原口泉先生の話 その4           H29.10.6

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きばっど育英館   原口泉先生の話 その4           H29.10.6

江戸育ちで鹿児島にこれといったつながりのない斉彬は、自分の代弁者として鹿児島の青年たちに語れる者を探す。そのころ、西郷は青年たちの二才頭として人望はあったものの、農政を担当する下級官吏だった。斉彬は人材を広く求めようと意見書の提出を家臣に命じる。下っ端の役人でありながら、農民を大切にする農政改革を訴える意見書が斉彬の目に留まる。西郷を登用したことで、見事に青少年の心をつかむ。その中心にいる西郷を自分の味方とする。斉彬の信頼を得た西郷と家中を一つに束ねた若き家老の小松帯刀が力をあわせ、薩摩を改造する大改革を推し進めていく。

斉彬が薩摩の中心となり、改革は始まり、死後もその志は久光へと引き継がれる。他の藩と薩摩は何が違ったのか?政治力、軍事力、情報収集力などが一段と秀でていたことは間違いない。

将軍の正妻を次々に出し、篤姫の生家であった島津氏は、外様でありながら幕政への発言力もあった。これらを可能にした政治力の源は、天皇に近い公家の近衛家との親戚関係である。斉彬が進めた集成館事業は、鹿児島に一大工業地帯を作り出した。そこで、軍艦をはじめとした数々の武器を作り出し、強大な軍事力をもてた。その以前に、調所広郷らの活躍で、天保改革を成功させ、莫大な借金を帳消しにした上に500万両の資金をもつなど、経済力もあった。琉球や長崎からの複数の情報収集ル-トをもち、世界の情勢をいち早く把握するなど、情報力は幕府より数段まさっていた。また、藩全体の意思、空気が一度決まると揺らがないという結束は外交力として高い評価を受けた。なにより教育力は群を抜いており、藩校での学習はもとより、「郷中教育」という独特な組織が藩内にあり、青少年に一生を通じてゆるがない信念を植え付けることになった。これらが、明治維新を実行できた力だと分析できる。

☆原口泉先生の講演を紹介しました。大河「西郷どん」を楽しみにしましょう。「あさが来た」の時代考証も原口泉先生だったのですね。(おもしろい記事を紹介します)

同ドラマは、古川智映子さんの「小説 土佐堀川」が原案。日本初の女子大学設立や生命保険会社の参画など広岡浅子をモデルとしたヒロイン、白岡あさの師を、史実では接点の無い五代友厚にするなど大胆に再構成を行った。 鹿児島県出身の原口さんは、専門は薩摩藩の歴史を専門とする歴史学者。これまでも大河ドラマ「翔ぶが如く」「篤姫」の時代考証を担当している。講演では「再生~五代友厚と広岡浅子が築き上げたもの~」と題し、同じ時代に生きた2人を取り上げる。

「高校の教科書では五代友厚についてほんの2行の記述しかなく、しかも、政商(政府・官僚との癒着により事業を有利に進めた事業家)として紹介されている。ドラマを通じて五代友厚の生き方に光が当たり、大阪市立大学に銅像ができるなど大きな影響をもたらした。講演では、撮影の舞台裏などもライブで聞ける貴重な機会なので多くの方に参加していただけたら」と原田さんは呼び掛ける。

「原田さんの呼びかけ」にあるように、原口泉先生はネタを話してしまう方のようですね?次の機会には、ぜひ、もっと「西郷どん」の舞台裏を詳しく聞きたいものですね。

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