滴骨血                H29.9.15

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きばっど育英館      滴骨血                H29.9.15

中学校の教師をしているころ、「入試の後にあれも教えればよかった。これも教えればよかった。」と後悔した経験がある。国語は年間140時間と時数も多いのに、こんな調子だった。35時間しかない教科の先生はどんなに絞り込んで教えているのだろうかと感心したものだ。教育実習の指導の際は、「あなたが授業する1時間もベテランの先生がする1時間も生徒にとっては大切な1時間です。」と語ったものだ。本当に教えることは覚悟のいることだ。教育には無駄な時間はない。

王陽明の言葉に「教える覚悟」を考えさせるものがあるので、いくつか紹介したい。まず、教えられる者と教える者との関係を述べた言葉である。「一掴一掌血」とは、掌をぎゅっと握りしめたら、血の痕が残るくらいに掴む。「一棒一条痕」とは、棒で叩いたら、叩いた部分に一生その痕が残る。これらの言葉は、教える、教えられるという師弟関係では、「弟子は『一掴一掌血』の心づもりで学び、教師は『一棒一条痕』の気迫で教えなくてはならない。」と使われる。
また、「滴骨血(てきこつけつ)」という言葉もある。中国の言い伝えに、自分の先祖の骨を捜す時に、自分の血を骨にかけ、その血を弾いたらご先祖様ではなく、血を吸ったらご先祖様の骨であるという。これから派生して、師の血を滴らせれば、弟子の骨が吸い込む。心血を心骨に注ぐ。それほど強い師弟関係を結ばなくてはならない。教える者はこの気迫で人を育てなくてはならない。

師が「思い」をもって、「思い」を注ぎ込んで弟子を育てることは学校教育にもいえることである。生徒たちが卒業するまでに、教えることはすべて教えた、伝えることもすべて伝えたと自信をもって送り出したいものだ。その覚悟はもちたい。

秘伝とか奥義とか言われるものが口伝であり、ある日、突然師から弟子に伝えられるものだと聞くが、弟子の力量に応じた指導であり、一通りはどの弟子にも教え、これというものは優れたものにさらに教える。進度差や発達段階に応じての発想である。「秘伝」のなかには、毎日の生活や心得まで示したものもあるらしい。日々のトレ-ニグメニュ-を継続できないものは道を究めたことにならないようだ。どのくらい継続するかというと、「百日の鍛 千日の錬」というが、3か月や3年と言い換えてもよい。6、3、3の学校制度にはこんな裏の意味があるのではないだろうか。漫画の話で恐縮だが、「巨人の星」や「ドカベン」などの野球漫画には、決まって「千本ノック」が出てくる。考えるに、100本とか、150本でも大変だろうが、「千」にこだわるところがおもしろい。思いをこめる話が「血」だったり、努力する目標は「千」だったりと、一つの漢字に思いがこめられると、深い。考えさせられる。

とことんマンも一つのイメ-ジだ。イメージしたのは育英館の教師の姿だ。生徒に学習する力をつけ、社会で生き抜く力へと伸ばす教師こそがとことんマンだ。とことん面倒をみるとは、知識を教えれば終わりではなく、「自学自習」する生徒へと変わらせていくことだ。目標を見つけ、自ら学ぶ自分へ変わっていこうする生徒を手助けする。とことんマンの腕の見せ所だ。

 

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