校長室だより

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原口泉先生の話             H29.9.22 

きばっど育英館      原口泉先生の話             H29.9.22

大学の姿勢が変わり、地域のあり方を大学が学ぶ時代だ。ボランテイア団体が地元を支えているのと同じである。大学は地域の課題解決に取り組むようになった。アメリカの州立大学がそんな感じだ。生涯教育の視点がある。生涯学習センタ-所長を2期努めたが、自分ができるのは授業なので、老人相手の授業をやろうということで取り組んだ。反応がある授業は楽しいが、放送大学に勤めた時はつらかった。カメラの前で45分間しゃべりぱなしはきつい。好きな人でも、焼酎についてこれだけの時間を語れと言われるとかなり苦痛だろう。毎晩、飲んでますとは勝手が違う。

学生の学びのスタイルもずいぶん様変わりした。「ノ-トをとる」が少なくなった。ノ-トをとると、頭と手が連動する。これは学びにはとても大切なことだ。学生に講義をすると、頭が整理される。口に出すと、考えがまとまる。本を書くプロセスの一つで、終わりに本ができる。五感を活用するという点ではノ-トをとることは大事だ。

(北予備校の先生とは違う観点で「ノ-トをとる」を語られています。)

大学が地域貢献をしているように、私は好きな歴史の知識を活用して、大河ドラマの時代考証に関わらせてもらってきた。若き日の西郷と大久保を描いた作品「飛ぶがごとく」からだった。大河ドラマのことについて語りたい。

さて、本と言えば、脚本ができるまでが大変だ。時代考証の自分は最初から関わることになる。まず、作家が書いたとおりの白本、いろいろなものが付け加えられての青本 役者に渡される台本となる大河クラスだとその本が50回分必要となる。大河スタツフは300名である。西郷どんは、9月3日にクランクインした。子供たちが甲突川で遊ぶシ-ンは茨城県の川で撮影されたと聞く。残念ながら、今の甲突川では無理なようだ。妙円寺詣りのシ-ンは加治木や知覧で撮影された。県下のあちこちでの撮影が行われるだろう。(鹿児島育英館のみなさんの活躍も認識されています。)

西郷の母役には松坂慶子さんだ。篤姫の幾島役は本当に見事だった。「敬天愛人」の考えは儒教とキリスト教が出会ってできた思想という話もある。私が考えるに、これは幼い日の母の教育によるところが大きい。沖えらぶ島での生活で考え方がかたまったというが、それ以前の大人数の家族の中で育った彼がそのころ身につけたものであろう。その意味でも母親には松坂さんがぴったりだ。彼女の教育者としての役割は今回も大きい。

ところで、北川景子さんが篤姫だ。宮崎あおいさんの篤姫が多くの人に愛されてプレッシャ-もあると思うか、がんばってほしい。この北川篤姫はよく食べる。本人が鹿児島の食材がおいしいと、来鹿を楽しみにしていると聞いた。中でも肉が好きだ。そういうわけでもないが、篤姫と西郷の出会いは、牛が行列に乱入する場面で設定されている。(すごいネタばれですね)私の頭の中にも、牛と西郷どんのおもしろいつながりがある。町中で配られる号外は世の中の注目度を表したものだが、これでつながっている。「大河ドラマが西郷どんに決定」も「鹿児島の和牛日本一」も号外だった。どちらも鹿児島にとっての明るいニュ-スだ。(なるほど、牛と篤姫、話のネタですね)

2学期は勉強法の伝授を          H29.9.5

きばっど育英館     2学期は勉強法の伝授を          H29.9.5

新しい学期は、新しい挑戦への始まりである。保護者からのいろいろな思いを聞く夏休みであった。要求された内容にはプロとしての教員でも限界があることも多い。「水を飲まない馬」のたとえがあるが、水を飲みたくない馬を無理やり水飲み場に連れて来ても水はけっして飲まない。当たり前だが、同じことは生徒にもいえる。必要感がないから勉強をしないし、楽しくないからやらない。自分の目標が明確であれば、勉強はちゃんとやるようになる。しかし、そこまで待てないのが親なのだ。

「体育コ-スなら騒いでもいいのか」と特進の女子生徒の書いた日誌の一文が目に留まった。体育コ-スであれ、特進であれ、勉強に集中してがんばるのは当たり前だ。騒いでよいことはありえない。「全校応援に行ったら、学校とは違う体育コ-スの人たちがかっこよく見えた」と同じ女子生徒が書いた。両立できないのに、「かっこいい」と考えてはだめだ。特進コ-スと体育コ-ス、どちらも互いのよいところを見て、がんばってほしい。「表面でなく、中身だよ」と言いたい。

「連休の宿題が多くて、練習試合も多くて、取り組む時間はない。答えを写すこと覚えた。こんな宿題って意味ありますか。力はつかないし、悪いことを覚えた。」と保護者の話があった。どのくらいの量だったのか。40ペ-ジというが、具体的な問題数でないとわからない。ともあれ、体育コ-スへの宿題の出し方は工夫すべきだ。どんなによい宿題でも、わかっていない、できないものはドリルのさせようがない。やり方を確実に押さえ、基本問題でできるようになったら、反復練習である。

よく使われる言葉だが、本来の「文武両道」なんて言葉は中学校、高校にはあてはまらない。正確には、「部活動と学習の両立」である。中・高校では当たり前の話である。また、そうできるようにやってほしい。部活動の時間と高い学力の相関では1日2時間程度の部活動がよさそうだ。そう考えると、月、水、金は勉強、火、木は部活動のよさもわかる気がする。「メリハリをつける」とはそういうことだ。

とにかく、自分で勉強する生徒を育ててほしい。自主学習とか自力学習とか一人で、主体的に学ぶことが学習なのである。最低2時間の学習時間は確保してほしい。大人になって資格をとる場合を考えみよう。本来の仕事の合間のわずかな時間を使う。子育てなら、いろいろなじゃまは入る。残業などもあり、なかなか思うようにできない。レベルアップをめざしてその中でがんばるしかない。それは、部活動や学校行事で時間をとられている今の状況によく似ている。だからこそ、この時期に時間の使い方を覚えることは大きなメリットがある。「時間は無尽蔵ではない」の認識をもつことだ。

効率的な仕事の進め方で、特に大事なのは時間管理である。無尽蔵だと考えると、失敗する。睡眠や食事の時間を考えると、一日の中で使える時間は結構少ない。だから、時間を大切にしたい。できる問題に時間をかけず、できない問題を明確にして取り組むこと、どこを勉強するがわかるのが第一だ。ただ、勉強するのでは能率がわるい。教科のおもしろさとからめて、学びたくない、学びに興味ない子でもできる勉強法を伝授してほしい。知識を獲得し、技能を身につけ、できるようになることは本来楽しいものだ。

滴骨血                H29.9.15

きばっど育英館      滴骨血                H29.9.15

中学校の教師をしているころ、「入試の後にあれも教えればよかった。これも教えればよかった。」と後悔した経験がある。国語は年間140時間と時数も多いのに、こんな調子だった。35時間しかない教科の先生はどんなに絞り込んで教えているのだろうかと感心したものだ。教育実習の指導の際は、「あなたが授業する1時間もベテランの先生がする1時間も生徒にとっては大切な1時間です。」と語ったものだ。本当に教えることは覚悟のいることだ。教育には無駄な時間はない。

王陽明の言葉に「教える覚悟」を考えさせるものがあるので、いくつか紹介したい。まず、教えられる者と教える者との関係を述べた言葉である。「一掴一掌血」とは、掌をぎゅっと握りしめたら、血の痕が残るくらいに掴む。「一棒一条痕」とは、棒で叩いたら、叩いた部分に一生その痕が残る。これらの言葉は、教える、教えられるという師弟関係では、「弟子は『一掴一掌血』の心づもりで学び、教師は『一棒一条痕』の気迫で教えなくてはならない。」と使われる。
また、「滴骨血(てきこつけつ)」という言葉もある。中国の言い伝えに、自分の先祖の骨を捜す時に、自分の血を骨にかけ、その血を弾いたらご先祖様ではなく、血を吸ったらご先祖様の骨であるという。これから派生して、師の血を滴らせれば、弟子の骨が吸い込む。心血を心骨に注ぐ。それほど強い師弟関係を結ばなくてはならない。教える者はこの気迫で人を育てなくてはならない。

師が「思い」をもって、「思い」を注ぎ込んで弟子を育てることは学校教育にもいえることである。生徒たちが卒業するまでに、教えることはすべて教えた、伝えることもすべて伝えたと自信をもって送り出したいものだ。その覚悟はもちたい。

秘伝とか奥義とか言われるものが口伝であり、ある日、突然師から弟子に伝えられるものだと聞くが、弟子の力量に応じた指導であり、一通りはどの弟子にも教え、これというものは優れたものにさらに教える。進度差や発達段階に応じての発想である。「秘伝」のなかには、毎日の生活や心得まで示したものもあるらしい。日々のトレ-ニグメニュ-を継続できないものは道を究めたことにならないようだ。どのくらい継続するかというと、「百日の鍛 千日の錬」というが、3か月や3年と言い換えてもよい。6、3、3の学校制度にはこんな裏の意味があるのではないだろうか。漫画の話で恐縮だが、「巨人の星」や「ドカベン」などの野球漫画には、決まって「千本ノック」が出てくる。考えるに、100本とか、150本でも大変だろうが、「千」にこだわるところがおもしろい。思いをこめる話が「血」だったり、努力する目標は「千」だったりと、一つの漢字に思いがこめられると、深い。考えさせられる。

とことんマンも一つのイメ-ジだ。イメージしたのは育英館の教師の姿だ。生徒に学習する力をつけ、社会で生き抜く力へと伸ばす教師こそがとことんマンだ。とことん面倒をみるとは、知識を教えれば終わりではなく、「自学自習」する生徒へと変わらせていくことだ。目標を見つけ、自ら学ぶ自分へ変わっていこうする生徒を手助けする。とことんマンの腕の見せ所だ。

 

未知の刺激にふれて           H29.8.3

きばっど育英館      未知の刺激にふれて           H29.8.3

レディカレのヘア-ショ-を見て本当に感動した。生徒たちの創作意欲、一つのショ-を作り上げようと協力する姿に、すがすがしい感動をおぼえた。芸術性を追求すると人間の顔や体はキャンバスとなり、音楽や衣装を引き立たすためのパーツだと納得できる。動物メイクで、雰囲気全体が効果的に演出されるのも驚きだった。

ランウェイのウォ-クはモデルさんでも緊張すると聞く。ピンヒ-ルの靴は不安定で、タ-ンやストップ、ましてや、中腰で参観者に花を配ったりと、ころばないだろうかと心配した。本当に緊張の連続だったと思う。案内された席がモデルさんの目の前、決めポ-ズの美しさに見とれながらも、靴の先までの緊張を感じる近さだった。

それぞれのテ-マが十分に発揮されたショ-だった。私のような素人にも「燦めき、ときめき、ひらめき」の連続だった。夢のような世界で、しばし時を忘れた。テレビ報道では有名なモデルさん中心にオンエアされるので、どういう内容なのかが今一つ分かりにくかった。今回、ショ-まるごとを見せてもらい、大いに楽しめた。育英館の生徒にも見せると、文化祭での表現の質は数段向上するだろう。油断したそのとき、ウサギさんのマジックショ-に引き出された。想定外だった。ウサギさんはショ-の雰囲気をさらに明るく、楽しいものにした。レディカレの生徒たちがこの成功を機会にさらに飛躍するだろうと確信した。関係者の皆さん、本当におつかれさま。

考えてみるに、ヘア-やメイクにこだわる生徒は、生徒指導の先生の目に留まり、よく注意されるものだ。しかし、この時期こそ、色彩感覚が育ち、生き方のモデルを探す年頃でもある。当然、ファッションに目がむくのも、スタ-にあこがれるのもわかる。外見だけでなく、内面を磨くことをどう自覚させ、どう伸ばすかなのだろう。

今、思えば、中学校の時代は映画が好きだった。英語で話すリズムのよさや響きの心地よさにあこがれた。オ-ドリ-に一目ぼれで、「ロ-マの休日」や「マイフェアレディ」を繰り返し、映画館を出ずに見たこともある。しかし、「ロミオとジュリエット」では、職員室に呼ばれてこっぴどくしかられた。認定映画でなかったようだ。たしかに、ベランダから身を乗り出すオリビアのふくよかな胸に目はとまったが、それよりも「ロミオ、あなたはなぜロミオなの」の英語の響きを聞きたかった。感受性の豊かさは、すべての経験をプラスにする。実体験にまさるものはないが、映画を含めてすべての芸術には感動させる力があるのも事実だ。英語の教師にこそならなかったが、隠れて信仰するように、英語の響きの心地よさに浸ることがある。もう一人のオリビアの歌声やカーペンタ-ズの「SING」などはまさにスイートメモリ-である。英語学習はこんなに感じられる若い時期に徹底するとよいのだろう。残念。

新しいものは人生の刺激である。未知を経験すると、脳は活性化される。知っているものを見聞きするのは、安心感はあるだろう。しかし、知らないものに挑戦したり、見聞きする体験を忘れてはならない。人生は豊かに生きた人の勝ちというが、豊かに生きるとは、未知のものに対しての感受性をいつまでも持ち続けることなのだろう。ヘアショ-のことをあれこれ書くところを見ると、この刺激は私の人生を豊かにしてくれたことは間違いないようだ。

授業の腕前をあげる            H29.8.7

きばっど育英館     授業の腕前をあげる            H29.8.7

授業の達人になるためには?と、導入、展開、終末のフレ-ムで考えてほしいことを書き出してみました。

まずは、書道の話です。「起筆は高いほどよい」と習ったことがあります。内容は、宇宙のある一点から筆を運び出し、白い紙面に点を打つ、そして、紙面を切り裂くように、筆を動かす。紙面の先には地面があり、その地面を掘り、削るつもりで…とそんな話だったと思います。本当に古い記憶なので、何かとごちゃごちゃになっています。しかし、「雄大な心構えで書きなさい」と教えられたものだと思い直しています。

書き出しの大切さ、始まりの大切さを考えるよいヒントがありそうです。

同じく、授業の導入は「Q効果だ」と先輩教師から聞いたことがあります。「おや?」と生徒が思うと、導入は成功だというのです。起筆の高きと似ていませんか。遠い所、関係のない所から書き出すためには、広がりを意識して書かざるえません。見た目には関係ない所から始め、授業を進めているうちに、「はっ」と気づくという構成もおもしろいものです。未知を楽しむことができるのは、人間の能力の一つです。

次は展開の部分です。発問や板書を重ねて、山場をつくり、授業を進めます。そこで、大切なのは生徒の認知スタイルに合わせるということです。視覚優位や聴覚優位という種々のタイプに合わせるためには、それに応じた情報発信が必要です。また、状況に応じてそれらをミックスすることも大切です。情報発信の中に疑問を少し残して、生徒が生徒に教えたいという気持ちを芽生えさせると最高です。学習の定着率が高くなるのは、人に教えるときです。実際に教える場面がなくても、板書に参加させたり、発言を取り上げたりでも効果はあります。自分の答案を模範解答として紹介され、誇らしくうれしかったことは、はるか昔の高校時代でもよく覚えています。

いよいよ授業のまとめの話です。まとめの場面で、「照応」とか「呼応」というのが、ベテランの技です。授業の導入や展開で、関係ないように見えた事柄が最後につながり、大きくこう考えていくのかと実感させられると大成功です。それを教えてはなりません。発見させるのです。そのためには、構成を十分に工夫する必要があります。答えが出たと安心させて、そのあと、ゆさぶり、よろめかせて、たまには、ころばせて、おやっ、なぜだろう。ところで、この答えでは、まだここの部分が足りないのではないだろうかと感じ取らせる。もう一度、始めから学習をふり返させるのです。

そうすると、本質が見えてきます。それこそが学ぶということなのです。授業の達人になるためには、教師自身がこの構造の形を何種類も開発することです。教材や生徒のタイプにあわせて、フレ-ムの形を変えたり、同じものが一つもないという授業を展開してください。「教えた」でなく、「学ばせた」こそが、授業です。

生徒たちは自分で気づいたと思い、興味をもち、やる気が出れば、自然と勉強しようという気になります。それが達人の技なのです。知識は教えても、力は自分でつけるものだと思います。知的な興奮や発見の楽しさがあふれる授業でなくて、力はつかないのです。