原口泉先生の話             H29.9.22 

きばっど育英館      原口泉先生の話             H29.9.22

大学の姿勢が変わり、地域のあり方を大学が学ぶ時代だ。ボランテイア団体が地元を支えているのと同じである。大学は地域の課題解決に取り組むようになった。アメリカの州立大学がそんな感じだ。生涯教育の視点がある。生涯学習センタ-所長を2期努めたが、自分ができるのは授業なので、老人相手の授業をやろうということで取り組んだ。反応がある授業は楽しいが、放送大学に勤めた時はつらかった。カメラの前で45分間しゃべりぱなしはきつい。好きな人でも、焼酎についてこれだけの時間を語れと言われるとかなり苦痛だろう。毎晩、飲んでますとは勝手が違う。

学生の学びのスタイルもずいぶん様変わりした。「ノ-トをとる」が少なくなった。ノ-トをとると、頭と手が連動する。これは学びにはとても大切なことだ。学生に講義をすると、頭が整理される。口に出すと、考えがまとまる。本を書くプロセスの一つで、終わりに本ができる。五感を活用するという点ではノ-トをとることは大事だ。

(北予備校の先生とは違う観点で「ノ-トをとる」を語られています。)

大学が地域貢献をしているように、私は好きな歴史の知識を活用して、大河ドラマの時代考証に関わらせてもらってきた。若き日の西郷と大久保を描いた作品「飛ぶがごとく」からだった。大河ドラマのことについて語りたい。

さて、本と言えば、脚本ができるまでが大変だ。時代考証の自分は最初から関わることになる。まず、作家が書いたとおりの白本、いろいろなものが付け加えられての青本 役者に渡される台本となる大河クラスだとその本が50回分必要となる。大河スタツフは300名である。西郷どんは、9月3日にクランクインした。子供たちが甲突川で遊ぶシ-ンは茨城県の川で撮影されたと聞く。残念ながら、今の甲突川では無理なようだ。妙円寺詣りのシ-ンは加治木や知覧で撮影された。県下のあちこちでの撮影が行われるだろう。(鹿児島育英館のみなさんの活躍も認識されています。)

西郷の母役には松坂慶子さんだ。篤姫の幾島役は本当に見事だった。「敬天愛人」の考えは儒教とキリスト教が出会ってできた思想という話もある。私が考えるに、これは幼い日の母の教育によるところが大きい。沖えらぶ島での生活で考え方がかたまったというが、それ以前の大人数の家族の中で育った彼がそのころ身につけたものであろう。その意味でも母親には松坂さんがぴったりだ。彼女の教育者としての役割は今回も大きい。

ところで、北川景子さんが篤姫だ。宮崎あおいさんの篤姫が多くの人に愛されてプレッシャ-もあると思うか、がんばってほしい。この北川篤姫はよく食べる。本人が鹿児島の食材がおいしいと、来鹿を楽しみにしていると聞いた。中でも肉が好きだ。そういうわけでもないが、篤姫と西郷の出会いは、牛が行列に乱入する場面で設定されている。(すごいネタばれですね)私の頭の中にも、牛と西郷どんのおもしろいつながりがある。町中で配られる号外は世の中の注目度を表したものだが、これでつながっている。「大河ドラマが西郷どんに決定」も「鹿児島の和牛日本一」も号外だった。どちらも鹿児島にとっての明るいニュ-スだ。(なるほど、牛と篤姫、話のネタですね)

2学期は勉強法の伝授を          H29.9.5

きばっど育英館     2学期は勉強法の伝授を          H29.9.5

新しい学期は、新しい挑戦への始まりである。保護者からのいろいろな思いを聞く夏休みであった。要求された内容にはプロとしての教員でも限界があることも多い。「水を飲まない馬」のたとえがあるが、水を飲みたくない馬を無理やり水飲み場に連れて来ても水はけっして飲まない。当たり前だが、同じことは生徒にもいえる。必要感がないから勉強をしないし、楽しくないからやらない。自分の目標が明確であれば、勉強はちゃんとやるようになる。しかし、そこまで待てないのが親なのだ。

「体育コ-スなら騒いでもいいのか」と特進の女子生徒の書いた日誌の一文が目に留まった。体育コ-スであれ、特進であれ、勉強に集中してがんばるのは当たり前だ。騒いでよいことはありえない。「全校応援に行ったら、学校とは違う体育コ-スの人たちがかっこよく見えた」と同じ女子生徒が書いた。両立できないのに、「かっこいい」と考えてはだめだ。特進コ-スと体育コ-ス、どちらも互いのよいところを見て、がんばってほしい。「表面でなく、中身だよ」と言いたい。

「連休の宿題が多くて、練習試合も多くて、取り組む時間はない。答えを写すこと覚えた。こんな宿題って意味ありますか。力はつかないし、悪いことを覚えた。」と保護者の話があった。どのくらいの量だったのか。40ペ-ジというが、具体的な問題数でないとわからない。ともあれ、体育コ-スへの宿題の出し方は工夫すべきだ。どんなによい宿題でも、わかっていない、できないものはドリルのさせようがない。やり方を確実に押さえ、基本問題でできるようになったら、反復練習である。

よく使われる言葉だが、本来の「文武両道」なんて言葉は中学校、高校にはあてはまらない。正確には、「部活動と学習の両立」である。中・高校では当たり前の話である。また、そうできるようにやってほしい。部活動の時間と高い学力の相関では1日2時間程度の部活動がよさそうだ。そう考えると、月、水、金は勉強、火、木は部活動のよさもわかる気がする。「メリハリをつける」とはそういうことだ。

とにかく、自分で勉強する生徒を育ててほしい。自主学習とか自力学習とか一人で、主体的に学ぶことが学習なのである。最低2時間の学習時間は確保してほしい。大人になって資格をとる場合を考えみよう。本来の仕事の合間のわずかな時間を使う。子育てなら、いろいろなじゃまは入る。残業などもあり、なかなか思うようにできない。レベルアップをめざしてその中でがんばるしかない。それは、部活動や学校行事で時間をとられている今の状況によく似ている。だからこそ、この時期に時間の使い方を覚えることは大きなメリットがある。「時間は無尽蔵ではない」の認識をもつことだ。

効率的な仕事の進め方で、特に大事なのは時間管理である。無尽蔵だと考えると、失敗する。睡眠や食事の時間を考えると、一日の中で使える時間は結構少ない。だから、時間を大切にしたい。できる問題に時間をかけず、できない問題を明確にして取り組むこと、どこを勉強するがわかるのが第一だ。ただ、勉強するのでは能率がわるい。教科のおもしろさとからめて、学びたくない、学びに興味ない子でもできる勉強法を伝授してほしい。知識を獲得し、技能を身につけ、できるようになることは本来楽しいものだ。

滴骨血                H29.9.15

きばっど育英館      滴骨血                H29.9.15

中学校の教師をしているころ、「入試の後にあれも教えればよかった。これも教えればよかった。」と後悔した経験がある。国語は年間140時間と時数も多いのに、こんな調子だった。35時間しかない教科の先生はどんなに絞り込んで教えているのだろうかと感心したものだ。教育実習の指導の際は、「あなたが授業する1時間もベテランの先生がする1時間も生徒にとっては大切な1時間です。」と語ったものだ。本当に教えることは覚悟のいることだ。教育には無駄な時間はない。

王陽明の言葉に「教える覚悟」を考えさせるものがあるので、いくつか紹介したい。まず、教えられる者と教える者との関係を述べた言葉である。「一掴一掌血」とは、掌をぎゅっと握りしめたら、血の痕が残るくらいに掴む。「一棒一条痕」とは、棒で叩いたら、叩いた部分に一生その痕が残る。これらの言葉は、教える、教えられるという師弟関係では、「弟子は『一掴一掌血』の心づもりで学び、教師は『一棒一条痕』の気迫で教えなくてはならない。」と使われる。
また、「滴骨血(てきこつけつ)」という言葉もある。中国の言い伝えに、自分の先祖の骨を捜す時に、自分の血を骨にかけ、その血を弾いたらご先祖様ではなく、血を吸ったらご先祖様の骨であるという。これから派生して、師の血を滴らせれば、弟子の骨が吸い込む。心血を心骨に注ぐ。それほど強い師弟関係を結ばなくてはならない。教える者はこの気迫で人を育てなくてはならない。

師が「思い」をもって、「思い」を注ぎ込んで弟子を育てることは学校教育にもいえることである。生徒たちが卒業するまでに、教えることはすべて教えた、伝えることもすべて伝えたと自信をもって送り出したいものだ。その覚悟はもちたい。

秘伝とか奥義とか言われるものが口伝であり、ある日、突然師から弟子に伝えられるものだと聞くが、弟子の力量に応じた指導であり、一通りはどの弟子にも教え、これというものは優れたものにさらに教える。進度差や発達段階に応じての発想である。「秘伝」のなかには、毎日の生活や心得まで示したものもあるらしい。日々のトレ-ニグメニュ-を継続できないものは道を究めたことにならないようだ。どのくらい継続するかというと、「百日の鍛 千日の錬」というが、3か月や3年と言い換えてもよい。6、3、3の学校制度にはこんな裏の意味があるのではないだろうか。漫画の話で恐縮だが、「巨人の星」や「ドカベン」などの野球漫画には、決まって「千本ノック」が出てくる。考えるに、100本とか、150本でも大変だろうが、「千」にこだわるところがおもしろい。思いをこめる話が「血」だったり、努力する目標は「千」だったりと、一つの漢字に思いがこめられると、深い。考えさせられる。

とことんマンも一つのイメ-ジだ。イメージしたのは育英館の教師の姿だ。生徒に学習する力をつけ、社会で生き抜く力へと伸ばす教師こそがとことんマンだ。とことん面倒をみるとは、知識を教えれば終わりではなく、「自学自習」する生徒へと変わらせていくことだ。目標を見つけ、自ら学ぶ自分へ変わっていこうする生徒を手助けする。とことんマンの腕の見せ所だ。

 

未知の刺激にふれて           H29.8.3

きばっど育英館      未知の刺激にふれて           H29.8.3

レディカレのヘア-ショ-を見て本当に感動した。生徒たちの創作意欲、一つのショ-を作り上げようと協力する姿に、すがすがしい感動をおぼえた。芸術性を追求すると人間の顔や体はキャンバスとなり、音楽や衣装を引き立たすためのパーツだと納得できる。動物メイクで、雰囲気全体が効果的に演出されるのも驚きだった。

ランウェイのウォ-クはモデルさんでも緊張すると聞く。ピンヒ-ルの靴は不安定で、タ-ンやストップ、ましてや、中腰で参観者に花を配ったりと、ころばないだろうかと心配した。本当に緊張の連続だったと思う。案内された席がモデルさんの目の前、決めポ-ズの美しさに見とれながらも、靴の先までの緊張を感じる近さだった。

それぞれのテ-マが十分に発揮されたショ-だった。私のような素人にも「燦めき、ときめき、ひらめき」の連続だった。夢のような世界で、しばし時を忘れた。テレビ報道では有名なモデルさん中心にオンエアされるので、どういう内容なのかが今一つ分かりにくかった。今回、ショ-まるごとを見せてもらい、大いに楽しめた。育英館の生徒にも見せると、文化祭での表現の質は数段向上するだろう。油断したそのとき、ウサギさんのマジックショ-に引き出された。想定外だった。ウサギさんはショ-の雰囲気をさらに明るく、楽しいものにした。レディカレの生徒たちがこの成功を機会にさらに飛躍するだろうと確信した。関係者の皆さん、本当におつかれさま。

考えてみるに、ヘア-やメイクにこだわる生徒は、生徒指導の先生の目に留まり、よく注意されるものだ。しかし、この時期こそ、色彩感覚が育ち、生き方のモデルを探す年頃でもある。当然、ファッションに目がむくのも、スタ-にあこがれるのもわかる。外見だけでなく、内面を磨くことをどう自覚させ、どう伸ばすかなのだろう。

今、思えば、中学校の時代は映画が好きだった。英語で話すリズムのよさや響きの心地よさにあこがれた。オ-ドリ-に一目ぼれで、「ロ-マの休日」や「マイフェアレディ」を繰り返し、映画館を出ずに見たこともある。しかし、「ロミオとジュリエット」では、職員室に呼ばれてこっぴどくしかられた。認定映画でなかったようだ。たしかに、ベランダから身を乗り出すオリビアのふくよかな胸に目はとまったが、それよりも「ロミオ、あなたはなぜロミオなの」の英語の響きを聞きたかった。感受性の豊かさは、すべての経験をプラスにする。実体験にまさるものはないが、映画を含めてすべての芸術には感動させる力があるのも事実だ。英語の教師にこそならなかったが、隠れて信仰するように、英語の響きの心地よさに浸ることがある。もう一人のオリビアの歌声やカーペンタ-ズの「SING」などはまさにスイートメモリ-である。英語学習はこんなに感じられる若い時期に徹底するとよいのだろう。残念。

新しいものは人生の刺激である。未知を経験すると、脳は活性化される。知っているものを見聞きするのは、安心感はあるだろう。しかし、知らないものに挑戦したり、見聞きする体験を忘れてはならない。人生は豊かに生きた人の勝ちというが、豊かに生きるとは、未知のものに対しての感受性をいつまでも持ち続けることなのだろう。ヘアショ-のことをあれこれ書くところを見ると、この刺激は私の人生を豊かにしてくれたことは間違いないようだ。

授業の腕前をあげる            H29.8.7

きばっど育英館     授業の腕前をあげる            H29.8.7

授業の達人になるためには?と、導入、展開、終末のフレ-ムで考えてほしいことを書き出してみました。

まずは、書道の話です。「起筆は高いほどよい」と習ったことがあります。内容は、宇宙のある一点から筆を運び出し、白い紙面に点を打つ、そして、紙面を切り裂くように、筆を動かす。紙面の先には地面があり、その地面を掘り、削るつもりで…とそんな話だったと思います。本当に古い記憶なので、何かとごちゃごちゃになっています。しかし、「雄大な心構えで書きなさい」と教えられたものだと思い直しています。

書き出しの大切さ、始まりの大切さを考えるよいヒントがありそうです。

同じく、授業の導入は「Q効果だ」と先輩教師から聞いたことがあります。「おや?」と生徒が思うと、導入は成功だというのです。起筆の高きと似ていませんか。遠い所、関係のない所から書き出すためには、広がりを意識して書かざるえません。見た目には関係ない所から始め、授業を進めているうちに、「はっ」と気づくという構成もおもしろいものです。未知を楽しむことができるのは、人間の能力の一つです。

次は展開の部分です。発問や板書を重ねて、山場をつくり、授業を進めます。そこで、大切なのは生徒の認知スタイルに合わせるということです。視覚優位や聴覚優位という種々のタイプに合わせるためには、それに応じた情報発信が必要です。また、状況に応じてそれらをミックスすることも大切です。情報発信の中に疑問を少し残して、生徒が生徒に教えたいという気持ちを芽生えさせると最高です。学習の定着率が高くなるのは、人に教えるときです。実際に教える場面がなくても、板書に参加させたり、発言を取り上げたりでも効果はあります。自分の答案を模範解答として紹介され、誇らしくうれしかったことは、はるか昔の高校時代でもよく覚えています。

いよいよ授業のまとめの話です。まとめの場面で、「照応」とか「呼応」というのが、ベテランの技です。授業の導入や展開で、関係ないように見えた事柄が最後につながり、大きくこう考えていくのかと実感させられると大成功です。それを教えてはなりません。発見させるのです。そのためには、構成を十分に工夫する必要があります。答えが出たと安心させて、そのあと、ゆさぶり、よろめかせて、たまには、ころばせて、おやっ、なぜだろう。ところで、この答えでは、まだここの部分が足りないのではないだろうかと感じ取らせる。もう一度、始めから学習をふり返させるのです。

そうすると、本質が見えてきます。それこそが学ぶということなのです。授業の達人になるためには、教師自身がこの構造の形を何種類も開発することです。教材や生徒のタイプにあわせて、フレ-ムの形を変えたり、同じものが一つもないという授業を展開してください。「教えた」でなく、「学ばせた」こそが、授業です。

生徒たちは自分で気づいたと思い、興味をもち、やる気が出れば、自然と勉強しようという気になります。それが達人の技なのです。知識は教えても、力は自分でつけるものだと思います。知的な興奮や発見の楽しさがあふれる授業でなくて、力はつかないのです。

 

ダブル優勝               H29.8.2

きばっど育英館      ダブル優勝               H29.8.2

「勝機をつかんだ」という表現がぴったりの両決勝戦だった。サッカ-前半のちょっとしたアンラッキ-で1点が入った。ヒル君がブロックしたボ-ルは、だれもがゴ-ルに入らないだろうと思った。ところが、コ-スを突然変更して、まるでゴルフボ-ルよろしくラインどおりにコロコロところがった。リ-ドされたまま、前半が終わった。後半になり、とうとう走り勝ったという感じでパスが通るようになると、育英館にチャンスが巡ってきた。1点入ると、雰囲気が変わり、押せ押せム-ドになり、ボ-ルをうまくキ-プするチャンスを手にして、いや、足にして、得点へつなげた。

野球も同じで、私が応援に球場へ入ったとき、相手の1点がボ-ドにのっていた。バスを球場内に入れられず、右往左往しているうちに、試合は3回まで進んでいった。全校応援の生徒たちの到着前に、逆転劇があり、育英館が見事にリ-ドした。応援団の声援を受け、ヒット数で上回り、守備の良さでじわじわと相手を追い詰めた。途中、1点は返されたものの、3回から出塁を重ね、点数に結び付けた。まさに、勝機を引き寄せ、逃さず、勝利を手に入れた試合だった。

この2つの試合で「勝機をつかむ」までをまざまざと見せてもらった。サッカ-でも、野球でも決勝戦になると、運が左右するのは確かだ。それを乗り越えて、「1点を取るためにきちんと攻める」の重要さを再認識した。勝機はチ-ム間を巡るのでなく、自分のチ-ムに引き寄せるものなのかもしれない。日ごろの粘り強い練習やピンチの時、友達をどれだけ信じられるのかが、ここという場面で出てくるのかもしれない。伝統校が強いのは、このあたりだと思う。運よく勝つことない。勝つように練習しているのである。

極論すれば、ゴールを攻めるためには、ヒットの数を重ねる、シュ-トの数を重ねることだ。しかし、相手が強くなればなるだけそうやすやすと重ねられない。そこで、ここからが大事なことで、どんなときでも打てる、どんな時でも蹴れるようになることしかない。自分を知り尽くし、ここならやれるという場面を作れることだ。自分に自信をもつ。自分を信じられる。そのためには、とことん自分を知る努力が大切なのかもしれない。試合の場数を踏むと、自分が見えてくる。自分の弱さや弱点がわかる。自分がわからずによいプレ-はできない。そして、自分のチ-ムメイトについても同じことがいえる。自分がよく見えるようにアドバイスするのが監督の役目だろう。

将棋の世界では、AIが活躍している。棋譜と呼ばれる今までの対戦記録を学んでいるので、めっぽう強い。不得意な相手でもAIはおかまいなしだ。そこで、負けない将棋ができる。

九州大会の相手は人間である。勝機は必ずある。しかし、上位チ-ムが集まる九州大会はそれなりの力をもつ学校がライバルとなる。自分の弱さも欠点も知り尽くし、それを乗り越えて、ここぞという時に力を発揮できるよう調整してほしい。生徒たちの熱い夏を心から応援してやりたい。がんばれ。台風が迷走して心配だが、みんなの熱い思いで、青空も呼んでほしい。

卵をたべない孫               H29.6.12

きばっど育英館    卵をたべない孫               H29.6.12

道徳の教科化が話題になっている。いじめのアンケ-トがとられている。いじめの授業の中で脳の話があった。孫が卵を食べなくなった。目の前にあるこれらのことは関係があると思えてしかたない。道徳を考える話を始めたい。

皆さんが小さいころ読んだ「はらぺこあおむし」を思い出してみよう。この話は卵からあおむしが生まれるところから始まる。この絵本を孫に読んで聞かせた。はらぺこあおむしは曜日ごとにいろいろな果実を食べていく。最後には子どもの好きそうなものを腹いっぱい食べる。この場面が一番印象的でおもしろい。しかし、この孫は卵からあおむしが出てくる場面が心に残ったらしい。ニワトリや恐竜の卵、いろいろな卵に命が宿ることを絵本やテレビで知った彼は卵を食べるわけにいかないと思ったようだ。生命誕生の神秘は、こんな小さい子供にも感動を与えているようだ。

道徳の教科化で何を教えるのかと考えたとき、その生徒がもつ価値を変えていけるような授業が必要である。授業過程で現実の自分とかかわる話合いが必要なのである。少なくとも小さな子が食べてはいけないと価値が変容するような授業をめざしたい。

いじめられると脳の中の生きる力をつかさどる部分が弱り…、と指導案の資料にあった。そこで、脳の話を少ししよう。成人の脳の中には、動物的な自己、規範的な自己、それらを調整する自己がある。動物的な自己はエド、あるいは、イドと呼ばれ、本能のおもむくままに行動する一番エネルギシュな自己である。しかし、これを押さえつける超自我(親のしつけや世の中の規範)が存在している。だから、動物的に行動することはない。しかし、この両者は常に争う。そこで、調整役としての自己が形成される。生まれた頃は動物的な自我がほとんどを占めている。それと親が関わり、トイレ、食事、身の回りと規範が教えられていく。家庭から社会へと活動範囲が広がり、そこで人のものを盗み、人に迷惑をかけると、厳しくしつけられる。そうやって、超自我が形成される。親の教育方針やまわりの環境で超自我の強さが決まる。2つの自我の争いばかりで、行動が決められないとやってられないので、調整役が必要となる。この自我は2つの自我の葛藤のたびに出現して、調整し、次第にその役目を大きくなり、自我の大半をしめていく。調整役のさじかげんが今の我々の行動である。

さて、いじめアンケ-トを例にとると、いいかげんな調整役の自我が主導権にぎって解答を書くと、「これくらいいじめに入らない」と考えてしまう。本当にそれでよいのだろうか。命が宿る卵を食べるわけにいかないと信じている幼子の超自我と同じように、いじめはけっして許されないと中・高校生の自我には認識させたい。そこで、道徳の授業では、本当に自分の自我はどのあたりの価値で調整しているのかを再認識させたい。けっして、絶対にと考える超自我は存在していると信じているが、行動させる調整役の自我を覚醒させる必要がある。

身近に命の尊さを考える教材を準備したい。はらぺこあおむしの話のようにどこに反応するかは個性である。道徳の授業は35時間、身につけさせたい徳目を考えたとき、どれもが貴重な1時間である。いろいろなもの(価値)を食べて初めて美しい蝶になるようだ。

街の灯り                H26.6.22

きばっど育英館      街の灯り                H26.6.22

古い歌から話を始めます。堺正章の歌「街の灯り」はとても詩情豊かで聞きながらジ-ンときます。「街の灯りちらちら あれは何をささやく 愛が一つめばえそうな胸がはずむ時よ 」の歌詞です。また、よく知られた「ブル-ライト横浜」は「街の灯りがとてもきれいね横浜…」です。見た場所は、山下公園でなく、港の見える丘の方でしょうね。高台から、街の灯を眺めると本当に心が和みます。なぜそういう気持ちになるのかは、灯の一つ一つに人々の暮らしがあると、共感できるからなのでしょう。

思い出す歌が少し現在に近づきますが、宮崎駿監督の「天空の城ラピュタ」の主題歌「君をのせて」にずばり書かれています。「たくさんの灯が懐かしいのはどれか一つに君がいるから」のくだりです。たった一つの灯の中にあこがれの人の存在を感じられるという作詞者の感性がすごいですね。そして、地球はまわっていくのです。

一つの現象には驚くほどの奥行きがあり、それを見よう、考えようとすることが大切なのです。警察ドラマで、所長室にかけてある額は、昔はよく「聲なきに聞き 形無きにみる」と書かれていました。近頃は、「正 速 美」などが多く見られます。今こそ、現象の奥にあるものを「聞き、みる」が必要な時代だと感じます。

日本は「聞き、みる」の双方向通信に長けた国であったのです。それは、八百万といわれる神々の存在です。自然界のいろいろな動きを神様の心の動きと考えた先人は、それを読み解こうとしました。その行為は習慣化され、隣人や家族、社会という人間界での相手への思いやりとなり、日本列島の上で何世代も醸成されたと考えられます。

外国から来ようが、宇宙から来ようが、相手への思いやりを変えることはないのです。

さて、物事の奥にあるものを見極めようと努力してみましょう。映画の話ですが、チャップリンの名作にも「街の灯」があります。豪華なセットも音楽もないけれど、彼の演技力でこの映画はいつまでも輝きをなくさないのです。「ない」は「ある」をこえるのかもしれません。ぜひ、この映画で奥にあるものを考えてみましょう。

とある街に暮らす浮浪者(チャップリン)はある日、街角で出会った盲目の花売り娘に一目ぼれ。彼女は男がタクシーを使う金持ちだと信じる。その夜、妻と離婚して自殺を試みていた富豪を助けて友達となる。彼は飲んでいる時だけは覚えているが、醒めると全て忘れてしまうという男だった。その為屋敷を追い出されるが、もらった金で娘から花を買って紳士のふりをする。病気の彼女のために働き、家までいって献身的な世話をする。だが、彼女が家賃の滞納で立ち退きを迫られていることを知り、何とか金を工面したい男は、八百長ボクシングに手を出すが、うまくはいかない。酔っぱらった富豪と偶然再会する。屋敷で事情を話して大金を貰うのだが、運悪く屋敷の中に強盗が潜んでおり富豪は頭を殴られ気絶する。警察を呼んで事情を話すが、酔いの醒めた富豪は覚えていない。強盗に疑われ慌てて逃げ出し花売り娘の家に駆け込むと、家賃と目の手術代として金を渡すのだった。しかし、その帰り道、男は警察に捕まってしまう。数年後、刑務所を出た男は目が治った花売り娘と偶然再会する。男の正体を知らない 娘は、憐れみから浮浪者に一輪のバラを差し出す。その時彼女は男の正体に気づくのだった。 さて、何が「ない」のにもかかわらず、何が「ある」のでしょうか?

石破茂さんのセミナ-に学ぶ        H29.6.5

きばっど育英館     石破茂さんのセミナ-に学ぶ        H29.6.5

政治家のセミナ-は総合芸術といってもよいと感じる時間だった。城山観光ホテル開聞の間に200名ほどのメンバ-を集めて、日曜日の18時からスタ-トした。まず、鹿児島県選出の国会議員のあいさつ、この中で、石破氏の人となりを感じさせる発言が相次ぐ。鳥取県出身である、キャンデ-ズのファンである、女子アナに人気があるなどで会場の雰囲気を和ませていく。いよいよ真打の登場、石破氏の話が始まる。

話の切り出しは、奄美大島を本日訪問したことから、本当にすばらしいところだを連発される。奄美出身者のハ-トをつかむ。鹿児島のよさを感じられる土地と語る。地方創生大臣をされた人だけあり、目の付け所が地元ファ-ストである。

本題に入ると、鹿児島の人でも知らない話や気づかない話が次々に出てくる。心理学で取り上げられる「知らない自分」、「知っている自分」を考える「ジョハリの窓」を開けたり閉めたりの話である。ここまで、鹿児島のことを知っているのかと感動してしまう。内容は、藺牟田池の龍伝説、やねだん、西郷南洲遺訓、JR七つ星、とバラエティーに富んでいる。そして、国の抱える少子化、高齢者問題、団塊の世代の後期高齢者問題と生涯独身率と本題へつながっていく。話は、鹿児島のよさを次々に語り、それも具体的に4つずつ並べられ、聞いている者たちはうれしさのあまりか、拍手も次第に大きくなる。本題については、「地方創生」が解決のキ-ワ-ドで、日本の再生は、先延ばしできない、失敗できない喫緊の課題であるということだった。

話がおもしろく、時間は早く過ぎて、19時を過ぎたころから、懇談会に入った。アルコ-ルなしのウーロン茶での乾杯でスタート。その後、前方のテ-ブルで三反園知事、柴立議長などの鹿児島県関係者と懇談されていた。20時30分に突然、各テ-ブルを回り出し、会場は写真撮影や握手会になった。我々のテ-ブルに近づき、一人一人に握手された。がっちりした手の感覚と笑顔が印象的だった。皆さんほとんどが、たいそう感動されている。8時50分には再び舞台に立ち、本日のお礼を述べられる。「膝を交えて語り、私を知ってもらえば、テレビで見るときも、興味・関心をもっていただける。私の話を受け止めてもらえる」と知り合った絆を確かめるような話だった。きっかり9時には終了。実にうまい、よい印象しか残らない。ライブショ-やディナ-ショ-ってこんな感じなのだろうと思った。募集活動にも大いに参考になった。とてもためになったセミナ-だった。(☆は「鹿児島のよさ」として取り上げた例)

☆ 藺牟田池の龍伝説、浮気をした男の龍と悲しんで石になった女の龍、藺牟田池は住吉池とつながっている?大浪の池にも女の龍がいた?

☆ やねだん 自立自興の象徴的存在の集落の話 創意工夫で産業を興し、人口減を食い止めたことで知られている。最近はブランド化した焼酎生産で注目された。

☆ 七つ星(豪華列車) 九州各地にクルーズ船の来航が増えていることから、九州には誇るべき、食文化、景色、歴史があることを指摘。

そこで生み出された「世界一の列車」が九州を走る。おもてなしの中核は、九州のよさ、食、景色、歴史、そして、お客様のリクエストの一つ「思い出の曲」の生演奏など、ここにしかない今をつくる努力である。

勝ちへの執念             H29.6.14

きばっど育英館       勝ちへの執念             H29.6.14

どうやれば勝てるのか、勝ちへの執念について考えてみた。練習量の差があり、相手が本当に強いのなら無理だが、力がほぼ互角か、ちょっと強いぐらいなら、工夫次第で試合の流れを変えることはできる。つまり、勝ちにこだわる話だ。

バレ-の話を例にあげると、その一つがサ-ブだ。アタックで1点とるも、サ-ブで1点取るも同じだと生徒に言い聞かせる。そうやって、サ-ブのコントロ-ルを高めると、チ-ムはがぜん強くなる。そう見えるから不思議だ。相手の攻撃のパタ-ンを作らせないように両サイドの奥を狙う。精度の高いサ-ブで攻められた相手チ-ムは立ち上がりに当然、動揺する。次に、サ-ブを横にふれるように練習させる。コ-トの角50センチ四方をねらう練習を繰り返す。できたら、縦にふること。アタックラインを基準に縦50センチ間隔で打ち分ける練習を繰り返す。このころになると、カンをつかむ生徒も出てくるからおもしろい。このサ-ブ練習を1月もやると、一点の大切さを意識し、試合展開が違ってくる。勝ちにこだわる意識も高まる。

このことは、勉強にも言える。とにかく、成功パタ-ンをイメ-ジできることだ。

もう少し、バレ-の話を続けると、次はレシ-ブである。とにかく体の中心で受けることと、腕を張るタイミングを覚えること、後は返したい方向へ体を向けることを指導するとよい。バレ-にはしなやかさがも求められるので、柔軟体操が効果的だ。体がかたいとアタックをうたせてもかぶるだけだ。ついついバレ-談議になった。

本題に戻して、学習の取組だが、10分間テストやヒヤリングはまさにサ-ブ練習のような話だ。いちばんてっとりばやく点数をあげられる。これを大事にしないでどうするのかという話だ。その次が勉強の仕方だ。先ほどのレシ-ブの話ではないが、「大事な所を確実に覚える」というフォ-ムが身につけば、それをもとに解決できるというアタックへつながるので、攻めのパタ-ンとしてまちがいなく力となる。

話はあちこちに流れているが、成功パタ-ンを身につけること。若いうちになにか一つのことで成功する。その体験は確実に転嫁する。先日述べた「初心」の話のうち、「是非の初心」はこの成功パタ-ンをいっている。成功体験をよく分析すると、そこには成功パタ-ンが存在する。それをうまく自分のものにできると次の成功がたやすくなる。次の成功に近づくことができる。成績のよい人をマネするのも近道だ。同じ人間のやること、必ず、自分のパタ-ンにできるものがそこにはある。

「連覇」という言葉には、勝ちパタ-ンを知っているとか、勝ちパタ-ンにもっていけるという秘密がある。だから、連覇した人に聞くのが、きっと一番なのだろう。「死ぬほどがんばれ」というが、勉強を死ぬほどする人はあまりいない。きっと死なないと思う。しかし、そのぎりぎりまで勉強することが大切なのだろう。ぎりぎりまでやるには、自分との闘いである。また、死ぬほど好きならがんばれる。どちらにしても、成功体験のカギに間違いない。自分が成功したと感じる人は、この「ギリギリ感」と「とにかく好き」が共通しているはずだ。勝負は一瞬であるが、準備には時間をかけたい。何もせずに変わる人はいないが、何かすれば必ず変わることがある。