校長室だより

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きばっど  「まだ」と「もう」の9月  R3.8.30

 一年と考えると、9月は月日の経つのが早いと感じる月である。しかし、年度と視点で考えると、丁度1年の中間の月だという気になるからおもしろい。この感覚はいつのころからのものなのだろうか。ちよっとふりかえってみることにした。「夏休みをどう考えるか、感じていたか」に原因があるようだ。

 昭和の夏休みはラジオ体操、夏休みの友、自由研究の三点セットでできていた。朝風の涼しい中、近所の公園で携帯ラジオの音量を最大にして、体操が行われた。小学低学年が前、高学年が後ろ、中学生のお兄さんがスタンプ係だった。体操が終わると、我先にスタンプを押してもらい、首からかけたカ-ドの赤いしるしが増えていくのを自慢した。10時までは家で勉強、夏休みの友をやるが決まりだった。この中身は読み物や工作のてびき、国語や算数のドリルなどいろいろとあった。原爆や戦争の話には読む度にジ-ンときて、涙がにじんだのも懐かしい。作文の宿題もあり、生活文、読書感想文などの書き方も掲載されていた。まさに、夏休みの羅針盤だった。なかでも手強いのが自由研究だった。生き物を飼ったり、植物を育てたり、昆虫、貝、植物と採集もやる、実に忙しい。このミニ科学者の修行には親も子も鍛えられた。ついでに、天気も毎日つける、気温も記入する、グラフも書く。こうやって、科学者修行の夏休みは瞬く間に過ぎていった。

 出校日は2回あり、8月1日と8月21日だった。1日は校長先生が広島や長崎の原爆の話をした。悲しい気持ちになり、戦争をしてはいけないと考えた。21日はとても悲しい日だった。あと10日で夏休みが終わるという現実をつきつけられた。夏休みの終わりは幸せの終わりのような気持ちでいっぱいになり、なんとなく悲しい一日だった。「あと10日で終わるが、宿題は大丈夫か?」先生の言葉が死刑執行のように聞こえた。9月が始まると、大人は「今年もあと3ケ月、はやかね」とよく言った。子供心には夏休みが今終わったのに、来年の夏休みが近いとでもいうのか。本当に来年がくるのかと腹立たしかった。

 中学生になると、一年と年度の感覚がわかるようになった。同じ9月でもとらえ方はずいぶんと違ってきた。その年の足りない分を取り戻す大事な3ケ月のスタ-トになった。次の学年に進級するには6ケ月もあるからがんばれるぞという気持ちになった。9月を「もう」と思ったことは一度もない。夏休みをなくした分を取り戻す意気込みで9月のスタ-トをきるようになり、楽しみになった。そうやって学生時代を終わり、教師になった。この感覚は未だに続いている。学校という現場から離れなかったせいなのだろうか。夏から冬までの2学期こそが充実の学期である。1学期や夏休みの反省を生かせる3ケ月だ。まだまだ間に合う、1年と年度という二つのものさしの中にあるいくつかの「月」はそれを生きる人次第であると今でも思う。

きばっど  夏にご用心  R3.8.23

 「夏は心のカギを甘くするわ!ご用心」という歌があった。コロナ時代の今になんとなく通用しそうな歌詞だ。オリンピックになれば少し収まると願っていたが、感染者数は増加の一途、大会関係者も感染するなど、大変な状況だ。なぜかワクチン接種もままならない。そこに変異株だけは次々と発生してくる。新薬や新たな治療方法が出てきて、亡くなる方の数が少しずつ減っていることだけが救いだ。新型コロナの感染防止は、これまでどおりしっかりとしたい。

 さて、「心のカギを甘くする」のは自分自身である。夏だろうが、国をあげてのお祭りだろうが、コロナには関係ない。気を抜いたら「うつる」と考えてほしい。電化製品の売り場を見ると、換気に関わるサーキュレ-タが例年になく幅を利かせている。工事現場の換気対策用として、10年くらい前から出てきた商品である。この時代背景で、コンパクト、スマート化して家電になってきた。3密の1つでも揃うと罹患すると考えれば必要品である。マスクの正しい着用も、エアゾル拡散もテレビで学んで知っているからなおさらだ。今こそ、新しい生活様式のレベルアップを図り、新たなコロナ対策を進めていきたい。

 2学期は体育祭、部活動遠征、研修旅行と、コロナ対策を万全にしながら行事を体験させていきたい。この時代を生き抜くためにも、生徒たちに考えさせたい。熱中症を予防する観点でグランドに出たら、マスクをとる。無観客であれば、これはありかもしれない。また、遠征前後で検温するが当たり前になっている。それにプラスして、手洗い確認とか、スプレ-持参など、もう一段階アップする必要を感じる。研修旅行では、目的地の感染状況の推移に応じて、柔軟に計画変更を考えることも踏襲したい。本来の目的を達成するために、日程変更、計画縮小を含めて工夫したいものだ。適切な情報収集により、安全安心をしっかりと担保できる旅行としたい。

 感染症と戦った人類は、その時代の知恵で乗り切ってきた。しかし、各自の協力なしでは犠牲者は増える一方だったはずだ。どの時代でも広めないためにできることを優先した。「体調が悪い時には休む」を徹底して、コロナに感染しない2学期にしたい。変異株に置き換わっていくので、心配はつきないが、新薬も開発されるはずだ。2022年明けの明るいニュースを期待したい。あわせて、今まで手にしたものを活用して次へ進みたい。キ-ワ-ドは「心の距離は広げない」である。今まで以上にメディアを活用し、こまめな連絡を行いたい。「行かずともつきあうことはできる」が常識となりつつある今、リモート旅行もありだ。もちろんホームスティもできるだろう。ネット上に家を設定し、ホストファミリ-に入ってもらう。そこに出かける形での語学研修である。直接はいけないが、コロナ終息の時に留学するでよい。心のかぎを甘くして、自由に交流できるオンラインを活用しよう。

きばっど  「龍とそばかす姫」を見てごらん  R3.8.13

 アニメで社会問題を描く細田守監督の映画は実におもしろい。今回も期待を裏切らない素晴らしい作品だった。監督の好きな「美女と野獣」がモチーフになっているという前評判を聞いたので、なおさら興味・関心が募った。

 田舎に住む、ごく普通の女子高校生「すず」の日常から物語は始まる。四国の清流沿いの田舎町が舞台である。アニメの中に実に見事に日常が描かれていく。駅前のコンビの細かく書き込まれ、リアルな存在感を出している。豊かな自然、木々の色合いから家々の軒先の花まで、半端ない緻密さで描かれる。この「すず」が、名前から美女と野獣の「ベル」であると想像できる。普通の子をどうして主人公にできるのかと不思議に思いながら見ていた。種明かしは、監督が「サマ-ウォ-ズ」でも取り上げたネット社会での存在として描くのである。彼の作品には、リアリテイをもつ世界が存在する。「U」と名付けられたその世界には、そこで認められた自分が存在する。別の世界に生まれ変わると言ってもよい。「U」に生まれるためには、自分の趣味や容姿、アンケ-トの項目に答えなければならない。答えをもとに理想どおりのアバタ-を作成してくれる。しかし、心を写す項目がどう反映するのかは今一つわからなかった。

 ディズニ-の名作「美女と野獣」は、よく知られている。ところで、「彼は野獣になぜなってしまったか」は作品の中でもよく描かれていた。しかし、野獣を理解し、隠された優しい心を引き出す「ベル」の方はどうだったのだろうか。人付き合いのへたな父親、そして、病気でなくなった母親というエピソ-ドぐらいで、彼女の人柄はわからない。彼女が野獣を理解し、愛し、助けようとする動機はなぜか、根拠が乏しい。自分を犠牲にしても野獣の心を救おうとするベルになぜなれたのだろうか。細田監督はこのそばかす姫でベルの描かれなかった強さを描こうとした。黄色のドレスを着て正装の野獣と踊る場面が美しすぎてベルの内面の強さを忘れがちだが、ベルが野獣を救おうと群衆を制する場面を思い出してほしい。ベルには美しさと凜とした強さがある。

 映画の前半にはすずの母親が自分を犠牲にして、他人の子供を救う場面がある。最愛の母を目の前で失うすず、この展開はシヨックだ。自分の娘と他人の子をてんびんにかけたら、結果は明らかだ。それを考えないわけではないが、彼女は考えても行動せざるを得ない人だった。これは明らかな伏線で、最後に児童虐待を受けている「竜」の立場を知ったすずも「どうしても助けなければならにない」と何もかも投げ捨てて助けにいく。もちろん、だれがとめてもすずは聞かない。なぜ母親が命と引き換えに子供を助けに行こうとしたかをはっきりとわかったからである。ベルがくじらの背に乗って歌う幻想的な「U」、すずの人間的な成長を象徴する入道雲が描かれるラストシ-ン。2つの世界が矛盾なくつながる物語の終わりは実にすがすがしい。

きばっど  一灯を頼め  R3.8.9

 ある校長から「研究の方向を職員に提案したら反対された」と聞いた。校長がテ-マを押しつけたのかなと短絡的に考えた。しかし、この校長の人柄からそんなことはないはずだ。もう少し詳しく聞いてみた。「どんな研究も成果が出ないとだめ。子供が本当に必要としていることを追究し、それをテ-マにがんばってみようか」と語り、先生たちから提案してほしいと話したようだ。「現実から出発すればよいし、生徒の力もつけられる」楽しい研究になりそうとわくわくしそうだ。ところが、「上から言われたとおりにやれば文句を言われることがないし、やりやすい」との返事があったようだ。聞けば聞くだけ驚いた。 

 だれもが暗い夜道は走りたくない。街灯で照らされた道なら行く先もわかるし、楽である。人が作ったコ-スを、環境も整った道を考えもせず走る。本当にこれでよいのか。「一灯を頼め」は見えない所が見えてくるからよいのである。いつもは見逃すものがくっきりと見える。一灯を頼んでほしい。おきまりの走りでは見えない大切なものを見てほしい。研究のあり方について、校長が提示された姿勢に賛成である。教師は5者であれという中に「学者」という項目がある。自分の教える教科については、少なくとも学者を目指したい。もちろん、時間をかけて研究する時間的な制限はあるだろうが、その教科の内容を年齢に応じてどう教えるかは日々の研究課題である。内容は簡単でも教え方は難しい。そして、自分自身で学べるように生徒を育てるのであれば、さらにハ-ドルは高い。毎日、それを考えて生活しているのが先生である。教え方のプロは学びのプロでなければならない。自分の教科ならと教える側の自負が必要である。

 国語の先生なら知っているはず‥と言われても、守備範囲は広いので知らないこともたまにある。ただし、国語に興味・関心を持ち続けることは負けていない。生徒に教える時は、そこのところを大事にしたい。漢字や語句の成り立語句、文法知識はどう役立つか、言葉の意味は今までどう変わってきたのか、変わっていくのかなど、古典から現代、そして未来までも「国語」を語りたい。教科の歴史を語る先生であってほしい。中学校の先生の一番の役割はその教科を好きにすることだ。興味をもたせること、入り口に立たせることだ。自分が好きであることも大切だが、そうしむける技も必要だ。あれもこれもより、自分の一灯を頼むのがよさそうだ。しかし、自分の一灯が不安なときはまわりをよく見てみると、それぞれを照らす多くの明かりがあることにも気づく。 一灯を頼むと覚悟を決めれば、自然と見えてくることもある。浮かぶ瀬や仏にも出会うこともある、歩きだそう。そうすれば自然と道は開けてくるし、どうにかできるものだ。暗い夜道でしか見つけられないものもある。これでいいのかと迷うだけでなく、たまには、自分の一灯の中にだけ浮かび上がる美しい星や森の木々を楽しむのも悪くない。

きばっど  夏の光  R3.8.2

 夏休みの前半より、後半が思い出として「濃い」はなせだろうか。「少年時代」の歌詞も、「となりの待ちのお嬢さん」にしても、「夏色」でも同じだ。この夏休みだが、7月になると待ち遠しくてたまらない。あのそわそわ感はのどが渇いた感じにも似ている。その感覚は夏休みの直前、通知表をもらうころに最高となる。いざ、始まってみると友達には会えないし、宿題が終わるまで外には出ることができないと不自由でいっぱい。近場の公園であるラジオ体操や月末の町内の廃品回収、神社の盆踊り大会など、40日間の中で、ひさしぶり会う友達がいつもと違ってきらきらと見えた。

 「夏休み制服でない君にときめく」もちろん、女子を意識するのもこの数日間である。あんなにかわいかったかなと日頃のつきあいを反省したりもした。残りは昆虫採集や絵画に、そして、自由研究とけっこう忙しかった。あんなにたっぷりあった時間が少なくなっていくのを実感する。夏休みまでの時間は始まりが遅く、過ぎるのは何倍も速いものだった。(昭和の夏休みだと思う)

 夏休みはいつでも期待感で始まり、喪失感で行ってしまう。9月の第1週になってもあたりは明るく、行き交う人の装いも華やかだから一層寂しい。まだ、夏はそこにいるのにもう終わりだなんて、取り上げられたような気持ちになる。しかし、夏の終わりの美しさはそこにある。キラキラを残しながら、立ち止まらないで去って行く。夏休みの宿題を提出すれば、そこで何もかもが終わり。宿題が終わらず、残ってやらされる友達もいた。今思えば、彼らは夏休みを手放したくなかったのかもしれない。放課後1週間の居残りは夏休みを終わるの、終わらないのと葛藤していたのかもしれない。

 8月を残したい。若いころはよくそう思った。「さらば夏の光」という映画のタイトルを思い出す。写真や手紙やさまざまなものはあの光を思い出させる。今ならもっとリアルに残せるはずだ。そんな考えをもって今年の夏を過ごしてみようか。今年しかない思い出をどう残すのかと考えると、おもしろいことになりそうだ。とにかく、ITのおかげで過去と未来もつながりやすくなった。残そうと努力すれば昔とは違う方法で残せそうだ。

 新しい形で夏休みを残そう。提案したらどんな夏休みが残るのだろうか。小学校1年の時、書いた絵日記が出てきて懐かしさでいっぱいになった。もちろん、昭和の話題が満載で、家族が並んだラジオ体操の絵には笑えた。今の小学生ならデータファイルに書いた絵をまとめて、自分専用のクラウドに残すのだろう。映像でも、文章でも今の夏休みに感じる思いを残すのがおもしろい。黄昏期を生きる時、若き日の夏休みはまぶしい光のように美しい。オリンピックもあった今年の夏、生徒たちの「夏の光」はどんなふうに残るのだろうか。

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