きばっど  夏の光  R3.8.2

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 夏休みの前半より、後半が思い出として「濃い」はなせだろうか。「少年時代」の歌詞も、「となりの待ちのお嬢さん」にしても、「夏色」でも同じだ。この夏休みだが、7月になると待ち遠しくてたまらない。あのそわそわ感はのどが渇いた感じにも似ている。その感覚は夏休みの直前、通知表をもらうころに最高となる。いざ、始まってみると友達には会えないし、宿題が終わるまで外には出ることができないと不自由でいっぱい。近場の公園であるラジオ体操や月末の町内の廃品回収、神社の盆踊り大会など、40日間の中で、ひさしぶり会う友達がいつもと違ってきらきらと見えた。

 「夏休み制服でない君にときめく」もちろん、女子を意識するのもこの数日間である。あんなにかわいかったかなと日頃のつきあいを反省したりもした。残りは昆虫採集や絵画に、そして、自由研究とけっこう忙しかった。あんなにたっぷりあった時間が少なくなっていくのを実感する。夏休みまでの時間は始まりが遅く、過ぎるのは何倍も速いものだった。(昭和の夏休みだと思う)

 夏休みはいつでも期待感で始まり、喪失感で行ってしまう。9月の第1週になってもあたりは明るく、行き交う人の装いも華やかだから一層寂しい。まだ、夏はそこにいるのにもう終わりだなんて、取り上げられたような気持ちになる。しかし、夏の終わりの美しさはそこにある。キラキラを残しながら、立ち止まらないで去って行く。夏休みの宿題を提出すれば、そこで何もかもが終わり。宿題が終わらず、残ってやらされる友達もいた。今思えば、彼らは夏休みを手放したくなかったのかもしれない。放課後1週間の居残りは夏休みを終わるの、終わらないのと葛藤していたのかもしれない。

 8月を残したい。若いころはよくそう思った。「さらば夏の光」という映画のタイトルを思い出す。写真や手紙やさまざまなものはあの光を思い出させる。今ならもっとリアルに残せるはずだ。そんな考えをもって今年の夏を過ごしてみようか。今年しかない思い出をどう残すのかと考えると、おもしろいことになりそうだ。とにかく、ITのおかげで過去と未来もつながりやすくなった。残そうと努力すれば昔とは違う方法で残せそうだ。

 新しい形で夏休みを残そう。提案したらどんな夏休みが残るのだろうか。小学校1年の時、書いた絵日記が出てきて懐かしさでいっぱいになった。もちろん、昭和の話題が満載で、家族が並んだラジオ体操の絵には笑えた。今の小学生ならデータファイルに書いた絵をまとめて、自分専用のクラウドに残すのだろう。映像でも、文章でも今の夏休みに感じる思いを残すのがおもしろい。黄昏期を生きる時、若き日の夏休みはまぶしい光のように美しい。オリンピックもあった今年の夏、生徒たちの「夏の光」はどんなふうに残るのだろうか。

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