きばっど育英館    あの人は今                H28.12.27

テレビの番組ではないが、「あの人は今」というキ-ワ-ドで、年の暮れには一日過ごす日があってもよいのではないかと思う。今年もいろいろな人との出会いがあった。トラブルになったり、助けてもらったり、あの人は今どうしているのだろうか。本当にあれでよかったのかと思い返してみたい。とりわけ、トラブルが継続しているものは、一通りの線を引かないととんでもないことになる。また、沈静化しただけで火種が残っているのも要注意だ。消せなくても、温度は下げておきたい。

好転しているなら今がチャンス。その後を評価し、未来を語ると信頼の絆はぐっと深まる。有能なセ-ルスマンはトラブルがチャンスと苦情処理に力を注ぐものだ。笑顔で対応し、相手の信頼を築き、そして、あの人は今で、信頼を深める。これで、多少の無理がきくようになる。「あの人の言うことなら…」が、お客様の心をあけるカギとなる。苦笑処理といえるぐらいの余裕が出てくれば、たいしたものだ。

教師になると、教え子は年を経る度に増加する。覚えられないのが本当のところで、フルネ-ムで言えるのは、何分の1だろうか。「先生、元気」と声かけられると、「おや、ゆかりさん」と適当に名前を言う。「違いますよ。○○です」と言わせて、「下の名前は、きぬよさんだったよね」と返す。「違いますよ。▼▼です」と言わせて、「そうか、○○□か」とさりげなく返す。「だれですか。○○□は?」と会話を続け、「ごめんね。○○▼▼か、なつかしいね」と軟着陸させる。教師は自分のことだけは覚えていると教え子は思うものらしい。残念ながら、そこまで記憶力はよくない。

そして、同窓会の話題は「先生変わらないね」である。あいさつ言葉の典型だ。失礼な‥外見も随分変わっている。言われなくても変わっています。生徒の目から見ればそうなのかもしれないと慰める。次によく、「先生の言葉で今の自分がいます」と言ってくれると、おせじでもうれしい。それは間違いで、「あなたの努力が自分を変えたのだし、もっと言うとその場に応じて変わらないと人は生きていけないのだよ。」と言ってあげたい。しかし、言わないで「まだまだ甘いなあ」と先生は焼酎を飲む同窓会の季節でもある。教師にも生徒にも「あの人は今」の季節なのだ。

あの人は今の番組に負けない、40人、40通りの人生があるのに驚く。本当に当たり前の話だが、中学校制服のイメ-ジは残るものの、みんな変わっている。中学校時代の面影を探す。どこにどんな形になって存在するのだろうか。生きる核になっているのだろうか。人間の成長は本人のイメ-ジの拡大なのかもしれない。多様性による生き残りをかけたバリエ-ションの増加なのだろうか。同じものは一つとして存在しないが、人として生きるための想定内の変化なのだろう。

あの人は今、私たちも生徒にそう思われているはずだ。だからこそ、この仕事を大事にして、あの人は今でも教師として活躍していると評価されたら幸せだ。教師を続けるなら、生徒に与えたイメ-ジを守り続けたい。しかし、人が成長するとは変わることかもしれない。アイドルが昔と変わらず安心するのもよいが、こんなにも変わったかと生徒たちの成長に感動する「あの人は今」もあってよいだろう。

きばっど育英館    漫画の中の一言              H28.12.28

校内球技大会の開会式では、「スラムダンク」の安西先生の話をしました。この漫画の桜木花道という主人公は一途にバスケットの打ち込む若者です。お調子者で、お世辞にも理解力の高いという言葉は当てはまりません。そこで、先生はこの男に分かるように話をします。シュートを成功させる回数やディフェンスを抜いて、パスを出す回数などを示します。本人はまったくの素人ですから、失敗したり、達成するまでかなり時間はかかります。しかし、その挑戦の積み重ねがプレイヤーとしての一番大事な基礎体力づくりを兼ねているのです。安西先生のもくろみは見事的中し、花道君はすばらしい選手に成長していきます。

そして、我が強く、チ-ムでプレイができないこの男に、チ-ムでプレイすることの大切さも教えていきます。仲間との信頼があればパスがまわるし、シュートもできるのです。それぞれに役割があり、それをきちんと果たすことが信頼を得ることにつながることを身をもって体験していくわけです。もちろん、高校生活を描いていますから、恋あり、友情ありの漫画です。キャラクターも多種多様なので、きっと自分なりに「推しメン」にも会うことでしょう。人気の出るスポ-ツ漫画は、本人の技術力の高まりを描くとき、必ず、心の成長も描いている点に注目したいと思います。

鹿児島女子高の春バレ-出場の話を聞いたとき、その秘密は?と聞いてみました。それは、「拾って、あげて、考えて、」と今までの指導とは違う部分があるということでした。「拾って、あげて、アタックですよね」と確認してみると、練習ではいろいろな相手を想定し、対策を積み重ねてきた。本番で、どの攻撃パタ-ンで攻めていこうと瞬時に判断できなければ勝てない。練習ですべての対策は終わっている。そこで、「考えて」なのだそうだ。だから、監督はタイムをとらないという話のおちがある。

漫画では、練習場面は試合に比べると描かれることは少ない。このことを聞くと、練習場面にこそ、試合のすべてがあるようだ。考える「材料」が必要だ。

スラムダンクに話をもどすが、上達して天狗になりかかる花道に先生は実戦を経験させます。運動能力は同じでも、よく考え、動くことのできる相手に翻弄され、ボ-ルにも触れない経験をさせます。運動能力の高まりに調整力が必要です。身体バランスや空中姿勢の制御が、バスケットでは必要です。試合の中ではいやでも経験をします。自分の脚力がもたない。自分より相手が跳躍する。そんな厳しい試合の中、安西先生はいいます。「あきらめたらそこで試合終了ですよ」バスケットは格闘技によく似ています。ゴ-ル下でのあたりは半端ではありません。強いチ-ムがマン・ツ-・マンでディフェンスで迫ってくると、ゴ-ルがとても遠く感じます。しかし、後半で相手が押してきた時、こちらにも必ずチャンスはあります。先生の言葉はすべての試合に使える言葉です。冬休みはもう一度、読み返したいですね。自分を信じる強さも必要です。メンタルを強化することはどのスポ-ツにも共通するものなのです。最後に、安西先生は、育英館にもいそうな気がします。

きばっど 育英館    サンタクロ-スの居場所         H28.12.22

「サンタクロ-スは何歳まで、あなたの家にやってきましたか」という質問を大人にすると、笑いながら「小学校の高学年です」と答える人が多いものです。それまでは、実際に信じていたのに…。クリスマスのブレゼントが枕元にあるのだから、だれかがおいているのだと考えると、それがサンタさんなのです。どうして、親とわかるようになるのでしょうか。私は弟と寝ないで見張ろうとして、力尽きたことがありました。それでも、ちゃんとプレゼントは置いてあったのです。クリスマス前には何がもらえるのかとどきどきして、いつもになくお利口さんになるものでした。サンタさんにどうして情報が伝わるのかも心配で、「お利口さんだよね」と母親に評価してもらい、安心していました。プレゼントがない時はなかったと記憶しています。

中学校に行くころには、学級ではクリスマスのブレゼントが話題になり、変に大人びた友人から「それは親だ」と聞かされ、今までだまされたと思ったりもしました。しかし、分かってはいても、「サンタさんにはいてほしいなあ」と心の中で思う自分もいました。中学校の進路の時間には、将来なりたいものを書かされて、「ありません」と書く友人はこぞってサンタ否定論者でした。教育学部で心理学を勉強しながら、「発達課題」を学んでいるうちに、やっぱりサンタクロ-スがいることが大切だと思うようになりました。あるものの存在を理解し、信じることも成長の一つなのです。

とにかく、「サンタクロ-スの居場所をつくる」が人間として成長する過程で大切なのです。そこは、サンタクロ-スがいなくなってもあこがれや夢のすみかになります。自分の大切なものをとっておける心の空間なのです。想像力や人の優しさの思い出、あこがれた人を入れておける場所になります。サンタクロ-スがいると信じる気持ちが大切で、いるかいないかを疑う気持ちが優先するものではありません。世界中の大人がサンタクロ-スはいるのだよと子供に語れる日が来るとよいのになあとよく思います。子供によいものを与える、最高のプレゼントだと思います。

お互いが相手を思い、自分の大切なものを捨ててまで、贈り物をする「賢者の贈り物」という話から、クリスマスの贈り物は、お互いの善意だと気づく人も多いはずです。幼い時はそこまで分からないのですが、成長していくと必ず気づくのでしょう。そのためにも、サンタクロ-スが来る日が必要なのです。同じように「クリスマスキャロル」という話も考えさせられます。自分の生き方を振り返る機会を三人の幽霊とともに経験した血も涙もない高利貸しのクルーゾは、イギリスで一番クリスマスの楽しみ方を知る男に生まれ変わります。クリスマスだからこそ、この話は貴重です。無財の七施ではありませんが、お金のかからない微笑みをおくりたいものです。

「恋人がサンタクロ-ス」という歌もあります。「隣のお姉さんが教えてくれた」という歌い出しです。このサンタクロ-ス、ひげのかわりに微笑みがすてきなようです。今年はあなたも微笑みでだれかのサンタクロ-スになりましょう。世界中のみんながせめてこの日だけは、幸せでありますように。メリ-クリスマス

きばっど育英館     会者定離               H28.12.9

前任校の生徒が亡くなった話を聞いた。両親の悲しみはいかばかりかとつらい悲しい気持ちになった。その子と親しくしていた生徒会のメンバ-の悲しみも大きいと話を聞くと、人の世の無情をしみじみと感じる。ましてや、15歳の生徒たちをわざわざこんな悲しみにあわなくてもよいのに…とも思う。人の世では、生まれてきたものには、出会うことは別れが必ずあるという定めがある。分かれたくないので、会わなければよいという考えも成り立つが、生まれた者にはそれは許されない。一生を通して、限りなく出会い、限りなく別れを経験することになる。

親しい人を亡くしたとき、人はどうやって立ち直るのか。あの時から私の時間は止まったままと言う言い方をするが、人の時間は止まることはない。なくなった人の時間は確かにそこで止まっているようだ。考えてみると、人としての時間は止まったとしても、生物としての時間は動いている。おなかはすくし、トイレにも行きたくなるし、不謹慎だが、おいしいものはおいしい。残された者は自らが死ぬまで生きて行かなくてはならない。それが、生きているもののル-ルである。だから、生物としての私の時間はけっしてとまることはない。そうやってだれもが生きてきた。

なくなった人の分まで生きる、それでよいと思う。なくなった人の分まで生きることも本当はできない。しかし、そんな気持ちでがんばることはできる。そうしてあげれば、自分の中でいつまでも生き続けることは確かだ。人はそうやって悲しみを乗り越え、悲しみまでも自分と同化していく。亡くなった人を忘れたとき、本当の意味での死がおとずれる。だれかの心に生き続けている限り、生きているといえる。また、何かの機会に思い出してもらえると生き返るともいえる。忘却こそ、「死」である。

死んだ人は☆になると言う話は、遠くにいって会えないことと同じだ。「木琴」という詩を思い出す人は多いはずだ。教科書に死を取り扱う教材を載せることも大切なことを感じる。よりよく生きるためには、死を考えることも大切だ。遠くに行ってあえない人より、近くの写真にある人が生きている感じがする。すぐに思い出せるし、夢にもちょこちょこ出て来る。この頃は、死生観も変わった「千の風になって」ならあまり寂しくはない。喪失感をどう受け止めるのかは千人なら千通りだ。残酷な言い方をすれば好き嫌いに関わらず、人はどちらかになる。生き残り生き続けるか。それとも死ぬのか。生きることは出会いと別れの繰り返しである。出会いの数だけ成長し、別れの数だけ豊かになる。悲しみを知るものはいっそう優しくなれる。

現在は神様からのブレゼントだが、このプレゼントは苦しみや涙なくしては受け取れないこともある。それが生死に関わる時ならなおさらだ。身近な死に遭遇すると、人は自分を引き裂かれそうに苦しむ。若い死は残酷だが、それでも受け入れざるを得ない。死を身近に見ない今、その衝撃は計り知れないのも事実だ。

それでも、若い人よ、あなたに、「友はいつまでも心に生き続けるのだよ」と言いたい。そして、がまんせずに泣くだけ泣いたら、あなたの時計をしっかりと持ち直して、これからの時間を生きてほしい。

きばっど育英館    師走の風に吹かれて           H28.12.2

今年も残すところ、後20日あまり、やり残したものを実現するにはやや日数が不足しそうだ。「3月までには」と考えるとやれそうな気にもなる。師走の風に吹かれてみると、あせりと反省がひょっこりと顔を出す。本当に精一杯「人間」をやれただろうかと心配になる。言いっぱなしになっていないかとおしゃべりを反省する。

校長職は育英館を数えて、3校目となった。前任校では、市内の生徒会の事務局、県の図書館研究会の事務局、そして、70周年行事開催をやりとげた。導火線に火をつけていなくなった自分をみんなはどう思ったか、風に向かって問いかけてみた。それぞれの役割をやりとげていくのはチ-ム力であり、所属するみんなの力であることがよくわかる。校長がいなくなってもどうにかなるものである。感謝の一言だ。

そこで、校長は何をすればよいのかという問題が出てくる。いろいろなものを成し遂げたり、乗り越えたりしていける人と人の和を作ることなのかも知れない。理事長からも評価された、育英館のチ-ム力はいまこそ発揮されるべきだ。向田邦子さんの本に「男時女時」というタイトルがあった。すべてがうまくいかないときを女時というらしいが、わたしは女時からスタ-トするのが好きだ。古今東西、レディファ-ストでうまくいく。その意味では導火線に火をつける校長として大事な役目をここでも与えていただいたような気がする。男時に会うまで火をつけ続けよう。

方向や目標を示すことが校長の第1の仕事だという話もある。私に言わせると、「トリ年で大いに飛躍をしたい。」と抱負を語るとすぐ、まずはチキン南蛮をみんなで食べて縁起をかつごうという話になりそうだ。宮崎のチェ-ン店「おぐら」の南蛮定食はおいしかった。1000円を超える値段に、注文した時は高いかなと思ったが、実にうまい。何が違うのか、ホワイトソ-ス?いや、酢なのか、とにかく1000円出してもよいと言う気持ちになった。よいものはいくら出しても食べたい。

さて、育英館に生徒を出している親はこう思っているだろうか。少なくとも卒業するときは、そう思ってもらい、満足させたい。方向を示す話が、トリ年なので南蛮になったが、食べ物屋の栄枯盛衰は世の人の評価を反映する。行列のできる店にとまでは言わないが、店に来て注文したお客様には最高の料理を出す気持ちでありたい。

大明丘にある「キッチン松元」の主人が最近なくなった。2年ほど前から、吉野方面の宴会で寄らせてもらった。その度に値段を超えるおいしさに驚いたことをよく覚えている。がんの宣告を受けたご主人が真っ先に考え、実践されたことは、お客様への恩返し、予算ギリギリでおいしい料理を出すである。お代はいただく、その予算の範囲で工夫して最高の料理を作り、出す、なんとすごい料理人のこだわりではないか。この話を聞いたとき、プロとしてこのこだわりを見習いたいと思った。生徒に提供する授業は最高のものとしたい。そんな時、「学園長の願い」が浮かんでくる。「最高のものを生徒に」を心がける者の姿勢である。育英館にとっては今は女時なのかもしれない。そうであればこそ、生徒たちに力をつけ、自己実現をしっかりと図らせたい。師走の風はさらに寒さを増すだろうが、私たちのハ-トはとことんマンのハ-トのようにいつでも燃えていたいものだ。

きばっど育英館     妙円寺詣りのころ            H28.10.21

妙円寺詣りの武者行例になぜか参加することになった。生徒がお世話になるということで、保存会の飲み方にあいさつに行った。ひょんなことからこうなった。60歳になり、体力は衰え、足腰はがたがたなのに、本当に悪乗りである。

そもそも、妙円寺が菩提寺である、この詣りの主人公、島津義弘公は関ヶ原の戦いのとき、すでに齢60をこえていたはずだ。九州管内の戦だけでなく、秀吉の朝鮮出兵にも参加し、「鬼島津」と恐れられた。84歳まで生き、戦場に出たのは60回をこえ、そのたびに生き残り、天寿を全うされた方である。強運と強靭な体力、精神力の持ち主に違いない。あごだけは鍛えている私とは大違いだ。(比べるのが間違い)

当日、神前に奏上される祭文は、公の功績を称えつつ、日置市の繁栄を祈るものになっている。厳粛な儀式に、鍛えてもいない、もち肌の自分が参加するのはおこがましい限りだ。60歳でも戦える義弘公を見習い、これを機会に少しは体力づくりも考えたいものだ。妙円寺詣りを育英館の伝統行事として位置づけられた先輩方の見識は素晴らしい。体力、気力を鍛えるのに最適な行事である。先人の苦労を偲び、自分を鍛える機会とする価値ある行事だ。この行事への取組の一つとして、妙円寺詣りの歌で歴史を紐解いてほしい。この歌は関ケ原の戦いをコンパクトにまとめている。

大垣城にこもり、敵を迎え撃つという当初の作戦は、関ヶ原での野戦に変更された。島津義弘公は夜襲をかけて敵の出鼻をくじくと献策するも受け入れられなかった。いよいよ、両軍が激突する。敵が打ち掛かれば応戦する覚悟で小池の陣営に待機する島津勢1000余名、その機会はなかなか来ない。それもそのはず、小早川秀秋の裏切りにより、西軍は総崩れとなっている。場所的に敵陣に最も近いところに布陣している島津勢である。今更、退却するわけにもいかない。退けば、当然、掃討戦になり全滅はまぬがれまい。敵はなだれうち、襲い掛かる。島津勢は「敵に背を見せるは卑怯なり」と敵中突破を試みる。チェストいけ。家康の本陣を突っ切って退却する。助ける味方の兵はすでになく、ただ島津勢だけが敵を相手に奮戦する形になった。多くの犠牲を出しながらも、死中に生を見出す。義弘公の身代わりと討ち死にする豊久、名だたる武将も次々に討ち死にする。乱戦をくぐりぬけ、義弘公を守り、泉州堺へたどり着いたのはわずかな兵であった。☆ざっくりまとめるとこんな感じの内容だ。

実にうまく話が歌に織り込まれている。悔しがった松平忠吉とか、敵将の井伊本田という人物名から、烏頭坂(うとう)等の地名も盛り込まれている。自然描写は季節感にあふれ、戦場ならではの惨状を語り、対句表現あり、古典的な言い回しなどなかなかの名文である。歴史満載、古文好きには応えられない歌である。

考えてみると、鎧武者を経験できる諸君はラッキ-である。なかなか経験できない。60歳の私もかぶとをもって歩いてみたが、重い。ただ歩くだけなのに、緊張感は半端ない。過去を体験することはできないはずだが、甲冑を身に着けてみると、何やら、一人前の武士になれるのではなかろうかと思ってしまう。鎧武者になった生徒たちに聞いてみたい。妙円寺詣りを終えたら、少し大人になれただろうか。何か変わっただろうか。

きばっど育英館    不自由の体験を考える           H28.10.31

一度は体験してみるとよいと言われ、その気になり、武者行列の練習に参加した。右手を直角にまげて手のひらを天に返す。左手は刀の柄の先端を押すように握りすり足で歩く。そして、曲がるときは直角に曲がる。立ち止まり、左足から踏み出す。これを1時間ずつ練習する。その後、5M四方の正方形の枠の中に、最前列に大将、副将の3人、その後に4人ずつの5例で武者が並ぶ。社殿への入り方、並び方を確認して、儀式の練習が始まる。大将の動きに合わせ、兜を置き、足を折り、腰を下ろす。お祓いを受けるため、低頭。その後は、祭文奏上、玉串奉奠、一同拝礼と一連の流れが続く。3日ほどで、なんとなく分かってくる。祭文奏上で礼、号令がかかったら礼、立つ時は中腰、兜をもつ、立ち上がる。なんとなく、これぐらいなら、やれるかもと勘違いした。(鎧をつけると、歩くことはおろか、立つ、座るもうまくできない)

いよいよ武者行列本番、まずは、パンツ一枚になり、専用の下着を身につける。鎧装着の始まりだ。まず、脛あてをつける。上と下をひもでしばるが、中に鉄板がはいっているので。きつく縛らないと緩んでくる。向こう脛にくいこむようで痛い。次に直垂をつける。鉄板を縦に縫い合わせたもので、腰にまくとずしっとくる。次に腕と胸の部分を覆う鎧帷子をつける。これも細かい鎖を縫い込んであるので、決して軽くない。次に胴丸の部分である。二つになった卵のからをあわせるように。二人がかりで装着させる。そして、脇あたりでとめる。ここまででかなりの重量がかかる。この後がさらにすごい。刀を腰に固定するためにさらしをまく。二人かがりで、縄状によりあわせていく。それを腰のあたりにしばる。「身をしぼる」という感じが適切だ。鎧がからだにぐっとくいこんで、体全体がしまる。いよいよ刀を腰につける。体は不自由さについていけないが、気持ちが先行して気合いが入るのがわかる。手に兜をもって完成だ。今までやった歩く練習の意味がやっとここでわかった。ふつうに歩けない。前方を見据えて、すり足で気合いを入れて歩かないと歩けない。

いよいよ出陣かと思いきや、雨はさらに激しくなり、土曜の行列は行われず、社殿での儀式のみとなった。保存会の方々が傘をさしかけてくださる中を社殿に上がり、いよいよ儀式が始まった。本番では身の引き締まる思いで、あれほどきつかった鎧の感覚がなくなり、心地よい緊張感に浸っていた。薄明かりの中、大将の祭文が響く。古の人々の魂と一体化したような瞬間が幾度も訪れた。公民館に帰り、鎧を脱がされたときは、不思議な開放感がこみあげてきた。鎧櫃の中に、その鎧を代々着た人の署名があった。そこに「平成28年10月22日宮元一賴」と書かせてもらった。

不自由な感覚を知ると、自由のありがたさがわかる。戦うことはないが、鎧を着るという、体験は実に貴重な体験だった。不自由な体験は人にいろいろなことを考えさせる。将来、決断を迫られたり、苦難に遭遇したりした時、自由の価値を知り、何者にも代え難いことを知っていることは大切だ。また、「形が心を整える」ことも事実だ。「形から入り、心と成る」で、武者の姿になることで、心も武士に近づけるのかもしれない。不自由な体験の教育的意義に改めて気づかされた。

きばっど育英館 私を育てたもの(ホテル短期大学の矢野校長の話)  H28.10.25

自分の基本となる所は祖母が育ててくれた。その意味で祖母には感謝している。ここに、ホテルマンを目指した自分の原点がある。朝起きてふとんをあげて、そうじをする。帰ってきたら子守、そして勉強、正座してきちんとできないとびりっとやられる。フロのそうじや片付けなどが毎日の決まった仕事であった。自分がここで生活できることに、感謝する。そういう心がまえまで、祖母は徹底して私を鍛え、育てた。ホテルマンになった時に、必要な資質はすべて祖母が教育してくれたと感じた。

言葉遣いにも厳しく、方言を話すと注意された。祖母の厳しい育て方で自分の人格ができあがった。いろいろなことに感謝、そして、勤労を愛す、謙虚さ、忍耐も育った。これらはすべて人生を生きる術である。これらは若い頃にくりかえし、たたき込む必要がある。それが当たり前であると思えるまで…。母は体が弱かったので、祖母が叔父夫婦の子供たちといっしょに育てたようなものだ。血はつながっているとはいえ、お互い遠慮がある。だからこそ、厳しく指導できたのかもしれない。

ホテルマンの仕事が自分をつくりあげた。睡眠は4、5時間だった。そこで、寝に帰るような毎日から、家庭は母子家庭になった。ホテルのことを考える毎日だった。現場から呼び出されることもあった。通勤の関係もあったが、酒を飲むことはなかった。退職した今でも、ホテルのロビ-に立つと体が自然と動く。41年間のホテルマンとしての体験がそうなるように自分を変えたのかもしれない。立ち居振る舞い、言葉遣いまで、まさに場数を踏んで育つ職場である。そして、それが自然と身につく職場でもある。現場一番、お客様の要望にどう応えるかを考えた毎日だったと思い出す。

ホテルマンとしても苦情処理ができて一人前だ。お客様の苦情を聞くだけ聞いて、ホテル側の話をする。誠意ある対応はまず、聞くことからだ。途中で話を中断すると苦情を言う方は興奮して、さらに収拾がつかなくなる。腹いっぱいになるまで聞いた後で、ホテルの考え方を示して、納得してもらうことが大切である。利益は追求しても、ホテルマンとして、「お客様のニ-ズに精一杯応えたい」がすべてであった。

さて、体験入学30名の定員はホテルの実際をみてもらうための制限である。市内のホテルにお願いして、体験入学の会場を提供してもらい、支配人の講話や先輩として働く5、6名の者に語ってもらう。実際の現場を体験するために、たとえば、皿3枚をどうもつか、配膳する順番をどうするのか、お客様へあいさつはどうするかなど、ホテルの仕事を楽しく知るプログラムを準備している。すべてにおいて、実践型の学校紹介である。そのため、参加する生徒さんたちには好評である。

ホテルで働くと8万くらいの対価が発生する。それを元手にホテル研修旅行を実施している。鹿児島以外のホテルで研修することで、各地のホテルのニ-ズやその地域ならではのイベント等がわかる。東京や大阪の一流ホテルで働くホテルマンを見ることが勉強だ。見ることで自分の行動を改善する視点が育つ。そういう意味で、本物を見ることの経験は何ものにも代え難い。今後とも、鹿児島のホテル業界で活躍する人材を供給する役目を大切にしていきたい。

(「厳しく教え温かく育てる」は人格形成に必要ですね)

きばっど育英館      環境整備の大切さ         H28.10.12

寮や学校の環境整備を考えてみたい。先日、所長が語られた話の概略を以下、引用する。改善できるところから実行していきましょう。

 

寮の環境整備ということで集まってもらった。寮に生徒を預けるとき、親はどんなことを期待しているか。保護者の思いを受け止めてほしい。親にはいろいろな思いがあり、一人で生活するわが子の心配をしている。寮生活はすべてが学習である。学校の授業や生活とは寮は関係ないとすまされるものではない。寮を親に見せるとき、十分な環境整備がなされているか。そのことを今、一度、考えてほしい。

寮での生徒間の問題でも先生方は知らなかったというわけにはいかない。過去にも寮の中で生徒の悲しい事故もあった。命の尊さ、大事さは当然話をしているはずだ。それなのに事故が起こった。環境整備だけでは効き目は急に出ない。しかし、地味な方法でも確実にやっていくことが大切だ。職員の間で日々の努力や協働が大切である。

寮のことを寮監だけの問題としないで、全員で考えていくべきだろう。

寮は本当に満足する環境なのか。女子には?母親には?どうなのか。実際に見ていただいてどう感じるのか。きれいな学校で、学習環境が整えられていると、親は自然とわが子を預けたいと考える。こういう管理をぜひ皆さんにお願いしたい。今一度、親の視点で見回り、環境整備は大丈夫かと見直してほしい。教育環境がよい学校にするためには、職員がお互い連携して改善することが一番の近道だ。

大学見学にいくと、寮にも花が飾ってある。玄関を入ってすぐよい雰囲気だ。よい香りがする場所は印象に残るし、親でなくてもこの学校なら入学させたいという気持ちになる。また、花が飾ってあると、心がやわらぐ。先代の理事長は花が好きだった。来る人への心遣いが形になる。花を飾り、心の和む場づくりを考えてほしい。

 

学校に水辺の広場があり、木々が、植物がある。この環境は先代理事長の「環境が人をつくる」の理念を形にしたものである。当然、学校でも、寮でもその理念を形にしないといけない。所長の言葉ではないが、心の和む場づくりを考えたい。たかが花一つであるが、されど花一つである。男子寮の右入口には花壇があり、季節の花が咲いている。温かみを感じるし、ほっとする一瞬の間ができる。そして、玄関の中へと足を踏み入れると、中庭が見える。環境には生徒たちへの無言の教えがあるはずだ。

生徒が心を開き、指導や助言を素直に受け入れるには、環境は大切である。設営、言葉遣い、先生の服装、すべてが教育環境である。保護者が預けたいと考える学校、寮になるように今一度見直したい。「花を飾ってほしい」と具体的なイメ-ジを所長が語られていることをしっかり受け止めて、私たちになりに環境整備をしていきたい。お客様を迎える心から温かいアィデアが出てくるはずだ。「教育環境もすばらしい育英館」になりましょう。

きばっど教育実習の授業研究28103

きばっど育英館    教育実習の授業研究            H28.10.7

国語科の授業研究会に参加した。永野先生の評論の授業だった。本人の反省が黒板に書かれていた。「時間配分、指名計画、 キ-ワ-ド、板書のスピ-ド、発問がうまくいかず ヒントの出し方」等が箇条書きされていた。

国語科の先生方の感想や質問が語られ、いよいよ私の番になった。研究授業の視点はいくつかあるが、教材研究、生徒理解、指導技術が大きな視点であることを話した。次に、黒板に書かれた言葉を整理して、考えを述べた。

まず、「キ-ワ-ドとヒントの出し方」であるが、これは教材研究の世界である。評論を指導するためには、文章の構成、接続語と指示語、文末表現、具体例と意見や主張の書き分け、重要語句の使い方など必要である。授業を始める前に、これらをしっかりと分析しておく必要がある。板書を意識して図式化しておくと理解が進む。

その図をどう完成するかの視点で発問や板書を計画するとよい。

次に「時間配分と板書のスピ-ド」という課題である。時間配分は、生徒の活動を位置づけて考えるとよい。個人で考えさせ、生徒間で話し合う。教師が生徒と関わりながら、まとめをする。自分で納得し、最初、考えたものに加除訂正して理解する。

授業をしながら、生徒の意欲、学習スタイルを把握しておくと、生徒の実態を考えた活動計画ができる。教材を構造化して、どの部分をだれにどのように考えさせるかで、計画はできあがる。生徒の顔が浮かぶようになると、ほぼ時間とおりの計画ができる。

「発問がうまくいかない、指名計画どおり」というのは、生徒の認知スタイルや理解のスピ-ドなどと、教材研究したものとの折り合いが足りない。全部教えてはいけない。下位から上位、具体から抽象など、重要語句にもレベルがある。ましてや、主張をわかるよう書かれた評論では、対比の理解は重要である。まとめようとすれば抽象的な言葉をそれぞれの要所で使うことになる。文章全体で、どこに出てくる言葉が重要であるかを考えさせると、言葉と言葉の関係を把握できる。そうして、筆者の考えにたどりつく。説明的な文章の指導では、その過程を教えたい。

今回の「教養とはなにか」という話で、「実学をとおして洞察力を身につける」という部分はまだ、わかりやすい。「書物を携えて町へ出る」は対比的な「書捨てよ、町へ出よう」を考えて、はじめて筆者の強い思いがわかる。「書を捨てよ」は抽象的な仮想でしかない学問の世界を飛び出し、実際の社会が何を求めているのかを知れという強い思いで書かれている。そのまねをした今回の「書物を携えて」には自分の教養をもった上で実学で成り立っている社会で通用するかどうかを試すという提案である。

説明文で力をつけるためには、数学の定石のように、比喩表現の考え方を教えておくると、確実で早い。それぞれの教科で10個も教えれば、だいぶ違ってくる。国語は、語句と語句の関係を探せるかどうかが勝負だ。一番言いたいことは何ですかで、答えは一つだけである。授業は、最後は一つにするがポイントである。