きばっど プログラミング今昔 R3.3.29

小学校ではプログラミング学習が行われていると話に聞いているが、なんぞやと本を読み始めた。石戸奈々子先生が説明するというマンガである。ざっと言うと、「仕事をどう進めていくかを考える」訓練を小学校から始めるという話だ。昔、年寄りから「だんどり」を言われた。それと同じだと勝手に理解した。

具体的には、プログラムで三角形や正方形をどう描くかという話だ。10㎝の正方形なら、まず、直線を10㎝引いて、引き終えたところで左へ90度曲がり、さらに10㎝進んで、今度も左へ90度曲がり…と命令すればできる。曲がりは左を右に変えてもできそうだ。この応用で多角形も書けるはずだ。

昔、コンピュ-タがゲ-ム機に毛がはえたようなころ、「タ-トル」という言語?があった。これからのコンピ-タ教育の共通語と言われ、教育現場で大きな話題になった。まず、画面の上に点滅する亀(のような)さんが出てくる。これに命令を与えると動く。そのころのBASICとかいう言語では、画面上でものを動かすのは大変な作業だった。ゲ-ムはみんなマシン語で書かれていた。

さて、亀さんには、確かgo(2、3)とか、turn rightと書いて命令していた。何しろこのタ-トルを動かす前に、プログラムをカセットで転送して起動していた。意欲維持が至難の業だった。それでも☆を書けたと小躍りした。目も腰も大丈夫で、☆を1つ書くのに一晩寝なくても平気な35年昔の話だ。これが、色鮮やかなテントウムシやねこになり、日本語の命令カ-ドを画面上で並べるプログラミング。その動きはなめらかだ。スマホでも学べるし、お手軽、お気楽に学ぶことができる意欲もなくならない。30年の月日を感じる。

今、コンピーュタがあらゆる機器に組み込まれ、このようなプログラムで動いている。しかし、基本はこのお絵かきにある。このような考え方が身につけば、仕事のだんどりをきちんと考えられる力にもつながる。この「だんどり」を、科学、技術、工学、人文科学、芸術、デザイン、数学というSTEAMの視点で考えられるようにしたいのか。中学・高校では問題解決型学習をプログラミングの発展ととらえてよいのか。そして、文理の壁をこえた思考力を練る探究学習へとつながるでよいのだろう。しばらくは研究してみたい。

論理的思考力を身につけた若者を育てたいがみんなの願いだ。若者には今までのまちがいを訂正し、これからの判断を間違わないでほしい。小論文は感情論や思い込みで書いてはいけない。事故や事件を防ぐには、すぐ厳罰を…と書くのはダメ解答で、それを引き起こす仕組の改善をとりあげて書くのが正解だ。つまり、改善できるものを問題と設定するべきだ。世の中の失策はこの論理的思考のなさに起因する。つまり、だんどり力のなさだ。35年前、みんなおもしろいゲ-ムを作り、一攫千金をねらった。今思うと、思考力のある人間を作る方が先だった。新しいプログラミング教育に今度こそその夢を託したい。

きばっど トランスレイト R3.3.26

「天の時 地の利 人の和」という言葉を今風にトランスレイト(翻訳)してみた。まず、「天の時」は「タイミング」という感じでどうだろうか。昔、ウンチャンナンチャンのテレビ番組で出演メンバ-で構成されたグル-プの歌唱対決があり、「ブラックビスケット」という名前をつけたグル-プが歌った。とにかく「タイミングこそが物事を決めるのに大事だ」とよくわかる歌詞だった。

 次に「地の利」の話だ。孫氏の兵法に「地」についていろいろと出てくる。「どんな所に陣を構えるとよいか」や「こんな土地に軍隊を進めたら気をつけろ」とあり、「死地」だの「窮地」だの物騒な名前で解説されている。中国では土地に関することを扱う話は多い。幸福を招く風水という学問まであるから、「地の利」についてのこだわりは半端ない。どうトランスレイトするか、難しいが、「バランス」という言葉を考えてみたい。職員の男女の比率とか、交渉で相手の要求をどこまで飲むかのバランス感覚はリーダ-には不可欠の要素である。「調整する」と縁語的に意味を広げると、その利点、欠点を知った上で、「活かす」という発想とも似通う。ちょうどよい所を考えることがよく、勝ちすぎても負けすぎてもいけない。「勝負は負けなければよい」でバランスはとれていくようだ。

最期に「人の和」であるが、これは「ハーモニ-」である。十七憲法の「和をもって尊し」にある発想は協力や共働である。前の2つを欠いても「人の和」は絶対に欠いてはならないと書かれている。ワンチ-ムとなったラグビ-や伝説の東洋の魔女とか、古今東西、この人の和が起こす奇跡には驚かされる。聖徳太子の憲法は理念的な側面が強いとかと言われるが、ここまでくると人生哲学だし、よくぞ憲法の一文にされたと感動する。

トランスレイトすると具体がみえる。他の言語を学ぶポイントはここにあるのだろう。言語の違いは考え方や見方の違いである。翻訳してみると、同じ部分もわかるが、違いも鮮明になる。価値観はもちろん、思考のパタ-ンが違うことも見えてくる。見ず知らずの人とつながるには、まず、考え方の違いが判ることである。違いがわかると、何を説明するべきかがわかるので、相手とつながる手立てが生まれる。トランスレイトはそんな訓練をしていることになる。

「チコちゃんに叱られる」では、多様な言語が存在する一つの説としてこの「考え方の違い」が紹介された。それは「価値あるものがそれぞれの土地で違うから」というものだった。実におもしろい説である。農耕民族であると、稲作に関する自然現象をどう呼ぶかの語彙は当然増える。また、海に囲まれて漁を捕れば、同じ魚なのに成長の過程で呼び分ける「出世魚」なんて言葉が出てくる。ブリ、サワラと呼び分けて、おいしくいただくことになる。これらを価値ある食べ物としていたからである。「言葉が文化である」という話はこういう辿り方をしても、なるほどとうなずける。

きばっど つながりとル-ル R3.3.17

「縦の糸はあなた、横の糸はわたし 織りなす糸は…」と歌われている「糸」さて、あなたと私は価値観や生活経験がかなり違うはずだが、簡単に織りなすことができるのだろうか?そして、織りなすためには何が必要なのだろうか。

 学級経営は「ル-ル」と「つながり」で言われることが多い。これは学校経営でも同じで、校長はル-ルとつながりで、学校を作り上げあげなければならない。命令系統は縦でなくては混乱するし、ル-ルが人それぞれの都合の良い解釈でも困る。ルールはだれが考えても客観性があり、納得できるものでありたい。しかし、横糸に当たる人間同士のつながりはル-ル以上に大切にしないといけない。一日の大半を過ごす学校という生活空間で、生徒であれ、教師であれ、だれの世話にもならず自分一人だけ生きていくことはありえない。

 「糸」は、友人の結婚式のために作られたと聞くと、納得できる。この主題は価値観が違う二人が協力すると、作り上げられる物に包容力が宿るという意味ととらえられる。互いのル-ルを尊重し、守り、相手を思いやるというつながりをもてば、すばらしい家庭になると考えられる。だから、そこにいるだけではダメで、「それなりの努力しない」といけないのである。たとえ、どんなにロマンチックにスタ-トしても、お互いの価値観を理解しようと努力しなければ継続は難しい。協力というより、もう一歩進んで作り上げるイメ-ジだ。お手本はないが、二人の努力があればきっとすばらしい家庭ができるだろう。だからこそ「織りなす」を方法論としている。中島さんの結婚観と言ってもよい。

 学級や学校の話で「糸」をとりあげると、つながりをどう作り出すかだ。まずは課題とのつながりがないと意欲はわき出さない。自分のものと考えて、課題と対峙する。教師も共通基盤や課題解決を工夫する。そして、自分なりの考えをもてると、課題とのつながりができてくる。次に友人とのつながりだ。学びの楽しさは、友人との意見交流にある。人はいっしょに学ぶのがうれしい。社会生活が協働で成り立っているように…。最後に自分とのつながりである。ここでは学んだ意味、や価値を自覚するべきだ。例えると、織りなすものが人を温めたり、慰めたりできるに違いないというイメ-ジの共感である。    糸には「ル-ル」のイメ-ジもある。しつけ糸は、布を縫う際に仮にとめる役目がある。本縫いで着物が完成すれば、跡形もなく、抜き去られる。それは、人間をきちんと育てるイメ-ジの「躾」と同じで、幼くわからない時分にだけ必要なものだ。ル-ルがないと学校は維持できなくなる。その意味でも、よいものを織りなすためにはお互いル-ルを守った上で、新たなつながりを作り出す作業となるだろう。今までの織物よりも素晴らしいものを作るにはどうするのかという問いの継続だ。答えは分かっている。当たり前だが、この2つは絶対に手を抜かないことだ。

きばっど 「建学の精神」を考える3つの言葉 R3.3.12

1 よき人たれ  Be good man

クラ-ク博士は初めて札幌を訪れた時に、当時の札幌農学校の校則の提出を求め、それを睨み「これは全部廃止する」と宣言した。それを聞いた当時の北海道開拓長官の黒田清輝は激怒し、博士と対峙して、説明を求めた。博士は「校則は一つでよい。それは、『ビー・ジェントルマン』(紳士たれ)である。」と述べた。それを聞いた長官は真っ赤になっていた顔を笑顔に変え、「わかりました。それで行きましょう」と答えた。クラーク博士は赴任の挨拶の中で「ジェントルマンというのは、まず定められた規則を厳しく守ることが必要だ。自分の良心に従って行動することだ。そのためには自分の良心を育成しなければならない。誰にも恥じないような良心を一人一人が持ちなさい。」と述べた。そして、「これは、一人の人間が社会の中で自立した存在として生きていく基本なのです」と付け加えた。「道義に徹する」とは、この言葉と同じである。「人としてよき人」で日々の生活を送りたいものだ。「こうありたい」と努力なしにはなかなかできないこともいろいろとあるが、けっして難しくはない。

2 他の人のために For others

「自分のために努力するのは当たり前、他の人のためにできて一人前。」育英館のメンバ-は自分の知りうる仲間だとすれば、やる気も出るし、がんばれる。さて、この仲間のためにだけで良いのだろうか。「未来を守る」という意味で、もっと他の人も意識したい。これから出会う人も意識したい。「どうすればこの地球を未来に残していけるのだろうか」と、そんな考えも必要だろう。

ナカドチェス市長の歓迎セレモニ-挨拶で、「これから会う未来の友人のために」という印象的な言葉があった。他のためにつくす姿勢として大いに参考したい。「まだ見ぬ人にまで…」と考えると、「公共物を大切に」から始まり、「食品ロスを減らす」まで、おろそかにできないことは数多くある。「実利を図る」人になるなら、ここまで考えて行動できる人をめざしてみよう。

3 為すべき仕事を愛して Love my work 「人は与えられた為すべき仕事を果たすために生まれた。」とよく言われる。それは天命とか天職というものだ。その仕事が簡単にわかり、やれるのであればよいのだが、わからないことが多い。それなら、今、自分に任された仕事には精一杯取り組みたい。仕事の出来は心の持ち方で良くも悪くもなるから不思議だ。だから、笑顔で精一杯、仕事には取り組もう。「頼み事は試されごと」は仕事に対する姿勢を考えさせる言葉である。仕事はよい意味で期待をかけられて頼まれるもの、だからこそ、期待をよりよく裏切る取組をしよう。まずは、「全集中で心をこめる」から始めよう。「勤労を愛する」なら、どんな仕事にも愛情を注げる。それだけで、どこにいても、頼られる人になれるに違いない。

きばっど 感情や心の循環型社会 R3.3.9

コロナのおかけで見えないものが見えるようになった。テレビでよく取り上げられる飲食業界の話は実に興味深い。コロナ渦でいろいろな食材のだぶつきが問題となっている。何気なく食べるものには多くの人の手がかかっていることはみんなご存じだ。しかし、今回は実感した人も多かったはずだ。

例年並の需要があると考えて生産したものの、コロナのあおりで食堂、飲み屋、ホテルなどが閉まり、消費はみるみる滞ってしまう。苦労して生産されたものは行き場を失う。時間が経つと、ものを運ぶ人の流れまでもが止まり、流通しないという悪影響が出てくる。結果、ものがない、必要なときに買えないでは、消費者も買い控えとなり、全体的にものがだぶつく。この代謝の悪い状態が続くと、生産者は守りに入る。生産の調整に入ってしまう。こう考えると、食べ物一つにしてもコロナ後に元にもどるまではかなり時間がかかるだろう。

これまでは、こんなことは見えなかったし、真剣にも考えなかった。今までの世界がよかったのかというと、生産したものをすべて消費したわけでない。ふりかえると、廃棄率は半端なかったはずである。政府広報のテレビCMではないが、おむすび1億個を廃棄していた。これでよかったはずがない。国民がもっともったいない精神を発揮すべきである。コロナ後の社会こそはリサイクルやリユ-スという循環型の社会にしたい。生産したものは確実に消費する。生産したものの行き先を考える。これらを早急に確立すべきである。無駄なものを作らない。作ったものは最後まで使う。コロナのおかけで学んだことだ。

 守りの城として知られた熊本城は、壁や畳の下に籠城したら食べられるような素材を活用した。非常時にはまず「食」である。昔の人の知恵に習い、地震や津波への備えと同じように、リサイクル型の社会を形成しておけばこれからの災害に耐えられる。もう一つは心のリサイクルである。人を助けるというつながりをリサイクルしたい。よく考えると「恩送り」である。災害で助けてもらった地域が、ボランティアを送るように協力や共同の場づくりを進めたい。どこのだれかがどこかのだれかを助けられるような仕組みを、「復興税」といわずに、暖かい心のまま届けられたらこんなすばらしいことはない。

感情や心のリサイクルである。恩送りや縁育てを実践して循環させることだ。作り出した輪は消えることがない。そして、多くの人に分け与えられるのも特徴だ。「幸せのバケツ」という絵本はわかりやすくその社会を説明している。 まずは行動しよう。消費期限が迫り、割り引かれているものをコンビニで見つけたら、積極的に購入してその日のうちに食べよう。ペットボトルは確実にリサイクルしよう。小さな行動だが、これがもったいない行動のポイントである。ミスやロスならいいが、レスになるとこまる。みんなで心のある行動をこころがけたい。

きばっど 褒め名人になろう R3.3.3

「褒めて伸ばす」という言葉があるが、名教師と言われる人はとにかく褒め方が上手である。えびの国際高等学校で長年校長された馬籠先生の校長室だよりに書かれた「褒め方6箇条」をもとに、褒め技を研究してみたい。

1 何かにつけて人を褒めよ。 相手の前向きな生き方を褒め、発想の妙を褒め、手柄を褒め称える。どんな些細なことであれ、人を褒める材料を見つけ出すこと

2 生徒、教職員の名前を覚えて、それをしょっちゅう口にする。言われた相手はやる気が格段に違ってくる

3 誰かを褒めるときは公衆の面前で褒めることを鉄則にする。他人が褒められているのを見ると「次は私も」という気にさせられる。

4 人を批判することはよい結果を生まない。失敗をした人間をとがめるのでなく、うまくできた人間を褒めるべきだ。そうすれば、失敗した人間も自分の非に気づく。

5 落胆して傷ついている時こそ、その人を褒める、気落ちしている生徒や職員がいたら見つけ出し、もう一度希望を与えてやる必要がある。

6 人を褒めるには誠実さが欠かせない。心底から相手を称える気持ちがあれば、いくら褒めても褒めすぎにならない。だが、うわべだけの誉め言葉は必ず相手に見破られてしまう。                   (一部引用)

褒めることの難しさにもふれた素晴らしい1~6である。今はやりの表現なら「愛の呼吸 ほめの型 6タイプ」である。2に書かれてあることは「個人的にほめる」である。他の人でなく、あなたを褒めていると意識させるために「名前を呼んで褒める」である。6は褒め名人になる肝の部分だろう。これこそがほめの型の必殺技、「誠実さを出す」である。

1は「よいとこ探し」であり、加点評価である。こういう先生や上司だと人は安心できる。この褒め方は周りから、往々にして甘いと言われることもある。しかし、人を育てるには、「叱り飛ばす」、「俺が鍛えた」よりこのほうがずっとよい。3の褒め方は、「教師は五者たれ」で取り上げられる「役者」の世界だ。褒め方にも計算が必要と言う話である。さりげなくやれるなら一流の役者だ。4は静かにならない学級とか、やる気のない学級を活性化するときに使う手法でもある。ただし、生徒の雰囲気をよく見てやらないと空回りすることもある。学級にある力関係を把握した上で、うまく利用することだ。 やり抜く力の育成を考えると、興味・関心をもつ導入部分は「褒める」に限る。ただし、本人が真剣にやり出したら、厳しさも必要だ。身につくまで継続してがんばらせたい。「初めちょろちょろ、中ぱっぱ、赤子泣くともフタとるな」の炊飯のコツは、「褒める」の位置づけを明確にしている。「褒める」は、導入に限り、本物とするには「ぱっぱ」や「フタをとらない」という我慢や厳しい指導も必要だ。褒め名人は厳しさも必要なのは間違いない 。