校長室だより

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きばっど育英館     漢字の話                 H30.1.24

結婚式のあいさつで「糸」にこだわってみた。糸へんに半と書いて「絆」。半分をどう考えるかでお互いのひっぱりあいと考えると、おもしろい。「ひと声」という国語の教材があった。この中で、母馬がどうあがいても抜け出せないぬかるみから多くの人の力で助け出される場面がある。人間が力をあわせて引き上げる時、「ひひん」という仔馬の一声が母馬に力を与えたという箇所がある。「絆」という漢字にぴったりの場面だ。指導される先生が黒板に「絆」と書かれた感動的な授業を思い出す。結婚式のあいさつでは夫婦のきずなはお互いの声掛けからできあがると語った。

それに続けて、糸へんを使う「縁」を取り上げた。豚の頭の垂れ下がっている様子を表すつくりをつけて、垂れ下がるふちを示す漢字である。それから何かのふちの部分を「縁」という。糸へんがあるので、この字はつながりを表す文字となり、「えにし」という読みもある。そこで、ふたりの縁に連なる人々という話で結婚式のギャラリ-の役割を語った。絆を強めていくのを、ギャラリ-の仕事にしてほしいという話だ。「絆」に「縁」にどちらも今日のふたりの糸にかかわる話である。「縦の糸はあなた、横の糸はわたし 織りなす布はいつかだれかを温める」の歌を連想する。結婚式で「最後は」といえないので、結婚式の「結」を使い、糸へんに吉と結びの話をはじめる。「一重二重、七重八重にめでたく、ふたり縁の糸を結びまして、皆様のお幸せを祈り、私の話も結びます。」と…

このように、漢字は実におもしろい。甲南中の進路学習の講話では、「母という字は舟という字に似ている」と考えた詩人の発想を問題にした。「母は舟の一族かもしれない」と考える根拠を生徒に尋ねると、予想通り「形が似ている」と答える。詩は「こころもち傾いているのはどんな荷物をかかえているのだろうか。」と続く。形にこだわりながら中身を考えてみるという視点がおもしろい。舟も母も積んでいる荷物は見えない。しかし、ぎっしりと積んでいるのも確か、おもい(思いや重い)で沈むのも確かだ。舟も母も海に関係あると発想を広げるとさらに楽しそうだ。

漢字のおもしろさは、意味を包含するいうことだ。もっと言うと1字にドラマがある。漢字の特性をわかっておかないと視覚でも連想を伴うので、音だけに頼って名前をつけると変な先入感をもたれる。ビートルズのファンの友人が「美執」と名付けた。言葉が幸せを呼んでくると考える日本だ。漢字を知った上でのネ-ミングとしたい。思えば、この子も35、6になる。「美を執る」から芸術家になれたと信じている。

「初め」と「始まり」の違いも調べていくとおもしろい。「初」は衣へんがあるので布を裁断する、つまり「切りはじめる」イメージがある。一方、「始」は女へんがあるので、「女性になること」、つまり、「成長のはじまり」を意味する。「ある変化がおこりはじめる」ことになる。漢字を研究すると、当時の人の考え方までわかるから不思議だ。「円」という漢字は、貨幣が丸いものが多いということから貨幣の単位として考えられたとか、1ドル=360円は、円の角度から決まったとかとおもしろい話がある。どこまで本当なのだろうか。漢字のなぞはまだまだ深く果てしない。

きばっど育英館     甲南中での進路学習から          H30.1.19

甲南中での講話の中で、校歌の歌詞についてふれた部分を取り上げてみたい。明治150周年との関わりの深いこの歌詞にふれて、生徒たちへ語った。

1 甲突川の南の いらかも清き学び舎に 敬愛信をめざしつつ

向学自主の意気高し   中学甲南 若人われら

2 英俊雲と生まれつぎて  維新の業をなしとげし 三方限の名も永遠に

共同自治の風かおる   中学甲南 若人われら

3 秀麗千古桜島   火をはく嶺にこだまして  明るく強くたくましく

燃ゆる命が明日をよぶ  中学甲南 若人われら

鹿大の蓑手重則教授の作られた歌詞である。特徴的な文語表現を随所に用いて、格調を高めている。「いらか」は瓦屋根のことで、小説「天平の甍」や童謡「こいのぼり」では「甍の波と雲の波」と歌われる。今の生徒は知らない言葉である。「甲突川の南」の歌い出しは「甲南」という学校名を想像できる。南、東は中学校名としてあるが、北、西はない。甲突河畔から桜島が見える維新ふるさと館あたりに立つと、南も東もよくイメ-ジできる。次に「敬愛信」であるが、西郷隆盛を思い出すと、「敬天愛人」であり、「信の人」である。生徒は「人を敬い、人を愛し、人を信じる」と答えた。小さいころから親しんだ郷中の教え「負けるな、うそを言うな、弱いものをいじめるな」を思い出したのだろうか。

「三方限」とは、地域の名称である。上之園、高麗、荒田の地域をまとめてこう呼んだ。甲南中の正門の横にこの碑がある。偉人が次々と誕生して明治維新で活躍した様子を「英俊雲と生まれつぎ」と「維新の業をなしとげし」と表現している。「雲がわくように次々と」はこの碑にあるメンバ-の多さを見れば納得できる。この地で学ぶことの誇りをもてる歌詞だ。新しい時代を切り開く多くの若者を思い出させる「坂の上の雲」の松山市街とよく似た雰囲気が、このあたりには漂っている。

三番は自然と人間の対比であり、そのエネルギ-と対峙できる若者の可能性を取り上げている。「明るく強くたくましく」は桜島にも負けない若人の姿である。メンバ-の一人、長澤鼎は13歳でイギリスへ渡り、のちに、アメリカでブドウ王となる。彼の心の支えは郷中教育の教えであった。「名を今に残し人も人、心も心」と教える島津日新公いろは歌にあるように、「若人われら」には、「偉人にも若い時代はあった。悩んだり、苦しんだりと君たち同じで、変わらないよ。若さでがんばれ」と中学生への応援の気持ちがこめられている。

義務制の中学校は、昭和24年(1944年)前後に創立され、多くの学校が創立70周年をむかえている。周年行事を開催するに沿革を調べていると、思いがけず、歴史にふれることになる。ふだん何気なく歌う校歌を見直し、愛校心を育てることは心のふるさとづくりに必要なことかもしれない。明治維新150周年を機に学校から歴史再発見が行われるとおもしろい。

きばっど育英館       夢を希望に              H30.1.12

校内での外部講師による講話のタイトルである。年明けにふさわしい話なので紹介したい。野球馬鹿で甲子園をめざして高校に入学したが、夢はかなわず、勉強もしてないので就職を考えた十原くん。ところが、就職もうまくいかない。野球以外の目標はなく、あがいていた高校時代。そのとき、目にとまった「留学」の文字、英語はできない上に、勉強らしい勉強をしたことがないのに「留学」はしてみたい。とびこんだNIC、そこで英語漬けの毎日、英検4級もない彼が留学できるまでがんばった。

そして、いよいよ留学、ところが、あれだけ勉強したのにマックでの注文も通じない。この衝撃は大きい。そこでひるまず、「習うより慣れろ」と開き直った。NICで鍛えられたことで、ヒヤリングはまあまあ。野球はバカのようにやったから、一通りプレイはできる。足が速かったことが幸いして、大学時代は野球が人脈を広げてくれた。いよいよ卒業、野球の縁で知り合った人の紹介でカンザスへスポ-ツビジネスの修行に出た。自分が何をしたいのかを考えた時、野球の存在は大きかった。彼は気づかないが、野球をやりぬいたことが力になっていた。彼が語る野球馬鹿とは一つのことにとことん一生懸命になれる姿だ。この「とことんやり抜く力」は成功するための大きな原動力だということのよくわかる話だった。

留学の魅力を「違う世界から見ることができる。ちょっと離れただけでもこんな人がいるんだ。」と十原くんは語る。友人仲間を大切にすること、好きなことを3年間やってみること、今やっていること以外にもう一つ好きなことを探すこと、それを見つけるためには初めてやることに挑戦する。前半のまとめはこんな言葉で語った。

さて、彼の話ですごいのは人間関係つくりだ。世界の野球関係者が集うアメリカでの特別な野球フェスの日にはとにかく名刺配りをする。そこで、日本のヤクルト関係者と知り合う。ふつうならここで終わりだが、後がすごい。相手の「昼飯を食べよう」という約束を面接試験に変えてしまう。この体験を取り上げて「自分を相手に売りこむ準備の大切さ」を語った。まず、時間と場所をはっきりさせたら、相手に評価してもらうように、提供する資料づくりをする。この資料を準備するために時間をかけたので、昼食だけで終わらせない作戦は見事に成功する。就職してもステップアップを考えて仕事をしていく。ゴ-ルが明確だから、少々のいじめやいやがらせにも屈しない。どこでも自分を磨き、人と違うものを作り出すことに力を入れてがんばれる。

20世紀FOXへ移る話もおもしろい。「いい人はいないか」という電話が知人にかかり、その人の紹介で会社へ採用される。人脈でつながっている。エンターテインメントの世界もまたすごい。そして、女性管理職の多さとその能力の高さに驚いようだ。そして、いよいよメジャ-リ-グへ移籍である。またまた、電話で人を探しているみたいという話から、「いい人いない」の業界電話が回り、その結果、自分が行くことができたと話した。

これらの波乱万丈の物語にしては、十原くんのまとめは実にシンプル。「思い続ける。やり続ける。かなうまで」「常にプラス思考で」「準備、準備、準備」でした。実に楽しい時間でした。

きばっど育英館    理事長の年頭のあいさつから         H30.1.5

今年の学園のスロ-ガンは、「感謝」である。「感謝」とは、ありがたいと思う気持ち、他人に対してのお礼の気持ちと辞書にある。これは、建学の精神の「道義」に当たる部分である。

私学の経営は貴重な授業料をもらい成り立っている。今、学園があるのは、建学当初から学生、生徒が絶え間なく学びに来てくれたおかげである。

その原点の気持ちをけっして忘れないでほしい。

学生、生徒、保護者へ接するとき、常にこの気持ちをもちたい。また、それぞれの学校へ送り込んでくれた先生方への感謝も忘れないでほしい。そんな気持ちを持ち続けると、日々の教育活動の中にも表れる、学校が変わってくる。一人一人が学校という職場で働けることへの感謝を忘れないでほしい。

素直に「ありがとう」がいえると、学校はもっとよくなる。生徒への感謝の気持ちを表すために、握手での送迎もよいだろう。学生、生徒と心を一つにして、「感謝」のもつ無限の力を信じたい。今年はとことん「感謝」にこだわりたい。

上記は年頭の挨拶のスローガンを語られた部分をまとめてみた。とことん「感謝」にこだわりたいという結びの言葉は、建学の精神の「道義」を意識し、過去のスロ-ガン「日章の心」などともリンクしているようだ。

また、同じくスローガンになっている「原点」という言葉にも大切な意味がある。周年行事が必要な意味は原点を思い出すところにある。学園歌を歌い、建学の精神を唱和するのは、原点回帰の具体的な方策である。しかし、原点を知るために、学校の歴史を語ることもぜひ必要だ。

話の中に出てきた「心を一つにして」という言葉を考えてほしい。生徒と心を一つにするためにも職員が心を一つにするべきだ。言い方にも個性が反映されるだろうが、方針として確認されたことを指導するのにブレてはいけない。一枚岩の生徒指導は、教職員として指導する時、それがブレないという点を指している。心を一つにするは掛け声でなく、実行である。

さて、話は先へ進むが、感謝を具体化するには、「ありがとう」を声にすることだ。学校の中で、「ありがとう」が多く聞こえれば、もっとお互いの気持ちが近づくに違いない。スロ-ガンとして掲げるだけにしないで、教師が率先して行動化することを今年も考えていきたい。感謝の気持ちにある無限の可能性とは何か、それは自分のために相手がやってくれたと思う気持ちの構造を考えてみればわかる。自分で自分のためになることをするのは当たり前である。他人との関係で、これに類するような感動があると、「有難し」だ。なかなかないことだから、「ありがとう」と感謝する。家に帰れば、ごはんがあるとか、風呂に入れるとか、ふつうだと思っていることもよく考えてみると、「有難し」なのである。そう気づいたら、声にして「ありがとう」を伝えるべきだろう。「ありがとう」をすらっと言える、感度の良い人間になりたいものだ。

きばっど育英館    授業で魅せる              H29.12.25

授業検討会で最後に話させてもらったが、その話を整理してみたい。授業を構成する要素は極論すると、教材、生徒、教師である。指導主事が校内の授業研究に呼ばれて、授業を参観し、授業研究に参加し、最後に指導助言を求められると、この三点から話をすることになる。改善に直結する視点だからである。

さて、細かい話には後日ふれるとして、「目で山を見る」と覚えておくと、授業がひととおり成立する。まずは、目標である。教材名や題名を書くのは当たり前だが、その後に今日の授業でできるようになることを書いておく。つまり、教師、生徒が同じゴ-ルを目指しますよと宣言する作業を入れる。これなしでは目的地なしの散歩でどこに行くかわからなくなる。ゴールを提示すると、寄り道がなくなる。

そして、授業の山場を作る。これは生徒の活動量が一番増えるところだ。発表がその最たるものだと考えられている。もちろん、発表だけでなく、黙って文章を考えたり、問題を解いたりも山場には違いない。教師も生徒もこの授業は何を目指しているかがわかるように活動を通して「見える化」する部分である。

発問は一問一答ではこまる。答えはできるだけ決めつけない開放タイプがよい。生徒間のやりとりがあり、考えが深まる。AかBか、YesかNoかはおもしろくない。答えが一つではないと考えると、発表を共有したり、間違いの原因を追究したりと真剣になる。そして、納得して自己解決に至る。これが山場で一番深まるところだ。

そして。見届けが肝心、目標とした地点のどこあたりまで来たのかを分からせる。宿題を出すのであれば、不十分なところを出すのでなく、そこに気づかせるとか、次の授業に興味をもたせるとか、仕掛けをつくる。宿題は出せば力がつくと考えるのは大きな間違いだ。基本的な問題を解説せず、ドリルといって家でさせるのは教師としての責任を放棄している。よく間違う問題こそ授業で必ずとりあげてきちんと解説する。口語五段活用がわからない子は、古典文法の上二段、下二段活用はわからない。「段」を理解するには、五十音図を横に見るという感覚が必要なのだ。

国語では新出漢字を取り上げる時は、小学校では書き順から、中学校では熟語や活用を、高校では類語から語彙の広がりと決まっている。言語要素的なものを取り上げないでよい授業はない。辞書引きは小学校で教えて、中学校では辞書の特徴や索引の利用法、高校になれば「忖度」という頻度の高い現代語の用例を調べるという話だ。

自分の教科を棚に上げて話したが、各教科も発達段階での教え方や教科語彙(勝手につけたが)があるに違いない。イメ-ジするには、各学校種のそれぞれの教科書の目次を見ればわかる。6、3、3制の世界は宇宙に似て面白い。どの教科も上に進めば、世界が拡大する。自由度が増す。自分の追求できる知識の自由が確保される。これこそが学ぶ喜びである。武蔵の言葉を以前ねぎって使ったので、もう一度正しく言い直すと、「千日の鍛 万日の錬」である。ほぼ、3年がんばると、それなりの人に、30年がんばると、名人になる。学問の世界の広がりも教えられる育英館の先生、育英館は授業で魅せる先生が多いといわれたいものだ。

きばっど育英館    授業で魅せる H29.12.25