きばっど  育英館にうまれる新生児たち  R3.6.11

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 育英館という学校社会に今年生まれたばかりの子供たちがいる。よちよち歩きもいれば、けっこうおしゃべりもいる。なかには乳離れができず、夜泣き、離乳食を食べずに舌で押し出す子など、やりたい放題である。生まれたばかりの赤ん坊じゃしかたない。子育てした人ならなるほどとわかる例話である。

 そう考えると、だれもが新しい社会に生まれ、すくすく育っていくにはなかなか大変である。今まで育った、適応した環境を離れ、何を好んでまったく別の世界にやってきたのか。「中1ギャップ」は教師側からの視点で、生徒にとってはギャップどころか、まったく、別の社会にやってきた赤ん坊なのである。ギャップは当たり前、全部が見るもの、聞くもの、ギャップなのに今更どれをいうのかと言いたくなる。赤ん坊がしゃべれたら開口一番こう言うだろう。

 生まれたてには「育てる」の観点で、しばらくは手をかける必要がある。家庭と学校が協力しないと、この赤ん坊はうまく育たない。赤ん坊という言葉を使ったのは、社会性がまだまだ育っていないという前提である。生まれたてだから、わがままし放題。自分が心地よく育った子宮とは大きく異なる世界へ誕生しているから無理はない。昔は、あいさつや言葉遣い、礼儀作法は身について生まれてきた。現在は、培われたものがうまく機能しないと、親が恥ずかしいとか、失敗したとか、思い込んでしまうようだ。まだまだ成長の途中である。子供を信じてもう少し情報を出すべきだ。包み隠さず、教師と協力してよい子に育てるという姿勢をもってほしい。親と教師のチ-ムで育てることが一番だ。

 「教師は5者たれ」といった人がいるが、今後は「育てる」という要素を強く意識してほしい。「これぐらいはできるはず」と見るより、「まだ、できないのだ」と考えて育てていきたい。出身校からの申し送り事項では見えなかったものも2ケ月も経つと次々と見えてくる。さて、この子をどう育てることやら、個性を尊重しながらも、悪い芽は剪定をしていかなければならない。がまんや忍耐の活動は本人を強くするから、ある程度は経験させたい。「褒めて伸ばす」は一つの教育論で有り、場面や発達段階や、習得と導入期では別の方法を考える必要がある。できた点を明確に評価し褒めることと、本人の狎れによる失敗を戒め、たるみへの注意はきちんと指導することも必要だろう。  新しい物語は始まったばっかり。うまく育てて、「先生ありがとう」の感想を聞きたい。こんなふうに育ててほしかったと言われても、「はいそうですか」と言える親はいない。ある年齢までは親の影響があるたとしてもその先は自分で決めることだ。「育てる」にゴ-ルがあるとすれば、「自分から育つ」に変わるときだ。知らないうちに自分で決めて、自分で歩いていく。よくよく考えると、ある時期で親の責任は終わり、そこから先は自分の人生だと気づくはずだ。

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