きばっど       007が死んじゃった             R3.12.28

きばっど       007が死んじゃった             R3.12.28

映画好きの皆さんにこれを書いてよいものかと思いながら、映画の話題を綴りたい。世界的にファンの多い、007シリ-ズはボンド俳優を変えながらも続いてきた。今回の話は少し違う感じがした。007が二人いるという場面があり、「永久欠番かと思ったか?」というセリフまであった。よもやと悪い予感はしたが、あの不死身の主人公が悪の組織が作り出したナノ兵器を壊滅させるためにいっしょに消滅してしまった。なにせ、彼が立ち尽くす秘密基地の上にミサイルが降り注ぐ。このラストシ-ンにはびっくり。ある友人は信じられずに、3回見たそうである。映画ファンならわかる気がする衝撃である。

 もちろん、映画はアクションを含めては、このシリ-ズならではのお約束の秘密兵器の数々、そして、美女とのロマンスなどのてんこもりで、十分な見応えである。が、結末にあぜんとなり、エンドロ-ルの流れる中、悲しくて足早に帰ることになった。物語はいつか終わるとわかっていてもボンドには死なないでほしかった。前回、前々回からの悪の組織スペクタ-との戦いの中で、ボンドの立ち位置が少しずつ違ってきたのはわかっていた。スパイ映画の鉄則は非情になれない者には死、そのセオリ-がくずれたまま、彼が行き続けていることが不自然だった。今回の作品で総決算として彼の死を準備していたのだろう。

 愛する人ができ、子供もできた時、ボンドは生きることを許されることはなかった。この結末は予想された。新しい007は女性、しかもボンドに負けず劣らずの腕前、続編を考える設定はわかる。前の007は引退で終われないのですか?今回は一度引退した彼を呼びもどすところから、死の伏線である。悪の組織もハイテクになり、最先端の科学を駆使すると、監獄の中からリモ-トで誕生パ-ティに参加したりもできる、また、遺伝子研究に基づく兵器を開発すれば、ある共通遺伝子をもつ人だけを殺せるという設定、どれもがまんざらうそとも思えないから、科学の進歩の危うさやこわさを感じさせる話だ。

 ロケ地も本部のあるイギリス(ファンには見慣れたQの本部)に、ハネム-ンで訪れるイタリアのマテ-ラ、南米の町?ではスペクタ-のパ-ティが行われている…と世界各地という感じである。00ナンバ-をもつ男は同じナンバ-の女性と交代する。この流れにそういう時代だなあと感じた。話はネタバレしないようにこの程度として、ボンドの死が意味するものを考えてみた。まずはヒ-ロ-は男性という固定観念が通用しない。次に組織改編にヒ-ロ-不要である。この時代はヒ-ロ-も生きにくいようだ。

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本田翼似の彼女が娘を助手席にのせて、疾走する場面で終わる。娘はジェ-ムズと同じブル-瞳。次はこの子なのかな?と期待をつなぐ。死から逃れられないとすれば、自分の死と同等の価値と引き替えるのだろうか。「武士道とは死することなり」も等価交換のように思える。引き替えになるものと信じたら、躊躇なく交換するのかもしれない。今回の最後での選択はまさにそれである。立派に生きることは立派に死ぬことである。「ジェ-ムズはね、あなたのパパはね…」と語る彼女は、この生き方を肯定しているようだ。彼にしかできない死に方であるという理屈はわかるけど、ボンドには死なないでほしかった。ブル-の瞳に期待したい。

きばっど       初心に返るなら?         R3.12.25

きばっど       初心に返るなら?         R3.12.25

一年のまとめの時期になると、いろいろな場面を思い出しては、あれでよかったのかと反省してしまう。教師1年生に比べれば、経験値は上がっているだろう。しかし、一人の教師として、生徒を育てるという観点での判断としてどうだったのかとすっきりしない。一人の人間の人生に関わる仕事だから、答えがなかなか出せないこともすっきりしない原因の一つだと思い直している。

教師は熱量の仕事だと思う。さて、この熱を保つにはどうすればよいのだろう。熱の元になる教師になろうと思った始まりに返ることだ。そこで自分のスタ-トをどこにするかが問題になる。これを考える手がかりとして、「初任校は?」である。始まりにこだわるのは、ここでの3年間で教師人生が決定づけられるといっても過言ではないからだ。教師としての立ち方、位置が決まる。その人の出身地と言ってもよいだろう。たぶん、熱源もここにある。

 ある芸人が自分の原点として浅草をあげるように、教師にとってのそれは初任校なのかも知れない。そこでは、授業方法を習ったというより、人との接し方の基本を教えられたような気がする。近頃はやりの「一儲けならぬ人儲け」なのである。そこでは、教師人生を豊かにするための出会いが無数にあったはずだ。その中で、先輩にあこがれ、教師としてどうなりたい、どうありたいと若き日の自分がもがいたことを思い出す人も多いはずだ。

 いろいろな職場をまわると、自然と人間としての幅は広がる。「本気で掘らないと水脈に当たらない」のたとえどおり、場面によっては大変な思いをする学校も必要だ。勉強だ。そして、その課題から逃げないことである。ぎりぎりで向き合う時に、ある先輩は「命まではとられないから心配するな」とよく語ってくれた。進退に関わるつらい決定を告げる時は、「仕事だとわりきりなさい」と励まされた。「時が解決する場面もある」と教えられたこともよい思い出だ。

 働き方改革もよいが、本気で掘らないといけない時には、時間も何もあったものではない。仕事も人間的成長の一つになると思う。よき教師は心に火をつけるというが、自分が燃えないと火はつかない。火をつけようとすれば、よほど自分を燃やすか。相手を燃えやすくするかといろいろと考えてしまう。  

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退職校長の友人が同窓会で「先生の授業が好きで国語も好きになりました。」と当時の生徒に言われたと語り、「うれしいですよね。教師冥利につきる。」と満面の笑顔になる。初任校では「よき教師は火をつけた」を考えるゆとりもなかった。火をつけるのは、一人じゃ無理な気がする。やはり、仲間の教師との連携プレ-だった。仲間と協力して知らぬうちに生徒の心に火をつけた。それならだれかの手柄でも良いと思った。熱い思いがみんなにあれば、生徒も燃えるに決まっている。生徒指導で大変だった40年前の初任校の熱さが今でもなつかしい。

きばっど      給水所と踊り場          R3.12.16

きばっど      給水所と踊り場          R3.12.16

ある本に「人生の給水所は見えない、長い道のりの挑戦なら、給水所や踊り場で休むことも大事」という話があった。なるほどうまいたとえである。若いころ、こういう考えがあればもう少し違った人生もあったと思う。年々変わる生徒たちに変わらぬ思いで、授業をしながら、30年近く学校で過ごす教師生活。もちろん、社会人、家庭人としても己の為すべきことをきちんとできたはずなのだが‥‥。今更ながら後者はどうだったのかと反省してしまう。

学級担任になれば目の前に生きた生徒がいる。毎日変わるし、毎日いろいろなことを起こす。40人いたらその数だけのトラブルがあると思ってよい。子供は親のいないところで育つものだ。しかし、それを見守るのが先生である。この生徒にはこんな良い体験をさせたい、よい出会いがあるとよいのに…と考えながら、一日8~10時間、親よりもずっと濃い時間を共有する。この思い入れ、見守りに手を抜くわけにいかないから、ついつい24時間勤務になる。

給水所なんか目に入らない若いころ、暴走族だった。2年時の成績を整理して、当時出たばかりの表集計ソフト「マルチプラン」で個人カルテを作成した。家庭訪問にパソコンを持参して、個人名を入力して2年から3年中間テストまでの成績推移を提示する。それをもとに何種類かのグラフを画面上に表示して、見せる。さらに入試を想定して90点基準で換算し、内申の点数も加味して、合格ラインを示す。表集計ソフトの使い勝手も悪く、この資料づくりが大変で、本当に寝る間も惜しんでの作成だった。時間はかかったが、新しい情報提示に親は感心し、生徒もよく理解してくれた。あわせて「この1年間で君はどんな進路の夢を描くのかな」と語り、今までの成長過程を振り返らせた。考えてみると、もう一歩進んで、親にも未来への視点を提供して、将来の夢への応援や支援の話をするべきだった。性能の悪い表集計ソフトでいろいろと作成する時間に別のこともできたのだろうか?思えば、この時期は我が子の担任の名前すら思い出せない。たぶん、親戚にも不義理したようだ。まちがいなく、暴走して給水所を何カ所も通り過ぎたようだ。

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12月の面談では、この表とにらめっこして、昨年のボ-ダ-上を目がくるくるした。1月の模試でよかったら…とか、2月まで頑張らせて…とか、生徒と語りながら、合格大作戦に打ち込む毎日だった。階段の踊り場で休む発想があれば、その場の合格だけでなく、社会での活躍に向けてさらに先を見通そうする発想も出てきたのだろう。公私ともに余裕がなかった。若い私の背中には「後先考えず、暴走ご免」と書いてあったに違いない。せめて、これからは「ときには全力、たまには休憩」としよう。家族も、自分も大事にすると、今がよく見え、力の入れ具合も変わるはずだ。給水所や踊り場の感覚は、働き方改革のポイントだと思

きばっど        残すところ            R3.12.13

きばっど        残すところ            R3.12.13

今年も残すところ、後20日になります。コロナ時代を泳ぎ切り、2022の年を迎えられることを皆さんと心から喜びたいと思います。さて、学園スロ-ガン「やり抜く力」はどの程度達成されたのでしょうか。この力はやりとげることで身につくと生徒たちに話をしました。「校長の口ぐせ数えて秋がゆく」の青春俳句ではありませんが、口癖になるほど唱えてみると案外と本物になるのかも知れません。それにしてもお茶ラベルに掲載された「青春俳句」は「青春は行く(俳句)」と読めるほどキラキラしています。

コロナ時代は、新しい教育も試行錯誤され、リモ-トやズ-ムも身近なものになりました。面接もウェブとなり、ある意味、多くの人に機会が広がったような気がします。こんな現実を実現するディバイス(端末機器)の進歩には驚かされます。私たちの生活もずいぶん変わりました。人と人の接触を避ける必要から、無人レジをはじめとする新しい商業形態、「ウ-バ-イ-ト」まで、考えてもみないシチュエ-ション?にも慣れてきました。「対面で語る」ことが新しい価値になるとすれば、教師の仕事こそ、価値ある仕事の典型になりそうです。

 コロナがただの風邪になるには2~3年はかかりそうです。新しい生活様式に慣れても、今までと同じようにやることがあると知ることになるでしょう。今までのものはやり遂げて、新しいものを身につける努力を求められ時代です。アルコ-ルを飲むことは、「新しい関係をつくる、名乗り合うチャンスだ」とされた時代は過去になりそうです。たぶんに嗜好品的なものになると考えられます。これからの関係づくりには、アバタ-飲み会も出てくると考えます。参加者はセンサ-を装着し、よく似たアバタ-(勝手に盛り上げるキャラ)が飲み会に参加して、飲んだ量に比例して、アバタ-の顔が赤くなったり、行動がハイになったりするのです。どこからでも参加できるし、いつでも飲めるのですから、アバタ-・スタンダ-ドの時代になればこれはこれで面白そうです。 

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そのうち、昨年の話題作の「鬼滅の刃」がまた映画館にかかるでしょう。「心の鬼」とすぐ復活します。コロナのおかげで、寛容や許容という心の余裕がなくなり、責任転嫁や難癖非難に終始する時代になりました。そんな鬼の多い世の中にうんざりします。コロナにおびえている不安からなかなかいなくなりません。あちこちに隠れていて、事があればうじゃうじゃと出てきます。かねては優しい隣人なのに、すぐに異質、異形のものになってしまう世の中のようです。この時期の挨拶は「よいお年を」です。すべてがよくなることはないのですが、この言葉に祈りをこめて、せめて人を思う気持ちもつ、よい年としましょう。「もういくつ寝るとお正月」。特別な時間の流れがやってきます。正月のぬる湯にもひたり、英気を養いましょう。年は変わりますが、最後まで「やりぬく力」をお忘れなく。

きばっど        時間を削り出す          R3.12.5

きばっど        時間を削り出す          R3.12.5

時間について考えさせられた話です。箱根駅伝で有名な青学では、区間の記録を伸ばすために、時間を「削り出す」努力をするそうです。そして、自分の役目を果たしてタスキをつなぐ。時間というものは、「削り出してこそ活かせる」という哲学です。この「削り出す」に触発されて、似たような話を取り上げてみます。夏目漱石「夢十夜」からの抜粋です。

よくああ無造作に鑿を使って、思うような眉や鼻ができるものだな」と自分はあんまり感心したから独言のように言った。(中略)すると、さっきの若い男が、「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだからけっして間違うはずはない」と云った。自分はこの時始めて彫刻とはそんなものかと思い出した。はたしてそうなら誰にでもできる事だと思い出した。それで急に自分も仁王が彫ってみたくなったから見物をやめてさっそく家へ帰った。

この話のキ-ワードは「眉や鼻が木の中に埋まっている」です。それを槌の力で掘り出すことができる名人運慶の話です。青学の時間を削り出す作業とこれはよく似ていると思います。見た目は、彫刻と駅伝なので共通点はないように感じますが、どちらもよく言われる神が降りてくる瞬間に違いありません。この「掘り出す、削り出す」は絵や彫刻だけでなく、音楽も含めたあらゆる創造的な活動に言えることです。駅伝を主体的に走ろうとすれば、タイムの中にある活かせる時間を削り出すことも可能になるのでしょう。

運慶はこういうものが彫りたいと思い、手を動かしたのではなく、そうせざるを得ないギリギリのところだったのです。結果としてそれが彫刻になった。駅伝ではタイムを縮めることになる。問題の核心は全てその人間の中にあるのです。だから、カウンセラーや教師は、その人間の気づきを助けることしかできません。その人間の中に埋もれている何かを外へ引き出すこと。それにつきるのです。もちろん、本人にも教師にもまだ見えていません。それでもそちらへ少しずつ移動していこうとする人間の力(努力)が必ずあるはずです。

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運慶の場合は、それが鑿を持つ自在な手であり、青学の場合は足なのです。自分たちに何があるのか。それを気づかせてくれる人が存在するのかどうか。いつの間にか時は過ぎていきます。歳月の流れは確かに早い。その怖さに打ち勝ちながら、それでも埋もれた何かと戦うことになるのでしょうか。こう考えると、極限ぎりぎりこそがこの「掘り出す」行為につながります。まさに、何秒かの削り出しも同じぎりぎりです。どちらも神と出会う瞬間を考えさせる本当にいい話です。「全力で取り組む極限」の話であり、ぎりぎりなのです。

きばっど         キセキの人         R3.11.29

きばっど         キセキの人         R3.11.29

「教育かごしま」を分解して、先輩方の書かれた文章を切り抜いて読んでいる。学校経営で悩まれた、研究授業がうまい、厳しい指導で有名、大変な時に励ましてもらったなど、人生の節目で出会った多くの先輩方を思い出す。当時の文章を改めて読み返しているが、校長在職中やその前後で書かれたものが多い。割り当てられた文字数で、いろいろな思いをもって綴られたであろう文章には感動する。題名はもちろん、内容まで、珠玉の名作揃いだ。「現職が読めばいろいろと役立つだろうに…」と思いながら、この楽しみを独り占めしている。

膨大な量なので、独断と偏見で勝手に分類している。「鹿児島の教育史」という論文を書く人が出てきたら、これは昭和、平成、令和の鹿児島の教師たちが何を考え、どう取り組んだかを知る貴重な資料になるに違いない。ぜひ、そういう研究者を期待したいものだ。文章を読みながら、今はもう会えない人に出くわす。書きぶりや言葉遣いに当時を思い出す。ここにある言葉はその時代を生きた証でもある。これらの文章こそ文化遺産になりうるし、そうすべきだ。ネット上になんでもある現在だからこそ、何もなかった時代のよさも知ってほしい。学校や地域への呼びかけ、職員との語りや児童生徒とのやりとりなどが生き生きと書かれている。この話を詳しく聞きたいと思っても、もう会えない先輩諸氏だけに寂しさで胸がつまる。読むことで感謝の気持ちを添えたい。

校長室に歴代の校長の写真が飾られている。2~3代前ならわかるが、その前はどんな人かはわからない。学校沿革を読んでもなかなかピンと来ない。写真に毎朝挨拶をする、恥じない学校経営を誓うとか、現職の朝のル-テンを聞くと、それはそれでよいと思う。しかし、どういう時代で、学校には何があったのか、その時の課題をどう解決したのかを調べてみたい。写真の人を知る試みである。そのためには学校に校長の書かれた文章こそ残しておくべきだ。

やがて、経営を補助するAIも出てくるだろうし、「今日はあの写真の校長が助言をされます」という話も夢でない。膨大なデ-タに基づいて写真の人が語られるヒントになる話も鵜呑みにしないで、自分なりに咀嚼して活用したい。

学校経営の問題には、答えは無数にあるが、完全な正解はない。確実な方法で解決するも、根治をめざして取り組む時も覚悟も必要だ。しかし、「今」を考えられる自分のバランス感覚だけは大事にしたい。決断の影響が大きいのであれば、偏るのは実によくない。ましてやメンツに流されてはいけない。校長室で一人考える時、先達の名言とシンクロしてくれば、よい判断が近そうだ。AI校長も役立つだろうが、忘れられない言葉を新たな意味づけで見直したい。言葉のリサイクルやリユ-スとして、感謝の意味も含めて「キセキの人の言葉には今でも世話になっている。」と表現したい。まだまだ現役の方もいらっしゃるので、キセキの人としておこう。

きばっど        時代の渦            R3.11.22

きばっど        時代の渦            R3.11.22

ここ1月くらい、分配と成長、競争と成長というキ-ワ-ドをよく耳にする。自由競争で成長していくのが資本主義である。分配という概念は資本主義にはややなじまないと思う。確かに分配するものが存在するのであればよいが、コロナで散々な目にあってきた日本に果たして分配するものがいくら残っているのだろうか。コロナ時代が始まり、配布されたマスク、ワクチン、すべて借金である。未来の日本人が払うツケである。その上、何を分配しようというのだろうか。これから経済活動が復活してその利益を分配するつもりなのだろう。しかし、これは世界の動きとの関連が大きい。今のところ、アメリカの金利の動きはよく見えない。数字もだが、タイミングも大事で、これ次第では日本があてにしている稼ぎなど泡のごとく消えてなくなるだろう。それほど厳しい。

 グローバル化の進展は世界の人々と商売で渡り合うことになる。当然、競争であり、結果、日本の国益を優先することになる。イノベ-ションも同じことになるだろう。競争という圧力を高めるだけだ。ただし、人類を救うという地球規模の目標を掲げるのであれば、話は違ってくる。クル-ドラゴンの船長に日本人がなる話も心強い材料だ。世界の国は日本の調整能力に期待している。「日本人ならずるはしない」と思われるのはよいことだ。そういう意味のグロ-バル、イノベ-ションなら、日本も世界も救われるだろう。世界の国の中にはどうもズルをすると思われてもしかたない国も存在している。世界の国々とのつきあいもこれはこれでなかなか難しいといえる。甘い考えは許されない。

親ガチャは、ガチャガチャの機械から出てくる中身の見えないカプセルから生まれた言葉だ。親の能力や経済力で自分の将来は見えている。だから、勉強を熱心にやらず、そこそこでよい。「大した中身でない」をたとえた親ガチャだが、立場を変えると、子ガチャでもある。親がいくら優秀でも子供にすべてが遺伝することはない。逆に「親はこの程度」と子供が親を評価するほど失礼なことはない。黙ってはいるが、すばらしい能力をもつ親も多い。いろいろな条件があり、たまたま現在の状況に甘んじている。これから変わっていくことも十分ありうる。親自身も変化の途中であることをよく理解すべきだ。

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さて、2つの言葉を取り上げてみた。本当に変化の激しいご時世である。外圧というべきコロナは、黒船のような効果をもたらしているのではないだろうか。疑わなかった、当たり前だと信じた世界が壊れていく。どこを見ても信じるものが見つからない。時間は容赦なく先へ先へと進んでいる。自分はこの波に乗れるのだろうか、そう思うと、不安である。立ち止まるいとまもなく、渦にのみこまれていく。右回りのつもりが、気が付くとかなり左へ回っているようだ。はやり言葉を噛みしめたら、時代の渦に巻き込まれている自分に気づく。コロナ収束、そろそろ渦も逆に回り始めそうだ。

きばっど            鉄板技         R3.11.18

きばっど            鉄板技         R3.11.18

学力をあげる技はなかなかだが、学級づくりの技はけっこうある。人間関係がよいと成績は自然とあがる。学級づくりは成績アップの基礎・基本と考えてもよい。人間関係がぎくしゃくすると、てきめん成績も悪くなる。ある教科だけ平均点が低いのは、先生によって態度が違う学級に多い。雰囲気が悪いと成績が伸びるはずがない。いじめなんかが起こると、とたんに学級の雰囲気はおかしくなる。逆に、学校行事等で学級がまとまると、笑顔が増えて活気のあるクラスになる。学級づくりと学力向上は間違いなく、相乗効果がある。まとまりを作るには、協力して一つのことをやることだ。口で100回言うより、助け合ってミッションクリアがチ-ムをつくるのに最高によい方法だ。

たとえば、「木偏のつく漢字をたくさん書いたグル-プの勝ち」というゲ-ムをやる。まずは、人数を決めて、順番を決める。書き詰まるところで交代する。先頭の者が書き出す。だいたい1分ほどしたら交代する。次々に書き出すが、10分程度で終了の目安にする。砂時計やストップウォッチなど視覚化するとおもしろい。生徒たちが必死になるように仕組むとよい。学級レクの定番にして、お題(英語の単語とか)を変えて月一くらいでやると効果がある。最初のうちは、担任がリードして、慣れてきたら生徒たちでやらせてみるとよい。

 グル-プ同士が活性化すれば、学級もおのずと活性化する。指導ポイントは相互理解と自己肯定感である。自分の居場所がグル-プや学級にあると感じることが自己肯定感を高める。漢字が何個か書けただけでその時間はヒロ-になる。実に簡単な自己肯定感だが、これはなかなかの財産となる。他のグル-プより一個でも多く書くためには、なりふりかまわず知恵を出さなくてはならない。そのためにはお互いの立場を尊重して、漢字を思い出して書く。ミッションクリアへどんな形でも協力すること、そして、成功体験を共有することだ。助け合い、自立する学級づくりの鉄板技を紹介する本がある。全部身につけなくてもよいが、自分が得意そうなものを2から3個はもっておきたい。後から楽をするためにもクラスづくりに時間を惜しんではならない。最初が肝心。

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 前の担任のカラ-が濃くて、なかなか新担任になじまないクラスがある。そんな時は、自分のカラ-を鮮明に出すべきである。生徒は自分をよく見てくれている担任が好きになる。そのためには、「君は特別」と思わせることだ。面談等では個人的なものを必ず準備する。自分の子供をよく見てくれている担任と分かれば、親の信頼も高まる。そこから個々の進路の話ができるし、生徒指導の課題があれば解決への問題提起もできる。「協力して解決する」の姿勢が大切だ。鉄板技はいろいろとあっても、気持ちとして「自分が一番この生徒をよく見ている」「一番この生徒を信じている」の意気込みがあるのとないのでは効き目はずいぶんと違う。

きばっど       新しい旅の形 一つの提案      R3.11.12

きばっど       新しい旅の形 一つの提案      R3.11.12

 コロナのおかげで、空想して旅に出る機会が増えた。これを空想徘徊の旅とよんでいる。「村上水軍の娘」を読み、大三島から播磨灘、淡路島、そして、大坂という古い時代の大阪の海岸まで旅することにした。地図を片手に小説を読むスタイルでこの旅はスタ-トする。もちろん、ネット検索で立ち止まりながら妄想を拡げては、新しい知識と出会う。旅の気分に浸れるので実に楽しい。

コロナ前はロケハンオタクを自称し、そこで多くの映画の舞台になった「尾道」という場所にあこがれた。5年ほど前に新幹線で福山まで行き、在来線に乗り換えて実際に降り立った。ここは「時をかける少女」「さびしんぼう」の舞台である。その近くにはポニョの舞台と言われる鞆の浦など、映画好きなら一度はその地に立ってみたくなる地域である。また、尾道は文人たちの愛した町でもある。鹿児島とも縁のある林芙美子の文学碑も有名である。駅から商店街、海と平行にしばらく歩いて坂を上ると、お寺があちこちに見える。二人しか乗れないかわいいロープーウェイで山頂へ、書き出し「海が見える」の芙美子の碑は視界が開ける岩場に突き出すように建てられている。そこに立つとちょうど足元に尾道の町が広がる。左遠くを望むと、瀬戸内の島々までも見渡せる。「花の命は短くて」の碑にも、ここの碑も一人でも生きる女性の潔さを感じさせる。人生は自分が思うより悪くないのだろうか。どうにでもして生きる、生られる人生にふれるようで大好きだ。空想徘徊で実際に旅行した5年前の続きが始まり、どこまでが本当でどこからが空想かわからなくなってくるから楽しい。

人生100年時代、学校で習ったものは、60を過ぎるとそろそろ学び直しが必要となる。この知識修正には、「加えて獲得する」でいきたい。一度訪れた土地をさらに知ろうと調べることだ。経験に基づく自分の思いとの実体験との違いに感動することだ。情報量が半端でない現代は限りなく体験に近いものを手にできる。もちろん、風や匂いは無理でも、視覚的にはかなり近いものがある。 以前、「日本三大がっかり観光地」が流行したが、空想徘徊の旅では、がっかりするような場所はない。札幌の時計台は、時計台の歴史やその中に展示してあるもの、そして、外観と、どれをとっても感動の連続である。時を知らせる役目だけでなく、札幌の町にあり、それぞれの時代でいろいろな役目を果たしてきた。生徒の学びの場、住民サービスの拠点、図書館など、また、時計部分の仕組みは、おもりが下りていく力で時を刻むように作られている。つまり、時を知らせるためには、どの時代でもだれかがあらかじめおもりを巻き戻す必要があった。人の手で「時」が生み出されていた。これを知るだけでも感動だ。この時計は世界中に親戚がある。残念ながら、バックトウザフューチャーの時計台は親戚ではないが、重要な役目を果たしている点は同じだ。石原裕次郎が見上げる夕暮れの時計台、恋の町札幌の曲が流れてくる。空想全開。

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きばっど       ことばの採集箱          R3.11.5

きばっど       ことばの採集箱          R3.11.5

 世の中にはキラリとしたすてきな言葉が無数に存在する。いつのころから、それをメモして書き留めておくようになった。これを勝手に「ことば採集」とよんでいる。採集箱にある言葉をいくつか並べてみよう。「あせらず あわてず あきらめず 三反園知事」「言志四録 文 武 農 西郷南州」「君が吹くフル-トに僕は導かれ 夏休み応援の笛よく響き お茶の俳句」「己を尽くして人を育てる 南州翁」「強くなれる理由を知った 鬼滅の刃」 あれこれと、本当にいろいろな言葉を書き留めてしまう。町を歩いても、テレビを見ても、心に残る言葉に出会う。そんな言葉に出会うと、見知らぬ美しい蝶々に出会ったときのようにどきどきする。どうしても自分の手元においておきたくなる。

 「折々のことば」という朝日新聞一面にすてきな一文を取り上げて解説する欄がある。ここに並ぶ言葉は実に魅力的だ。作家や政治家、スポ-ツマンの言葉、物語の主人公のセリフまで読み返す度に新しいイメ-ジをわきあがる。「母は舟の一族なのかもしれない」「100冊の読書より一度の恋愛」などは忘れられない一文である。言葉に引かれてなにげなく読み始めると、自然と自分の人生に絡んでくるからおもしろい。言葉の吸引力とでも言いたい。

武田鉄矢さんがある番組で語っていた。「街角で出会った好きな言葉を使うチャンスを自分は探している。」なるほどと聞きながら、その言葉は「送る言葉」にある「くれなずむ」であると知る。実にすてきな言葉である。言葉を探す話はシンガ-ソングライタ-小椋圭さんにもある。「シクラメンのかおり」を思い浮かべると北原白秋の世界から見つけた言葉が多い。九州の柳川出身の白秋は、水郷の町の夕暮れに合う言葉を選んだように使っている。

心の栄養になる歌詞は無数にある。「涙の数だけ強くなれるよ」や「負けないで ほらそこにゴ-ルは近づいてる」などを聴くと不思議と元気が出てくる。フレ-ズに魔力があるのではないかと思える。新古今の和歌ではないが、本歌取りの技法というか、使う言葉に一つの世界がある。その世界の存在を踏まえて使うだから、心に響くはずだ。人は苦しみを何度か乗り越えて強くなる。という前半を「涙」にまとめて、「数」では多さを暗示する。すると、強くなるにがんばりがすっと結びつく。「ゴ-ルまでがんばるように応援する」でなく、「負けないで」とまず励まし、負けなければ、「ゴ-ル近づく」とさらに念を押す。がんばろうという気持ちになる。ただし、「自分自身に負けていけない」と念を押したい。 美空ひばりの「みだれ髪」にある「春は二重にまいた帯、三重にまいてもあまる秋」のフレ-ズにはぐっとくる。大伴家持の恋の歌に「あなたを思ってやせてしまいました」とこの表現は使かわれている。作詞家は知った上で、千年の時をこえた本歌どりである。お見事