きばっど育英館   感謝感度のよい人間に            H30.3.20

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本年の学園テ-マは「感謝」である。この言葉は、感動の気持ちを言葉で的をねらうように伝える。「謝」は言プラス射である。「感動する」部分がなければ、感謝はない。つまり、自分が受けた行為(恩)について、いかに敏感であるかどうかが出発点だ。

大きくとらえると、今、ここに生かされているというレベルから、席を譲られて座れたレベルまで毎日、数限りない恩につつまれている。毎日を振り返り、「恩を知る、恩を感じる」ことだ。そうすると、恩を返したいという思いがこみ上げてくる。「恩に報いる」である。その入り口が感謝だと思う。行動するにもこの思いがなければならない。さて、席を譲ってくれた相手には「ありがとう」で終わるが、恩を返すという行為はその相手には返せること少ない。だから、みんなに自分と同じような気持ちになってほしいと行動すればよい。つまり、自分がだれかに席を譲るである。このようなつながりの輪を意識できれば、感謝感度のよい人間に近づくことになるだろう。

「こまった時、お互い様ですよ、助け合いましょう」という言葉がある。あいもち【相持ち】である。意味を調べると、① 交代で荷物などを持つこと。 ② 費用などを等分に負担すること。 とある。日本人の持ち続けている徳の一つである。さらに一段階進んで、感謝されずとも、人のために何かをするとなれば、それはそれですばらしいことだ。これを推奨する言葉も紹介してみたい。

「陰徳を積む」 人知れず良い行いをしていれば、必ず良い報いがある(←中国の前漢時代の言葉です)である。この中国のことわざには次の逸話が付いている。
名君と知られている荘王は、ある日多くの臣下と酒宴をおこなっていた。その酒宴で、暗闇の中、誰かが王の側女にいたずらをした。側女は、証拠があるから犯人を探すよう訴えたが、王はそれをはねのけた。二年後、天下分け目の戦に挑んだときに、命を惜しまない活躍をして自軍を勝利に導いた者がいた。王はその部下に今まで目をかけてやった覚えがまったくない。ところが、その部下いわく、「私は死すべき身。かつて酔って無礼を働いたとき、王にお隠しいただいた。にもかかわらず、何のご恩返しもできずに今に至りました。今日こそは…」と。
この逸話を読めば、陰徳と呼べる「良い行ない」というのは、人知れず、または人が知ろうが知るまいが、自分の利害に反してでも行なうような振る舞い、というようなことだ。陰徳とは何をすることなのかは、そのとき、その場の状況で判断するしかないのだが、(有陰徳必有陽報)「人知れず良い行いをしていれば、必ず良い報いがある」という考えに立てば、陽報が現れたとき、初めて陰徳の何かを知ることになる。しかし、「陽報がなければ陰徳を積まない」と考える人に陰徳を積むことは到底できないのは確かだ。

感謝感度のよい人間になれるかは、自分が一人でなく、いかに多くの人の世話になっているかを素直に感じることだ。小さい頃から、「いただきます」とか、「ありがとう」とか、やってきたことが、世の中を生きるための知恵につながっていた。これからも、「あいもち」を行い、「陰徳を積む」ことで、感謝感度を磨きたい。

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