、そんな言葉が職員間で出るようにできないだろうか。生徒用のアイパッドに学習の仕方が送信されるとか、テスト対策ならこれと、ソフトが紹介されるをぜひ実現したい。

そうなれば、生徒も変わらざるえない。使い方は無限にある。ぜひ自分だけのものにしないで、全員に紹介してほしい。だれもがもっと身近に使うものにしたい。

 

きばっど育英館    他山の石を拾えるかどうか  

城西高校への体験入学参観で、何を見て、何を学んだのだろうか。「我以外皆師」と剣豪武蔵に語らせた吉川英治はすごい。まさに他山の石を拾える人だと思う。小さい頃、河原で「この石はクジラだ」と似たものを探した。最近、さまざまな出来事や身の回りのものと比べ、似ているとか、縮図だとか、自分なりに解釈するのは「河原の石探しと同じ」と思いついた。参観の感想を読むと、いろいろなことが見えてきておもしろい。

石探しはどう発展したのかを思い出してみた。クジラにするために、色を塗った。目も描いた。残念ながら、水につける勇気はなかった。「他山の石を拾う」行為の本質がここにあるのかもしれない。子供の遊びといえばそれまでだが、身の回りや参観先での出来事にも着色すれば、別のものが見えてくるはずだ。自分の感性で、色塗りにぜひチャレンジしてほしい。城西にあって育英館にないもの、そこに、新しい何かがきっと見えてくる。しっかりと見たものを心にとめて、自分を磨こうとすれば、「我以外皆師」にきっとなるだろう。

「趣味はダイエット、特技はリバウンド」と健康管理をごまかす技を自慢している。食べ過ぎ、運動不足もよくないとわかっているが、なかなか実行できない。「実行する」と「考えてみる」には本当に大きな開きがある。これらは他山の石の拾い方に問題がある。石は一つの価値観であり、「ちょいメタが長生き」、「ふっくらするとかわいい」、ましてや、「腹があって男は一人前」と都合のよい石を次々に拾う。他山の石は、批判的に拾わないと意味がない。自分の今を改善するのに活用できるものを拾うがポイントだ。そう考えると、常に問題意識をもつことが重要だ。

この拾い方の違いには心の距離が遠いことも関係している。遠い外国で起こった事件と隣近所で起こったのでは、感じ方が違う。心の距離に関係なく、人の死は悲しいし、理不尽な事件には憤慨するのが当たり前だ。分かっていても、遠くの話に興味が湧くはずもなく、なかなかそうはいかない。せめて、石を拾う時には、自分や身内のことであるという気持ちで拾いたいものだ。自然災害やいろいろな事故への備えも、その気持ちがあれば、最悪を想定する部分できっと役立つに違いない。まさに他山の石の教えのとおりである。

拾ってきた石を自分なりにどう生かすが次のポイントだ。そのままでは、ただの石、まさか、置物(思い出の品)や文鎮かわりに使う人はいないだろうが…。そのままの形から、自分の生き方のモデルにするものよし。「自分に不足していた象さんタイプで生活しよう」と考える方法だ。加工すると考えると、「磨く」で、地学でのプレパラ-トづくりの経験が浮かんだ。ギタ-ピックぐらいの大きさ、薄さになるまで、石をひたすら磨く。完成品を顕微鏡で覗くと、鉱物が浮き彫りになり、それは美しい。「適度に磨く」も輝かす方法の一つではないだろうか。

他山の石の話でここまできたが、自分のことは棚に上げて見えないのが、並の人間である。自分はどうなのかを知ろうと、比較する石を手に入れる努力をしてほしい。他山の石はけっこうあちこちに転がっている。岩石採集をするつもりで、他山の石を集めてみてはどうだろう。

2歳になる孫は砂利を拾いながら、「大きい、小さい」とつぶやきながら振り分ける。玄関のたたきに並べて、つぶやく。自分以外を認識する感覚は物理的なものから派生し、やがて、抽象的なものへと成長する。彼がどんな石を拾い、それをどうするのか。楽しみに眺めたい。「幸せの隣にいても気づかない日もあるんだね」と365歩のマ-チでチ-タが歌ったのは半世紀も前、未だに幸せの石に気付けない私は、孫に追い越されるのだろうか。石の話はなかなかまとまらない。

きばっど育英館  感情の爆発はダメですから

城西高校であった桃木野弁護士の講話メモです。先日配布された資料と合わせてお読みください。桃木野さんの語り口調が伝わるようにまとめてあります。

 

ペン型カメラを更衣室においた教員もいましたね。なぜ教員の信用失墜行為はなくならないのでしょうか。いけないと分かっているのに…。職場のコミュニケ-ションが活性化されていると、問題は起きにくい。そこで、同僚に悩みを話せる、お互いが聞ける環境づくりを学校全体で取り組むことが大切です。行動には必ず原因があるから、その原因をつぶす。原因がなくなれば、信用失墜行為は発生することはない

体罰か否かは個人的な感情の爆発があったかどうかで判断される。あれば、体罰と認定される。パワハラ発生の原因は相手が嫌いであるということだ。相手もこちらが嫌い。当然、気持ちがすれ違う。パワハラが発生する。飲酒運転の発生の原因は、運転代行を呼ぶのがめんどうくさい。または、お金がもったいないという勝手な気持ちだ。交通法規を知っているのに、勝手に理屈をつけ、正当化している。

いろいろな場面で、相手との関係がうまくいかずに、感情の爆発になれば、当然、体罰である。借金があるから横領するし、あいつが嫌いだからパワハラになる。防ぐためには、原因をつぶすこと、具体的には①機会をなくす ②動機を発見する ③正当化を否定するとよい。

いろいろなハラスメントがある。受けた方がどういう気持ちになったかが問題とされる。「これぐらいは大丈夫とか」、「親しいから」という論理は通用しない。被害者がどう受け止めたかによることが大きい。そして、判決には社会的な客観面が適応される。状況はどうあれ、体をさわると、「接触した」となり、少なくても200万はすぐに要求される。パワハラ事件では、嫌悪の有無、人格否定の言動、執拗さなどがあるかないかが判断の基準となる。

上司の言葉で、部下がうつ病になった。それまでの様子や状況を把握していれば、言葉の使い方に配慮ができたはずだ。そう判断されると、要件がそろわなくてもパワハラになる。相手に声をかける時は、どういう状況にあるのかを把握することを求められることになる。これだと、上司はたまったものではない。

水戸中学校事件は有形力の行使を認めた例で、懲戒権の範囲内では有形力の行使もあるとした。出席簿でのポンや染直しの洗髪行為もオッケ-である。

ただし、日常から関係が悪く、感情の爆発の末に出た教師の言葉で、児童が衝動的に自殺した事例は、体罰となった。人間関係や当時の状況を考えると、衝動的な行動に出る可能性を予見できるという理由です。

まずは語りやすい職場づくり、それと、感情の爆発はどんなときでもダメですね

きばっど育英館    心の成長を考える 

EQが教育界で取り上げられたのは、頭がよくても悪いことをする人がいるという話からだった。EQを調べているうちに、頭のよさと善い行いができるとは違うことがよくわかってきた。行動できたことを評価する手段として、「善行賞なるものが存在する」意味がよく分かる。「善い行いをする」を知識として教えても、実行するのには心のもち方が大きくかかわる。心が存在して初めてよいことができるといっても過言ではない。そのためには、よい行動を起こせる心を育てることが大切だ。

心を育てるために必要なことは何か。一つは形を作ること、知識として教え、簡単に動作として覚えさせる。お年寄りに席を譲るなどは分かりやすい。次に形を変えること。いろいろな場面で、お年寄りに席を譲ると同じ行動ができるのか。お年寄りが妊婦さんだったり、体の不自由な方だったりと、相手が違っても席を譲ることには変わりない。さらに思いやりの行動として、カバンをもってあげるとかである。

他人のものまねでなく、自主的に行動できなければ、本当に心が成長したとは言い難い。中島みゆきは「糸」という歌で「幸せ」を「仕合せ」とかけている。なかなかうまいたとえだ。もちろん、歌もうまいが…。これをまねして、糸に関わる話で、心の成長を説明したい。「しつけ糸」や「仮縫い」という言葉は、「躾」の本質を説明するのに好都合だ。本縫いができたら、しつけ糸は取り除く。躾はまさにしつけ糸を抜いて完成する。つまり、自分で自分の身を美しくすることができてこそ、完成である。いつまでも、しつけ糸があってはこまる。自主的な行動こそ、躾の完成形である。こういう説明に使えるので、漢字は実におもしろい。

さて、心はどんなに育つのかを考えるためにも、このEQは大切だった。その当時は、心の指数は大切だと言われたのに、いつのまにか学力向上に消されてしまった感がある。あのころの心の教育はどこにいったのか。育英館で育てようとする英才たちは、「学力」も「心」も必要だ。そこで、生徒たちには、生き方を考えさせる体験をさせることが大切だ考えている。その意味では全寮制での経験は貴重だったと思う。先輩のよさに学ぶチャンスが常にあり、それがあこがれになり、自分たちの伝統として定着していった。この全寮制のよさは共同生活をすることで培われたものだ。四六時中のつきあいだから、自分のわがままが通らず、他人と協力して生活しなければならない。その中で、自分の立場や役割は自然と身につけられた。そういう体験が少なくなった今、心を育てる感動的な話を含めて、多様な体験にふれあう場を設定したい。今こそ、心を育てる努力が求められている。

本年度の初任者研修で、電話応対が取り上げられた。ベルがなったら、3回以内にとる。相手の心がまえができる、こちらの心がまえとして、笑顔の表情をつくる、笑顔になると声まで変わる。それらを準備するための時間というわけだ。なんという思いやりの時間だ。こういうことに気付き、行動できる生徒を育てたい。英才と呼ばれる生徒たちには、「多様な思いやりの行動ができる」というレベルに、学校行事を通して、このEQを高めていきたい。

 

きばっど 育英館   授業改善検討会から

生徒は授業をどうとらえているかを考えるよい機会になった。中学生は自分に合う、合わないで評価し、高校生は自分なりに納得できるか、どうかで評価しているようだ。中学生は生のまま、高校生は大人というところだ。「宿題が多い」とか、「先生が質問によく答えてくれるとか」は本人のとらえ方による。どの教科であれ、基礎的な部分は汗を流して覚える以外にない。効率のよい覚え方や定着率をあげる方法については、教師の指導で高められる。ただし、個々に認知スタイルが違うので、暗記法は個人的にアドバイスするのがより効果的である。何度も書いて覚えるタイプもあれば、くりかえし読むで覚えられるタイプもある

教師に対して質問する生徒の中には思いつき、考えつきで発言する生徒もいる。興味・関心があるとよい方にとらえることもできる。ところが、代表で発表させた発言や、教師の説明を聞いていない場合もある。質問を奨励するより、よく聞くことを指導すべきだろう。板書したものでなく、生徒の発表のポイントや教師の説明を書かせてみるのも必要だ。質問力を高める意図があれば、予習として学習する場所を10ページ程度は読んでくるとするのもよいだろう。

板書については、ノ-トに書き写すだけではダメである。重要なものに下線を引くなり、マ-クするなりの工夫が必要である。一朝一夕にできるわけはないので、教師の側でも、チョークの使い分けをするなどして、1時間に1か所は重要であるものを意識させたい。ノ-ト点検や机間指導する際は、この重要な部分を書き留めてあるかを評価したい。認めて、褒めることでポイントを探す力を強化できる。

授業もウォーミングアップが必要で、生徒の状態を把握したら、軽いタスクでスタ-トしたい。最初から重いものをもたせるのは考えものだ。また、次の授業とのつなぎを考える授業なら、まとめの部分は、興味を高める予告としたい。導入の工夫と同じだけ手間暇かけてみたい。授業の中で、全体計画や単元の楽しみをハイライト的に紹介するのもよい。つけたい力を明確にし、授業をもっと柔軟に発想する勇気も必要だ。教科枠を超えて、「串刺し」というイメ-ジをもちたい。各教科の知識は固まったものでなく、流動性、可変性のあるものでなければならない。閑話休題

板書、ワ-クシ-ト、ノ-トは相互に補完しあうものだ。自己教育力の一つはノ-トづくりにあるといってもよい。自分でノ-トをつくり、仕事に役立たせる力をつけたい。一流コックでも下積み時代はレシピを書き溜めただろうし、「今でしょ」の林先生でも、小6のころ、手作り歴史レポ-トを作成したようだ。自分で書いてまとめるトレ-ニングはこのノ-トづくりが一番だ。

ALを授業に取り入れても、学習は個々に成立する。協働で学習した成果をどう自分のものにするのか。その方法をしっかり教えないと、にぎやかなグル-プ学習で終わる。友人の発言の中にある重要なものをメモし、それを使って自分の考えを修正したり、高めたりして、発表し、そして、みんなとの話合いの中から、重要なものを手に入れる。手に入れたものは、自分の言葉で整理して、しっかりと定着させる。ここまでいかないと本物ではない。

きばっど育英館        よいとこGO 

「幸せのポリアンナ」という題の本がある。「よかった探し」(どんなことが起きてもその中からよかったと思えることを探し出して明るく振る舞うこと)が得意な天真爛漫な少女が主人公である。もう少し詳しく彼女を語ると、周りの人の心配事を本気で考えられるやさしさがある。そして、子供っぽく思慮が浅いところがあるものの、頭の回転は早く、思いついたことはすぐ行動に移すタイプである。

ポリアンナではないが、育英館のよいとこ探しをぜひお願いしたい。週番報告で戸締りの不備やク-ラ-や電灯の消し忘れを聞くと、「おやまあこんなにもできないの?」と思えてならない。もっと、よいところもあるのではないですか?よいとこもぜひ、週一でよいから、報告してはいかがと思っている。確かに、うっかり忘れたりするのはあるだろう。その分だれかがカバ-することもぜひ教えたい。カバ-してくれた生徒を褒めてはどうだろうか。よいとこは褒めるということももっとあってよいのではないか。善行賞に近い行動で、校内で活躍している生徒もいるのかもしれない。

さて、この物語は、どれだけ苦しい状況でも、牧師である父親の遺言の「よかった探し」をするポリアンナが印象的で、『小公女セーラ』に続くテレビヒット作となった。世界名作劇場を視聴された皆さん、思い出しましたか?この作品では『よかった探し』という言葉が創作され、視聴者の間で定着した。この原作が出版された時も、主人公の名前であるPollyannaは「極めて前向きな楽観主義者」の意味として使われ、その後心理学分野での用語ポリアンナ効果が生まれた。この効果は、「書かれた言葉においては、ネガティブ(否定的、悲観的、後ろ向き)な言葉よりもポジティブ(肯定的、楽天的、前向き)な言葉の方が大きな影響を及ぼす」と説明されている。

私もポリアンナの口癖をいただいて、「得意なのはよいとこ探しです」と加点評価を接明している。よいとこを探すと夢が語れる、未来を考えられる。否定的な思い込みで先へ進めない人をよいとこ探しで変えていくポリアンナはなかなかの教師である。肯定的な評価を人は好む、自分が肯定されない部分があると分かるからこそ…。でも、「他人から素直にここはよいとこだ」と言われるとだれでもうれしい。そして、自分の中のよさを自分で発見することができる。自己肯定感は自分自身でよいとこを自分の中に探し出せたときに高まる。そのためには、よいとこ探しは効果的な手法に違いない。

今年の夏はポケモンGOで「探す」という行為がクロ-ズアップされている。自分のよいことを探すのもありかもしれない。そのためにも、隣の同僚や友人、家族のよいとこ探しをお願いしたい。悪いところでなく、他人のよいとこを探すとまんざら自分も捨てたものではないと再発見できるに違いない。ポケモンGOは運動不足解消のねらいもあるらしいが、よいとこGOは心の運動不足を解消できる。本当の自分を素直に出せるようになる効果もある。ぜひ、よいとこを探してそれをゲットしたい。ポケモンは捕まるだけだが、よいとこは見つけると、自分のものになる。人は他人のマネをする性質があり、肯定的にとらえた他人のよさを自分の中に取り込んで自分のものに変えようとする。暑い中、熱中症に注意しながら、ぜひ、よいとこGOをやってみよう。2学期にはその成果をぜひ、生徒にも語ってください。

きばっど 育英館 信頼とは  

信頼とは、信頼に値する材料があるからするというものではなく、まず先に信頼してしまうことなのです。信頼されると人はそれにこたえようとするものです。

「先生」と呼ばれたら、生徒から信頼されていると考えてもよいのではないでしょうか。世の中で、「先生」という言葉ほど、精神的な拘束力がある言葉はありません。とりわけ、授業では、先生の話を聞かないといけないとだれもが思うわけです。しかし、暑かったり、眠かったりで集中できない生徒もいます。「なぜ、聞かないのか」と生徒を責める前に、聞けない理由がないかを推量してほしいものです。

そこで、信頼される教師とは?と考えてみると、生徒のできない、しない状況を思い量り、考えてあげられる教師ではないでしょうか。先生と呼ばれたら、それにこたえようとがんばりましょう。暴言や体罰はけっして許されません。人間としてやってはいけないことは、当然、先生がやってもいけません。指導することは、難しいものです。授業が楽しくなければ、知的な興奮がなければ、生徒が聞かないのは当たり前です。分かりたい、知りたいという欲求はあってもそれを満足させられるものが授業にないと、人は学ぼうとしないものです。知的な興奮や欲求を覚える授業を構想し、実践するのが教師です。先生と呼ばれたからには、まず、授業で信頼に応えましょう。

自分の話を聞かせるために、どんな方法をとるのか。昔は、「きびしさ」とりわけ、愛のムチ?本当によい言葉で体罰を美化していました。ミンチン先生をはじめ、昭和の物語に出てくる先生はだれもがかなり厳しい指導でした。昭和30年代に生まれた人々はいやというほど、体に刺激を受けたものです。受けなかった優等生も当然いましたが…。ちょっと油断が多く、冗談好きな私は、刺激を与える絶好の標的だったような気もします。本当にあれでよかったのでしょうか。答えはおのずとわかると思います。21世紀になった今、指導技術も飛躍的に変わりました。指導としての体罰や暴言は過去のものです。それを使う自体は、先生と呼ばれる信頼を捨てることです。

動物的な感情が人の行動を左右するとしたら、それをコントロ-ルできるまで、待つことも大切です。その方法を「アンガ-マネジメント」といいます。自分でかっとなりやすいタイプだと思う方はぜひ、これを身につけてください。怒りの発生のメカニズムを理解して、コントロ-ルすることが大切なのです。なかでも「6秒ル-ル」がよく取り上げられます。怒りは6秒しか持続しません。その間に怒りの理由を客観的に考え、自問自答すると、自然と怒りは収まるといわれています。

生徒募集の夏の陣「体験入学」に向け、全員が一致団結してがんばりましょう。育英館に学ぶ生徒たちが「楽しい学校」であると、胸をはって言えるように改善していきましょう。信頼はそれに応えようとするところから作られるものだと信じています。

きばっど育英館     国境なき医師団の講演から 

国際教育・グロ-バル人材育成講演会を聞きに出かけた。雨の季節を代表するような日曜日だった。会場は県民交流センタ-2階のホ-ル、入場すると、高校生を中心に、多くの人が座っていた。(留学フェアに来る人はなにかオ-ラがあるなあ)

県教委の西橋指導監のあいさつ後、Tシャツ姿のイケメンが語り始めた。講演会と聞いていただけに、ス-ツ姿でないのにびっくりした。後で分かるのだが、このTシャツこそ、国境なき医師団のシンボルだった。デモDVDを見て、世界のあらゆる国に、要請があれば、24時間以内に医療スタッフと医療施設、器具を届けるという人道援助団体であると聞いて、驚くやら感動するやらだった。

青年医師高橋健介さんは自分の生い立ちを紹介し、外国へのあこがれへと話を進めた。その夢を実現し、国境なき医師団の一人として海外で活動している今を熱く語り始めた。医療ボランティアも大変な仕事である。しかも、現地での生活はサバイバルに近い、医療をろくに受けたこともない人々の命に関わる仕事をしている。その苦労や大変さを少しも感じさせない、さわやかな語りにも感動した。仕事への誇りと国際人として生き方の熱さ、潔さから出てくるものなのだろうか?

説明に活用した写真は仕事を説明するものだろうが、どの場面でもスタッフの笑顔が印象的だった。また、チ-ムの一人一人の写真に役割と人柄をそえて話すのにも好感がもてた。講演後の質疑応答の時間でも、どの質問にも「ありがとうございます」と答え、的確に返事を返そうと努力する。そして、「これでよかったでしょうかね」と聞き返す。講演中に「医療の現場で、失敗が許されない」という話があった。この質疑応答の高橋医師の対応は、正確な意思疎通をどうはかればよいかを実演したものだった。母国語でない英語でのやりとりで、スタッフ間の意志が確実に伝わったかを確認する方法なのだろうと思った。まさに、海外の仕事場ではスタッフ同士の意思疎通こそが第一である。

相手が患者に行った処置や患者に関する情報提供に必ず「感謝やねぎらい」を与え、自分が行う措置や患者への声かけについて、アドバイスをもらいたいという気持ちで確認を繰り返す。この一連の流れなくしては、活動は成り立たないし、信頼を得ることはできない。彼がチ-ムの一人としてよい仕事をしてきたことがよく分かる。英単語より、英文法より、コミュニケ-ションと彼が語った理由が本当に理解できた。だから、伝えたいという気持ちは、「ありがとう」と相手を思いやることからスタ-トする。医療スタッフも多国籍だと思うし、英語の単語や文法を知らないこともあるだろう。だからこそ、互いを信頼し、言いやすい環境を作ってあげることが必要となるのだろう。同じ人間同士は相手を思いやる心でつながると言いたい。

指導監は「自国の歴史や文化を学び、留学先のそれらを知ろうとすれば、相手の多様性を受け入れることができる」と語られた。日本人が大切にしてきた「和」は閉じるものではない。自国のよさを知った上で、相手を理解していこうとする、開かれた「和」でありたい。常に思いやりをもって、つながろうとする「和」でなくてはならないと考えることができた。よい機会を与えていただいた皆さんに感謝したい。

きばっど育英館 終業式の校長講話(概略版)2   

夏を制するものは受験を制する 夏を制するものは自分を制する

「制する」とは「自分をコントロ-ルできる」ことだ。「かなり暑い」という条件の悪い中でも、自分をコントロ-ルできる。こうなると、人間は強い。そうできるように、訓練するということだ。剣道や柔道の武道にみる「暑中けいこ」、「寒中けいこ」の意味はそこにある。条件の悪い中で、全力で取り組み、精神面を鍛えるようと考えて、昔から設定されたものだ。本番の試合がどんな状況下でも自分の力が発揮できる。昔も今もメンタルを鍛えるために、季節を利用するのはわかる気がする。悪条件を克服するメンタルの強さは、実社会でも十分役に立つはずだ。

これまでの夏休みの思い出の一つには計画通りいかなかった後悔をもつ人は多いはずだ。後悔をしないために、今年こそは○○になろう。あこがれのスタ-や好きなに、「イチロ-になる」と書くだけで取組は違ってくる。ぜひ、なりきろう。

(常に英才たれの最近号には、イチロ-、本田圭佑の卒業文集の文章を掲載しました。「お世話になった人を球場に招待したい」と書いている文章を読むと、本人たちが感謝の気持ちを忘れていないことがよく分かります。感動しました。)

ところで、木の年輪で、よく成長している部分は、密な部分でなく疎になっている部分である。一見無駄に見えている部分が大切だ。この夏休みを機会に勉強だけでなく、音楽会、美術展などに行って、日常にはない感動を覚えてほしい。映画は吹き替えでなく、字幕を見て楽しむもよい。ゆったりと美術館で好きな絵を見たり、コンサ-トに行って、音楽を鑑賞したりと、自分をつくる活動を積極的に行ってほしい。

個人的には、アリスに会ってほしい。今回ほど、時間を考えさせる話はない。「過去は変えられない。しかし、過去に学ぶことはできる。」という言葉は多くのことを考えさせる。過去の出来事はその人の一生を決めるものでないと言い換えておきたい。過去の出来事を変えてもその人の一生が変わらないとすれば、それをどうとらえるかで決まると言い換えた方がよい。続きはぜひ、劇場で…

育英館を誇りに思い、学校を愛し、どこでも胸をはってすばらしいと言ってほしい。「貫き極めろ」はどこまで達成できましたか。育英館の生徒とは?と考えると、やはり、英才になろうと努力する人であってほしい。学校を変えるために、先生方にも協力してもらっています。次は皆さん自身が変わる番です。もうすでに変わっている人も大勢でてきました。今までとは違う育英館をつくりましょう。

英才とは目標、目的があってそれに向かって努力できる人です。信長は天才、秀吉は秀才、太平の世を願い、努力した家康こそ英才だと思います。「人の一生は重き荷を背負って行くがごとし」は家康の言葉として有名ですが、理想を掲げて努力する姿だと思います。育英館の英才たちにも、「重き荷を背負って」がんばってほしい。文化祭、体育祭もやってきます。皆さんの一人一人の力が集まり、すばらしいものとなります。学校はやりとげたという感動を共有する場です。

育英館の看板「常に英才たれ」を背負って、2学期もがんばりましょう。

きばっど育英館 終業式の校長講話(概略版)1         

育英館の伝統である礼法指導の成果を目の当たりにした1学期でした。

生徒指導の根本は「形を整え、心を入れて、姿で現す」です。

修学旅行での中3の2組の行動のすばらしさに、礼法指導の必要性を感じました。育英館の生徒が社会生活の上で大切な礼儀ができていることを多くの方に褒めていただきました。太秦映画村の食堂やホテルのバイキング朝食の後に、食器が集められ、並んでいることに感動しました。だれがいうこともなしにできることがすごいことです。また、片づける人のことに思いをはせる力があることも感じられました。5分前行動や場所によって声の大きさを変える。体形を変えて、話を聞く。グル-プでの行動では仲間を待つなど、チ-ムの結束に必要なものはすべてそろっているなあと感じました。よいチ-ムに育つと思います。ぜひ、この学年を後輩は見習い、先輩はさらに高きを目指して、育英館の三本柱といわれる「礼儀徹底」、「無言作業」、「時間厳守」を校風として確立してほしいものです。

さて、他人から知られずによいことをするのが、古今東西、最高の行いとされてきました。善行賞は、その行為自体を称える賞です。多くの人の模範となるすばらしい行いとして評価される人に与えられる賞です。「ちりを拾う」、「率先して行動する」、「思いやりの心を行動に移す」など、日常生活の中でだれもが遭遇する場面で、主体的によいことを行えていることを評価したものです。自分でもできそうだと思ってもなかなか難しいものです。ぜひ、次回の善行賞を自分のものにしてほしいと考えます。

次に自己向上賞は若い目の入賞者、成績向上者に今回は授与しました。成績が向上するためには、弱点克服に力を入れる必要があります。他人がやってくれるのではなく、自分を高めるのは自分でしかできないことです。こつこつと努力する以外にありません。若い目の入賞者の皆さんには、社会や時代を素直に見つめ、考えられる若い目を今後も持ち続けてほしいと願っています。そのためにも、多くの読書をして、自分の考えを多く書き、そして多く語ることに努めてください。日本語だけでなく英語でもコミュニケ-ションがとれるよう、表現力を養ってください。

今学期の英検全員合格やサッカ-、野球の地区大会優勝などは、皆さんの取組の評価が表れたものです。この育英館で学んだことが、確実に成果へつながっていきます。君たちを支えてくれた多くの人への感謝の気持ちで県大会へ進んでほしい。多くの仲間たちが立ちたいと思って競うあこがれの場面に立てる自分たちを誇りに思ってください。育英館の看板を背負って戦う覚悟があれば、次のチャレンジへの大きな原動力となるはずです。

 

(なかなか暑い中での終業式講話で時間短縮のために省略した部分が多かったような気がします。また、中学生から高校生ということで、反応を見ながら言葉を付け加えた部分も多かったような気がします。)