きばっど    立志式              R4.1.31

きばっど    立志式              R4.1.31

2月の寒さの中、体育館で立志式があった。ずいぶん昔の昭和の話だ。昔は14歳で大人になった。親父の名代でムラの大事な会合に参加し、もう子供ではないと一人前に扱われた。橋本左内という幕末の志士が「幼稚な心を去れ」といった。立志の決意をみんなで声をそろえて言った。自分の決意は紙に書いて、教室に貼った。学校に訳の分からない行事がまた一つふえた。寒かった。の記憶がある。あれから50年、この立志式はどうなったのか。昭和から平成へと時は移り、行事の精選で学校では姿を消し、地域主催でどうにか残ってはいるが、消滅の方向はまちがない。

なぜ14歳は大人だとしたのかを考えてみた。一つは大人の確保である。武士の時代、病気はもちろん、戦いで人はなくなる。その後も平和になったからといっても平均寿命は60歳にもとどかなかったことだろう。社会を、家を支える人が必要になった。「大人に早くなってほしい」は社会の切実な要求だった。

大人になるとはなんだろうか。子孫を残せる年になること。そこで、これくらいなら子孫が残せる年齢を大人にしたのだろうか。14歳といえば、現在は学生であり、勉強の真っ最中。好きな相手を見つけ、結婚もよいが、勉強との両立は難しいだろう。人はだんだんと大人になる。10代から30歳くらいまでの時をかけてだ。大人にならずに親になる人もいる。大人と親は同じでない。自分は大人か子供かの問いを繰り返して、大人になっていくのかもしれない。どんな人が大人なのかを考える材料が昔は多かった。

「みんな違ってみんないい」はみんなに当てはまる訳ではない。だれでも言うからおかしくなる。自分の感情や健康管理など、規則正しい生活や社会生活ができない人が「みんな違って」ではこまる。好き勝手にすれば、結果、迷惑をかけてしまう。当たり前にできない人は大人とはいえない。ましてや、そのまま親になると毒親になってしまう。自分の思いのままにならないと、「親罰」と受け止める。親を選べない子供にそのつけがまわる。放任、虐待となる。大人になれない親が育てる子供は不十分なモデルを見て大人になろうとする。これを危惧した教育の流れから生み出されたものの一つが「立志式」なのかもしれない。行事の本質が語られず、時数の問題のみでほぼ消滅した。「問い続けて大人になる」に基づけば、もっと大事にすべきだった。

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成人年齢が話題になる中、もう一度、「大人になる」教育を考えてみたい。まわりにモデルが少ない今こそ「~なる」教育は必要だ。大人になれなかった親は責任をとれず、「違っていい」の鬼やモンスタ-となり、学校にそのツケをまわす。立志式の歌は、「桜は桜の匂いあり、椿は椿の香りあり」と歌い出し、「人それぞれの芽を伸ばし、色とりどりに花と咲く」と続く。本当の意味で「みんな違ってみんないい」を教えていた。立派な大人教育だった 。

きばっど      成績アップの方法            R4.1.21

きばっど      成績アップの方法            R4.1.21

 成績をあげるためには、勉強の仕方を教えることだ。自分で学ぶことを覚えないといくら上手に教えても身につかない。体で覚えるのがスポ-ツだとしたら、同じように頭で覚えるのが勉強だ。頭も体の一部だから、スポ-ツ感覚のよい生徒はまちがなく他の学習にも転嫁できる。使い方はどこも同じだ。

 仕事に慣れてくると時間は短縮される。漢字書き取りや英語のスペル練習は学年が上がると短時間でできるようになる。自分がよく覚えたとか、うまく点数がとれたとかの背景には自分に合う学びが隠されている。よく思い出してその方法を毎日取り入れることだ。ただし、偶然とか、まぐれでできた方法は取り入れてはならない。さらに、結果を「運がよかった」を原因にすると努力する意欲につながらない。運は努力した結果としてあるもので努力なしにはありえない。運がよかったテストこそしっかりと分析すべきだろう。時間が短縮され、成果があがるポイントには、知らずに獲得した方法があるのは間違いない。

 自分フォームとしていつでも使えるものを見つけるも大切だ。視覚優位とか、聴覚優位とかは個々の傾向としてある。視覚優位の人は言葉を構造化すると覚えやすいし、聴覚優位なら大事な言葉を念仏のようにとなえたり、替え歌にしたりすればよい。理論的にはそうなるが、細部は本人のやりやすいようにやることが必要だ。大抵の人は視覚優位だから、CMはそこを押さえて記憶に残るように作られる。「いつでも目にふれるようにトイレにまで暗記ものを貼る」が昭和時代には流行した。この方法はまんざらでもなかった。他からの雑音もないし、集中できるのでよく覚えた。トイレ、籠や馬の上で物事を考えるとよい考えが浮かぶ「三上」ということわざは、集中できる体験を暗示しているようだ。

 若い時の記憶力を自慢する人が多い。一夜漬けで満点をとれた類いの話だ。どうしても合格点がほしいので、テスト範囲の音楽の教科書を写真にとったように覚えた。先生に叱られたくない一心だった。覚えたことは後からずいぶん役に立った。楽典がわかってくると、曲を正しく理解できる。ト音記号は書き出しの音がトであるとか、4/4と書かれている表示は1小節は四分音符で4つなどと、いろいろと理解できた。同じように数学も公式の成り立ちをしっかり理解して覚えると、その後の応用は実に「楽勝」という経験もした。

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 基本的な材料は頭の中にないといけない。そして、基本的な応用は慣れるまで繰り返すことである。そんな手順でもなかなかうまくできないものは取り上げてくりかえすことだ。高度な技の習得は連携する一つ一つの技をうまくできるようにするとよい。文章題はまずしっかりと読む。求める解と条件を明確に読み取れて、初めて答えに近づく。「近づく」と書いたのは正確な読解が前提だからだ。何気なく使っている語を、その教科の言葉ととらえ、正確に、意識して使うのも、成績アップへの近道である

きばっど         心の栄養ドリンク        R4.1.15

きばっど         心の栄養ドリンク        R4.1.15

 コロナの時代、会いたい人にも会えず、ストレスはたまる一方、ちょっとしたことで気持ちがすれ違う。何をするにも本当に住みにくい世の中だ。自信をなくして落ち込んでいる人を「どぶ〇〇」と呼ぶらしい。大学受験に失敗したり、オーディションに落ちたりと自信がある人ほどそういう状態になりやすい。恩師や親友になぐさめの言葉をかけてもらったり、激励してもらったりで立ち直るの幸せだ。そういう人がいればよいが、人との距離がうまく取れない世の中になり、なかなかどぶから脱出できない人も多いはずだ。(どぶ=下水)

そんなとき、心の栄養ドリンクを飲もうと提案したい。心の栄養ドリンクはずばり本、文字に書かれたものと言いたい。音楽を聴いたり、映像を見たりもよいが、心の病気にはそれらの感覚を遮断した方が治りやすい場合もある。病気の原因が情報過剰の場合なら、文字だけを心に入れるという治療方法だ。自分に自信がもてなくなったら、本を読もう。心の掃除をしたいなら、斎藤茂太先生の本を勧めたい。読んでいるうちに元気の出るドリンク並みの効果がある。すぐに効くので拾い読みでも十分である。落ち込み方にもいろいろあるし、症状も種々様々だ。心もカゼをひく、下痢にもなる。自己治癒力の高い人なら、回復を待っていたらよいが、回復が遅れる人は、後遺症にも悩むことになる。

症状にあわせていろいろな本の読み方がある。旅行好きな人なら、山、海、寺、仏像、グルメに書かれた本を読む。地名を読んだだけで別世界へいけるはずだ。日常を飛び出すと心のリフレッシュは成功する。写真より、音よりも妄想することだ。日常脱出の妄想旅行に参加しよう。風を感じたり、おいしい匂いもしてくる。本を読んで、大好きな旅に出て、心をリフレッシュしよう。

茂太先生の本は読みやすいし、考えやすい。自分の生き方やあり方を見つけたい人には、「だれが見ていなくても自分はこれがよい、これがかっこいいと思う選択をしてみなさい」と書かれている。生き方の美学の世界でもある。中学校国語の「一塁手の生還」という教材にも「美学」という言葉があった。「こんな行動や態度をとることが美しい」と自分でとらえると、随分楽になる。武士の美学は「死に場所を見つけたり」という運命と向き合う潔さである。必要があれば、自分の命にもこだわらない。目的があれば、全力で取り組む。やるだけやったら結果、どんな運命をしっかりと受け止める。「是非に及ばす」の信長も「ここらでよかが」の西郷もまさにこの美学に生きたといえる。美学はその人の生き方の背骨として存在していく。

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さて、このドリンクにはその人の美学に気付かせる効果もある。どんなことに「美」を感じるのかと追及してみよう。やり遂げた経験値が高まり、自信が生まれる。とことんやってさあどうするかの場に立てる肚もできる。ドリンク飲んだら、どんな仕事でも向き合ってみよう。

きばっど    始める・成長する寅年に    R4.1.11    

始める・成長する寅年に       

新年あけましておめでとうございます。

さて、今年は寅年。正確にいうと、壬寅(みずのえとら)です。「壬」は「妊に通じ、陽気を下に姙(はら)む」、つまり、「生まれる」が予想される文字です。また、「寅」は「螾(ミミズ)に通じ、春の草木が生ずる」という意味があります。そのため「壬寅」は厳しい冬を越えて、芽吹き始め、新しい成長の礎となるイメージです。

2021年は前年から続いて、新型コロナウイルスが生活に大きな影響を与え、世の中の仕組がずいぶんと変わりました。学校ではオンラインやリモ-トが行われ、対面でない授業形態も見慣れてきました。コロナとの共存ができる日常も見えてきたような気がします。

2022年の寅年は、これらの新しい芽が「成長する」、新しい日常が「始まる」年になって欲しいものです。

さて、寅年生まれの人は

強い信念を持っている = 成功するまであきらめない意志

情熱的でロマンティスト =熱意があり人を巻き込むムードメーカー 

完璧主義でチャレンジ精神旺盛 

など、「熱い」というイメ-ジです。これは「意欲」や「やる気」に違いありません。熱があるのはよいことです。寅年にあやかり、今年はとにかく熱く始めましょう。

学園のスロ-ガンは「為せば成る」です。自分の意志で始めることの大切さを教える名言です。江戸時代の米沢藩主 上杉鷹山の言葉として知られています。また、リンカ-ンの言葉もよく引き合いに出されます。「意志あるところに道は通じる」と訳される。 「Where there is a will,  there is a way」です。

自分の好きなことを始めるためには、自分からやるぞという「熱」は必要です。トラの強さ(決断力と才知)にあやかり、「熱い思いで始め、限界を決めない」を目標に、一人一人が熱い思いを胸に、すべての限界突破にチャレンジしましょう。

きばっど    始める・成長する寅年に       R4.1.7

きばっど    始める・成長する寅年に       R4.1.7

新年あけましておめでとうございます。本年も皆様にとってよい年でありますように心から祈念申し上げます。

さて、今年は寅年。正確にいうと、壬寅(みずのえとら)です。「壬」は「妊に通じ、陽気を下に姙(はら)む」、つまり、「生まれる」が予想される文字です。また、「寅」は「螾(ミミズ)に通じ、春の草木が生ずる」という意味があります。そのため「壬寅」は厳しい冬を越えて、芽吹き始め、新しい成長の礎となるイメージです。そして、「五黄のトラ」といわれる36年に一度の年でもあります。まさに「成長」や「始まり」の年になりそうです。

2021年は前年から続いて、新型コロナウイルスが生活に大きな影響を与え、世の中の仕組がずいぶんと変わりました。学校ではオンラインやリモ-トが行われ、対面でない授業形態も見慣れてきました。コロナ対応イベント、選挙というように、新しい方法での実施、人数制限と、コロナとの共存ができる日常を過ごせるようになってきました。2022年の寅年は、これらの新しい芽が「成長する」、新しい日常が「始まる」年になって欲しいものです。

さて、寅年生まれの人の一般的な特徴として、ネットなどを見ると、次のように書かれています。
1 強い信念を持っている = 成功するまであきらめない意志
2 情熱的でロマンティスト =熱意があり人を巻き込むムードメーカー
3 完璧主義でチャレンジ精神旺盛 = やや冷静さに欠ける面がある
4 単独行動を好む = 1人だけで思い悩みがちなところもある

とにかく、「熱い」というイメ-ジです。これは「意欲」や「やる気」に違いありません。熱があるのはよいことです。寅年の人に負けずに、今年はとにかく熱く始めましょう。「自分が主人公」には、自分の生き方は自分で決めるそんな人生であってほしいという意味です。自己決定は責任を負いますが、自由もあります。自分の好きなことを始めるために、「熱」は必要です。その意味では、36年に一度の五黄の寅年はチャンスの年でもあります。トラの強さ(決断力と才知)にあやかり、「熱い思いで始め、限界を決めない」を目標に、一人一人が熱い思いを胸に、すべての限界突破にチャレンジしましょう。

この時期になると、高校三年生の志望校合格のうれしい知らせが次々に届いてきます。これからいよいよ受験も本番となります。体調を整えて、ベストコンディションで望めるように応援していきましょう。生徒にとことん寄り添って、いっしょにがんばるのがとことんマンです。   

きばっど       007が死んじゃった             R3.12.28

きばっど       007が死んじゃった             R3.12.28

映画好きの皆さんにこれを書いてよいものかと思いながら、映画の話題を綴りたい。世界的にファンの多い、007シリ-ズはボンド俳優を変えながらも続いてきた。今回の話は少し違う感じがした。007が二人いるという場面があり、「永久欠番かと思ったか?」というセリフまであった。よもやと悪い予感はしたが、あの不死身の主人公が悪の組織が作り出したナノ兵器を壊滅させるためにいっしょに消滅してしまった。なにせ、彼が立ち尽くす秘密基地の上にミサイルが降り注ぐ。このラストシ-ンにはびっくり。ある友人は信じられずに、3回見たそうである。映画ファンならわかる気がする衝撃である。

 もちろん、映画はアクションを含めては、このシリ-ズならではのお約束の秘密兵器の数々、そして、美女とのロマンスなどのてんこもりで、十分な見応えである。が、結末にあぜんとなり、エンドロ-ルの流れる中、悲しくて足早に帰ることになった。物語はいつか終わるとわかっていてもボンドには死なないでほしかった。前回、前々回からの悪の組織スペクタ-との戦いの中で、ボンドの立ち位置が少しずつ違ってきたのはわかっていた。スパイ映画の鉄則は非情になれない者には死、そのセオリ-がくずれたまま、彼が行き続けていることが不自然だった。今回の作品で総決算として彼の死を準備していたのだろう。

 愛する人ができ、子供もできた時、ボンドは生きることを許されることはなかった。この結末は予想された。新しい007は女性、しかもボンドに負けず劣らずの腕前、続編を考える設定はわかる。前の007は引退で終われないのですか?今回は一度引退した彼を呼びもどすところから、死の伏線である。悪の組織もハイテクになり、最先端の科学を駆使すると、監獄の中からリモ-トで誕生パ-ティに参加したりもできる、また、遺伝子研究に基づく兵器を開発すれば、ある共通遺伝子をもつ人だけを殺せるという設定、どれもがまんざらうそとも思えないから、科学の進歩の危うさやこわさを感じさせる話だ。

 ロケ地も本部のあるイギリス(ファンには見慣れたQの本部)に、ハネム-ンで訪れるイタリアのマテ-ラ、南米の町?ではスペクタ-のパ-ティが行われている…と世界各地という感じである。00ナンバ-をもつ男は同じナンバ-の女性と交代する。この流れにそういう時代だなあと感じた。話はネタバレしないようにこの程度として、ボンドの死が意味するものを考えてみた。まずはヒ-ロ-は男性という固定観念が通用しない。次に組織改編にヒ-ロ-不要である。この時代はヒ-ロ-も生きにくいようだ。

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本田翼似の彼女が娘を助手席にのせて、疾走する場面で終わる。娘はジェ-ムズと同じブル-瞳。次はこの子なのかな?と期待をつなぐ。死から逃れられないとすれば、自分の死と同等の価値と引き替えるのだろうか。「武士道とは死することなり」も等価交換のように思える。引き替えになるものと信じたら、躊躇なく交換するのかもしれない。今回の最後での選択はまさにそれである。立派に生きることは立派に死ぬことである。「ジェ-ムズはね、あなたのパパはね…」と語る彼女は、この生き方を肯定しているようだ。彼にしかできない死に方であるという理屈はわかるけど、ボンドには死なないでほしかった。ブル-の瞳に期待したい。

きばっど       初心に返るなら?         R3.12.25

きばっど       初心に返るなら?         R3.12.25

一年のまとめの時期になると、いろいろな場面を思い出しては、あれでよかったのかと反省してしまう。教師1年生に比べれば、経験値は上がっているだろう。しかし、一人の教師として、生徒を育てるという観点での判断としてどうだったのかとすっきりしない。一人の人間の人生に関わる仕事だから、答えがなかなか出せないこともすっきりしない原因の一つだと思い直している。

教師は熱量の仕事だと思う。さて、この熱を保つにはどうすればよいのだろう。熱の元になる教師になろうと思った始まりに返ることだ。そこで自分のスタ-トをどこにするかが問題になる。これを考える手がかりとして、「初任校は?」である。始まりにこだわるのは、ここでの3年間で教師人生が決定づけられるといっても過言ではないからだ。教師としての立ち方、位置が決まる。その人の出身地と言ってもよいだろう。たぶん、熱源もここにある。

 ある芸人が自分の原点として浅草をあげるように、教師にとってのそれは初任校なのかも知れない。そこでは、授業方法を習ったというより、人との接し方の基本を教えられたような気がする。近頃はやりの「一儲けならぬ人儲け」なのである。そこでは、教師人生を豊かにするための出会いが無数にあったはずだ。その中で、先輩にあこがれ、教師としてどうなりたい、どうありたいと若き日の自分がもがいたことを思い出す人も多いはずだ。

 いろいろな職場をまわると、自然と人間としての幅は広がる。「本気で掘らないと水脈に当たらない」のたとえどおり、場面によっては大変な思いをする学校も必要だ。勉強だ。そして、その課題から逃げないことである。ぎりぎりで向き合う時に、ある先輩は「命まではとられないから心配するな」とよく語ってくれた。進退に関わるつらい決定を告げる時は、「仕事だとわりきりなさい」と励まされた。「時が解決する場面もある」と教えられたこともよい思い出だ。

 働き方改革もよいが、本気で掘らないといけない時には、時間も何もあったものではない。仕事も人間的成長の一つになると思う。よき教師は心に火をつけるというが、自分が燃えないと火はつかない。火をつけようとすれば、よほど自分を燃やすか。相手を燃えやすくするかといろいろと考えてしまう。  

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退職校長の友人が同窓会で「先生の授業が好きで国語も好きになりました。」と当時の生徒に言われたと語り、「うれしいですよね。教師冥利につきる。」と満面の笑顔になる。初任校では「よき教師は火をつけた」を考えるゆとりもなかった。火をつけるのは、一人じゃ無理な気がする。やはり、仲間の教師との連携プレ-だった。仲間と協力して知らぬうちに生徒の心に火をつけた。それならだれかの手柄でも良いと思った。熱い思いがみんなにあれば、生徒も燃えるに決まっている。生徒指導で大変だった40年前の初任校の熱さが今でもなつかしい。

きばっど      給水所と踊り場          R3.12.16

きばっど      給水所と踊り場          R3.12.16

ある本に「人生の給水所は見えない、長い道のりの挑戦なら、給水所や踊り場で休むことも大事」という話があった。なるほどうまいたとえである。若いころ、こういう考えがあればもう少し違った人生もあったと思う。年々変わる生徒たちに変わらぬ思いで、授業をしながら、30年近く学校で過ごす教師生活。もちろん、社会人、家庭人としても己の為すべきことをきちんとできたはずなのだが‥‥。今更ながら後者はどうだったのかと反省してしまう。

学級担任になれば目の前に生きた生徒がいる。毎日変わるし、毎日いろいろなことを起こす。40人いたらその数だけのトラブルがあると思ってよい。子供は親のいないところで育つものだ。しかし、それを見守るのが先生である。この生徒にはこんな良い体験をさせたい、よい出会いがあるとよいのに…と考えながら、一日8~10時間、親よりもずっと濃い時間を共有する。この思い入れ、見守りに手を抜くわけにいかないから、ついつい24時間勤務になる。

給水所なんか目に入らない若いころ、暴走族だった。2年時の成績を整理して、当時出たばかりの表集計ソフト「マルチプラン」で個人カルテを作成した。家庭訪問にパソコンを持参して、個人名を入力して2年から3年中間テストまでの成績推移を提示する。それをもとに何種類かのグラフを画面上に表示して、見せる。さらに入試を想定して90点基準で換算し、内申の点数も加味して、合格ラインを示す。表集計ソフトの使い勝手も悪く、この資料づくりが大変で、本当に寝る間も惜しんでの作成だった。時間はかかったが、新しい情報提示に親は感心し、生徒もよく理解してくれた。あわせて「この1年間で君はどんな進路の夢を描くのかな」と語り、今までの成長過程を振り返らせた。考えてみると、もう一歩進んで、親にも未来への視点を提供して、将来の夢への応援や支援の話をするべきだった。性能の悪い表集計ソフトでいろいろと作成する時間に別のこともできたのだろうか?思えば、この時期は我が子の担任の名前すら思い出せない。たぶん、親戚にも不義理したようだ。まちがいなく、暴走して給水所を何カ所も通り過ぎたようだ。

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12月の面談では、この表とにらめっこして、昨年のボ-ダ-上を目がくるくるした。1月の模試でよかったら…とか、2月まで頑張らせて…とか、生徒と語りながら、合格大作戦に打ち込む毎日だった。階段の踊り場で休む発想があれば、その場の合格だけでなく、社会での活躍に向けてさらに先を見通そうする発想も出てきたのだろう。公私ともに余裕がなかった。若い私の背中には「後先考えず、暴走ご免」と書いてあったに違いない。せめて、これからは「ときには全力、たまには休憩」としよう。家族も、自分も大事にすると、今がよく見え、力の入れ具合も変わるはずだ。給水所や踊り場の感覚は、働き方改革のポイントだと思

きばっど        残すところ            R3.12.13

きばっど        残すところ            R3.12.13

今年も残すところ、後20日になります。コロナ時代を泳ぎ切り、2022の年を迎えられることを皆さんと心から喜びたいと思います。さて、学園スロ-ガン「やり抜く力」はどの程度達成されたのでしょうか。この力はやりとげることで身につくと生徒たちに話をしました。「校長の口ぐせ数えて秋がゆく」の青春俳句ではありませんが、口癖になるほど唱えてみると案外と本物になるのかも知れません。それにしてもお茶ラベルに掲載された「青春俳句」は「青春は行く(俳句)」と読めるほどキラキラしています。

コロナ時代は、新しい教育も試行錯誤され、リモ-トやズ-ムも身近なものになりました。面接もウェブとなり、ある意味、多くの人に機会が広がったような気がします。こんな現実を実現するディバイス(端末機器)の進歩には驚かされます。私たちの生活もずいぶん変わりました。人と人の接触を避ける必要から、無人レジをはじめとする新しい商業形態、「ウ-バ-イ-ト」まで、考えてもみないシチュエ-ション?にも慣れてきました。「対面で語る」ことが新しい価値になるとすれば、教師の仕事こそ、価値ある仕事の典型になりそうです。

 コロナがただの風邪になるには2~3年はかかりそうです。新しい生活様式に慣れても、今までと同じようにやることがあると知ることになるでしょう。今までのものはやり遂げて、新しいものを身につける努力を求められ時代です。アルコ-ルを飲むことは、「新しい関係をつくる、名乗り合うチャンスだ」とされた時代は過去になりそうです。たぶんに嗜好品的なものになると考えられます。これからの関係づくりには、アバタ-飲み会も出てくると考えます。参加者はセンサ-を装着し、よく似たアバタ-(勝手に盛り上げるキャラ)が飲み会に参加して、飲んだ量に比例して、アバタ-の顔が赤くなったり、行動がハイになったりするのです。どこからでも参加できるし、いつでも飲めるのですから、アバタ-・スタンダ-ドの時代になればこれはこれで面白そうです。 

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そのうち、昨年の話題作の「鬼滅の刃」がまた映画館にかかるでしょう。「心の鬼」とすぐ復活します。コロナのおかげで、寛容や許容という心の余裕がなくなり、責任転嫁や難癖非難に終始する時代になりました。そんな鬼の多い世の中にうんざりします。コロナにおびえている不安からなかなかいなくなりません。あちこちに隠れていて、事があればうじゃうじゃと出てきます。かねては優しい隣人なのに、すぐに異質、異形のものになってしまう世の中のようです。この時期の挨拶は「よいお年を」です。すべてがよくなることはないのですが、この言葉に祈りをこめて、せめて人を思う気持ちもつ、よい年としましょう。「もういくつ寝るとお正月」。特別な時間の流れがやってきます。正月のぬる湯にもひたり、英気を養いましょう。年は変わりますが、最後まで「やりぬく力」をお忘れなく。

きばっど        時間を削り出す          R3.12.5

きばっど        時間を削り出す          R3.12.5

時間について考えさせられた話です。箱根駅伝で有名な青学では、区間の記録を伸ばすために、時間を「削り出す」努力をするそうです。そして、自分の役目を果たしてタスキをつなぐ。時間というものは、「削り出してこそ活かせる」という哲学です。この「削り出す」に触発されて、似たような話を取り上げてみます。夏目漱石「夢十夜」からの抜粋です。

よくああ無造作に鑿を使って、思うような眉や鼻ができるものだな」と自分はあんまり感心したから独言のように言った。(中略)すると、さっきの若い男が、「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだからけっして間違うはずはない」と云った。自分はこの時始めて彫刻とはそんなものかと思い出した。はたしてそうなら誰にでもできる事だと思い出した。それで急に自分も仁王が彫ってみたくなったから見物をやめてさっそく家へ帰った。

この話のキ-ワードは「眉や鼻が木の中に埋まっている」です。それを槌の力で掘り出すことができる名人運慶の話です。青学の時間を削り出す作業とこれはよく似ていると思います。見た目は、彫刻と駅伝なので共通点はないように感じますが、どちらもよく言われる神が降りてくる瞬間に違いありません。この「掘り出す、削り出す」は絵や彫刻だけでなく、音楽も含めたあらゆる創造的な活動に言えることです。駅伝を主体的に走ろうとすれば、タイムの中にある活かせる時間を削り出すことも可能になるのでしょう。

運慶はこういうものが彫りたいと思い、手を動かしたのではなく、そうせざるを得ないギリギリのところだったのです。結果としてそれが彫刻になった。駅伝ではタイムを縮めることになる。問題の核心は全てその人間の中にあるのです。だから、カウンセラーや教師は、その人間の気づきを助けることしかできません。その人間の中に埋もれている何かを外へ引き出すこと。それにつきるのです。もちろん、本人にも教師にもまだ見えていません。それでもそちらへ少しずつ移動していこうとする人間の力(努力)が必ずあるはずです。

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運慶の場合は、それが鑿を持つ自在な手であり、青学の場合は足なのです。自分たちに何があるのか。それを気づかせてくれる人が存在するのかどうか。いつの間にか時は過ぎていきます。歳月の流れは確かに早い。その怖さに打ち勝ちながら、それでも埋もれた何かと戦うことになるのでしょうか。こう考えると、極限ぎりぎりこそがこの「掘り出す」行為につながります。まさに、何秒かの削り出しも同じぎりぎりです。どちらも神と出会う瞬間を考えさせる本当にいい話です。「全力で取り組む極限」の話であり、ぎりぎりなのです。