校長室だより

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坂の上の雲             H29.10.26

きばっど育英館       坂の上の雲             H29.10.26

私学研究集会愛媛大会で、いろいろな体験ができた。「プレバト」で有名な夏井いつきさんの俳句ライブと特色教育部会である。普通の研究会では、司会者はさくらを用意して話し始めないとなかなか意見が出ない。この研究会は勝手が違う。自分の学校の紹介となると、実に積極的だ。たいした実践でもないと思うが(失礼かな?)、話が大きい。どれもこれも自慢話のてんこ盛りである。とにかくみんな話がうまい。実のあるなしは気にしないで聞く分には十分面白い。

圧巻は、工学院大学付属中・高校の校長の話だ。グロ-バルやAI、深い学び、英検などはやりの言葉満載の話だった。表題の1ペ-ジは世界の大学の正門の写真である。「どこかわかりますか」と言われても、無理だろう。その後、高校生が作成した「peace」の動画を見せて、世界の11人に日本の高校生が選ばれる現実がわかりますかと言われる。すごい話だとわかる。そして、未知の局面に出会ったときの的確な判断を生み出す力が学校教育に求められていると話が進むが、かなり、話は飛躍するし、簡単にはわからない。そして、キャンパスをもたず、世界の主要都市での体験を単位にしているミネルバ大学が紹介される。宣伝映像もはんぱない。課題解決学習が世界の主要都市で体験的に行われ、その過程を通して、生きる力がつくというわけだ。話はさらに続く。自動運転の実現が近いというAIの話だ。完全自動運転の実現であるレベル4は今の段階で2035年らしい。しかし、加速的な進歩を経験してきているので、ここ10年以内の実現が予想されるようだ。とうとう、工学院大学付属中高校のめざす教育の話になる。ブル-ムの理論やらを交えて、語る語る。B1B2C1C2英語力のレベルの話、あまりの速さに暗号に聞こえる。これがまたすごい話の連続だ。

「東洋のちっぽけな島国が今、文明開化を迎えようとしている」の書き出しで有名の「坂の上の雲」、今回の大会で感じたことだが、ちっぽけな島国が今回、経験しようとしているのは、明治初期をはるかにしのぐ情報の洪水だ。洪水は、押し流したり、渦巻いたりと未知の場面を次々と再生産するだろう。ここに遭遇する生徒たちは、大海に漕ぎ出す小舟のような人生を送るのだろうか。「天気晴朗なれど波高し。」この荒海を乗り切るためにも、彼らにも小説の主人公たちのような大志をもってほしい。

どうすれば大志をもてるかを考えさせた実践に出会った。不登校の生徒を専門学校の授業に参加させることで、自分の好きなことを発見させ、立ち直りを図るというある私学の実践に共感した。人は学ぶことの必要性や未来と今がどうつながるかをわかると、がぜん勉強したくなる。まさに、その場が与えられる実践だ。キァリア教育の必要性はここにある。「坂の上の雲」の時代は、今までの士農工商の階級がなくなり、平民でもその気になれば何にでもなれる時代だった。その点では、現在もかわりない。夢を描けば、本人が投げ出さない限りそれは実現する。だからこそ早く夢を見つけてほしい。

松山城は小高い丘の上にある。登れば、当然、天守を仰ぎ、青い空を見上げる。登る人は坂の上の雲を見れるのだろうか。雲を探してはみたが、なかなか見つからない。どこにあるのだろうか。

この頭の片隅に             H29.10.31

 

きばっど育英館     この頭の片隅に             H29.10.31

映画の題名ではないが、この頭の片隅でも若者気質を理解するのに骨が折れるようになった。そこで、その不十分さや粗削りを愛することに努める毎日だ。思い返せば、自分が若いころ、先輩の愛のムチは実に厳しかった。「勤務が変わって、3月働いて使い者にならないのはダメ」とか、「多くの時間をかけ、これだけしかできないのか、給料泥棒だ」と励まされ続けた。この人は本当に教育者だろうかと思うほど、刺激的な言葉が多かった。新しい職場で一人前になるまでに、つり橋が落ちたり、巨大岩石がころがってきたりと、インディ・ジョン-ズばりの危険な場面の連続だった。

さて、近頃の若者にはどんな指導がよいのだろうか。学力向上の研究で、知識を定着させるには、その内容を人に教えるのが一番よいという研究結果がある。これから考えるに、先生が学力か高いのは当たり前で、理由はいつも教えているからとなる。

そこで、生徒を先生にすれば、学力が高まるはずだ。生徒が先生となって、生徒にする授業、大学のゼミをやればよい。理屈は簡単だが、なかなかうまくいかないだろう。

まずは、時間や場所や方法を少しだけ工夫してみてはどうだろう。短い時間でも先生になってもらう。調べたことや考えていることを発表させる。できればプレゼンさせる。準備から本番まで勉強が深まる。先生は準備なしではやれないことにも気づく。

次に、黒板の前や教卓に立たせて発表させる。教師になった気になる。理科なら白衣を着せるのも手だ。「座ったイスで人は成長する」というビジネス界での話は授業にも通用する。教師の場に立つことこそが生徒の学びの高まりにつながる。どんな形でも、人に教えるのは気分が良い。

最後は、少し手がこんでいるが、一人の生徒を教師にしてしまう方法である。明日の授業のネタばらしを選んだ生徒にしておく。その生徒に教師役を指名すれば、まるで自分が知っているかのように授業をする。ネタを十分に与えることと、少々度胸をつけさせておくことがポイントである。各学級になぜか教えるのがうまい子がいる。

ここまで話をすると、複式学級の学習係を思い浮かべる。中国にも「小先生」と生徒が活躍する学習方法がある。複式のリ-ダ-を交代で体験させていると、へたな教育実習生よりもうまくなる。ここまでくると、「生徒とは」、「教師とは」と考えてしまう。育英館もこの「小先生」方式でやってみてはどうだろうか。きっと面白い授業になるはずだ。基礎基本の定着、協働学習を進めるには、どう考えてみても、「学びにかかわる人間性」を育てなければ無理である。

若者の育て方はあらぬ方向にいったようだ。私学研究大会の帰りに呉の大和ミュ-ジアムを見学した。海軍大将山本五十六の「やってみせ、やらせてみて、ほめてやらねば人は動かじ」はどうやって生まれたのだろうかと興味があった。よく考えてみると、人間教育からこの言葉は生まれたようだ。しかし、それだけではない。五つ観点で毎日の生活を振り返る海軍兵学校の「五省」と相まってこそ、リーダ-としての心構えとなる。建学の精神を「○○の人であったか」と毎日反省し、あわせて、人のよさを認め、ほめるという行為ができたかも点検させてみたい。英才を育てる修行になりそうだ。

原口泉先生の話 その4           H29.10.6

きばっど育英館   原口泉先生の話 その4           H29.10.6

江戸育ちで鹿児島にこれといったつながりのない斉彬は、自分の代弁者として鹿児島の青年たちに語れる者を探す。そのころ、西郷は青年たちの二才頭として人望はあったものの、農政を担当する下級官吏だった。斉彬は人材を広く求めようと意見書の提出を家臣に命じる。下っ端の役人でありながら、農民を大切にする農政改革を訴える意見書が斉彬の目に留まる。西郷を登用したことで、見事に青少年の心をつかむ。その中心にいる西郷を自分の味方とする。斉彬の信頼を得た西郷と家中を一つに束ねた若き家老の小松帯刀が力をあわせ、薩摩を改造する大改革を推し進めていく。

斉彬が薩摩の中心となり、改革は始まり、死後もその志は久光へと引き継がれる。他の藩と薩摩は何が違ったのか?政治力、軍事力、情報収集力などが一段と秀でていたことは間違いない。

将軍の正妻を次々に出し、篤姫の生家であった島津氏は、外様でありながら幕政への発言力もあった。これらを可能にした政治力の源は、天皇に近い公家の近衛家との親戚関係である。斉彬が進めた集成館事業は、鹿児島に一大工業地帯を作り出した。そこで、軍艦をはじめとした数々の武器を作り出し、強大な軍事力をもてた。その以前に、調所広郷らの活躍で、天保改革を成功させ、莫大な借金を帳消しにした上に500万両の資金をもつなど、経済力もあった。琉球や長崎からの複数の情報収集ル-トをもち、世界の情勢をいち早く把握するなど、情報力は幕府より数段まさっていた。また、藩全体の意思、空気が一度決まると揺らがないという結束は外交力として高い評価を受けた。なにより教育力は群を抜いており、藩校での学習はもとより、「郷中教育」という独特な組織が藩内にあり、青少年に一生を通じてゆるがない信念を植え付けることになった。これらが、明治維新を実行できた力だと分析できる。

☆原口泉先生の講演を紹介しました。大河「西郷どん」を楽しみにしましょう。「あさが来た」の時代考証も原口泉先生だったのですね。(おもしろい記事を紹介します)

同ドラマは、古川智映子さんの「小説 土佐堀川」が原案。日本初の女子大学設立や生命保険会社の参画など広岡浅子をモデルとしたヒロイン、白岡あさの師を、史実では接点の無い五代友厚にするなど大胆に再構成を行った。 鹿児島県出身の原口さんは、専門は薩摩藩の歴史を専門とする歴史学者。これまでも大河ドラマ「翔ぶが如く」「篤姫」の時代考証を担当している。講演では「再生~五代友厚と広岡浅子が築き上げたもの~」と題し、同じ時代に生きた2人を取り上げる。

「高校の教科書では五代友厚についてほんの2行の記述しかなく、しかも、政商(政府・官僚との癒着により事業を有利に進めた事業家)として紹介されている。ドラマを通じて五代友厚の生き方に光が当たり、大阪市立大学に銅像ができるなど大きな影響をもたらした。講演では、撮影の舞台裏などもライブで聞ける貴重な機会なので多くの方に参加していただけたら」と原田さんは呼び掛ける。

「原田さんの呼びかけ」にあるように、原口泉先生はネタを話してしまう方のようですね?次の機会には、ぜひ、もっと「西郷どん」の舞台裏を詳しく聞きたいものですね。

原口泉先生の話 その3          H29.10.2

きばっど育英館    原口泉先生の話 その3          H29.10.2

読書好きな文学少女は大学で演劇を専攻し、マッサン女優となった。彼女を育てたのは読書、多くの知識を得て、自分の演技に磨きをかけていく。彼女は日本に来てからも精力的に日本語を学び、とうとうヒロインをやりとげた。すべては読書好きから始まった。読書の効用といえば、西郷にも同じようなことがいえる。幼少期に読み聞かされた「太平記」は、先祖である菊池氏をふくめた南朝方の活躍を描いた物語である。平家物語と同じように多くの人の死についても語られている。「奢れるもの久しからず」を子供心に感じた西郷は、自分を制する規範としたことは想像できる。

西郷や大久保も参加した妙円寺参りの祭神の義弘公400年祭、2020年は国体、オリンピックと鹿児島にも大きなイベントがやってくる。おもてなしの心でお迎えしたい。しかし、その反動も心配されるので、2021年に鹿児島で地域伝統芸能全国大会、2022年には全国和牛大会の実施が予定されている。これらの大会を通して、もう一度、鹿児島の地理的な要因を考え、その特性を理解していきたい。牛は輸送途中でストレスで10キロもやせるそうだ。ホ-ムグランド鹿児島開催ではあれば、全国一はまず間違いない。ワインやチ-ズなど、それぞれ土地の名産物も、これらの視点で考えて活用されてこそ、地域創生のカギとなる。すべて採れた場所でおいしくいただくのが第一だ。

四民平等、万国対等の考えに立った日本の明治維新に、ベトナムをはじめ多くの国が学ぼうとしている。また、明治維新150年を取り上げて、ハーバ-ドをはじめとした世界の有名大学でシンポジウムがもたれている。日本人以上に世界の人々が明治維新に注目し、取り上げているのも事実だ。大河の西郷どんは絶好のタイミングだと思う。この機会に私たちも明治維新とは何かをもう一度考えてみたい。

明治維新を支えたものの一つは、とりもなおさず、薩摩の家庭教育だ。鹿児島の正月の行事で知られる「七草かゆ」は、地域社会へのデビュ-といえる。近所や縁者を7軒まわり、それぞれの家庭で作られた粥をもらう。そこで、7歳になったわが子を紹介するわけだ。どこの家の誰々の子供と顔がわかるから、近所全体で見守り、教育される環境が整う。これより、この子供は郷中のメンバ-として集団の中で育ち、年が上がるにつれ、リ-ダ-としての経験もしていくことになる。その間に社会的なデビュ-が終わった近所や縁者に叱られたり、励まされたりと声をかけられる。社会全体が子供の育成に自然とかかわる仕組みが作られていたということになる。近頃では親戚の子供でもなかなか顔がわからないということが残念だ。

子供は郷中の組の中でいろいろな役割を体験し、成長していく。そして、多くの組をまとめる二才頭となる。それぞれの組の中では、年長の者が中心となり、輪読会で中国の古典などを学び、体を鍛えるために妙円寺参りにも参加する。自分たちの問題を解決するための話合いを重ねて、方針を決め、実行することも自然と身に着けた。「異議を唱えない」は決まった後の話だ。このような教育で明治維新を支えた人々は育ったわけことを忘れてはならない。

原口泉先生の話その2            H29.9.27

きばっど育英館    原口泉先生の話その2            H29.9.27

篤姫のことを研究したいと転学してきた女子生徒がいた。山口出身でテレビを見て篤姫にあこがれ、がまんできず、通っていた大学をやめて、親の反対を押し切っての途中からの入学である。テレビの力はすごい。私学の自由な雰囲気にあこがれたのかもしれない。大河ドラマ誘致は年に300件もの応募がある。その中で、鹿児島県関係は「翔ぶが如く」、「琉球の風」、「篤姫」と10年ごとに取り上げられている。他県の人から見ると、鹿児島は取り上げすぎだろうと思われても仕方ない。「西郷どん」が終わると、「篤姫」に負けじと、あこがれて入学する学生も増えるのだろうか。

そもそも、「篤姫」にはヒットするバックグランドがあった。映画の都、ハリウッドでも注目されるのは、「人柄、モラル、人格、道義」だ。その意味では「篤姫」はぴったりの女性だった。幕末を代表する女性といってもよい。戦いを避け、平和的な解決を図るために努力した。その生き方は世界中の人に受け入れられる。当然、ヒットする。今度の「西郷どん」にもその要素がある。ラストサムライなど、西郷について書かれたノベルも多い。彼はハリウッドが好きな日本人の代表だ。

ところで、田辺聖子さんも大西郷を書きたいと言っていた。作家の体力や意欲がぴったりとあった時に書かれるとよい作品になる。今回の林真理子さんは実によいタイミングだ。私もお手伝いのやり甲斐がある。西郷さんについての書籍の話だが、明治22年に恩赦があり、西郷隆盛の復権がなると、戊辰戦争の戦後処理でお世話になった山形の人々は南州翁遺訓を始めとする多くの書籍を出版した。それを無償で配布した。これが西郷の教えを全国に広めるきっかけとなったことも事実だ。大河ドラマの台本を読むとしゃべりたくなるが、守秘義務があるので、このぐらいでやめます。

明治維新は、リボル-ション(革命)と訳す。その後の廃藩置県も大きな変革である。明治維新は世界の五大革命に入るようなもので、西欧の力なしに東洋の国が成し遂げたすばらしい改革であった。アメリカ独立戦争は1776年である。アメリカは新しい国で、歴史を縄文時代から学ぶ日本とは大きな違いがある。それだけに南北戦争を詳しく学ぶことになる。その確執は国内を2つにわけて戦っただけに根深い。アメリカ人には西南戦争と南北戦争はかなり似たものととらえられるはずだ。鹿児島でも言えることだが、未だに確執がある。そんなところまで似ている。第2次世界大戦はついこの間のことなのに、昔の確執はなかなか捨てられないようだ。

大河ドラマ誘致の文章に書いた「明治維新の光と影の部分を見直し、これから進むべき道を考えていく」をこれから世界中に発信しようと考えている。その矢先に先日はサンパウロで講演する機会を得た。鹿児島県からの移住100周年の記念行事だ。アメリカの移民制限で、多くの移民が南アメリカに移住した。日本へのあこがれは強く、大河ドラマへの関心も深い。

さて、西郷どんの「どん」であるが、親しみをこめた呼び方で、多くの偉人の中でも珍しい。山口で「先生」と言えば、吉田松陰先生であり、他の呼び方は考えられない。メインになるキャストでもこんなにも取り扱いが違う。「どん」にこめられた人々の思いがどう反映されるのか楽しみに待っていてほしい。