きばっど育英館 ハイブリッド化にむけて その2    

アップル社の研修で話題になったが、学習のスタ-トは「家庭でのソフト学習で」という発想もおもしろい。また、この際に、問題の通過率等の学習歴が明確に残っていると、発展や補充学習の一つとして、授業中にその生徒に合う学習ソ-スを選択でき、個々の生徒の学力向上が図られるに違いない。教師のIPAD活用能力が向上すると、ソフトコ-ディネイターとして、生徒の学びを今以上に支援できる可能性がある。

今までにない支援を可能にするという点では、ハイブリッド化はけっこうおもしろいと思う。後は、『自分のこととして』やる、始めることがポイントとなるだろう。

新聞や雑誌で、語彙を獲得する機会の少ない生徒にも、ウェブニュ-スを通して学習をさせることで、新聞を読むのと同じ効果をあげられる。消えてしまうだけで、場所もとらない。○○シャワ-的な使い方には好都合である。この利点は大いに活用したい。検索の仕方を身につけさせるには、辞書等できちんと学ぶのも大事なので、学年や単元のはじめでは、調べ方を取り立てて学習させることも必要である。

教科を横断的、総合的に学習する際に大切なのは、どうつなぐかである。または、つなぎやすいように教科指導を展開するである。総合的な学習の時間を導入する前段階として、クロスカリキュラム型の総合を経験した人なら、かなりイメ-ジできる。クロスカリキュラムを簡単に説明しよう。「目」というテ-マで、保健体育、理科、国語という各教科が学習を展開する。その際に理科では「目の構造」を取り上げ、保健体育で「目の健康」を取り上げ、国語で「目について書かれた随筆を学ぶ」というカリキュラムだ。各教科の指導計画をすり合わせて、同時期に目について学ぶようにする。目についての理解が深まることは当然だが、同様に、「耳」、「鼻」、「口」の学習をグル-プで追及する時間を設定できるというものだ。

教師の知らないことも多くあり、ともに学ぶという点ではなかなか楽しかったことを覚えている。他教科でどう教えているのか。最後のまとめは、パワ-ポイントで作成させて、ブ-スを作って屋台村形式で発表させた。動画ソフトが発達しているので、今こそ各教科をつないで学習してその成果を発表するとおもしろいと感じている。

クロスカリキュラムを実施するわけではないが、生徒が各教科をつなごうとする関心・意欲をもてるように、教師の語りも工夫したい。自分の教科で学習の輪を閉じてしまわず、他教科への発展の部分を残しておくことが必要だ。学習の輪を閉じないことが横断的、総合的な学習のカギとなる。

生徒の学力の伸びに英語力が大きく貢献した。さらに一歩踏み込んで、これからの時代を生き抜くには、どんな力が必要なのかを改めて考えたい。課題が複雑化、多様化すればするほど、それらをつらぬいたり、つないだりして、解決していこうとする力こそ大切である。柔軟な発想とモデルにとらわれない生き方を志向させたい。お手本がないので不安だし、大変だが、それでも前向きに進もうとする生徒を育てたい。

「少しの勇気と元気があれば、本気になれる」

きばっど育英館      学校力とは 

残暑はきびしいが、風は確実に秋、「風立ちぬ」となぜか松田聖子の歌が浮かんできた。この週末、育英館の校長になれた幸せをかみしめた。体育コ-スセレクション、私学振興大会、体育大会参観を通して育英館の学校力の高さを再度、認識した。

今年のセレクションは例年をやや上回る人数になりそうだ。9月24日はサッカ-、野球それぞれ30名程度の小学生の参加があった。保護者も入れると120名ぐらいの訪問者が育英館に足を運んだ。在校生は、開会行事の進行、体育コ-ス説明、受付補助を分担してやりとげた。態度も発表内容もすばらしいものだった。もちろん、入試日程や内容については担当でしっかりと説明した。校長あいさつでは、体育コ-スの生徒の部活動への取組や修学旅行での機敏な動きにふれ、国体やオリンピックをめざす学校としてふさわしいことを語った。グランドでは小学生をリードして、ランニングや投球練習をする野球部の生徒を見て、「さすがだなあ」と感じた。あこがれて育英館をめざし、後輩の前で模範をみせる、在校生にとってもハレの舞台に違いない。

午後からは私学振興大会に参加した。ここでは、城西高校放送部の藤井さんの進行に驚いた。そこらのアナウンサ-より数段うまい。出水中央高校吹奏楽の主将にインタビュ-する場面は、自然体だが、質問は的確で、安心して聞いていられた。相手から引き出すのが上手で、演奏の中身など、本当によく理解できた。彼女の笑顔と美しい声、以上に、場にあわせて相手の良さを引き出す力に感動した。育英館アナウンサ-にもこんなチャンスを与えたいものだ。きっと素晴らしい進行ができるはずだ。

開会行事で、本校保護者会長の山村智子さんが「保護者の願い」を堂々と提案された。落ち着いた口調で、会場の参加者、来賓の方々にアピ-ルした。フィナ-レはこの日に向けて編成された各校代表の合唱団だった。本校からも4名参加して、舞台左側の前列で精一杯歌ってくれた。「…今日という一日が笑顔でいられるようにお願いした」と歌う「365日の紙飛行機」だった。ここでも育英館の生徒のすばらしさをさりげなく発揮してくれた。笑顔で、口を大きく開けて精一杯歌う姿は、他と比べると違いがよくわかる。振興大会を盛り上げた会長と生徒の皆さん、本当にごくろうさま。

翌日は、市内の体育大会の参観をした。南地区の生徒数の多い2つの中学校である。

生徒のあいさつは悪くはないが、育英館のそれにはほど遠い。簡易テントが所狭しと並び、入口付近は混雑している。ここ数年急速に増えた。いろんな人がいると言えばそれまでだが、簡易テント対応には苦慮するよなあ…。何時に来てもパンフは手渡すとか、来賓席への案内があるとか、来校者に対するおもてなしにも、学校力の高さが表れるのかもしれない。この点では育英館は申し分ない。生徒の態度も育英館の生徒を見慣れたせいか、不十分な気がする。時たま見かける、シャツ出しや冗談の内容や大声の私語など、以前より気になった。よいものに見慣れたからだろうか。

こうやってみると、時間厳守、無言作業、礼儀作法の三本柱は間違いなく、生徒たちに定着している。伝統、高校生のよきモデル、少人数の一体感、これらの違いを作るは何?よさに甘えないで、学校力を高めるものについてじっくりと考え、さらに高めてみたいものだ。

きばっど育英館    ちがいを考え、つくるには

文化祭でミス、ミスタ-育英館というプログラムがあり、生徒たちがそれぞれパフォーマンスを繰り広げて、代表が決まった。我々が考える育英館生のイメージとあっているのだろうか。ある能力が優れているとか、いないとか、この演目を見る限りはすべて許容の範囲のような気がした。簡単に言えば、どの生徒もミスであり、ミスタ-なのだ。その意味では、育英館の生徒というイメ-ジは定着しているのかもしれない。

足が速い人といってもサイボ-グ009の加速装置がついているわけでもないし、中高生であれば、100メ-トルを走ると、速い者は11秒くらい?から、体調不良やケガをしたとか、走れない事情がある者をのぞいても30秒ぐらいの間に入る。しかし、「走る」という基準が当てはまるのは、15秒くらいまでかもしれない。もちろん、だれもがピアノは弾けないが、練習すればある程度弾けるようになるということだ。しかし、ミスやミスタ-が決まるということは、そこに何かしらの違いがあり、印象に残る何かがあることだ。

この演目から発想して、「育英館の平均的な生徒とは、だれ?」と人を求めてみると、育英館の今が見えてきそうだ。育英館の課題が見えそうだ。成績のグラフを思い出すと、他校との比較が分かる。しかし、数字は抽象的で、親近感がわかない。だれ?と生徒を思い浮かべると、課題は浮き彫りになる。簡単に言えば、その生徒のレベルを上げると育英館もアップする。イメ-ジ化しやすいし、具体策も考えやすい。

さて、生徒募集で各学校訪問する際に、私たちは何をもって「違い」を出しているのだろうか。各学校の学校訪問を受けた経験からいうと、各学校の訪問はみんな同じで印象に残らない。千と千尋の神隠しの「かおなし」ではないが、違いがないのではないか。先の話に戻ると、「走る」だけでは決められない。ある女子生徒がゴ-ル直前で手をふりながらテープカットしたシ-ンを鮮明に覚えている。今年の体育祭のヒトコマである。この驚きの感情は、彼女の存在を強く意識させ、もしやミス育英館?とゆさぶられた感じだった。このようなパフォーマンスで各学校に印象付けたい。

季節はすでに秋、育英館のよさを印象づけるラストチャンスである。ここで、指導監からもらったネタを紹介したい。学校訪問の視点は「ほめる」である。具体的には、①材料を探す…校門から玄関、玄関から職員室あるいは校長室までを観察する ②具体的にほめる…「靴箱の靴がきちんと並んでますね」、「校門の花がきれいですね」 ③自分の言葉でほめる…「四季折々の花が咲き乱れとよく言いますが、まさにぴったりですね」、「校訓の明朗活発は元気のよい生徒のあいさつで実証済みですね」

なるほど、①~③の「ほめ技」を具体的な話に入る前に、取り上げることは実に効果的、「ほめる内容」を5個は準備したい。これら「違い」を作り出す方法を、早速、身に着けたい。話が一段落したと考える瞬間に、「すばらしい学校ですね。いつ来ても」と殺し文句も言ってみたい。ほめられて悪い気はしないのは、当然だが、それ以上の効果が期待できそうだ。許容される範囲の違いと一線を画す育英館オリジナルでぜひ、秋の陣を勝ち抜いていただきたい。

きばっど育英館  見届けからペップト-クへ

教育実習の永野先生が毎朝、あいさつに来てくれる。彼には迷惑だろうが、つい昔を思い出していろいろと語っている。「授業を支えるのは、生徒理解、教材研究、授業技術である。」「教育実習はまず観察、生徒をよく観ることからだ。」「指導案どおりにいかない所が大切。」「授業は教師と生徒でつくるドラマ(一座建立)だ。」彼の実習もいよいよ授業に進んでいくようです。

今朝の打ち合わせで、指導監が「見届け」の話をされた。新米教師の頃、よく先輩に言われたものだった。教師「なぜ君は指導を受けているか、わかるね」生徒「はい」教師「じゃ自分の言葉で説明して」という会話がある。この流れでとかく説明できない生徒が指導される。しかし、教師がその生徒に分かるように具体的に教えると、次はよくなる。たまに、しっかりと説明できる者もいる。悪いと分かり、反省している生徒だ。その時は、「君らしくないなあ。これっきりにしてくれよ」と声をかけるのもよい。信じているよという声かけが大切なのである。少し経験するとこう言える。

次は、指示したことを復唱させると生徒の理解度がよくわかる。期限や手順がおかしいものはきちんと教える。自分なりの解釈で言葉を付け加えたり、省略する生徒には教師との基準の違いを明確にしてやる。「復唱はそのとおり言う」が基本である。考えさせるのでなく、行動させることに主眼がある。「形の指導」と教師が意識しないと失敗する。これらの技をぜひ、マスタ-してほしい。教師力向上につながる技だ。

見届けの対極に「始まり」がある。行事等で成功体験をさせることが重要だ。そのために、ぜひ研究してほしいのがペップト-クだ。「できるできるかならずできる」「やれるやれるかならずやれる」「かてるかてるかならずかてる」この言い方が成功へ結びつく。「負けるな」というより「勝てる」という言い方がよい。ペップト-クでは成功イメ-ジをもたせることが大切だ。「やかぜ」の精神もこのペップである。

しかし、これだけでは成功にはつながらない。さきほどの「見届け」と同じだけ具体的な取組が必要だ。それが、コ-チングである。生徒理解に基づき、しっかりとしてコ-チングがなされることが必要だ。コ-チである教師は科学的に分析し、どこを強化するかをいつも考え続けてほしい。それを的確に伝え、改善、改良させた上で、ペップト-クがあれば勝てる。これも「とことん」面倒をみることの一つと考える。

勝てる図式はすべての生活の中にある。思い出すのは、理事長挨拶で話題になった「部活の中で一番厳しい練習に耐えている。その上、礼儀正しく、模範的な生徒で、あいさつはすばらしい。」という日章学園高校のボクシング部の話だ。城西高校生にも同じことが言える。先日の学校参観でも、生徒たちの説明がさわやかでよかった。目的意識がはっきりし、自分の学校に誇りをもっている。学校生活を充実させると、「どこでもいつでも何にでも」試合と同じようなかまえで臨める。育英館の生徒も心が前にある状態になれるようにしたい。今回の見届けが2学期の成果につながりそうだ。

折れたるは折れたるままに、小さきは小さきままに、

咲けコスモスの花

きばっど育英館 ハイブリッド化にむけて その1   

育英館は創立以来、幾たびかの岐路に立たされ、それを積極的にのりこえてきた。

創立以来の育英館を支えたものは何か。それは、生徒の自覚、志の高さと礼儀作法、全寮制による一体感などである。そして、何よりも師弟同行による学問への探究である。創立時の育英館はそれを可能とする学び舎であった。このよき時代の育英館の時代に合わせた創造こそ、私たちに課せられた使命である。そのためには、現状の中で、今までの育英館を支えたものと同じ意義のある教育活動を創造したい。

考えてみると、不易流行の言葉通り、変えてはいけないものと変わらないといけないものがある。変えてはいけないものは、建学の精神であり、「天下の英才を得て、これを教育する」の設立の趣旨である。しかしながら、高齢化、少子化という社会情勢の変化、高度情報化という社会自体の変化に適応するためには、未来を予測した変革が必要である。そこで、平成28年から30年までの3年間を通して、本校のハイブリッド化を図りたい。教師も生徒も保護者もここに変わろうとする必要がある。

言葉の意味を考えるために、映画のジュラシックパ-クの続編ジュラシックワールドの話を例として取り上げてみたい。映画の中での話だが、テラノザウルスという獰猛な肉食恐竜をベ-スに遺伝子操作をほどこしたハイブリッド恐竜を誕生させた。経営者がこの新種を看板に売り出そうとした時、このハイブリッドが人間のコントロ-ルをこえ、自分の意志で活動し始め、管理人や他の恐竜を殺し、パ-ク自体をも危険にさらす。遺伝子操作の危険性を象徴したような話だった。

ハイブリッドのイメ-ジを描くにはやや物騒な例ではあるが、電気とガソリンで走る自動車よりはこちらに近い。多くの恐竜とコウイカ、アマガエルのDNAまで取り入れて作られた恐竜、インドミナス・レックス(横暴な王様の恐竜)だから、擬態もできるわ、破壊力はあるとは恐れ知らず、できないものは何もない。自分で考えて行動する力も人間並みというからすごい恐竜だ。

今後の育英館という点で、だれもがイメージできる「アイパッド活用、アクティブ・ラ-ニング、横断的・総合的な学習」が必要である。「それらを積極的に身につけて教師自身が変わる」ことから育英館のハイブリッド化を進めたい。この恐竜のように教師が変わり、力をつけたい。理事長の願いにある「自分自身を変える教師」がめざす姿である。次に、生徒を変えていきたい。

城西高校の見学の感想を見ると、育英館の強みをつくり、生かすと多くの方が書かれている。これがハイブリッド化への足がかりになる。2学期から本格的に動き出し、平成29年度にはペパ-レスとか、メ-ルでの提出とか、そんな言葉が職員間で出るようにできないだろうか。生徒用のアイパッドに学習の仕方が送信されるとか、テスト対策ならこれと、ソフトが紹介されるをぜひ実現したい。

そうなれば、生徒も変わらざるえない。使い方は無限にある。ぜひ自分だけのものにしないで、全員に紹介してほしい。だれもがもっと身近に使うものにしたい。

 

きばっど育英館    他山の石を拾えるかどうか  

城西高校への体験入学参観で、何を見て、何を学んだのだろうか。「我以外皆師」と剣豪武蔵に語らせた吉川英治はすごい。まさに他山の石を拾える人だと思う。小さい頃、河原で「この石はクジラだ」と似たものを探した。最近、さまざまな出来事や身の回りのものと比べ、似ているとか、縮図だとか、自分なりに解釈するのは「河原の石探しと同じ」と思いついた。参観の感想を読むと、いろいろなことが見えてきておもしろい。

石探しはどう発展したのかを思い出してみた。クジラにするために、色を塗った。目も描いた。残念ながら、水につける勇気はなかった。「他山の石を拾う」行為の本質がここにあるのかもしれない。子供の遊びといえばそれまでだが、身の回りや参観先での出来事にも着色すれば、別のものが見えてくるはずだ。自分の感性で、色塗りにぜひチャレンジしてほしい。城西にあって育英館にないもの、そこに、新しい何かがきっと見えてくる。しっかりと見たものを心にとめて、自分を磨こうとすれば、「我以外皆師」にきっとなるだろう。

「趣味はダイエット、特技はリバウンド」と健康管理をごまかす技を自慢している。食べ過ぎ、運動不足もよくないとわかっているが、なかなか実行できない。「実行する」と「考えてみる」には本当に大きな開きがある。これらは他山の石の拾い方に問題がある。石は一つの価値観であり、「ちょいメタが長生き」、「ふっくらするとかわいい」、ましてや、「腹があって男は一人前」と都合のよい石を次々に拾う。他山の石は、批判的に拾わないと意味がない。自分の今を改善するのに活用できるものを拾うがポイントだ。そう考えると、常に問題意識をもつことが重要だ。

この拾い方の違いには心の距離が遠いことも関係している。遠い外国で起こった事件と隣近所で起こったのでは、感じ方が違う。心の距離に関係なく、人の死は悲しいし、理不尽な事件には憤慨するのが当たり前だ。分かっていても、遠くの話に興味が湧くはずもなく、なかなかそうはいかない。せめて、石を拾う時には、自分や身内のことであるという気持ちで拾いたいものだ。自然災害やいろいろな事故への備えも、その気持ちがあれば、最悪を想定する部分できっと役立つに違いない。まさに他山の石の教えのとおりである。

拾ってきた石を自分なりにどう生かすが次のポイントだ。そのままでは、ただの石、まさか、置物(思い出の品)や文鎮かわりに使う人はいないだろうが…。そのままの形から、自分の生き方のモデルにするものよし。「自分に不足していた象さんタイプで生活しよう」と考える方法だ。加工すると考えると、「磨く」で、地学でのプレパラ-トづくりの経験が浮かんだ。ギタ-ピックぐらいの大きさ、薄さになるまで、石をひたすら磨く。完成品を顕微鏡で覗くと、鉱物が浮き彫りになり、それは美しい。「適度に磨く」も輝かす方法の一つではないだろうか。

他山の石の話でここまできたが、自分のことは棚に上げて見えないのが、並の人間である。自分はどうなのかを知ろうと、比較する石を手に入れる努力をしてほしい。他山の石はけっこうあちこちに転がっている。岩石採集をするつもりで、他山の石を集めてみてはどうだろう。

2歳になる孫は砂利を拾いながら、「大きい、小さい」とつぶやきながら振り分ける。玄関のたたきに並べて、つぶやく。自分以外を認識する感覚は物理的なものから派生し、やがて、抽象的なものへと成長する。彼がどんな石を拾い、それをどうするのか。楽しみに眺めたい。「幸せの隣にいても気づかない日もあるんだね」と365歩のマ-チでチ-タが歌ったのは半世紀も前、未だに幸せの石に気付けない私は、孫に追い越されるのだろうか。石の話はなかなかまとまらない。

きばっど育英館  感情の爆発はダメですから

城西高校であった桃木野弁護士の講話メモです。先日配布された資料と合わせてお読みください。桃木野さんの語り口調が伝わるようにまとめてあります。

 

ペン型カメラを更衣室においた教員もいましたね。なぜ教員の信用失墜行為はなくならないのでしょうか。いけないと分かっているのに…。職場のコミュニケ-ションが活性化されていると、問題は起きにくい。そこで、同僚に悩みを話せる、お互いが聞ける環境づくりを学校全体で取り組むことが大切です。行動には必ず原因があるから、その原因をつぶす。原因がなくなれば、信用失墜行為は発生することはない

体罰か否かは個人的な感情の爆発があったかどうかで判断される。あれば、体罰と認定される。パワハラ発生の原因は相手が嫌いであるということだ。相手もこちらが嫌い。当然、気持ちがすれ違う。パワハラが発生する。飲酒運転の発生の原因は、運転代行を呼ぶのがめんどうくさい。または、お金がもったいないという勝手な気持ちだ。交通法規を知っているのに、勝手に理屈をつけ、正当化している。

いろいろな場面で、相手との関係がうまくいかずに、感情の爆発になれば、当然、体罰である。借金があるから横領するし、あいつが嫌いだからパワハラになる。防ぐためには、原因をつぶすこと、具体的には①機会をなくす ②動機を発見する ③正当化を否定するとよい。

いろいろなハラスメントがある。受けた方がどういう気持ちになったかが問題とされる。「これぐらいは大丈夫とか」、「親しいから」という論理は通用しない。被害者がどう受け止めたかによることが大きい。そして、判決には社会的な客観面が適応される。状況はどうあれ、体をさわると、「接触した」となり、少なくても200万はすぐに要求される。パワハラ事件では、嫌悪の有無、人格否定の言動、執拗さなどがあるかないかが判断の基準となる。

上司の言葉で、部下がうつ病になった。それまでの様子や状況を把握していれば、言葉の使い方に配慮ができたはずだ。そう判断されると、要件がそろわなくてもパワハラになる。相手に声をかける時は、どういう状況にあるのかを把握することを求められることになる。これだと、上司はたまったものではない。

水戸中学校事件は有形力の行使を認めた例で、懲戒権の範囲内では有形力の行使もあるとした。出席簿でのポンや染直しの洗髪行為もオッケ-である。

ただし、日常から関係が悪く、感情の爆発の末に出た教師の言葉で、児童が衝動的に自殺した事例は、体罰となった。人間関係や当時の状況を考えると、衝動的な行動に出る可能性を予見できるという理由です。

まずは語りやすい職場づくり、それと、感情の爆発はどんなときでもダメですね

きばっど育英館    心の成長を考える 

EQが教育界で取り上げられたのは、頭がよくても悪いことをする人がいるという話からだった。EQを調べているうちに、頭のよさと善い行いができるとは違うことがよくわかってきた。行動できたことを評価する手段として、「善行賞なるものが存在する」意味がよく分かる。「善い行いをする」を知識として教えても、実行するのには心のもち方が大きくかかわる。心が存在して初めてよいことができるといっても過言ではない。そのためには、よい行動を起こせる心を育てることが大切だ。

心を育てるために必要なことは何か。一つは形を作ること、知識として教え、簡単に動作として覚えさせる。お年寄りに席を譲るなどは分かりやすい。次に形を変えること。いろいろな場面で、お年寄りに席を譲ると同じ行動ができるのか。お年寄りが妊婦さんだったり、体の不自由な方だったりと、相手が違っても席を譲ることには変わりない。さらに思いやりの行動として、カバンをもってあげるとかである。

他人のものまねでなく、自主的に行動できなければ、本当に心が成長したとは言い難い。中島みゆきは「糸」という歌で「幸せ」を「仕合せ」とかけている。なかなかうまいたとえだ。もちろん、歌もうまいが…。これをまねして、糸に関わる話で、心の成長を説明したい。「しつけ糸」や「仮縫い」という言葉は、「躾」の本質を説明するのに好都合だ。本縫いができたら、しつけ糸は取り除く。躾はまさにしつけ糸を抜いて完成する。つまり、自分で自分の身を美しくすることができてこそ、完成である。いつまでも、しつけ糸があってはこまる。自主的な行動こそ、躾の完成形である。こういう説明に使えるので、漢字は実におもしろい。

さて、心はどんなに育つのかを考えるためにも、このEQは大切だった。その当時は、心の指数は大切だと言われたのに、いつのまにか学力向上に消されてしまった感がある。あのころの心の教育はどこにいったのか。育英館で育てようとする英才たちは、「学力」も「心」も必要だ。そこで、生徒たちには、生き方を考えさせる体験をさせることが大切だ考えている。その意味では全寮制での経験は貴重だったと思う。先輩のよさに学ぶチャンスが常にあり、それがあこがれになり、自分たちの伝統として定着していった。この全寮制のよさは共同生活をすることで培われたものだ。四六時中のつきあいだから、自分のわがままが通らず、他人と協力して生活しなければならない。その中で、自分の立場や役割は自然と身につけられた。そういう体験が少なくなった今、心を育てる感動的な話を含めて、多様な体験にふれあう場を設定したい。今こそ、心を育てる努力が求められている。

本年度の初任者研修で、電話応対が取り上げられた。ベルがなったら、3回以内にとる。相手の心がまえができる、こちらの心がまえとして、笑顔の表情をつくる、笑顔になると声まで変わる。それらを準備するための時間というわけだ。なんという思いやりの時間だ。こういうことに気付き、行動できる生徒を育てたい。英才と呼ばれる生徒たちには、「多様な思いやりの行動ができる」というレベルに、学校行事を通して、このEQを高めていきたい。

 

きばっど 育英館   授業改善検討会から

生徒は授業をどうとらえているかを考えるよい機会になった。中学生は自分に合う、合わないで評価し、高校生は自分なりに納得できるか、どうかで評価しているようだ。中学生は生のまま、高校生は大人というところだ。「宿題が多い」とか、「先生が質問によく答えてくれるとか」は本人のとらえ方による。どの教科であれ、基礎的な部分は汗を流して覚える以外にない。効率のよい覚え方や定着率をあげる方法については、教師の指導で高められる。ただし、個々に認知スタイルが違うので、暗記法は個人的にアドバイスするのがより効果的である。何度も書いて覚えるタイプもあれば、くりかえし読むで覚えられるタイプもある

教師に対して質問する生徒の中には思いつき、考えつきで発言する生徒もいる。興味・関心があるとよい方にとらえることもできる。ところが、代表で発表させた発言や、教師の説明を聞いていない場合もある。質問を奨励するより、よく聞くことを指導すべきだろう。板書したものでなく、生徒の発表のポイントや教師の説明を書かせてみるのも必要だ。質問力を高める意図があれば、予習として学習する場所を10ページ程度は読んでくるとするのもよいだろう。

板書については、ノ-トに書き写すだけではダメである。重要なものに下線を引くなり、マ-クするなりの工夫が必要である。一朝一夕にできるわけはないので、教師の側でも、チョークの使い分けをするなどして、1時間に1か所は重要であるものを意識させたい。ノ-ト点検や机間指導する際は、この重要な部分を書き留めてあるかを評価したい。認めて、褒めることでポイントを探す力を強化できる。

授業もウォーミングアップが必要で、生徒の状態を把握したら、軽いタスクでスタ-トしたい。最初から重いものをもたせるのは考えものだ。また、次の授業とのつなぎを考える授業なら、まとめの部分は、興味を高める予告としたい。導入の工夫と同じだけ手間暇かけてみたい。授業の中で、全体計画や単元の楽しみをハイライト的に紹介するのもよい。つけたい力を明確にし、授業をもっと柔軟に発想する勇気も必要だ。教科枠を超えて、「串刺し」というイメ-ジをもちたい。各教科の知識は固まったものでなく、流動性、可変性のあるものでなければならない。閑話休題

板書、ワ-クシ-ト、ノ-トは相互に補完しあうものだ。自己教育力の一つはノ-トづくりにあるといってもよい。自分でノ-トをつくり、仕事に役立たせる力をつけたい。一流コックでも下積み時代はレシピを書き溜めただろうし、「今でしょ」の林先生でも、小6のころ、手作り歴史レポ-トを作成したようだ。自分で書いてまとめるトレ-ニングはこのノ-トづくりが一番だ。

ALを授業に取り入れても、学習は個々に成立する。協働で学習した成果をどう自分のものにするのか。その方法をしっかり教えないと、にぎやかなグル-プ学習で終わる。友人の発言の中にある重要なものをメモし、それを使って自分の考えを修正したり、高めたりして、発表し、そして、みんなとの話合いの中から、重要なものを手に入れる。手に入れたものは、自分の言葉で整理して、しっかりと定着させる。ここまでいかないと本物ではない。

きばっど育英館        よいとこGO 

「幸せのポリアンナ」という題の本がある。「よかった探し」(どんなことが起きてもその中からよかったと思えることを探し出して明るく振る舞うこと)が得意な天真爛漫な少女が主人公である。もう少し詳しく彼女を語ると、周りの人の心配事を本気で考えられるやさしさがある。そして、子供っぽく思慮が浅いところがあるものの、頭の回転は早く、思いついたことはすぐ行動に移すタイプである。

ポリアンナではないが、育英館のよいとこ探しをぜひお願いしたい。週番報告で戸締りの不備やク-ラ-や電灯の消し忘れを聞くと、「おやまあこんなにもできないの?」と思えてならない。もっと、よいところもあるのではないですか?よいとこもぜひ、週一でよいから、報告してはいかがと思っている。確かに、うっかり忘れたりするのはあるだろう。その分だれかがカバ-することもぜひ教えたい。カバ-してくれた生徒を褒めてはどうだろうか。よいとこは褒めるということももっとあってよいのではないか。善行賞に近い行動で、校内で活躍している生徒もいるのかもしれない。

さて、この物語は、どれだけ苦しい状況でも、牧師である父親の遺言の「よかった探し」をするポリアンナが印象的で、『小公女セーラ』に続くテレビヒット作となった。世界名作劇場を視聴された皆さん、思い出しましたか?この作品では『よかった探し』という言葉が創作され、視聴者の間で定着した。この原作が出版された時も、主人公の名前であるPollyannaは「極めて前向きな楽観主義者」の意味として使われ、その後心理学分野での用語ポリアンナ効果が生まれた。この効果は、「書かれた言葉においては、ネガティブ(否定的、悲観的、後ろ向き)な言葉よりもポジティブ(肯定的、楽天的、前向き)な言葉の方が大きな影響を及ぼす」と説明されている。

私もポリアンナの口癖をいただいて、「得意なのはよいとこ探しです」と加点評価を接明している。よいとこを探すと夢が語れる、未来を考えられる。否定的な思い込みで先へ進めない人をよいとこ探しで変えていくポリアンナはなかなかの教師である。肯定的な評価を人は好む、自分が肯定されない部分があると分かるからこそ…。でも、「他人から素直にここはよいとこだ」と言われるとだれでもうれしい。そして、自分の中のよさを自分で発見することができる。自己肯定感は自分自身でよいとこを自分の中に探し出せたときに高まる。そのためには、よいとこ探しは効果的な手法に違いない。

今年の夏はポケモンGOで「探す」という行為がクロ-ズアップされている。自分のよいことを探すのもありかもしれない。そのためにも、隣の同僚や友人、家族のよいとこ探しをお願いしたい。悪いところでなく、他人のよいとこを探すとまんざら自分も捨てたものではないと再発見できるに違いない。ポケモンGOは運動不足解消のねらいもあるらしいが、よいとこGOは心の運動不足を解消できる。本当の自分を素直に出せるようになる効果もある。ぜひ、よいとこを探してそれをゲットしたい。ポケモンは捕まるだけだが、よいとこは見つけると、自分のものになる。人は他人のマネをする性質があり、肯定的にとらえた他人のよさを自分の中に取り込んで自分のものに変えようとする。暑い中、熱中症に注意しながら、ぜひ、よいとこGOをやってみよう。2学期にはその成果をぜひ、生徒にも語ってください。