きばっど         恩送り            2019.11.18

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きばっど         恩送り            2019.11.18

若さや笑顔はだれのものだろう。当然、本人のものだ。よく考えてみると、本人の所有なのに笑顔や若さを共有している錯覚に陥ることがある。バレ-の試合を見ていると、自分がいっしょにプレ-をしているような感覚になる。心理学的には同調性というらしい。お茶の間で応援しても、まるでプレ-したかのように感動や勇気をもらう。その意味では、彼らの感動も私のものだ。自分のためなのに知らずに人のために生きている。自分のことができるのは当たり前、他人のことができて一人前、他人に感動を与えたり、みんなでいっしょにがんばれると何人前なのだろうか。知らず知らずの行為が世の中に大きな影響を与えるのはこんな構造なのかもしれない。

「恩送り」という言葉がある。受けた恩を返す一つの方法だ。よく知られる「報恩」は、お世話になったその人に報いるという返し方だ。つまり、特定の相手に返せる場合だ。世の中の構造上、なかなかそういかない。長い年月が経ち、相手が亡くなっていた場合、「報恩」はできない。そうなれば「恩送り」だ。「泣いた赤鬼」では、お世話になった青鬼に、どう報いようかと赤鬼は考えていた。ところが、青鬼は赤鬼のために身を隠す旅に出て帰らなかった。赤鬼が泣いたわけは、友達を失ったこともあるが、青鬼の恩に報いることができないと思ったからである。赤鬼はどう「恩送り」をしたかも物語にできそうだ。

英語を学んだり、ドイツ語や韓国語を聞いたりする中で、日本語のことわざに似たような表現や意味に出会うことがある。古今東西、人間の考えることはあまり変わらない。敬語表現や男女の区別などはどの言語にもあるようだ。英語はその点、シンプルで、敬語表現はあるが、複雑でない。上下関係や相手の動作にまで気を遣う日本語は大変な思いやり言語だ。韓国も漢字を使う国だから幾分似ている。ちなみに「約束」は韓国語もヤクソクだ。ちなみに、中国語では「手紙」はチ-ンと鼻をかむもので、「湯」はお茶を飲む場所で、男、女の区別はない。「恩送り」があるのか、ないのか、調べてみたいものだ。

「自分の思うようにならない」と最初から考えればこの世は楽だ。ものや自分にとらわれると、世の中は生きにくい。自分を中心に考えないとやる気が出ないのはわかる。一歩引いて、執着しすぎると負担だよという話だ。路上に駐車するクルマのために起こる事故がある。事故が起こるように駐車する人はいない。しかし、駐車したことで事故が起これば、結果は悪意となる。つまり、自分が意識しないで悪事を働くことも多い。だからこそ、人知れずよいことをしようという話も生きてくる。こう考えると、人から受けたものはその人にだけ返せばよいのでものでない。結果として、善意となるように、ちょっと多めに気づかれないよう、多くの人に返していける「恩送り」がこれからの時代にはちょうどよさそうだ。

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