校長室だより

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きばっど育英館       人生皆初心者也           H30.3.5

卒業生からの急なお願いがあった。卒業文集の原稿依頼だ。そこに書いた文言が「人生皆初心者也」である。宮本武蔵の「我以外皆我師也」に似せて「皆初心者」として一文ができた。だからどうしたらよいのかは、「3c」や「向き不向きより前向きに」を交えて語ることにする。

「人生2回目の人?」と手をあげさせて、生徒聞いてみよう。質問が質問だけに、初めはきょとんとしている。くりかえし、「2回目の人、早く手をあげて」と続けると、「2回目なんてあるか、みんな初めてだ」と気づくのにさほど時間はかからない。「じゃどう生きるのか?」と話し合わせてみたらおもしろいだろう。予想されるのは「悔いの残らない」とか、「自分に正直に」とか、そんなところに落ち着くだろう。しかし、大事なのはなんでも挑戦できることだ。

そこで、続けて、「成功は素直に喜び、失敗は次へのステップに」と書いておいた。失敗は当たり前のことで、失敗しても次につながるステップだと考えればよい。なにしろ、初心者だから失敗も恥ずかしくないと生きればよい。成功した時は、素直に喜ぶことだ。大化の改新で知られる中臣(藤原)鎌足もかなり素直だ。恋していた宮中の美女を娶った時に読んだ歌がある。内容は「わたしは安見児を手に入れることができたよ。宮廷の人々が皆望んでも決して手に入れることの叶わなかった安見児をわがものとしたよ。」詞書きや「われはもや」からもその喜びがわかる。大化の改新の中心人物なのに、素直に喜ぶ姿は初心者としてもなかなかすごい。

英語の似ているスペルをまとめて、「かわる」の必要性をとく「3C」がある。「挑戦 かわる チャンス」の文字から作られるプラスのスパイラルだ。挑戦を恐れないというのは初心者の特権だ。ある立場につくはしかたなくにしても、その立場を自分で作り上げていく覚悟があれば、自分が変わるしかない。今のままではだめ、その立場にあう自分にならなくては、その意味では、立場や役割が変わる時が、自分を変えるチャンスなのかもしれない。水泳が不得意だったメダリスト宮下君はいやいやスイミングに通うことになった。この挑戦こそが彼の運命を変えた。だんだん楽しくなってきた。そして、チャンスは巡ってきた。メダリストの一員になれた。初心者だからこそ、挑戦できる。機会はいくらでもある。何にしても遅すぎることもない。

さて、「向き不向きより前向き」の話だが、向きだとか不向きだとかだれが決めるかは自分だ。指導者でもなければ、研究家でもない、まして、自分で、これに向いていない、あれにも向いてないと決めるのはおかしい。まずはやってみよう。挑戦してみると、案外楽しく続けられて、不向きだと思ったことも楽しんでやる自分がいる。そうなればしめたものだ。少々困難でも前向きにがんばればよい。それが3年続けば。あと少しで一人前、もう少し続けると、もうプロの域だ。どんなことも10年続くと、その人のものになる。人生初心者なのだから、失敗を恐れなくてよい、その分、なんでも手軽に始められる。初心者マ-クはついてないけれど、誰もが同じ時代を生きる初心者同士、ぜひとも仲良くやりたいものだ。

仰げば尊しと「感謝」

仰げば尊しと「感謝」

卒業式の時期になると「仰げば尊し」をくちずさむ。「今こそ別かれめ」という部分でつい力が入る。なにせ、別れようと決意する助動詞「む」だからである。

私たちの一生で、儀式的な行事は特別な瞬間でもある。ここから始まり、ここで終わる。入学式、結団式で始まり、卒業式、解散式で終わる。時間の中に生きる人間にとってこれは必然なのである。この式で出会い、ともに同じ時間を過ごし、仲間となるし、別れの式後は、二度と会えないこともある。個々の人間との出会いは偶然である。長い年月、共に生活すると別れがたい人になってしまう。なぜだろうか。

さて、「仰げば尊し」を解説しながら考えてみよう。1番は教師へ、2番で友人へ。3番は学び舎への感謝の気持ちをこめている。「教えの庭にも早幾年」と事実を歌い、「思えばいと疾しこの年月」ととても早く過ぎ去った年月を実感として表現する。この部分が大切で感傷に浸るのでなく、新たな一歩を踏み出そうとする意欲さえ感じられる。だから決別の思いを「別れめ」にこめ、「別れよう」の意味をはっきりさせる。そして、「いざ」と間投詞をおき、「いざゆかん」と同じ気持ちで「さらば」と続く。

2番は「互いに睦みし」でお互いに励ましあった友人を思い出す。「日頃の恩」は友人との日常でなにげなくされたり、したりした行為の中にも友情や恩を感じる。感謝を感じたり、知ったりする世界だ。別れの後でもけっして忘れてはならないと「忘するな」と禁止して、その上に「やよ」を使い、「けっして」と強める。お互いに助け合ったからこそ別れがたい人になるもわかる。

3番は「朝夕慣れにし学びの窓」は自分が学んだ学校への思いである。そして、中国の故事「蛍雪の功」を歌いこむ「蛍の灯、積む白雪」と続く。「貧乏なので油を買えず、夏には蛍を集めて灯りとし、冬には積もった雪を灯りとし、勉学に励んだ」という話である。だからこそ、「身を立て、名をあげ」て立派になろうと、がんばれるのです。その力は支えてくれた周りの人々への感謝なのです。「忘るる間ぞなきゆく年月」と続くところは、よく知られた「少年老い易く学成り難し」の世界を感じます。「歳月は待ってくれないよ 励まないと」という意味にとらえたい。報恩するためには、一刻も早く立派になって、先生や友人や地域に恩返しをしなさいと歌っている。簡単に言うと、「仰げば尊し」は感謝の3連発なのだ。

分かりにくいとか、合わないとか、この歌は次第に卒業式から遠ざかっている。

しかし、「感謝」の視点で見てみると、この歌のテ-マはイチロ-や本田圭祐が小学校6年の時書いた手紙の内容とよく似ている。どちらも「自分が世界で活躍できる選手になって、お世話になった人々を試合に招待したい」と書かれている。恩に報いるという意味で彼らの思いと同じだ。「仰げば尊し」をイチロ-や圭祐の思いで歌い直すと、改めて先生や友人や学校からの恩を感じたり、知ったりすることになるだろう。そして、彼らのように自分の精一杯の努力で夢を実現しようとなるかもしれない。

平成30年学園テ-マ「感謝」である。「ありがとうの声のあふれる学校」をめざして生徒たちと早速取り組んでいる。「感謝」のキ-ワ-ドをもとに、先生、友人、学校への恩を感じる力が高まれば、本物の「仰げば尊し」を歌うことになるに違いない。

きばっど育英館     人間力を育てる              H30.2.2

日本の教育で人間力は育つのか。答えはまちがいなく育つ。そうじ、給食、行事をきちんとすれば人間力は育つ。外国には宗教の時間があるが、日本では生活丸ごとの教育がある。これこそが人間力、とりわけ協働や思いやり、助け合いをにつながる標準的な日本人を作り出している。教科以外の力は、どんな生活を送るかでつく。育英館の三本柱はその意味では実に重要で、キリスト教や仏教に匹敵すると考える。卒業生と語ると、一味違う若者たちの印象をよく受ける。とりわけ、あいさつがよい。話を聞く態度もよい。そして、返事が良い。これだけできる若者はなかなか見ない。育英館の生活指導が作り上げた作品だと考える。

「頼まれごとは試されごと」の中村さんの話の中にも、あいさつができると、本人のひたむきさや真剣さがすぐに相手に通じるとあった。挨拶一つで人間関係はうまくいく。その基礎・基本が備わるのとそうでないのでは社会に出たときに得をするかどうか、全然違ってくる。道義の基本は礼法だといっても過言ではない。場数を踏めば応用する力もつくので、あいさつができることで必ず未来が開けていくから不思議だ。

次に部活動や学校行事で徹底して協力することを学んでいる。異年齢集団の応援団はまさに郷中教育である。先輩が後輩を指導する1ヶ月は実に貴重な時間だ。人間を育てるのに理と情があるとすれば、兼ね備えた優れたモデルを提示することほどよい。西郷や大久保にも優れたモデルがあった。若き頃、師と仰ぐ赤山靭負(あかやまゆきえ)である。今回のドラマはこの人物をうまく取り上げている。

青春時代にあこがれるモデルをもてると幸せだ。まさに「夢が人をつくり人が夢をつくる」だ。西郷どんの中に出てくる人々は実に魅力的である。しかし、幕末の薩摩藩だけが優れていたのだろうか。あの時代は250年の平和が作り出した教育システムが最盛期をむかえた。結果、日本各地で多くの若者が時代を変えようと試行錯誤した。日本各地に西郷や大久保がいたのである。たまたま、鹿児島には郷中教育があった。

赤山が門弟にいもこじをさりげなく語る場面がある。「おまえたちはイモだ」と語り始め、形のふぞろいの芋同士を一つの桶の中で洗うとお互いを磨きあい、泥や汚れがとれてきれいになっていくと教える。まさに郷中教育の本質を言い当てた表現で、ここで彼に語らせるとは脚本家もなかなかやるなあと感じた。

学習の完成は人に教えることだ。そこまでいくと自信がつく。先生と生徒の立場が逆転するところがおもしろい。教える側は、相手に合わすことや待つことを学ぶ。教えることは簡単ではない。こんな教え方でよいのかと考える。そういう体験を通して、人は人間力も磨く。学んでいるうちはたいしたことない。学び方が無数にあるように教え方も無数にあってよい。ただし、あこがれる人から習うとその教科も好きになる。気持ちよく学べば、学力はあがる。とにもかくにも、薩摩の偉人たちの人間力はその人の魅力でもあった。どんなイモでも磨きあえば、きれいになる。教える、教わるの立場がくるくると変わるのもいもこじに違いない。いろんな形のイモが、教え合い、学びあい、そして、磨きあう。ALよりもきっと甘い味がしそうだ。

きばっど育英館      狭き門より入れ            H30.1.31

部活動と勉強の両立を図るのは、中学・高校生にとっては永遠の課題である。しかし、自分の好きなことに時間をかけられるのは、大人になってからもごく一部の人に過ぎない。多くの人が本職と趣味、あるいは副業、勉強と両立するためにがんばっている。そう考えると、部活動と勉強の両立は未来の自分の生き方の練習だといえる。

ここで、大事なのは時間配分だ。生活時間と呼ばれる睡眠や食事、入浴やトイレなどを省き、残った時間をどうデザインするのかという問題になる。食事や入浴の間とか、よく見ると細切れの時間を活用していないことに気づく。生徒たちにこの気づきを経験させるには、日誌等で時間の使い方の記録をきちんとつけさせるとよい。金銭の使い方を小遣い帳につけさせられた思い出をもつ人もいるだろう。こだわると、いろいろなものが見えてくる。自分の反省点が浮き彫りになる。時間も同じで、どう使ったかを考えるだけでも、有効になるように時間を使おうとする意識が育つ。

また、時間はかけたが、学力がいっこうに向上しないのは、内容の問題だ。ひとつはスピ-ドであり、もう一つは正確さである。どちらもできればいうことはない。「あなたは勉強だけしていなさい」は世の中では通用しない。世の中に出たら、あれもこれもしなさいである。勉強したくても、許されない環境が山ほどある。

「若いうちの苦労は買ってでもせよ」という格言は、課題解決力の鍛錬を意味しているようだ。課題解決では、解決への見通し、解決の手段、手法などが身につく。当然、時間的にも厳しい中での解決となるだろう。無制限に時間をかけて解けるという状況は社会に出てからは存在しない。時間内にどうにかして終わらせることが優先だ。この体験は必ずどこかで形を変えて発揮されることになるから人生はおもしろい。

なによりもやりとげた自信が大切だ。「やりとげるとつよくなる」はまさにそのとおりだ。その意味では育英館には自己を鍛える環境がそろっている。学校行事はみんなが主人公になるぐらい一人一人の役割が大きい。授業場面では、教師と生徒の距離が近い。学校生活で手を抜く場面がない。どこでも一人一人が目立つから、教師や友人から声をかけられる。問題をつきつけられる。育英館を選ぶということは、そういう自分とつきあえるということだ。まさに「狭き門より入れ」である。

調べ見ると、「Enter by the narrow gate」と表現されている。これは聖書の言葉である。その部分の訳は、「狭き門より入れ。滅びにいたる門は大きく、その路は広く、これより入る者は多し。生命にいたる門は狭く、その路は細く、これを見出すものは少なし。」(聖書) となっている。「生命」とは自分のやりがい、生きがいとでも訳するとぴったりする。そこにたどりつくかどうかは、あなた次第なのだ。

「安易に流されず、チャレンジしつづけてこそ、自分の進むべき道は見つかる」とでも訳そう。人生は選ぶの連続であるから、この「狭き門より入れ」が大切なことなのかもしれない。ジイドの小説の題名でもある。生き方、在り方を考えると、この格言の重さがわかる。育英館をめざす生徒にぜひこう話したい。狭き門より入るために育英館を選ぼう。きみの生き方を変えるすばらしい出会いが君をきっと待っていると。

きばっど育英館     感謝は言葉にして            H30.1.29

「感謝」は物事や人に対してありがたいと感じる気持ちやその気持ちを態度で表すことを指して使われる表現だ。とりあえず、つべこべ言わずにお世話になった人にはその気持ちをきちんと伝えたいものだ。

「感謝」という言葉を漢字から読み解いてみると、まず「謝」という文字は「言」という字と「射る」という文字でできている。つまり「謝」という文字には、「言葉を射る」=「言葉を発する」ことで、相手に何かしらの意思を言葉で伝えるという意味を持っている。そして、「感」という字は「感じる、心が深く(強く)動く」ということである。つまり、「感謝」とは「相手に対して心が強く動き、そのありがたいという気持ちを言葉にして伝えること」ということになる。(ネット上の説明)

この解釈に基づくと、「相手に対して心が強く動く」の感度の問題がある。これはめったにないことだ。自分のためにここまでしてくれている。そんな相手からの思いをしっかりと受け止める必要がある。「感謝」の前提にそれをわかる力が不可欠だ。「感謝感度良好な人になる」そんな目標をもってみたい。感度が良くなれば相手が求めることも感じることができる。お互いが相手に必要とされる人になれると、感謝の輪が広がるに違いない。ありがとうの声のあふれる学校はそうやってできていく。

松たか子さんが歌った「みんな一人」の最後の部分がすてきだ。ご存知の方も多いだろうが、和訳付きで紹介します。感謝の気持ち、思い出しましたか?

 

Everybody needs to be needed

Everybody wants to be wanted
Cause everybody knows that we are all alone
Let me give my gratitude to you
For always being there and smile for me
Many many thanks to you, the best friend of mine
Many many thanks to you, the best friend of mine

 

誰もが必要とされることを必要としてる 誰もが求められることを求めてる
だってみんな、ひとりぼっちだから あなたに感謝させてね
いつもそこにいて、微笑んでくれることに
とても感謝してる、親友のあなたに
とても感謝してるよ、親友のあなたに    作詞は竹内まりやさんです。

 

人と人のつながりの中で生きていることを感じさせる歌詞、そして、感謝の思いを英語の歌詞が引き立たせている。てれくさいけれど、たまには「たくさんたくさん感謝している」と、家族や友人に伝えるのも大切なのかもしれません。